My Bests (僕の好きな音楽)
西尾 諒
第1話 ラベル・ドビュッシー 弦楽四重奏曲 ラサールSQ
この演奏を最初に聴いたのは、レコードで初出してすぐのことだから、もうかれこれ50年近くも前の事になる。僕は高校生になりたてで、少ない小遣いの中から廉価版を買うのがやっとの年頃だったから、新譜なんてお年玉を貰った直後とか、せいぜい年に1,2枚しか買えなかった。今に比べて物価の変化を勘案するとその時代の音楽媒体は高く、新譜のレコードは今とさしてかわらず一枚2800円くらいしていたと思う。そんな中でこのレコードを敢えて買った理由は記憶に定かではないが、おそらくは「レコード芸術」で絶賛されていたからではないだろうか。今となって見れば、評論家による演奏の評価などは必ずしもあてにならないと思うが、その頃は結構信じてもいたし、実際この盤のように信じて正解だったケースも多々あった。ともするとそれ以降頻出するようになった極めて偏った評論やコマーシャルに汚染された評論というのはその頃はそれほど目立たず、評論が評論としてあるていど信頼できたよき時代だったのかもしれない。その頃「レコード芸術」で室内楽の評価を担当されていたのは門馬直美氏であったのではないかと記憶しているが、間違っていたらごめんなさい。(小石忠男さんかもしれない)
さて、レコードと言うのはCDや配信音楽媒体と違って、針を落とすという作業がある。これが結構気を遣う作業で、回転するレコード盤の外周の五ミリほどある無音の部分にうまく落とさないとならない。特に新盤の時は傷をつけないように慎重に操作せねばならない。一種の儀式のような物で、音楽をこれから聴くのだ、という心構えを植え付けてくれたような思い出がある。
その日、池袋の東武デパートの11階だったか12階にあったレコード屋でそのレコードを買って来た僕はちらりとレコードのジャケットを見た。ジャケットの写真から雨が止んだばかりで濡れたグレーブリックの上に佇んだ四人の演奏家がこちらを見あげている。にこやかな表情をしているひともいれば口を引き結んでいる人もいる。一見、愛想のない写真だがいつまでも印象に残るジャケットになりそうな予感がした。
そして・・・この盤にそっと針を落とした瞬間、ヴァイオリンが語りかけるような口調で、さあ、君、この音楽をきちんと聴いてみるかね、もしかして耳慣れていないかもしれないけど、と問いかけてきた。僕がへどもどしているうちに彼らの視線は聞き手から離れ、楽器に集中していくのが見えたような気がする。豊穣で繊細な合奏が始まり、絹でできた網のようなものに引っかかったまま僕は言葉もないまま異空間に連れ去られて行った。
どう表現したらいいのだろう?銀と薄張の細工でできたグラスのような繊細さ、とでも言ったらいいのか。四人の演奏家によって、一音一音が正にそれ以外に考えられないような曲線を描いて弾かれていく。そう、針を落とした瞬間から最後までのっぴきならない緊張感に包まれて僕は聴き入ったのだ。ドビュッシーのanime et tres decideへ、元気よく決然と。
おそらく誰もが気付いていると思うが、この二つの弦楽四重奏曲はほぼ例外なく組み合わされてリリースされ、必ずと言ってよいほどドビュッシーの方が前に配置されている。ドビュッシーの方が10年ほど前に作曲されたものだから、年代順に・・・というわけではあるまい。そして・・・この二つの曲は驚くほど自然に連続して繋がっていくのだ。循環形式が多用されているという共通点があるにしろこの二つの曲をこの順番で組み合わせるのは意味があるに違いない。まるで八楽章の弦楽四重奏曲のようにさえ聞こえる。この曲を聞くたびドビュッシーによって心を掻きまわされ奪われていく、そしてラヴェルによって落ち着かされ固定化していく。そして僕にとってその過程をもっとも楽しめるのはラサールの演奏、なのだ。とりわけラベルの第三楽章 Tres Lentoのヴァイオリンの繊細な響き・・・弱音の美しさ。そして二つの協奏曲を締めくくるvif et agite。そこでもこのカルテットは品性を保ちながら「騒がしく」していく。
完成された世界がそこにある。練達の職人によって作られた工芸品のように、どこにも違和感なく心に馴染む「プロダクト」がそこにはある。限りなく美しく完成されたものが。
この演奏は1971年にレコーディングされたものであるが、それ以前にある演奏はイザイSQ、ブダペストSQ、イタリアSQ、ジュリアードSQ、パレナンSQなどで、例えばスメタナSQやアマデウスSQ、バリリSQなど有名なカルテットによるレコーディングは存在しない。弦楽四重奏曲として引っ張りだこ、という曲では必ずしもないという印象だ。とりわけオーストリアやドイツなどのカルテットのレパートリーからは排除されていた感がある。その傾向は変わらないにしても、1971年以降、僕が持っているだけでもオーランドSQ、クリーブランドSQ、アルバンベルグSQ、エマーソンSQ、カルミナSQなどがリリースされている。(とりわけ、86年はこの楽曲のVintage Yearで84年、85年に録音されたエマーソンSQ、アルバンベルグSQ、クリーブランドSQなどの演奏が一斉に発売された年であった)
まだ聴いたことはないがその他にもメロスSQ、ターリッヒSQ、アルカントSQなどの盤がリリースされているらしい。いつの間にか弦楽四重奏曲の中でメジャーになったという印象だ。
正しいかはどうか、分からないがラサールSQの演奏はそれだけinspiringな画期的な演奏だったのではないか、そう僕は考えている。
時代が移り変わり音楽媒体としてCDが主流になった頃、僕は仕事上の関係でドイツに居住することになった。仕事は忙しいどころではなく、公私ともども自由時間は制限され(なんせ、東京の管理職は海外出向者は24時間体制、欧州と日本は昼と夜が逆だがそんなことは関係ないと平気な顔で言っていたし、実際に夜中眠っている最中に家の電話で、ファックスの字が見えないから教えろという電話がかかって来たこともある。こっちは家ですぜ・・・?会社に戻れっていう事ですか?)1年過ぎたある日の日曜日、街中にあるアルテピナコテーク美術館に行った時「欧州に来て初めて社長と顔を合わせない日」だったと気づいたくらいだった
その頃からようやく仕事も落ち着いて、家電に店に行き、CDプレーヤーを買い(レコードに未練はあったが、もはや未練を押し通すのは無理な時代だった)そして街に行ってCDを買い始めた。(このCDを買うのがまた一苦労。なんせ土曜日は半ドン、日曜日は休みという国なので、土曜日の午前中か、夜八時まで開いている木曜日しか買うチャンスはない。Langer DonnerstagというのだけどEUになってしばらく経った今でも続いているのだろうか?)
だが・・・。ドイツはクラッシック音楽大国であり、Deutche Grammophon の本社がある場所である。そのレーベルから出ているあの名演奏がないはずはない、と思ったのはとんだ勘違いだった。どの店に行っても見つからない。貧弱なドイツ語で尋ねても、ん?と怪訝な顔をされるだけでドビュッシーとラベルの弦楽四重奏曲であるのはこれだけ、と棚を指で差されるだけ。というわけで、今僕が手元にもっている他のカルテットによる演奏はみんなドイツか、そのあとに赴任したイギリスで買ったものだ。
そう、この演奏はずっと廃盤になっていた。それは日本に戻っても同じことだった。というか、ラサールの演奏は他の盤も含めて殆ど廃盤になっており、グラモフォンから出ているのはほぼシェーンベルクやツェムリンスキーなどの現代音楽のものだけであった。(それも20th Century Classicsという現代音楽全集の一つとして)
その後同じ組み合わせでメロスSQやエマーソンSQの録音がリリースされたが、ラサールSQの盤は廉価版としてさえ出ていなかったのには何か事情があったのだろうか?どうもグラモフォンとラサールSQの間には何か行き違いがあったのでは、と思えてならない。ラサールSQが最も得意とする現代音楽(十二音技法の発生源がドビュッシーとするならば、そのあたりから)はクラッシック音楽の愛好家の中にあっても決して多数派ではない。弦楽四重奏曲としてのビジネスとしては(クラッシック音楽自体がビジネスとしては難しいのだろうが)一番おいしいのはモーツアルト、次いで古典派、ロマン派の作曲家であろう。ラサールSQもベートーベン、ブラームス、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンなどの曲を録音してはいるものの、彼らはグラモフォンにとって、看板となるSQとはなりえなかったのではないか。これはグラモフォンが現代音楽を蔑ろにしているわけではなく、カラヤンやポリーニなども多くの現代音楽の名演をグラモフォンから出している。だが、バランスという観点から言うとラサールSQは(近)現代音楽にかなり偏っている。
そんなある日銀座の山野楽器にふらりと立ち寄った僕は久しぶりにあの四人の写真と出会うことができて歓喜した。Tower Recordsによる復刻版ではあったが、そのジャケットはレコードのものと同一だった。そしてジャケットこそ同一ではないものの、他社から出ていたベートーベンの後期四重奏曲集の海賊版と一緒に買いもとめた。
