第170話 やっぱ苦労はどこかで報われなきゃダメだろ


 ガノンナッシュがお茶会を開始し、マーキィたちがクラスメイトたちを連れて帰る為に敷地を出て行くのを確認してからショークリアは息を吐いた。


 なおショークリアは、ミローナに協力してもらって早着替えをしており、何でも屋の格好になっている。


 ちなみにミローナと護衛のカロマも一緒だ。

 二人も、何でも屋を装った格好になっている。


 そして何より――


「それじゃあミーツェ先生、行きましょうか」

「えーっと、どこに? というか食事会のあとのお茶会をするって……」


 ――ショークリアの一番の目的は、ミーツェと話すことだ。


「今回の食事会の目的とネタバレをするだけなので、お兄様に全部任せてきました」


 ニコっとショークリアが笑うと、ミーツェは顔を引きつらせる。


「い、いいんですか? そんなコトをして」

「参加者の皆さんも分かってくれてるんで問題ナシです」

「えぇ……」


 食事会の準備の時に、事前にガノンナッシュや両親とも相談してあったことでもある。

 元々、別のことに使う予定の時間だったのだが、タイミング的にはここが一番ミーツェを労うのに向いていると判断したので、予定変更だ。


 元々の予定の方はヨウヘイジャーたちに任せたので、そこまで問題にはならないはずだ。


「ああ、それと――この格好の時は、何でも屋のショコラなんで、そう扱ってくださいね、先生」

「えーっと、平民として接して欲しいってコトですか?」

「はい」

「……わかった。それで、これからどこいくの?」


 まだ納得はしてなさそうながら、これ以上は何を言っても無駄だと思ったのだろう。

 ミーツェはうなずいてから、訊ねる。


「先生ってお酒平気?」

「平気どころか大好きですけど」

「食事会だと生徒メインでやっててお酒出せなかったですからね」

「え?」

「それじゃあ、行きましょうか!」

「だからどこにッ!?」


 先生のツッコミを無視して、ショークリアは歩き出す。

 道中で、ミローナとカロマも紹介しつつ、向かった先は――


「……ここは……?」

「店名の通りの場所です」

「この店名はどうかと思うんですけど……」


 ――『美味しくて太る食事と酒処 ヒギハ・エイロラク』。


「ああ、うん。私もそう思うんですけど、言うだけのコトはあるお店ですよ」


 メインストリートから少し外れた道の、さらに路地裏にある目立たない店。

 こじんまりとしながらも、お洒落な外見と、落ち着いた店内。


 ショークリアとしては、前世の頃に母親に連れていかれた、ちょっと小洒落たお高めの鉄板焼きのお店を思わせる雰囲気だ。


 ちなみに、ヒギハ・エイロラクは、ハイカロリーとか脂たっぷりとか、そういう感じのニュアンスを持つ言葉だ。


 ある意味で潔いネーミングといえるかもしれない。


 そんなお店を前にして立ち尽くしているミーツェに、ショークリアは顔を向けて告げる。


「先生の分も、ミロとカロマの分も私が持つから、仕事に支障が出ない程度に好きに頼んでいいわよ」


 ニィと歯を剝いて笑う姿は何とも男らしい顔だった。


「にゃ、にゃ~……。どうしよう。年下とはいえショコラさんが男の子だったら、ちょっと危なかったかも」

「気をつけてミーツェさん。お嬢様はわりとそういうところあるので」

「大変危険な場面をお嬢様に助けられた上で、今のような顔を向けられて落ちかけてしまっているご令嬢の皆様も多いのですよ」

「カロマ、ミロ。何を言ってるの?」


 ミーツェの背後へと周り、小声でそう教えるカロマとミローナに、ショークリアは半眼を向ける。

 だが、従者二人はどこ吹く風だ。


 その様子から、ミーツェは一つ察したことがあった。


「ショコラさん、無自覚?」

「その通り。性別を問わない無自覚タラシ令嬢なので気を確かに」

「カロマ……」

「堕ちても良いですけど、ライバルも多いですからね?」

「ミロ……」

「にゃ、にゃ~……ショコラさん、恐ろしい子ッ!?」


 この二人はミーツェに何を吹き込んでいるのか。

 わりとミーツェも本気にしてしまっているようなので、ショークリアとしても困る。


「まぁいいわ。とりあえず入りましょ」


 ここで駄弁っていても仕方が無い。

 こういう雑談も、席に座ってやった方が楽しいはずだ。


「おじゃましまーす」


 入り口の扉を開けて中へと入っていく。


「いらっしゃいませ。ああ、ショコラちゃんか。いつもの個室が空いてるよ」

「ありがとうございます。そこいきまーす」


 普通の酒場同様のオープンな場所とは別に、この世界では貴族向けのお店にしかないような個室もある。

 そんな個室をカジュアルに使わせてもらえるので、ショークリア的にもお気に入りのお店だ。


「本当になんであんな店名に……」


 先生は思わずといった感じでうめく。

 実際、落ち着いた雰囲気のあるお店だ。


 平民向けのお店ながらも、喧しい酒場が苦手な何でも屋向けというコンセプトで作られたお店だ。


 その為、店内にいる客の多くは、見た目や格好は平民ながらも落ち着いて食事をしている感じがある。


 平民向けの酒場や食事処はどうしても、荒くれ者が多く、賑やかを通り越してやかましいお店ばかりだ。


 しかし、お高めのお店はドレスコードがあったり、貴族のマネゴトをしているようなお店ばかりで、こちらはこちらで落ち着かない。


 その中間みたいなお店を作りたいと考えた店主が、このお店を作ったのである。


「はー……目の付け所がすごいですね」


 ショークリアがこのお店の話をすると、ミーツェが驚いたように目を瞬く。


 そんなミーツェにメニューを手渡した。


「お酒と料理、好きなの頼んでいいですよ」

「さっきは、ついつい聞き流しちゃいましたけど、生徒に奢って貰うというのはちょっと……」

「では生徒ではなく、何でも屋として先生に奢らせてください。ちょっと美味しい儲けがあったので、知り合いを誘っての食事ってコトで」

「むむむむむ……そういうコトなら、まぁ」


 根負けしたようにミーツェがメニューに目を落とし――


「結構、良い値段しません?」

「四人分くらいは大した額じゃないので」

「さすがご令嬢……」


 思わず慄くと、カロマが軽く手を振った。


「ミーツェさん、それ違うのよ。

 お嬢様が自由に使えるお金の大半は、家のモノではなく、自力で稼いだモノばかりなの」

「え?」

「このお店も、店主が迷走しかかってる時に、ショコラが助言したりしてたしねぇ……」

「にゃー……?」


 カロマとミローナの言葉に、ミーツェはまるで宇宙空間に投げ出されたかのような顔をする。


「ミーツェ先生。この店って、王都で唯一――ショコラ考案の魔獣料理を楽しめるお店です」

「店長の飲み込みが良かっただけよ。それに、元何でも屋だけあって、自力での食材調達もできるみたいだしね」

「持ち込み食材も調理してくれたりするのもあって、一部の何でも屋たちからも人気なのよね」

「そこそこ稼いでいるけど、堅苦しいお店はイヤだって層が確実にいるのは分かってたもの。味とサービスが良ければ人気出るって確信はあったわよ?」

「……ショコラさんってすごいにゃー……」


 そんなやりとりをしながら、ショークリアたちは店員を呼び、おのおのに料理と飲み物を注文するのだった。




「お肉美味しい……お酒も美味しい……なにこれ、死ぬの? 明日五彩輪に還らなきゃダメなのでは?」

「還られても困るんでふつうに楽しんでください」


 出てきた食事とお酒に、涙を流す勢いで感動しながら食べているミーツェが、何やら物騒なことを言い始めた。


「ここまで来たらお酒入った勢いで楽しませてもらうけどにゃ……でも、どうしてショコラさんは急にこんなコトを?」

「急ってワケでもないですね。元々、どこかの機会に誘うつもりでしたので」

「それこそどうして……」

「んー……まぁ先生を労う会的な? 普段の言動やら何やらでだいぶ苦労しているのが目に見えてましたしね。

 うちの国に獣人アニマ差別とかは無いですけど、だからといってあの学園の状況からして獣人に対する当たりが弱いワケがないじゃないですか」


 そもそも女性という時点でナメられるし――とは口にしなかった。

 きっと先生はそれを承知であの学園で先生を続けているのだ。


「それに……私含めて、わざわざ平民の多い基礎科にくるような貴族っていうのは、どう考えても扱い辛いでしょうしね。

 それでも先生として、身分関係なく生徒を守ってきてくれたんだっていうのは分かりますから」

「……にゃう……」


 飲んでいるのは果実水のはずなのに、まるでロックでお酒でも飲んでいるかのようにグラスを回し、中の氷を転がしながら、ショークリアはミーツェに笑いかける。


 ショークリアは完全に無自覚なのだが、お酒の楽しみ方を知っている渋めの男性のような雰囲気の笑みだ。

 その手にしている果実水がまるで、洒落たお酒のように思えてしまうような、仕草と表情。


 完全にイケてる男子っぽい雰囲気の言葉も仕草は、お酒の入っているミーツェからするとたまったものではない。


「貴族の生徒の中にも先生に感謝している人はいると思うんですよ。

 ただ、貴族が平民へ感謝したり頭を下げたりっていうのは、周囲から見てあまりよろしくないのもあって、表に出せないってコトは多いですし」


 ショークリアとしては、それならそれでもうちょっと上手く立ち回って感謝と誠意を見せればいいだろ――と思うのだが、まだまだ学生の身だと、大人のような立ち回りというのは難しいのかもしれない。


