第125話 約束を果たすための準備をしようぜ


「~~♪」


 領主たちが王城で会議をしている頃、ショークリアは王都から半日ほど南下したところにあるスーイード湿林しつりんと呼ばれる場所に来ていた。


 装備は何でも屋ショルディナー用のものであり、完全に美食屋モードでここに来ている。

 横を歩くサヴァーラも同様だ。


 この林は、ここよりさらに南にある湖より流れてくる青の魔力カラーの影響が強い為、常に湿気に満ちている奇妙な土地だ。


 別名は常露とこつゆの林地。

 その名の通り、常に朝露と朝霧に満ちているような場所である。

 朝霧と朝露に満ちている――という言い方をすれば聞こえはいいが、実際はどこもかしこも湿っていて、歩いているだけで暑くないのに汗で濡れたようになっていく場所にすぎない。

 しかも、地面は常に柔らかくぬかるんで、滑るときた。


 この林の中で特に影響の強い場所は、気温も水温も低い。その為、池などの水の中で枯れた植物などの分解がすすまずに泥炭として堆積している場所もあるほどだ。


 湿度の高いだけの林部分の中に、いわゆる湿原と同等の状況になっている狭いエリアが点在する不思議な林というわけだ。


 街道などはこの林を迂回するように作られているので、あまり人はよりつかない。

 その為、この林は基本的には魔獣の住処として知られているし、そういう風に近隣からは扱われている。


 そんな危険で歩きづらいことこの上ないこの場所を進んでいながら、ショークリアの歩みは軽やかで、鼻歌まで混じっていた。


「ご機嫌ですね、お嬢様」

「まぁな。正直、お嬢様ぶるよりも何でも屋とかやってた方が気がラクってのはあるしよ」

「気持ちは分からなくもありませんが」


 今日、付いてきているのはカロマではなくサヴァーラだ。

 カロマはデビュタント中の暗殺者騒動から魔獣騒ぎに至るまで、ショークリアと同じように連戦をした上で、昨日はドンのところにつきあわせてしまった。


 そろそろちゃんと休ませた方がいいと判断し、母に相談したところ、カロマの代わりにサヴァーラを連れていくように言われたのである。


「それにしても、言葉遣いは戻りませんね」

「それな。でもだいぶ意識した動きが言動や仕草に反映されるようになってきたから、治りかけなんだとは思うぜ」

「そうですか。少し安心しました。

 でも、そんな状態で狩りに出て大丈夫なんですか?」

「医者とお袋の許可は出てるから、大丈夫だろ」


 ショークリアがそう返すと、サヴァーラは微妙に納得できてない顔をしながらも「そうですか」とうなずいた。


 それからしばらくスーイード湿林の湿った土を踏みしめて歩いた時、サヴァーラはショークリアに訊ねる。


「ところで、聞いてなかったのですけど――今日はなにを狩るおつもりで?」

「エリドコルク。この辺りにいるって聞いたんだけど?」

湿地をグニッチヌーボ跳ねる・ハスラム・大顎エリドコルクですね。

 確かにいますけど……」


 エリドコルクとは、ショークリアの前世で言うところのワニに近い姿の魔獣のことだ。


 エリドコルク種の多くは獰猛で狡猾な肉食獣で、自分の得意な方法で獲物に奇襲を掛けて襲いかかり捕食する。

 強靱な顎と、発達した前足、筋肉の塊のような尻尾は非常にパワフルで、それらの一撃で獲物を殺してしまうことがあるほど危険な相手だ。

 一方で、意外と脆く打たれ弱い為、反撃されるとそのまま負けてしまうという極端な性質を持つことも多い。

 問題は襲われた時に反撃する余裕がどれだけあるかという点である。


 この林にいるエリドコルクもご多分に漏れずかなりの強敵なのは間違いないのだが、サヴァーロが気にしているのは魔獣の強さではない。


「食べれるんですか、あれ?」

「河隠れのエリドコルクっているだろ?」

「ええ。この辺りにはいませんが一番有名なエリドコルクですよね。原種というか、世間一般が想像するエリドコルクの代表といいますか……。

 大陸南端の国の、密林と呼ばれる地区に生息しているんですよね?

