第2話 ドボルザーグ チェロ協奏曲 フルニエ・ジョージセル ベルリンフィル
グラモフォンから廉価盤レコードが出始めたのは、ロンドンやRCAが廉価版を出し始めたのとほぼ同時期の1975年頃と記憶している。EMIもセラフィムレーベルでモノラルやステレオ初期のレコードをリリースし始め、多数の名廉価盤が市場に出回り始めたの事はまだ学生だった僕にとって嬉しい出来事だった。
カラヤンとウィーンフィル、ミュンシュとボストンやライナー、バルビローリなど
それまでは、僅かにコロンビアとフィリップスが廉価盤をリリースしていて、中にはスメタナSQの「アメリカ」(ドボルザーク)と「死の乙女」(シューベルト)のカップリングやシゲティによるベートーベンのバイオリン協奏曲など良い演奏もあるにはあったのだが数は決して多くなかった。学生時代に名演に巡り合うことができたのは幸せな事だったとつくづく思う。
それら廉価版の中で最も記憶に残るのがこの盤である。カラヤンとウィーンのベートーベン7番やリヒャルトストラウスの交響詩、ハイドシェックのモーツァルトのピアノ協奏曲、ライナーのバルトークやマーラー、リヒテルのベートーベンのピアノソナタ、印象に残る演奏の枚挙に暇はないが、このドボルザークの演奏と、ほぼ同時にリリースされたフルニエとグルダによるベートーベンのチェロソナタはチェロと言う楽器へのそれまでの概念を覆すものだった。
それまでシュタルケルやカザルスの演奏を聞いてきた耳には、フルニエの演奏は非常に大人しい、品のいいものに聞こえた。大人しい演奏家の弾くチェロと言うのは目立たない、そんな楽器に思えるかもしれないがそもそもチェロは朗々とした音を出す楽器である意味、幾らでも感情を吐露できる幅を持っている。だからついつい弾き過ぎてしまう楽器である。最初にグルダの伴奏でベートーベンのチェロソナタ集を弾いているフルニエに「弾き過ぎない」好ましさを感じさせた。
その弾き過ぎないフルニエがドボルザークでは、セルの伴奏に乗って慎ましさを保ちながら「弾き切って」いる。恥じらう乙女が懸命になっている、そんな表情がこの演奏の美点である。
concertoは「協奏曲」であり、「競争曲」ではない。だがソリストとオーケストラにはしばしば、「競争関係」が生まれる。例えばトスカニーニとホロビッツのチャイコフスキーのピアノ協奏曲では、この義父と義理の息子は「どう考えても喧嘩しているよね(たぶん娘のことはなくて音楽そのもので)」という部分が散見されるし、ブラームスのピアノコンチェルトをグールドと共演したバーンスタインは、演奏の前に「ミスター グールドとは演奏について見解の相違があるが、ここはこちらの方が譲歩する」とあくまで冗談ではあるものの、しばしばソリストとの見解の相違が発生することを認めている。
そもそも協奏曲は協奏のために作られた「和」を意味するconcertなのだから、競争の意味はないのだが、音楽家と言うのは芸術家で、特にソリストというのは、奏者の中で優秀な人がなるものであるから、曲の解釈に強いこだわりがあるのは尤もな事だ。かといって指揮者は本来オーケストラにおける曲の解釈のスペシャリストであるからおりおり衝突することがあるのは致し方ないことであろう。作曲家も敢えて協奏曲の中に対立軸を持ち込むことで曲の深みを演出している。オーケストラパートとソロパートが「競争」しない「協奏曲」というのは余り面白みのないものになってしまう。
もっとも、ピアノとその他の楽器では多少、その具合に差異があるように感じられる。もちろん奏者や組み合わせにもよるのだが、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルート、ハープ、クラリネット、オーボエ、チェロなどは、やはりオーケストラに欠かせない楽器であり構成の一部であるのに対し、ピアノはそうでない、という根源的な違いがあるのではないかと思う。その意味でピアニストは常にさすらい、孤独に演奏するか、そうでなくてもオーケストラ、あるいは四重奏団、時にヴァイオリンやチェロ、歌の伴奏者として対峙することを迫られているのではないか。その結果としてピアニストはより自己主張の強い個性を生み出すのではないだろうか。
一方チェロはやはりオーケストラの一部を構成する楽器であるから、ピアノのような「競争」関係が抑えられがちになる。その音程がヴァイオリンに比較して低いチェロは自己主張をしにくい、ある意味もっとも「競争」しにくい楽器であり、「競争」しようとすると違和感を感じさせやすい楽器のような気がする。ボッケリーニやヴィバルディなどのバロック時代のチェロ協奏曲は合奏曲と呼ぶ方が相応しいように思える。そのせいか、「チェロ協奏曲」という分野は数ではピアノやヴァイオリンに次ぐ多さなのだろうが、人口に
ドボルザークのチェロ協奏曲はそうした中で、シューマンのそれと「チェロ協奏曲」の双璧をなしている。