(余談ではあるが銀座の山野楽器はコロナが流行し始めた頃にフロアを縮小したのを受けてクラッシックのコーナーのスペースも激減してしまった。とりわけ豊富にあった外国盤はとても少なくなった。時世とは言え悲しいことだ。池袋の東武など様々な場所でそういう経験をしてきたし、クラッシックどころかレコードやCDの店舗そのものがなくなりつつあり、準絶滅危惧種になりつつある)
さて話を戻そう。ラサールSQに比べてアルバンベルグSQのようにあらゆるジャンルを器用にこなすSQの方がビジネスとしては成立しやすいのは理解できる。アルバンベルグSQはモーツアルトもベートーベンも全集をレコーディングしつつ、近現代音楽にも目を配っている。(もちろんそれを高い完成度で両立させている)それが彼らが成功した主な理由だと思う。
それは単にレコード会社との間だけではなく、聴衆との間でも同じ事であったのかもしれない。とりわけラサールがモーツァルトを一曲もリリースしていない、というのは全集をレコーディングしているアルバンベルグSQと対照的と言えるだろう。ラサールSQはある意味ビジネスの基準をクリアせず、いつのまにかグラモフォンの倉庫の片隅で眠ってしまう事になったのではないだろうか、そう思えてしまうのだ。
その懸念は、残念ながらブラームスやメンデルスゾーンを買い損ねた僕にもシューベルトの弦楽五重奏曲を聴いたことで少し理解できた。
そもそも何故五重奏なのだ?シューベルトには「死と乙女」をはじめ多くの四重奏曲があるではないか。カップリングされたシューマンでさえ3曲ではあるが弦楽四重奏曲を作っている。その上、ピアノとチェロ、と組み合わせを変えた以上、これはあくまでラサールSQをメインにしたリリースなのである。残念ながらその演奏にはフランス人二人の作曲家の演奏を聴いた時の緊張感は欠けている。ソリストを加えたことで本来メンバーだけで演奏する時の緊密さが欠けてしまったのだろうか?ソリストも決して良くない感じはするが、それだけでは説明しきれない。ラサールSQによるもう一つの隠れた名演奏である、シェーンベルクの「浄夜」も二人の別の演奏家が加わっている。その高い完成度を聞く限りにおいて単にメンバーの追加だけでは説明できないものが、そこには存在する。その上、演奏自体の精密さが欠けているわけではない。「音」自体に不足はないのだ。
敢えて言えば、「伝統的な歌」の感覚の不足がこの演奏においてはどこか不自然な感じを生み出しているのかもしれない。例えばスメタナSQの演奏に感じられるあの陶酔的で伝統的な「自然の歌」の感覚が欠けているような気がする。音楽に身を任せるというより「分析と構築」という抑制的で知的な作業が僕らを陶酔から遠ざけてしまっているような気がする。それがソリストとの共演と言う中で却って露わになってしまう部分が出ている、のかもしれない。
一方でツェムリンスキーの四重奏曲では彼らは嫋々と「歌って」いる。だが・・・その歌は「伝統的な歌」とは異なるものなのだ。
多くの人は音楽に体と心に無条件に響く「自然で伝統的な歌」を求めるが、現代音楽はそれを脱しようという試みがなされている。それが「現代音楽は難解だ」とか「面白くない」「聴いていると不安になる」という拒否感を産み出すように思える。ピエール モントゥーが「春の祭典」を初演した時にはパリの聴衆から激しいブーイングを浴びた、という話は良く知られている。今では人の耳に慣れつつある、あの古典となっている「春の祭典」でさえ、最初はそんな目にあったのだ。
「春の祭典」やベルクのヴァイオリン協奏曲のように現代音楽のいくつかはやがて古典となっていくが、最初は拒否されるのが宿命なのだろう。それを敢えて中心に据えて演奏していく人々もいれば、広いレパートリーの中で時折差し挟んでいく道を取る人もいる。全く演奏しない人もいる。コマーシャルの観点から言えば、最初の道はなかなか困難な道だともいえる。作曲家であり、指揮者でもあるブーレーズなども最初の道を選んだ人なのだろう。
アルバンベルグSQとラサールSQのアプローチの違いはある意味で、カラヤンとブーレーズに似ているような気がする。ジェネラルで幅広いレパートリーを持つ音楽家の方がこだわりを持って演奏する開拓者よりビジネスとしては成立しやすいし、聴衆からの受けもよいのは仕方がないことだ。だが僕ら聴衆はそうしたこだわりを持つ新たな演奏の開拓者をもう少しリスペクトするべきではないだろうか。
そしていつになったら僕らは「別な一つの歌」を認知するのであろうか?
もちろん、凡そ現代音楽にも「自然の歌」の要素はある。(ジョン・ケージの4' 33"は除くが)それを強めていくか、どうかは演奏家の方向性次第だと思う。特にドビュッシーのような古典と現代音楽の結節点に存在するような音楽家ではその方向性は大きな違いを生み出すような気がする。
もちろん古典派でも「歌」に関する方向性は存在しうる。その意味でラサールSQがベートーベンの後期四重奏曲をレコーディングしたのはある意味正解かもしれない。ベートーベンの初期の弦楽四重奏曲は(ピアノソナタやコンチェルトもそうなのだが)やはり強くモーツアルトやその時代の音楽家の影響を受けていて、「歌」の要素が強いのに対して後期の弦楽四重奏曲は構成力が強くなっている。だからラサールSQの演奏に違和感を感じることは少ない。ブラームスもシューベルトやシューマンよりしっくりくるものがあるような気がする。グラモフォン(今はユニバーサルというべきなのか)からの再発を心の底から希望している。
個人的な感想に過ぎないが、彼らの曲の選び方は、方向性は違うものの昔のブダペストSQと似ているような気がする。モノラル時代にやはり革命的な演奏をしたブダペストSQは今でこそ、あまり口の端に上ることはないが、ラベル・ドビュッシーの弦楽四重奏曲やベートーベン後期、ブラームスなどを好み、確かソニーレーベル(往時のコロンビア)に多くの名演を残した。彼らはモーツアルトやベートーベン前期の四重奏曲を残してはいるものの、重心はベートーベン後期やブラームスに置かれていた。
もし、モーツアルトの弦楽四重奏曲を彼らが弾いたらどんな演奏になったのだろうか?彼らはモーツアルトに対してどのようなアプローチがあると考えていたのか?残念ながら僕にはそれを聞く機会はない。ラサールSQは1992年に解散してしまった。楽団の創設者であるWalter Levinは2017年に92歳でシカゴで亡くなった。創設時のメンバーであるHenry Mayer Jack Kirsteinの二人もそれ以前に鬼籍に入っている。Peter KamnitzerもLevinの亡くなる前年に死去してしまった。
Walter Levinは写真を見る限りtalkativeな人と言うより学究肌の人間で饒舌にその心中を話すような人間には見えない。彼が音楽に何を考えていたのか、それを今のところ僕は演奏を聞く以外に知る術はない。
ただツェムリンスキーの全集の中にはもう一曲ハンス エリック アポステルの四重奏曲が入っている。ライナーノートを書いたHorst Weberとの対談の中でWalter LevinはApostelをcompromise was unthinkable to him(妥協などは彼にとって思いもよらない)と評している。そのコメントはWalter Levinにも当て嵌まるものなのかもしれない。
ラサールSQがレーベルや聴衆との関係で必ずしも当代きってと言うほどのポピュラーにならなかった弦楽四重奏団だとしてもこのカルテットによるドビュッシーとラベル、シェーンベルクなどの演奏の素晴らしさには些かの影も落とさない、僕にはそう思えるのだ。
参考:同一曲のその他の演奏
レコードプレーヤーが実家からなくなり、ラサールのCDが発売されていない間に買い求めたCDによる演奏は6種類だった。どの演奏にもけちをつけるつもりは毛頭ないが、ラサールの時に感じたあの新鮮で衝撃的な感覚は実際の所どの盤でも味わえなかったのは仕方ないだろう。この曲においてラサールの演奏は僕にとって初恋に似たもので、やはり初恋を完全に忘れさせる恋はないのだ。
違和感は出だしからあり、最後まで続く。音の作り方そのものに違いがある、そんな気がしてならない。でもそんな中で多少なりとも傷ついた(?)心を癒してくれたのはアルバンベルグSQとクリーブランドSQの演奏であった。
ラサールSQとはアプローチは異なるが、アルバンベルグSQの演奏は完成度が極めて高い。演奏自体はドビュッシー以前・以降と分ければ「以前」に軸足を置いた演奏でドビュッシーやラベルの楽譜の中にも存在する「伝統的な歌」の要素を重視している。その意味では万人に安心して聴ける演奏だ。変な例えかもしれないが、ラサールSQがシークワーサー果汁とするならば、オレンジジュースのような違いと言えばいいのだろうか、オレンジジュースは飲みやすいが、シークワーサー果汁の仄かな苦みを僕は愛でる。
クリーブランドSQの演奏はラサールSQの演奏と別の意味で現代的な演奏、どちらかというと、ドライな感覚のする演奏で、弱音に対する強い意識があり、かなり研究されたとても良い演奏である。変にリリックでないところが良い。リズムも緩急があり、ラサールSQとは別の感興を惹起する。もしラサールSQの演奏が聴けなくなるようなことが起きたら、僕はこのクリーブランドの演奏を選ぶような気がする。
参考
ラサールSQの演奏(視聴済み)の一覧
Claude Debussy String Quartet in G minor op.10
Maurice Ravel String Quartet in F major
(1st Violin: Walter Levin 2nd Violin: Henry Meyer Viola: Peter Kamnitzer
Violoncello: Jack Kirstein)
Tower Records PROC-1100 Marked by UNIVERSAL MUSIC LLC
recorded Jun 1971
Arnold Shoenberg Verklarte Nacht op.4
(1st Violin: Walter Levin 2nd Violin: Henry Meyer Viola: Peter Kamnitzer
Violoncello: Lee Fiser
with 2nd Viola: Donald Mclnnes 2nd Violoncello Jonathan Pegis)
Arnold Shoenberg String Trio op.45
(1st Violin: Walter Levin Viola: Peter Kamnitzer Violoncello: Lee Fiser )
Polydor International GmbH 423 250-2
recorded Nov 1982(op.4) and Dec 1982(op.45)
Franz Shubert Streichquintett D956
(1st Violin: Walter Levin 2nd Violin: Henry Meyer Viola: Peter Kamnitzer
Violoncello: Lee Fiser with Lynn Harrell 2nd Violoncello)
Robert Shumann Klavierquintett
(1st Violin: Walter Levin 2nd Violin: Henry Meyer Viola: Peter Kamnitzer
Violoncello: Lee Fiser with James Levine Piano)
Polydor International GmbH 435 071-2
recorded 1979(Shubert)/ 1981(Schumann)
Alexander Zemlinsky String Quartet no.1 A major op.4
String Quarter no.2 op.15
String Quarter no.3 op.19
String Quarter no.4 op.25
Hans Erich Apostel String Quarter No.1 op.7
(1st Violin: Walter Levin 2nd Violin: Henry Meyer Viola: Peter Kamnitzer
Violoncello: Lee Fiser)
Polydor International GmbH 427 421-2
recorded 1978(op.15) 1982
Ludwig van Beethoven String Quartet in E flat Op.127
String Quarter in C sharp minor Op.131
String Quarter in B Flat Op.130
Grosse Fuge Op.133
String Quartet in A minor Op.132
String Quartet in F Op.135
Brilliant Classics 94064 (original Deutsche Grammophon Gesellschaft mbH)
(1st Violin: Walter Levin 2nd Violin: Henry Meyer Viola: Peter Kamnitzer
Violoncello: Jack Kirstein)
recorded unidentified
ドビュッシー・ラベルの弦楽四重奏曲(視聴済み)の一覧
*Quartetto Italiano Philips 420 894-2 recorded Aug 1965
*Orlando Quartet Philips 422 837-2 recorded Sep 1982
*Emerson String Quartet Deutsche Grammophon 445 509-2 recorded Apr 1984
*Alban Berg Quartet EMI 7 47347 2 recorded April(Debussy) Dec(Ravel) 1984
*Cleveland Quartet TELARC 80111 recorded Oct 24-28 1985
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