 会ったことはありませんが、知識では知っていますよ」

「生息地近隣の人たちって、河隠れはゴチソウらしいぜ。

 お祝い事の時に、厚皮を剥いだあと、串に刺して丸焼きにするらしい」


 剥いだ皮は剥いだ皮で装飾品などに加工したりするそうだが、そのことは割愛して、ショークリアは笑う。


「後ろ足の付け根の肉が美味いんだってさ。ちなみに尻尾はお祝い事の主役に提供されるらしいぜ」


 実際、ショークリアは前世でワニの唐揚げを食べたことがある。

 どの部位を食べたのかまでは分からないが、豚肉の食感に鶏肉と白身魚の中間のようなあっさりした味わいだった。


 例によって、ゲームに影響された母親が食べたいと言い出して、ワニなどの珍味肉を提供する店に連れていかれた時の記憶である。


「つまり尻尾が一番美味しいというコトですか?」

「だと思うぜ、河隠れの場合は――だけどな」


 ともあれ、日本では珍品扱いだが、諸外国に目を向ければ常食されている食材なのは間違いない。


 ショークリアはこの世界でもエリドコルクを食べる習慣のある国や部族が存在を知ってからは、近隣に生息するエリドコルクの味見をしたいと思っていたところなのである。


「それを聞くと、少々腕が鳴ってきますね。

 試食の際、是非とも呼んでください」

「まだこの林のエリドコルクが美味しいと決まったワケじゃないぜ?」

「お嬢様に感化されているようでして。

 不味い不味いと言いながらも、未知な食材を口にするのが、結構楽しくなってきているんですよ」

「そりゃあ結構なコトだ。一緒に来て貰った礼に、試食は誘うぜ」

「是非」


 そうして二人はスーイード湿林の奥へと進んでいく。


 その途中、サヴァーラが足を止めた。


「お嬢様、お待ちを。周辺のひときわ柔らかい泥濘ぬかるみに気をつけてください」


 警告しながら剣を抜くサヴァーラに倣ってショークリアも剣を抜いた。


「微妙に盛り上がり、動いているのが分かりますか?」

「ああ。あれは?」

泥沼どろぬまからまりうおと呼ばれる、泥濘を泳ぐミミズのような細長い魔獣です。

 近づくと飛び出してきて、名前の通り獲物に絡みついてから鋭い牙で噛みついてきます。気をつけてください」

「りょーかい」


 ちなみに身に纏う魔力カラーが、自身の周囲の土や泥を柔らかくする為、苦もなく泳ぐらしい。

 土が水分を含んでいるならば、畑も泳げるそうだ。


「出来れば、飛び出してくると同時に倒してください。

 だいたい三匹から五匹ほどの群れで動いているので、いろいろ面倒なんです」

「おう。分かった」


(マジでミミズみたいな性質してんだったら、むしろ畑に放って土を耕すのに使えねぇかな……)


 サヴァーラの説明を聞きながら、ショークリアはふとそんなことを思うが、即座にかぶりを振った。


(いや、無理か。近づいたら飛び出してきて噛みついてくるなんて、危ねぇや)


 何らかの方法で飼い慣らせるようになれば話は別かもしれないが。


 などと考えていると――


「来ますッ!」


 ――サヴァーラの鋭い声が聞こえて、気を引き締める。


 そして、飛び出してきた泥土の絡まり魚を見て、ショークリアは目を輝かせた。


(何か飛び魚見てぇな羽が生えてっけど、こいつら――見てくれは完全にいウナギじゃねーか!!)


 即座に脳裏に蒲焼きになった泥土の絡まり魚の姿が浮かぶ。

 匂いまでも鮮明に妄想したあとで、即座に正気に戻る。


(やべぇやべぇッ!