さて、曲は夜、暗いボヘミアの森の中を彷徨うようなクラリネットによる旋律から始まる。ヨーロッパ狼を恐れてゆっくりと歩を進める狩人のような不安をファゴットとティンパニが追い、フルートとオーボエが重ねていく。この出だしの部分がセル・フルニエ盤は秀逸である。やがてチェロが主旋律を奏でるまでの期待を一挙に高める。やがてフルニエのチェロが慎ましくも朗々と響いていく。オーケストラとソロは互いに邪魔することは一切なく、高め合うように響いている。もし、オーケストラの一員であったら、演奏しながら限りない陶酔感を味わえたであろう。ドボルザークの郷愁の想いが滲み出るような、切なく美しい演奏である。
高揚感で締めくくられる一楽章が終わると、優し気な、まるで穏やかなボヘミアの朝を奏でるかのような旋律で二楽章が始まる。だが、朝の思い出が美しければ美しいほど、そこに故郷を思う悲しみが交り、やがて感情が激するようなメロディーが奏される。そしてその思いは解決されないままカタルシスの寸前までを描く終楽章に至る。どこまでも感情は起伏し、行き着くことのない思いが描かれる、その描き方が美しい。
この演奏を聴いているとドボルザークはチェロによって自らの感情を露出させつつ、オーケストラによって故郷を失った悲しみに暮れる自分を慰めてくれる周りの人々の優しさを旋律に織り込むことによって曲を作り上げたのではないか、とさえ思えるのだ。ぜひ無心でこの曲、この演奏を聴いて欲しい。秋冬はとりわけこの演奏を聴くには相応しい季節である。
温めたグルーワインを手に僕は2021年のこの冬もこの演奏を聴きつつ、プラハのカレル橋のたもとでピルスナーを飲みながら豚肉をトマトで煮た料理を食べた時のことを思い出した。共産圏の崩壊で自由を得たもののまだ貧しいチェコの豚肉は固く、脂身が多くて子供の頃の給食に出た豚肉によく似ていた。時間は遡り、チェコを通して子供の頃住んでいた新潟の雪の季節を想起した。
パンデミックで旅行のできない時期でも、時空間を超え、懐かしい昔を思い起こすことができる。
この曲を作曲し終えた僅か二か月後、ドボルザークはアメリカを離れ故郷へと戻ることになる。彼もまた、この曲を作り上げ耐えきれない郷愁に子供時代のチェコの厳しい冬を懐かしんだのかもしれない。
ところでレコードでの初出の際はこの曲にカップリングは無かった記憶があるが、CD盤ではエルネスト ブロッホとマックス ブルッフの曲がカップリングされている。ブロッホのヘブライ風狂詩曲「シェロモ(ソロモン)」は同じベルリンフィルがウオーレンシュタインの指揮で伴奏しているがこれもなかなか秀逸な演奏で、抑制されたチェロによる感情の動きが指揮者とオーケストラの手腕と相まって、厳かなそれでいて不安に満ちた曲想を良く表現しきっている。ブルックの曲はジャンマルティノンのタクトによるオーケストラ ラムル パリの伴奏でチェロとハープとの絡み合いがつれない男と切ない女の恋のように美しく描かれている。60年代のフルニエのはどれも脂の乗り切った時期の演奏で外れがない。それはグルダとのベートーベンのソナタ、バッハの無伴奏チェロソナタにおいても同様でこれらは今後、書くこともある可能性があるので割愛するが、この時代のフルニエに勝るチェリストは僕は挙げることができない。
同曲の別の演奏
フルニエがソリストであるもうひとつの盤は、クーベリックとウィーンフィルという組み合わせ、メンバーとしてはセルとベルリンフィルと遜色のない組み合わせである。クーベリックはそれこそドボルザークと同じチェコ生まれの人である。期待を持って聞き始めたが、先ずモノラル録音で音の状態が余りよくない。(この録音は1954年後期のモノラルで、通常この頃のモノラルの音質は比較的良いものだがこの盤については演奏時間が75分超と、他の曲と詰め込み過ぎているのが良くないのかもしれない)フルニエの演奏もどこか散漫な印象で、タッチミスではないかと思われるところも散見される。セルとの録音を聞いた後では残念ながらお勧めするのは控えたい。
ロストロポービッチとカラヤン、ベルリンフィルの組み合わせは立派な演奏だ。だが、聴いているうちにいったい誰の作った曲なんだろうと、ふと思わせる。ブラームスの曲だったかしらん?と聞き違えるほどだ。(ドボルザークはブラームスと親交があり、その影響を強く受けているというのは事実だが)ドボルザークの曲は良くも悪くもチェコの土着性、スラブのどこか暗く悲し気な情熱を旋律に込めている。それを敢えて剝ぎ取ったのは指揮者の意図だと思う。ロストロポーヴィチは旧ソ連のチェリストだからスラブ色がないわけではないだろうが、カラヤンに寄せたのだろう。指揮者とソリストがスラブ色と言う点でセル・フルニエと真逆になり、いずれも指揮者のカラーが色濃く出ているのは興味深い。
ドボルザーク自身インターナショナルな活躍をし、イギリス・アメリカへと活躍の場を広げている以上それが良いと考える人もいるだろうが、僕個人としてはスラブ人作曲家としてのドボルザークを楽しみたい。「新世界交響曲」も弦楽四重奏曲「アメリカ」も新天地にありながら故郷に思いを寄せた作曲家の心情を吐露させる、その心情もまた彼の曲の重要な要素だと思う。いやむしろアメリカに行ってこそ、彼の故郷への想いは色濃く出ているのだから。
ピエール フルニエの演奏
