第164話 さすがに鋭いやつは気づくよな
息子のマーキィとその友人ガリアのやりとりを見ながら、彼は下顎を撫でながら思案する。
妻は見知らぬ女性たちと談笑しているようだ。
あれは、いずれかの生徒の母親たちだろう。
だが、そこにガリアの母親はいない。
そのまま会場を見回すも、ガリアの両親の姿がなかった。
「マーキィ、ガリア。付いてきなさい。
姿勢を正して、決して大声を上げずにな」
彼の言葉に、マーキィとガリアはそれぞれにうなずく。
だが、マーキィと比べるとガリアは些かぎこちがない。
(マーキィは理解したようだが、ガリアはまだまだか)
それは、子供たちのやりとりを見れば分かったことではあるのだが。
二人を伴い、彼はブリジエイト商会の会頭のところへと向かう。
ブリジエイト商会の会頭クロクレンは、人の良さそうな恰幅の良い男――恐らくは商人、だが裏社会の者特有の空気を纏っているので油断できなそうな人物だ――と、談笑している。
「歓談中のところ失礼足します」
そう声を掛けると、二人がこちらを見る。
「ご無沙汰しております。クロクレン殿……今は商会頭でしたか」
「おかげさまでね。エドモン殿も壮健そうで何よりだ」
そのやりとりに驚いたのは子供たちだ。
エドモンの子マーキィも、クロクレンの子イズエッタも、父親同士が知り合いだったことに驚き、顔を見合わせる。
「ピカオ殿、紹介します。
こちらは私の知人であり、かつては版図作りという二つ名を持っていた何でも屋のエドモン殿。
エドモン殿。こちらはピカオ殿。小さいながらも非常に良い商品を取り扱っております商人です」
クロクレンの紹介に、エドモンとピカオは握手を交わす。
「エドモンです。二つ名持ちというのは過去の話でして、今は何でも屋向けの食堂で鍋を振るっている親父ですよ。よろしく」
「よろしくエドモン殿。自分は路地裏の小さな商店の店長ピカオです。クロクレン会頭に良い商品を扱っていると言われるとぉ、少しばかり気後れしてしまうんですがぁね」
紹介の仕方に対して、お互いに軽く苦笑しあう。
それから、エドモンは少し真面目な顔した。
「挨拶や雑談をもう少ししたいところですが、少々相談したいコトがありまして」
エドモンがそう切り出すと、ガリアも便乗するように前に出て――
「そ、そうなん……もがが!?」
「だから、大声をあげんなって言ってるだろ」
マーキィが慌ててその口を押さえる。
そのやりとりを見て、イズエッタとミンティエは盛大に嘆息した。
「ガリアさん。あなた、礼儀作法の筆記の成績は優秀なのですから、その優秀さをここで見せていただけませんか?」
イズエッタはトゲのある視線と声でそう告げると、ガリアは困ったように目を
「必要な時に実戦できなければ筆記の成績など宝の持ち腐れですよ?」
「…………」
マーキィに口を塞がれたまま、立ち尽くすようなガリアを横目にエドモンが告げる。
「相談というのは彼の両親のコトなのですが」
「ん? 私は特に彼のご両親と関わったコトはないかと思うが……」
「いえ。一緒に会場入りしたのは間違いないのですが、今し方会場を見回したら居なくなっているのです」
「む?」
クロクレンの目が
そのまま周囲を見回し、難しい顔で唸った。
「誰が誰かまでは把握していないが……なるほど、確かに大人の人数は減っている」
この会場内で何かが起こっているかまでは分からないが、人が消えたのは間違えなさそうだ。
「……まずいな」
父親二人が唸っていると、マーキィがそんな言葉を漏らした。
「親父。おれ、あいつらを嗜めてくる。このままじゃ騒ぎ出すぞ」
「分かった。だが注意するにも説得するにも、向こうに乗せられて大声を上げたりするんじゃあないぞ」
「分かってる」
この場を離れようとするマーキィに、ミンティエが声を掛けた。
「待ってマーキィくん。わたしも行くわ」
「助かる」
それを見ていたクロクレンも自分の娘に声を掛ける。
「イズエッタ。お前も一緒に行ってあげなさい」
「はい」
うなずき、イズエッタはマーキィの元へと優雅に向かう。
「――というワケでわたしもいくわ」
「ガリアくんはどうするの?」
「おれと同じで色々と勘違い中だが、元々頭はおれなんかよりいいんだ。
ちゃんと状況を理解して冷静になってくれれば、自分でどうするかの判断はできるさ」
そうして去って行く三人の背中を見ながら、ガリアは呆然と立ち尽くしていた。
そんなガリアに、ピカオが訊ねる。
「坊主はあっちの坊主たちと一緒に行かないのかい?」
「……分からないんです。一緒に行っていいかどうか。今日のマーキィはいつもと違ってて、だからボクが横に並んじゃいけない気がして……」
「なるほどなぁ……両親が消えた。友達もなんか違うとなりゃあ、不安にもなるよなぁ」
うんうん――と、ピカオはうなずきつつ、「だけど」と言葉を続けた。
「だがなぁ……両親はともかく、友達がいつもと違うのはあたりまえだわなぁ」
「え?」
「だってそうだろぉ? この会場は貴族の庭。この催しは貴族が主催する昼食会。
つまりおれたち平民からすりゃあ、いつも通りの振る舞いなんて出来ない場所だからなぁ」
そもそもいつも通りに振る舞おうとする方が間違っているのだ。
「自分や家族、友達や仲間を守る為にも、相応しい振る舞いをせにゃならん場所なんだよぉ、ここはなぁ」
「……あ」
ピカオの言葉に、ガリアの中で今日のマーキィの振る舞いや言葉の意味が、急速に理解できるようになっていく。