 危うく躱しそびれて絡みつかれるところだったッ!)


 ひょいっとそれを躱しつつ、ショークリアはサヴァーラに言った。


「サヴァーラッ! 首だけ切り落とせッ! 美味い魚にソックリだぜッ!」

「了解ですッ!」


 恐らくは体当たりしてくる泥土の絡まり魚をぶつ切りにでもしようとしていただろう。だがショークリアの言葉でサヴァーラがそれを変更し、まずは体当たりを躱してみせる。


「あれ? 宙に受けるのかよコイツらッ!?」


 そして、ショークリアが躱した泥土の絡まり魚も、サヴァーラが躱したものも、宙に浮き制止した状態でこちらを見ている。


「それどころか、水を針に変えて飛ばすような魔術も使ってきますので、気をつけてください」

「もしかして、色々面倒くせぇって……」

「飛び出してきたところを倒せれば簡単ですが、宙に浮いて術の準備を始めると面倒な相手なんです。

 それにこいつらの戦闘のあとって、目が痛がゆくなったり、傷口が急に痛みだしたりするって話をよく聞くんですよね」

「そこんとこ、さっきもうちょっとちゃんと説明してくれよッ! 面倒なコト頼んで悪かった!」


 ショークリアは少し申し訳なく告げると、サヴァーラはとても良い笑顔で告げた。


「いえ、私も食べてみたいと思ったので問題ありません」


 どうにも、うちの戦士団――特にファム・ファタール隊の面々は自分と同じように食道楽になってきている気がする。


「ええっと、まぁ……そういうコトなら、倒し方は任せるよ」


 どことなく疲れた調子でショークリアがそう告げた時――


「……っと! そういや、四・五匹で群れてるって話だったなッ!」

 

 ショークリアの左右から飛びかかってくる二匹がいた。


「そらよッ!」


 逆手に握った剣を振るい、左右から同時に迫る泥土の絡まり魚の首を、ほぼ同時に切り落とす。


 それによって舞う泥土の絡まり魚の血しぶきを見ながら、ふと思うことがあった。


 ショークリアは飛び散る血を避けながら、サヴァーラに訊ねる。


「サヴァーラ。こいつらって毒は持ってる?」


 地球のウナギは血中に毒を持っていたはずだ。

 熱などでそれを無毒化しておかないと、目や傷口に入った時、腫れたりすることがあると、前世で聞いたことがあった。


「いえ? そういう話は聞きませんが……」


 左手を掲げ作り出した魔力の盾で、二匹の魚の放った水の針を受け止めているサヴァーラが首を傾げる。


「こいつらと戦闘中、目が腫れたり、傷口が悪化したりするって話してたよな」

「ええ。そういう話をよく聞きます」

「なら血だ。こいつら自身はそれを使いこなせなくても、こいつらの血に有毒成分が含まれてるんだと思うぜ。浴びないように気をつけろよ」

「分かりました!」


 心当たりがあるのだろう。

 合点のいったような顔をしたサヴァーラが、魔力の盾を構えたまま地面を蹴った。


「駆けろッ、琥珀コハクの盾ッ!」


 瞬間、サヴァーラが構えていた盾が射出され二匹を襲う。

 とはいえ、さすがにそこは当たるまいと思ったのだろう。泥土の絡まり魚たちはそれを躱そうとする。


 だが――


「舞い散れッ、琥珀コハクの破片ッ!」


 サヴァーラはその魔力の盾を炸裂させた。

 本来はその砕け散った破片で相手をズタズタにする技なのだが、今回は威力を抑えてある。


 それでも物理的な衝撃のある破片に襲われ、二匹は動きを止めてしまう。


「終わりだッ!」


 瞬く間に剣が二度閃く。

 それは見事に首だけを切り落とす。


 ややして、意識と魔力の途切れた二匹の魚は、泥濘の上に落っこちて、微動だにせず転がるのだった。


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