第162話 食べるときにも作法は忘れず


「マーキィ。あちらの女性陣や、商人たちの集団の様子は常に意識しておけ。あの人たちは良い規範だ」

「え?」


 テルミドールにかぶりつこうとしてたのを父に止められたマーキィは、言われるがままにそちらに視線を向ける。


 女性陣の方――そこには、イズエッタとミンティエ、そして先生と見知らぬ男性と女性がいる。

 あの男性と女性は、イズエッタかミンティエのどちらかの両親だと思うが。


 彼女たちやその両親たちはテルミドールには手を着けずただ微笑んでいた。


「まだ食っちゃダメなのか」

「ああ。今日は多少緩い場ではあるが、それでも基本的に俺たち平民が食べ始めるのは、貴族の後だ」


 こんな明らかに熱々が花の料理がすぐに食べられないのか……と、マーキィは口を尖らせる。


 ただ待っているだけでは余計な思考をしてしまいそうなので、彼は周囲の様子を伺うことにした。


(本当に商人たちも手を着けてないな……。

 ん? あっちの人たちは何でも屋かな? 最近、五人組のパーティが有名になってきているらしいけど……その五人組、か?)


 そして、当然のようにその何でも屋らしき五人組もテルミドールに手を着けていない。


(いつまでそこにいる? もっと広い世界を知れ……か)


 挨拶の時にショークリアに言われた言葉が頭の中で巡る。


 ショークリアに指摘された通り、敬語や丁寧な作法なんてものは、使えばバカにされるモノだと思っていた。


 実際、学園には通っていない友人たちの前で、勉強の成果として披露した時は大笑いされたのだ。


 だからこそ、敬語や作法なんてものは、バカにされるモノだと思っていたのだが――


(俺は本気で狭い世界しか見てなかったんだな)


 先ほど、両親がショークリアに挨拶する姿を見てカッコいいと思った。

 正しい場所で正しく使うと、こんな風に見えるんだなと感動した。


 この場に招待されている何でも屋や商人たちも、気負ったり戸惑ったりすることなく、自然と貴族からの許可を待つ姿は、なんとも洗練された風に見える。


 クラスメイトで言えばイズエッタがそうだ。

 ミンティエはどこかぎこちなさがあるが、一緒にいる大人たちや、ほかの商人たちと同じような自然な振る舞いとしてできている。


(マジでカッコ悪ぃだけじゃん、おれ……)


 そして、戸惑ったり緊張している大人たちを、自分の両親などが声を掛けて落ち着かせているのを見ていると、自分も落ち着かせる側に回りたいと思えてくるのだ。


(だけど、今はそちらに回るには足りないモノが多すぎる。

 でも、戦闘技術とかと一緒だよな。せっかくガチな人たちと一緒にやってるんだ。今ここで覚えたりマネれたり出来そうそうなモンは全部やってのは手だよな)


 そんな風に一人で気合いを入れていると、貴族の方から声があがって、思わずそちらへと視線を向ける。


「おお! これもすごいな! エビとカニの中間のような、大螯おおバサミの風味がこれでもかと押し寄せてくる!」

「ソースとチーズとの相性もすごい。このソースとチーズによるまろやかなコクが、強い大螯の味と合わさった時の深みを増しているようだ」


 貴族たちから聞こえてくるのは絶賛の声ばかり。


(これ、そんな美味いのかよ!)


 確かに焦げたチーズの香りや、焼けた大螯の香りからは、あらがいがたい誘惑を感じていたのだが。


「我々だけで楽しむのはイカンな。これは熱いのを食べてこそだ。

 そちらの皆も、存分に楽しむといい。是非、熱いうちにな」


 貴族を代表するように、一番豪華な感じの格好のおじさんがそう告げる。

 許可をもらいすぐにでもフォークを刺そうと思ったのだが、直感的にそれを止めて、周囲を見回した。


 すると、父たちは、その貴族のおじさんに向けて、右手を左胸と左肩の中間あたりに置いたポーズを取っている。


(えーっと、簡略されたお礼の仕草だっけ? 略礼とかいう……膝をついたり、大きく体を動かしたり、本式の礼とかができない時の?)