*Antonin Dvorak Konzert fur Violoncello und Orchester h-moll op.104
Pierre Fournier (Violoncello) Berliner Philharmoniker George Szell
Ernest Bloch Schelomo : Hebraische Rhapsodie fur Violoncello und Orchester
Pierre Fournier (Violoncello) Berliner Philharmoniker Alfred Wallenstein
Max Bruch Kol Nidrei : Adagio nach hebraischen Melodien fur Violoncello und
Orchester
Pierre Fournier (Violoncello) Orchestre Lamoureux, Paris Jean Martinon
Deutsche Grammophon 429 152-5
*Antonin Dvorak Cello Concerto in B minor, Op. 104
Pierre Fournier (Cello) Wiener Philharmoniker Rafael Kubelik
coupled with
Leos Janacek Sinfonietta & Piotr Ilyich Tchaikovsky Romeo and Juliet (Fantasy
overture) by same conductor and orchestra
Decca 480 0955
*Luitwig van Beethoven Trio fur Klavier,Violine und Violoncello D-Dur op.70 No.1 >Geister-Trio<
Trio fur Klavier,Violine und Violoncello B-Dur op.97
>Erzherog-Trio<
Wlhelm Kempff(piano) Henryk Szeryng(Violine) Pierre Fornier(Violoncello)
Deutsche Grammophon 429 712-2
*Luitwig van Beethoven Die Werke fur Violincello und Klavier
Sonata F-dur op.5 No.1
Sonata g-moll op.5 No.2
Sonata A-dur op.69
Sonata C-dur op.102 No.1
Sonata D-dur op.102 No.2
12 Variationen uber ein Theme aus >Judas Maccabaeus< WoO 45
7 Variationen uber das Duett >Bei Mannern, Welch Liebe Fuhlen< WoO 46
12 Variationen uber das Thema >Ein Madchen oder Weibchen< op.66
Pierre Fournier(Violoncello) Friedrich Gulda (Piano)
Deutsche Grammophon 437 352-2
*Johann Sebastian Bach Sechs Suiten fur Violoncello solo
Suite No.1 G-dur BWV 1007
Suite No.3 C-dur BWV 1009
Suite No.5 c-moll BWV 1011
Suite No.2 d-moll BWV 1008
Suite No.4 Es-dur BWV 1010
Suite No.6 D-dur BWV 1012
Pierre Fournier (Violoncello)
Deutsche Grammophon 419 359-2
同曲の別演奏
*Mstislav Rostropovich(Viloncello) Bereliner Philharmoniker Herbert von Karajan
Deutsche Grammophon 413 819-2
その他のチェロ協奏曲(参考としたもの)
*Luigi Boccherini Concerto No.2 D-dur
Antonio Vivaldi Concerto C-dur RV 398
Giuseppe Tartini Concerto A-dur
Antonio Vivaldi Concerto G-dur RV 413
Mstislav Rostropovich (Violoncello) Collegium Musicum Zurich Paul Sacher(cond)
Deutsche Grammophon 429 098-2
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます