第136話 忘れな草を分けあって


「迎え――?」


 ハリーサの皮肉混じりの挨拶に対し、母ウースィオは訝しげに目を眇めた。


 娘の言葉の意図を読もうとしているだろうウースィオに、思考をまとめさせる暇を与えぬよう、ハリーサは続けて告げる。


「こちら、同道させて頂きましたゴディヴァーム家のリュフレ様ですわ」

「ご無沙汰しております。ビルカーラ夫人。昨年の領主会議以来です」

「え、ええ。ご無沙汰しておりますゴディヴァーム卿。

 わざわざ娘を送り届けて頂き、ありがとう存じます」


 それでも慌てる素振りもなく礼を口にする母をさすが――と言うべきか。

 ただ、母に対してどこか違和感が拭えず、ハリーサは気づかれないように半眼を向けた。


「ゴディヴァーム様と仰るのね! あたしは――」

「ビルカーラ夫人」


 天真爛漫な様子でリュフレ卿に話しかけようとするケインキィだったが、彼自身がそれを遮るように母を呼ぶ。


「申し訳ないが時間がない。

 加えて、国王陛下、我がゴディヴァーム家、ガース領デローワ家、キーチン領メイジャン家の四方より共通の伝言ことづけがある」


 メイジャン家の名前があったことに母の表情が強ばる。

 だが、国王陛下に加え、上級貴族二家が名を連ねていることから、よほど重要な伝言であることは読みとれたはずだ。


「主人をお呼びした方がよろしいですか?」

「いや夫人だけでいい。夫人の判断で言付けて頂きたい」


 リュフレ卿はそう答えてから、チラリとケインキィを一瞥する。

 その目配せの意味を、母ウースィオは正確に読みとった。


「ケイ、下がりなさい」

「どうしたんですかお母様?」

「陛下に加え貴族の三家が名を連ねる伝言です。

 まだ貴族としての道理を弁えていない貴女の耳に入れたくはありません」


 貴族としての道理を弁えていない――その言葉が、ハリーサは引っかかった。


(つまり、元は平民?

 お父様のお手つきの子――といったところでしょうか?)


 だとしても、母の態度には違和感がある。


(当家はメイジャン家と違い、平民との距離はあった。

 お父様に至っては見下しているとさえ言っても良いはず。

 お母様も、お父様ほどではないにしろ嫌悪感を持っていた気がするのだけれど……)


 自分の知っている自宅。

 自分の知っている母。

 自分の知っている使用人たち。

 自分の知らない妹を名乗る女。


 それらが構成するこの場は、見知った場所なのに未知の領域に思わせる何かがある。


(こう言っては何ですが、お父様と比べるとお母様は思慮深い。

 メイジャン家――というかマスカフォネ様が絡まないのであれば、そこまで短慮を起こさないはず……)


 だからこそ、個人の感情はさておいてケインキィのことは様子見している可能性はあるが――


(言うまでもなくリュフレ卿も気づいている。

 一番大きな違和がケインキィである以上、伝言を伝える場にいては邪魔だものね)