 胸の裡に湧いたかつての生徒に対する愚痴のような感想と共に、軽く果実水を飲んで、ショークリアは小さく息を吐く。


 大人の女性よりも、大人の男性を思わせる色っぽい吐息仕草に、ミーツェは思わずショークリアの従者二人へと視線を向ける。


 しかしカロマは諦めろという生暖かい眼差しを向けて、手元の料理を口に運ぶ。

 ミローナは、そんなショークリアに対して、輝かせた目を向けている。


 ミーツェは救援はないことを自覚した。

 理性を総動員しなければ、この難局は越えられない。


「そんなワケで――ミーツェ先生が、いつから学園の教師をしているかは分かりませんけど、こういう慰労会みたいなのってしてもらったコトないんじゃないかなって」


 ただ総動員された理性の前線は、酒精やショークリアの色気ではなく、彼女のその気遣いによってあっという間に崩されていく。


「今回の件だって、本当は退学者なんて出したくはないハズなのに……。

 理由と状況を汲んで、それが一番生徒の為になると判断して乗ってくれたワケじゃないですか」

「……にゃ……にゃう……」


 ダメだ。彼女の言葉は今の自分に覿面てきめんに効きすぎる――そう心の中で叫んだところで、言葉にしなければショークリアには伝わらないだろう。

 そして、ミーツェはそれを言葉に出来ないくらい、言葉が詰まってしまっている。


「そんな先生に、何の労いも無いなんて……さすがに失礼すぎますから。

 なので、私は労いたいと思ったんです。愚痴とかあれば聞いてあげたいって。

 心ない毒を吐かないようにするっていう鋼の理性は、尊敬するべきモノですけど、だからといってため込みすぎはダメですからね。

 そういう心の毒みたいなモノも、溜まりすぎればよどむし、おりとなって、心身を蝕みますので」


 ショークリアからしてみれば、それこそ前世で良く聞いた話だ。

 真面目でしっかりモノと言われるような人ほど、自分の内側にため込んだ毒にやられて病んでいく。


 ミーツェの様子から、結構なギリギリのところにいると――ショークリアはそう思っていたところがある。


「ずっと前だけ見ているのが理想ですけど、それは生きている限り無理ですし。

 ここである必要はないですけど――先生の中に溜まっている涙や毒は、足を止めてうつむける場所で吐きだしてください」

「…………」


 今の自分の顔がどうなっているのか、ミーツェ本人は分からない。

 だけど、心の中の堅牢な水門が、開いてしまったのは間違いない。


「にゃう……」


 ポタポタと、顔から落ちた雫が、スカートを濡らす。

 それが何であるかに気づいた時――ショークリアには見られたくないと、そう思った。


 けれど、それを隠す場所はどこにもなくて、どうしようかと悩んだ時、横からすーっと手が伸びてきた。


「カロマさん……?」

「どうぞ、お使いください」


 そう告げて横に座っていたカロマが、ミーツェの顔を隠すように胸を貸した。


「すみません……お言葉に甘えて……失礼、します……にゃ……」


 そのままミーツェはカロマにしがみつくようにしながら、嗚咽を漏らす。


「う、く……にゃぁ……ぅぅ……」


 ショークリアやミローナには余り聞かれたくないかのように、声を抑えながら。


「お嬢様。大人の中には子供の前で涙を流したくない人もいるのですよ」

「そうなのね。だとしたら申し訳ないコトをしてしまったわ」


 言いながら、ショークリアはミーツェから視線を外す。

 それから、ミローナに合図を送ると、ミローナもうなずいた。


「カロマ。少し髪が乱れちゃってるから、ミローナに直してもらってくるわ」

「わかりました」


 そう告げて、ショークリアはミローナを連れて、個室から出て行く。


「にゃう、にゃ……ショコラさんは、どこまでお気遣い、出来るんですか……」

「そうなんですよね。年齢通りの子供っぽさと、大人顔負けの優しい気遣いが同居されているんですよ。時々、子供時代を全力で楽しんでる元大人なのでは? なんて冗談が、従者や使用人の間で交わされたりしますね」

「すごい、わかるにゃ……ぐす……」


 そうしてミーツェは、涙が止まるまで、ショークリアたちが戻ってくるまで、カロマの胸を借りるのだった。

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