第151話 複雑に絡む傷と痣
「もうッ! ショコラ、どういうつもりよ!」
「怒らないでよミロ。なりゆきだったんだから」
「なりゆきだからって、怪我をした上で、一週間傷を晒せって……」
部屋に戻るなり、ショークリアはミローナに怒られていた。
怒る理由も理解できるので、強く出れない。
「それに、この傷は私の落ち度でもあるの。
初手を失敗しちゃったのよね。最初にキッチリやっとくべきだった」
「ショコラが関わる平民の多くは大人だしね。その基準で考えると、確かに失敗だったかも。
とはいえ、失敗したからって顔の傷は……」
血を拭い、着替えを手伝うミローナの顔が暗くなる。
ショークリアとしてはミローナのそんな顔を見たくないで、出来るだけ明るく振る舞った。
「いーの、いーの。代わりに従姉妹のメル姉様と仲良くなれたし」
「メルティア様だっけ? あとで私もお顔を覚えないといけないね」
そんなやりとりをしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「イズエッタです」
「はーい」
返事をし、ショークリアはミローナに目配せをする。
ミローナはそれに小さくうなずいて、扉を開けた。
すると――
「なんでモカとヴィーナも一緒にいるの?」
イズエッタの後ろに、なぜか二人も立っていた。
「なんかモルキシュカに呼び出されて……」
「わざわざ、イズエッタを呼び出した……という理由をね、考えたら……ショコラだけに背負わせるのは、ねぇ?」
ヴィーナはよく分かってなさそうだが、モルキシュカは、ショークリアがイズエッタを呼び出した理由を察しているようだ。
「まぁいいわ。みんなまとめて中に入って」
ショークリアは三人を中に招く。
そうして、ミローナが入り口の扉を閉めてから、ヴィーナがやや前のめりに訊ねてくる。
「ショークリアも大変ね。その顔の怪我、大丈夫?」
「ん、まぁね。これで手打ちになったんだから、安いモノよ」
「やっぱり、そういうコト……よね」
ショークリアの答えに、モルキシュカは小さく息を吐く。
「あたしたちは、ラクする為に……ちょっと対応を、間違えた……」
「そういうコト。その代償よ。一週間ほど晒すだけ良いんだから、問題ないわ」
あっけらかんとしたショークリアに、イズエッタが演技ではない悲痛な顔で頭を下げた。
「この度は本当にご迷惑を……」
「良いって良いって。やらかしたのは確かにマーキィかもだけど、結果としてそうなったのは私のやらかしなんだし」
「あたしたち、よ。矢面に立たせて、悪かったわ……ショコラ」
モルキシュカも珍しくしおらしい態度だ。
「ショークリアもモルキシュカもさ、どうして許してるの?」
「ヴィーナ?」
「いや、平民だしさ。ここまでするくらいなら、殺しちゃえばいいんじゃないの。マーキィ。とっととさ」
ヴィーナの感情も温度もない言葉に、イズエッタがビクりと身体を震わせる。
ただただそれがふつうだとでも言うような気楽さで放たれて言葉。
そういう貴族から平民を守りたいショークリアと、面倒事が嫌でなぁなぁですませたいモルキシュカと違い、ヴィーナは基礎科に入っただけの貴族だ。
ただ平民の振る舞いを気にしない気質というだけである。
多くの貴族の感性としては、これが正しいのかもしれないが――
「無闇矢鱈に平民を殺せば、そのしわ寄せは確実に貴族にくるわよ、ヴィーナ。貴族は認めないだろうけどね」
「でも殺さないと傷つくじゃない? ショークリアが傷つくのは嫌だよ? ならやっぱり殺した方がラクな気がするけど」
「表面的にはね。だけど、ここで殺さないからこそ後に続くモノもあるの」
あまり殺すとか殺さないとか口にしたくないのだが、今はヴィーナの言葉に合わせる。
「んー……ショークリアが何を言っているのかよく分かんないや」
「今の貴女だと、そうかもしれないわね」
それをとやかく言うつもりはない。
理解しきれないものを理解しろというのは、価値観の押しつけでしかないのだ。