 国王陛下の名前がある以上、リュフレ卿からの伝言は粗雑に扱えない。

 加えてリュフレ卿の言い回しを聞けば、余計な耳に入れたくない様子なのは明白だ。


 使用人たちもそれに気づいている。

 だからこそ、ケインキィが居なくなればそれぞれに解散するだろう。


「ケイ。申し訳ないけれど、自室に戻りなさい」

「えー」

「これに関しては我が儘を許すつもりはありません」


 ピシャリと母ウースィオは告げる。

 不思議と、さっきまでの違和感が霧散したような気がする。それは錯覚かもしれないが。


「誰かケイを連れていきなさい。

 それと、私が呼ぶまでこの玄関ホールから離れなさい」


 ほら早く――と母が手を叩けば執事や侍女、使用人たちが一斉に動き出す。


「え、ちょっと! お母様ッ!?」

「リュフレ卿は時間がないと仰いました。

 理解ができないなら、強制するだけです。

 多少乱暴に扱っても構いません」


 最後は従者たちに向けた言葉だろう。


 わめくケインキィは連れていかれ、ホールに沈黙が落ちると母が小さく息を吐く。


「お待たせいたしました」


 そしてリュフレ卿にそう告げると、彼は一つうなずいた。


「先に伝言に関連した話をさせて頂く」

「はい」

「単刀直入に問う。あなた方夫婦は娘が――ハリーサ嬢が黒の神の元へ向かうコトを望んでいるのか?」


 途端、母ウースィオは青ざめた。


「な、なにを仰るのですか……ッ!?」


 慌てた様子の母を見て、ハリーサは思わず安堵する。

 芝居には見えないからこそ、母は自分を殺そうなどと思っていなかったのだと、理解できた。


「デビュタントの会場で暗殺者が乱入する騒動があった。

 狙いは王女殿下。そして、ハリーサ嬢だったという情報がある」

「ま、待ってください。ハリーサのデビュタント……ですか?」

「知らなかったワケはあるまい? 例年通り、領主会議もあったぞ。

 何故かあなた方は欠席されたようだが」


 何か理解の出来ない話を聞かされているような顔をする母。

 ややして、親指の爪をかみ始めぶつぶつと言い出す。


 その表情は、真剣で――もしかしたら自分が知らないだけで、母が真剣に悩んでいる時のクセの類かもしれなかった。


「話を続けても?」

「ええ。お願い致しますわ」


 大きく深呼吸をしながらうなずく母。

 リュフレ卿はざっくりと、なにがあったのかを伝えた。


 暗殺者騒動。

 王都に現れた魔獣。

 いつまで経っても迎えが来ないハリーサ。


 状況から彼女を保護した上で、護衛もできる家がメイジャン家だけだった為、彼の家に匿われていたこと。


 そして何より、メイジャン家から何度も手紙が送られたはずだと、リュフレ卿は告げる。

 途中から、リュフレ卿やデローワ卿、陛下からも手紙が出されたという。


 話を聞けば聞くほどに、母は青ざめていく。

 その様子を見れば尋常ではない何かが起きているのだとハリーサにも理解できた。


「その上で、全員からの言伝とは単純なモノだ。

 『どうして娘を迎えに来なかった?』という問いかけだな」


 ガリ……と、母は親指の爪をかみ砕く。

 そのまま歯ぎしりをしながらも、やがて冷静になってきたのか、ハリーサへと真っ直ぐに視線を向けた。


「そうよ……ハリーサを送り出したわ。

 デビュタント。ええ、デビュタントよね。どうして今まで忘れていたのかしら?」

「忘れていた……だと?」


 流石のリュフレ卿も言葉遣いを乱しながら、訝しむ。


「おそらく手紙は届いていたのでしょう。それを私は見てはおりませんが、主人であれば何か知っているかもしれません。

 ただ、今の私の記憶の曖昧な状態と、あの人の性格を思うと、変に訊ねると拗れるかもしれませんね」


 それは一理ある――と、ハリーサは苦笑した。

 母のように記憶が曖昧になっていることを冷静に見つめ直せるような人ではない。


 そして母は顔を上げた。

 ハリーサとリュフレ卿に真っ直ぐな視線を向けて、告げる。


「この家に、何かが起きています」


 母も分からない何か。

 だけど、確かに何かが起きていることだけは確実だ。


「ハリーサを巻き込みたくないわ。

 出来れば、帰ってきて欲しくない」


 心の底からの母の言葉。

 どんな気持ちでそれを口にしたのか推し量れないけれど……。


 だけど、間違いなくハリーサを思って口にした言葉だと理解した。


「お母様……」


 聞きたいことは色々あった。

 教えて欲しいことは色々あった。


 だが、今ここでそれを果たすべき場所ではないとハリーサは判断する。


 だから表情を引き締め、顎を引き、真っ直ぐに母を見た。


「実は先代ゴディヴァーム夫人より、女性向けの領主教育を受ける気はないかとお声をかけて頂いております」

「ビルカーラ家には男児がおりませんでしょう?