「そうか、振る舞いがいつもと違うだけで、中身はいつも通りだったんだ」
だからわざわざ騒ぎ出しそうな生徒のところへと向かっていく。
「身体を張って友達を守ろうとするのは、いつものマーキィだ……」
理屈よりも先に身体を動かそうとするのは彼のよくないところではある。
だが、同時にそれは彼の美徳とすら言える面だ。
「振る舞いがおかしかったのはマーキィじゃない。ボクの方だ」
教科書や参考書などの、貴族への礼儀作法についての勉強内容を思い出すと、そりゃあマーキィも慌ててこちらの口を塞ぐはずだと理解できた。
「エドモンおじさん。ボクもマーキィたちのところに行きます」
「そうか。自分で気づけたなら何よりだ。走らず大声をあげず、礼儀作法から外れずに動くんだぞ?」
「はい」
膝を曲げる形で一礼して、ガリアもその場を後にしてマーキィたちを追った。
「勉強してきた事柄が、自分のやりたいコトや信念などと結びつくと、やはり理解が早いようですな」
先ほどまでのおどおどとした様子がなりをひそめ、背筋を伸ばして歩き出したガリアの背を見ながらクロクレンが笑う。
「うちの
二人が状況を理解してちゃんと立ち回れるなら、信頼できるはずですよ。親馬鹿かもしれませんがね」
「大事だと思いますよぉ、そういうのも」
ピカオもクロクレンと同じような表情で笑った。
ひとしきり笑ったあとで、エドモンとクロクレアは表情を引き締める。
「それにしても、ガリアの両親たちはどこにいったのか……」
「確かにな……やはりショークリア様にお伺いするべきか……」
そんな二人に、ショークリアへと視線を向けたピカオが割って入った。
「それなんですがねぇ……たぶん、大丈夫だと思いますよぉ」
「おや? ピカオ殿には心当たりが?」
「心当たりってほどでもないんですがねぇ――」
どこか困ったような苦笑を漏らしながら、視線を二人へと戻す。
「坊ちゃん嬢ちゃんたちにとっては、これは授業の一環だって話じゃあないですか?
そして主催がショークリアお嬢様ともなれば、まぁ犯人は十中八九お嬢様本人だと思うんですよねぇ」
二人は特に何も言わず、視線でピカオの話の先を促す。
「貴族の怖さを直接体験せずとも、クロクレン会頭やエドモン殿のお子さんたちのように気づける聡明な子たちはともかくですよぉ……そうでない子たちには、わかりやすく恐怖感を味わせるのが手っ取り早い――まぁあのお嬢さんなら、そう考えるコトもあるでしょうねぇ」
そこまで言われるとクロクレンもピンと来たようだ。
「そうか、両親がいなくなっているのに会は何事もなく進み、閉会し、解散となる。
だが両親はいないままだし、家に戻っても不在のまま……それは子供にとって恐怖に他ならないだろうな」
「もしかして、居なくなった親御さん方は、どこかで数日ほど泊まってもらってしばらく帰って来ない可能性も?」
「それもあるだろなぁ――と、自分は考えてますねぇ。
それなりに、お嬢様との付き合いも長くなってきましたので。なんとなくそういうイタズラっぽいコト、好んでする人だとは思ってますのでねぇ」
ピカオの推理を聞いた上で、エドモンとクロクレンが周囲を見回すと、なんとなく納得できるものがある。
自分たちの子供のように、最低限の振る舞いができている子供たちの両親はちゃんといるようだ。
逆に、先ほどまでのガリアのように、注意をされても行動を変えようとしない子供たちの両親の姿が無いように見える。
「お三方、正解でございます」
そんなやりとりをしていると、突然女性の声が割って入ってきた。
ギョッとして三人がそちらを見ると、音も無く気配もなく、一人の女性が横に立っている。
「ブリジエイト様ご夫妻、ボウヤン様ご夫妻にはこちらを」
「自分には?」
「申し訳ございません。こちらは学園の授業の一環だそうですので、タール様の分のご用意はありません」
「ああ、やっぱそういうコトなんですねぇ」
それなら大丈夫です――とピカオが笑えば、女性は胸を撫で下ろすように息を吐き、軽く礼をしてその場を離れていく。
「お二人とも、それは何か聞いても大丈夫そうで?」
「招待状ですね」
「保護者会のお知らせ――となっているな」
保護者会……という言葉から、生徒たちの両親を募っての会議の類いだろうというのは推測できた。
その手紙を読んでいる二人を横目に、ピカオが注意深く周囲を見回していると、音も無く気配も無く姿を見せた先ほどの女性が――やはり音も無く気配もなく、誰かの両親らしき人物を屋敷の中に誘導しているのが見を見つけた。
恐らくは屋敷の中で、二人が貰った保護者会の招待状と、誘拐した理由などの説明を受けていることだろう。
「ピカオ殿、すまない。少し妻のところへ行って来る」
「こちらもだ。また機会があればこうして話をしましょう」
「気にしないでくださいよぉ、お二人とも。学校行事なんですから、子供優先でも自分は気にしませんので」
そうしてこの場を去って行く二人を見ながら、ピカオは料理をしているショークリアへと視線を向ける。
「なんつーか、荒療治好きだよな、ショコラ嬢ちゃんって」
一瞬だけドン・スピルノーヌの顔でそう呟くと、手に持つ皿の上に残っていたハサミの肉の塩焼きの小さな欠片を口に運ぶのだった。
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