「さて、イズエッタ。悪いんだけど、殴るわね」
「はい。覚悟は出来ております」
ようするに、それがガリアのやらかしに対するイズエッタへの罰だ。
平民を代表してショークリアに頭を下げた以上、平民を代表して罰を受ける必要がある。
「そうは言っても、実際に殴る気はないんだけどね。
――ミロ、お願いね」
「はい。イズエッタさん、こちらに」
「え? え?」
「ほっぺたに痣に見えるお化粧を施すわ。悪いけど、明日明後日の休み中と、休み明け初日の白の日の三日間は、そのお化粧のままで過ごしてもらうわ」
ミローナに手を引かれ、部屋の片隅にある化粧台まで連れて行かれるイズエッタへとショークリアが告げる。
「あの、ショークリア様のお顔はいつまで……」
「これ? 一週間くらいだけど」
「では私もそのくらいの期間、お願いします。そうでなければ示しがつきません」
「……わかったわ」
イズエッタの言葉に、ショークリアがうなずく。
それは彼女なりの覚悟だろう。あるいは、ヴィーナへの怯えもあるのかもしれないが。
「ショコラ、あたしの掌を……殴って」
手を開いて掲げながら、モルキシュカが急にそんなことを言い出した。
「魔力障壁を作るから、壊さない……程度に、チカラいっぱい」
「それはいいけど、何で?」
「大きな音を立てる。それと……イズエッタ」
「なんでしょうか、モルキシュカ様」
「ショコラが、大きな音を……立てたら、小さく悲鳴をあげる」
「私が、ですか?」
「うん。貴女が……あげないと、意味がない……」
「ああ、痣の説得力を上げるのね」
ショークリアがそう口にすれば、イズエッタも理解したようにうなずいた。
「よくわかんない」
モルキシュカが障壁を作る為に、魔力を高めだした時、ヴィーナがそうつぶやいて立ち上がる。
そのまま、フラフラと外へと出て行こうとする。
止めるかどうか悩むが、そのままにすることにした。
むしろ、モルキシュカはそんなヴィーナを利用するように、ヴィーナが扉を開けるタイミングで、障壁を完成させる。
「ショコラ」
それに、うなずき、ショークリアも声を上げた。
「イズエッタ。悪いけど、歯を食いしばっておいて……ッ!」
「ああ……ッ!」
ドン――という音が、部屋に響く。つづけてイズエッタの小さな悲鳴。
入り口が開いているのだから、ショークリアが殴った時の音は、寮の二階や……もしかしたら上下階にも聞こえただろう。
そしてヴィーナが扉を閉めて、自分の部屋に戻る。
「うん。これでヨシ」
「イズエッタ、色々と周りから言われるだろうけど、うまく立ち回ってね」
「もちろんです。むしろ、寛大な対応に感謝いたします」
深々と礼をするイズエッタ。
そんな彼女に、とっととミローナにメイクされろと、ショークリアは手で示した。
それにうなずき、イズエッタのメイクが始まったところで、モルキシュカが、大変不快そうな顔をこちらに向けてくる。
「ところで、ショコラ……さっき部屋から出ていった、あの女は誰だ?」
「ヴィーナでしょ」
「そういう、話を……してないん、だけど?」
不機嫌な猫が、怒れる猫になったかのような様子で、モルキシュカがうめく。
ショークリアは小さく両手をあげて首を振った。
「私も分かんない。時々なるのよね。
元に戻ると前後不覚みたいになってるコトが多いんだけど」
「様子見、してたのか……」
「変な切り替わりがある気がしてただけで、確証がなかったのよ」
「今日のアレは?」
「確証には十分ね」
「動くの?」
モルキシュカの言葉に、ショークリアは肩を竦める。
その意味を、モルキシュカも理解した。
「どう動けば……いいのか、分からない……か」
「そういうコト。原因も事情も分からないからね。だからもうしばらく様子見」
「そう」
「ただハリーサの妹、ケインキィをヴィーナに近づけるのは危険な気がしてる」
「…………ケインキィ・ポリンク・ビルカーラ……だったっけ?」
「ええ」
名前を確認されて、ショークリアがうなずくと、モルキシュカが難しい顔を見せる。