 そうなれば、いつハリーサ嬢が領主の座についても良いようにしておくべきではないかと、母が言っておりまして。

 ご存じの通り、我が母は女だてらに領主代行を勤めた人物。薫陶を受けておいて損はないかと」

「期間のほどは?」


 リュフレ卿はその問いに僅かな逡巡を見せてから、答える。


「五年ほど見ております。

 状況によっては前後するコトもあるかと思いますが」

「ハリーサは来年から中央学園に通うコトになりますが、それはどうなりますか?」

「もちろん通常通り通って頂きます。

 学費に関しましては、そちらの支払い忘れがあった場合、当家で立て替えておきます」

「それは助かります」


 ふつうであれば学費の支払い忘れなどありえない。

 だが、先ほどの母の様子からしてふつうな状況ではないのだ。

 さっきまでのように、支払うことを不自然に忘れてしまう可能性はゼロではなかった。


「帰宅の際は、こちらではなく当家への帰宅を優先させます。良いですね?」

「ええ問題はございません。

 手紙のやりとりくらいはよろしいですわよね?」

「もちろん。当家に送って頂ければ、ハリーサ嬢にお渡しします」


 それから、似たようなやりとりを数度繰り返す母とリュフレ卿。

 やがて、必要な情報交換を終えたのか、リュフレ卿が一つうなずいた。


「では、本日よりご息女を預からせて頂きます」

「ええ。よろしくお願いいたしますゴディヴァーム卿。

 母君にはよろしくお伝え頂きたく存じます」


 リュフレ卿へと一礼する母。

 そんな母に、なにを伝えれば良いだろうかとハリーサは考える。

 だけど、良い言葉が思いつかなかったので、一言だけ当たり前の言葉を投げかけた。


「帰ってきて早々、慌ただしくて申し訳ありませんが……。

 お母様。行って参ります」


 そんなハリーサを母は抱きしめる。


「ええ。励んできなさい」


 優しく背中を撫でる母の手は、この温もりだけは忘れてはならぬと必死に覚え込ませようとしているようだった。

 それを無碍に出来ずなすがままになっていると、やがて母はゆっくりと身体を離した。


「ゴディヴァーム卿。改めてよろしくお願いいたします」

「ああ。そちらも……ご武運を祈ります」


 母の双眸には覚悟が宿っているように見えた。

 例え記憶を失おうとハリーサを守ろうとする覚悟のようなもの。


「ハリーサ、困ったらマスカフォネ様を頼りなさい」

「え?」

「気に入らない方ではありますが、魔術士としても研究者としても実力は本物です」

「お母様……?」


 名前を聞くだけで不機嫌になるほど、マスカフォネのことは嫌いではなかったのだろうか。

 ふとした拍子に思い出しては、彼女のことをののしっていたはずなのに。


「秘密や謎を暴くのもお好きなようですからね。

 焚きつけてやれば、困りゴトの解決もして貰えるでしょうね」


 まるで、マスカフォネのことを心の底から信頼しているかのような雰囲気でそう告げた。


「わかりました」

「では行こうか、ハリーサ嬢」

「はい」


 リュフレ卿のエスコートを受けながら、ハリーサは自分の家をあとにする。

 もう元の家族には戻れないかもしれない――そんな感覚を漠然と抱きながら。





「領主教育は建前だが……我が母上のコトだ、せっかくだからと本当に君を厳しく指導するコトだろう」

「望むところです。

 シア様やガルド様は当然のコトとして、私はショコラにすら劣ります。

 私を友と呼んでくれる三人に見劣りしないくらいのモノは身につけたいですから」

「その意気やよし」




 そうして、領都の宿で一泊し、ハリーサとリュフレは再びメイジャン家と合流し、帰路を往くのだった。



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こっそりと新作を始めています。

『レディ、レディガンナー!~家出した銃使いの辺境令嬢は、賞金首にされたので列車強盗たちと荒野を駆ける~』

https://kakuyomu.jp/works/16817139556973094275

ご興味ありましたらよろしくお願いします٩( 'ω' )و

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