 それに気づくなり、マーキィは父にならうように慌てて略礼を取った。


 マーキィが知るよしもないことだが――

 本来のショコラ式立食パーティでは、貴族も平民もあまり気にせずにやりとりする為に、なぁなぁというか省略されているモノではある。

 だが、今回は敢えてそれをやるようにと、いつもの面々はショークリアから頼まれているのだ。


 数秒、略礼を取ったあと、横にいた父から食べていいぞと言われる。


「食べてもいいが、いつもみたいにがっつくな。

 フォークやスプーンに山盛り乗せたりはせず、小さな一口で入る量にしろ」

「お、おう」


 そう言えば、勉強した礼儀作法の中にそんな内容があったな――と、思い出す。


 適量が分からないので恐る恐るすくう。

 焼けてとろけたチーズが糸を引くのに四苦八苦しながら、それを口に運び――


「……!」


 マーキィは驚きで目を見開いた。


 まず、塩気があまりないこと。

 次に大螯の味が口の中で暴れること。


 その二つの驚いている間に、まろやかな口当たりのソースの風味と、チーズの塩気が、大螯と一緒に暴れ回りだすのだ。


 塩気がないと物足りなくなるのは、食堂のせがれであるマーキィからすれば当たり前の感覚だった。


 だというのに、この料理は塩気は最低限しか感じないのに、様々な味が口の中で暴れ回るのだ。


「すげぇ、うまい」


 思わず声が漏れる。

 その言葉に、横にいた父もうなずいた。


「ああ――これはすごいな。

 減塩料理……噂には聞いていたが、これほどとはな……」

「噂程度には知ってたのか?」

「貴族の間で密かに流行りだしている程度にはな。

 そしてここで俺たち平民に大々的にお披露目したってコトは、これから一気に流行るってコトだろう」

「この料理一つでそこまで分かるもんなの?」

「分からなきゃいけねぇ――が正しいな」


 父は下顎を撫でながら、言葉を選ぶように口にする。


「貴族や商人とやりあうっていうのは、こういう些細な情報を集めて、正しく状況を把握できてこそだからな」

「じゃあ腕っぷしを鍛えても意味ないの?」

「意味ないワケはない。相手の一線を越えた暴力に対抗するには暴力しかないしな。

 それに、人ではなく魔獣とやりあうなら、暴力は必要だろう」

「それもそうか……」

「暴力で解決できるコトはたかが知れている。同時に暴力は何でも解決できる最終手段でもある。だからまずは情報で戦うんだ。

 情報を集めて、すりあわせて、正しく把握する。次に相手がどこまで把握しているかを想定する。

 それが出来るようになると、貴族や商人を相手する以外にも様々な方面で戦えるようになる」

「情報で戦う……」

「礼儀作法なんかもその戦う手段の一つに使えるぞ。

 これが完璧に出来れば、貴族や商人たちのパーティに紛れ込んで情報収集もできるわけだからな」

「……そうなんだ」


 考えたこともない戦い方だ。

 見たこともない――いや、見ようともしてこなかった世界だ。


 そして、自分が憧れる世界へと踏み出すには、そんな世界にも踏み込んでいかなければならないようである。


「すごい何でも屋になるには、もっとこういうコトを知らないとダメなんだよな?」

「そうだな。お前がどんな何でも屋を目指しているのかは知らないが、すごいと形容されるような英雄的な何でも屋を目指すなら、必要だろう」

「そっか」


 父からの言葉にうなずきながら、テルミドールを口に運ぶ。


「ほんと美味いな」


 この料理が、自分の口に運ばれるまでに何があったかを考える。


 まず魔獣を倒す必要がある。

 倒したのをここまで運んできて、そして料理をする。


 料理をするのに魔術を使ってたから、料理用に術式を調整するのも必要だっただろう。


 そもそも魔獣を倒すには強くならないといけないから、武術や魔術の訓練とかしていたはずだ。


 料理だってそうだ。

 両親の仕事を見てれば、これにも修行が必要なのがわかる。


 そこに貴族としての礼儀作法に、学園での授業の様子などを思うと算術などの勉強もちゃんとしているわけで――


「ショコラってめっちゃすごい奴だったじゃん」


 思わず、声が漏れる。

 噂の美食屋が女だったことに勝手にいきどおりを感じたりしたのが、バカみたいだ。


 いくつもの努力と研鑽を積み重ねた上で、街を襲った化け物を倒したからこそ、『美食屋』なんていう二つ名を得たんだろうと、今になって理解した。


 そしてすごい奴なんだと気づいた上で、これまで彼女から自分に向けられてきた言葉や態度を思い返す。


「もしかしなくても、知らないところでめちゃくちゃ迷惑かけてた?」

「それに気づけたなら何よりだ。パーティ中は難しいだろうから、教室かどこかで礼と謝罪をしておけ」

「……おう」


 父の言葉に、マーキィはうなずく。


 それからテルミドールをまた一口食べ――


「やっぱうめぇなぁ……」


 ――かみしめるように、そう呟くのだった。


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