「こちらでも、調べてみる……ね」
「お願い」
どう調べるのかは分からないが、調べてくれるなら助かる。
ケインキィを暴くにしろ、ヴィーナをどうにかするにしろ、とにかく情報が足りていないのだ。
そのあとは、話が雑談へと移り変わっていく。
そうして、イズエッタのメイクが終わるまでの間、みんなで雑談に興じるのだった。
○ ● ○ ● ○
ふと、意識が浮上する。
周囲を見回すと――どうやら自分の部屋らしい。
日が落ちて薄暗いのに、明かりもついていない部屋の中心。
どうして自分は明かりもつけずにここで立ち尽くしているのか。
その理由も分からず、小さく息を吐いた。
ともあれ、明かりはつけよう。
この女子寮は古い建物ではあるが、最新の魔導灯は後付けされている。
入り口の扉のすぐ脇に、魔力を流す板があるのだ。
そこに魔力を流してあげれば、天井の魔導灯が点灯するという仕組みである。
カンテラやロウソクではないのがありがたい。
そう思いながら、彼女が点灯板へと向かおうとした時――
「…………!」
強烈な焦燥感に襲われて膝をついた。
ホームシックなんて言葉が生やさしいくらい、実家の食事が欲しいという衝動。
今すぐ手を伸ばせる場所にそれがないという状態は、苦痛というよりも苦行に近い。
(なにぃ、これぇ……)
だが、意味が分からない。
この強烈な衝動の根幹に理解が及ばない。
ただただ実家の食事が食べたいというう欲求だけが、胸を焦がし、脳を揺さぶり、冷静さを削ぎ落としていく。
狂おしいまでの衝動に視界が回り出す。
立ち上がれない。そもそも立ち上がり方が分からないかのよう。
焦燥が乾きになり、喉だけでなく全身が干からびていくような錯覚に襲われる。自室の中にいるのに、生き物の水分を奪う呪われた荒野に放り出されたようだ。
せめてベッドに横になろうと、死にかけの芋虫よりも無様な動きで床を這う。
その時、たまたま何かが手に触れる。
それこそ藁にもすがるようにそれを握りしめて、手元に引き寄せる。
「えい、よう……ざい……」
制服のポケットに入れっぱなしになっていたモノが床に落ちていたようだ。
いつの間にかポケットから無くなってしまっていたが、それも大して気にしてなかったのだが――
実家のお抱え
「ないより、マシかも」
錠剤の一つを口にして、飲み込む。
小さな錠剤とはいえ、カラカラに乾いた喉で飲み込むのは一苦労だったが、水などを取りに行く余力はない。
喉の各所に引っかかりながらも、それはゆっくりと胃の中に落ちていく。
それを感じ取りながら、ぐったりと床に突っ伏し呼吸を繰り返していると、不思議と落ち着いてきた。
焦燥感が落ち着き、乾いた身体が元に戻っていくような気がしてくる。
「結構、やるじゃない……うちの、薬師も……」
ぐるぐると回るようだった視界も落ち着く。
焦燥感にかき乱され、こぼれ落ちていっていた理性が戻ってくる。
それどころか、苦痛に苛まれる前よりも、思考がハッキリしはじめた気にさえなってくる。
(……これ、本当にただの、栄養剤だったの?)
明瞭になった思考に湧き出す疑問。
(今は、これに頼るしか、ないか……)
自分の中に湧き出す強烈な苦痛。
ここ数日、何度も襲われたが、これほどまでのものは初めてだった。
自室で本当に良かったとさえ思う。
友人たちの前で、こんな無様な姿は見せたくない。
(前後不覚の直後に、焦燥感に襲われる……。
今後は、前後不覚が発生したら、すぐにこれを飲んだ方が……いい?)
だが、一つだけ問題がある。
(この栄養剤が尽きた時、どうすればいいんだろう)
寝返りをうって仰向きになりながら、彼女は虚ろな瞳で、暗い天井を見上げていた。
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3/20 書籍版発売です٩( 'ω' )و夜露死苦!!
巻末書き下ろしSSもあるよ!
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