第16話 美味けりゃ正義ってな


「ショコラ……ショコラお嬢様がそこまでお考えだったとは」


 ――などと口にして何やら感極まっているミローナと、もっと直接的に抱擁という手段で感動を表現していたシュガールを正気に戻し、ようやっと試作一号の実食である。


 シュガールが用意してくれたフォークを手にとって、ショークリアはシロップに軽く漬けたダエルブを刺した。


 前世において、この料理の本式ではブリオッシュで作るものだ。

 また、日本の家庭にある有り合わせの材料で作るにしても、食パンやバターロールが材料になるだろう。

 どちらであれ、柔らかいパンが使われているのが、基本となっている料理だ。


 それをこの世界のハードパンであるダエルブで作ったことで、どれほどの味になるのか。


「いただきます」

「だからショコラ。フォークを刺す前に言おう?」


 ミローナの小言を聞き流し、シロップ漬けのダエルブを一つ口に運ぶ。


 シロップが染み込みだいぶ柔らかくなったダエルブ。蜂蜜の甘みと、エニーブの酸味。そして酒精の香り。甘みも風味も香りも悪くない。


 シロップに漬かってもなお残るダエルブの歯ごたえも、ショークリアは嫌いではなかった。


(おう。美味いな。悪くはねぇ。悪くはねぇが……ダエルブで作ったからこその問題点があんな、これは)


 ショークリアが味をしっかりと確かめるように口を動かしていると、横でミローナが恍惚とした声を漏らす。


「美味しい……」


 どうやら彼女のお気に召したようだ。

 だが、一方で――シュガールの顔は驚きから渋みへと変わっていく。


「お嬢」

「何かしら?」

「これは、お嬢の求めた味にはなってないよな」

「シュガールはどうしてそう思うの?」

「……ダエルブの塩気が邪魔だ」

「さっすが♪」


 シュガールの言葉に、ショークリアの声が弾む。

 初めて食べた料理ながら、シュガールは今回の問題点を即座に気づいたようだ。


「恐らく、このダエルブを使う限り――どんなタレを使っても、この欠点はついて回るだろうな」

「そうだね。だから、塩気の薄いダエルブを作って欲しいかなって」

「甘くなくていいのか?」

「うーん……」


 本式がブリオッシュを使っていることを思えば、甘めのパンでも問題ないとは思うが――


「その辺りはシュガールに任せるね。どういう案配が良いかまでは思いつけないから。美味しいなら万事最高ってね」


 シュガールならば、適したダエルブを焼いてくれることだろう。


「了解だ」

「合い言葉は――美味しいは正義ッ!」

「……美味しいは正義ッ?!

 なんて良い言葉だ。俺の心の深いところに刻んでおくぜ」


 ショークリアとシュガールがそんなやりとりをしている横で、ミローナは深く深く吐息を漏らしている。


 本当に、気に入ったようだ。

 試作品でこれなのだから、完成品を食べたら彼女はどうなってしまうのだろうか。


 そんなミローナを横目に、ショークリアはフライパンを示した。


「シロップの作り方は、基本的に大本となる材料を温めて蜂蜜と混ぜる。

 ……甘みの少ない柑橘類ニラダナムの果汁とかでちょっと酸味を加えるのも美味しいかもしれないよ」

「花茶の場合は、煮出してから蜂蜜を混ぜてやる感じだな?」

「うん」

「果物はどう使うんだ?」

「細かく刻んで水と一緒に煮立てたものに蜂蜜を加えてシロップにしても良いし、さっきわたしがしたみたいに飾り付けに使ったり――色々」

「ふむ」

「美術品みたいに綺麗だったり、素敵な香水みたいに良い香りがしたりすると、食べるときに期待感が高まったりするだろうから、味だけじゃなくてそういうところも、がんばって――口だけじゃなくて目でも鼻でも楽しめるものを目指して欲しいの」

「そりゃあ、挑戦しがいがありそうな課題だな」


 強敵に挑む戦闘狂の戦士の顔で、シュガールは不敵に笑う。

 これで、騎士や傭兵等の経験が皆無だというのだから、人は見かけによらない。


「それとダエルブなんだけど」

「お? さっきの話だな?」

「うん……口で説明するの難しいんだけど……焼き窯に入れる前のダエルブってある?」

「おう。あるぜ」


 ダエルブの黒色は、恐らく使っている小麦本来の色なのだろう。

 成形された生地そのものが、やはり黒い。


「小さめのナイフを貸してもらってもいいかしら?」

「ほれ」

「ありがとう」


 ナイフを受け取ったショークリアは台の上に乗って、ダエルブの生地と向かい合う。


「これからやるのは、クープっていうものなの。

 遠い国の言葉で、切れ目とか切り込みって意味の言葉」

「ダエルブの生地に切り込みを入れるってコトか」

「そう。ナイフの先端をちょっと刺す感じで斜めに……深さはえーっと、あ! このナイフの厚さくらい?

 そこから肘を使ってまっすぐ線を引くように――薄皮一枚残すように……」


 縦長の生地に対して斜めの切り込みを四本引いていく。


「これがクープ」

「何か意味があるのか?」

「とりあえず、これで焼いてみて欲しいな」

「了解だ。だが焼き上がるとなるとちょいと時間がかかるしな……」

「なら、また明日遊びに来ていい?」

「おう。その方がいいな。

 塩気の少ねぇダエルブも作っておきてぇし、それで頼む」


 そんなワケで、甘味に酔いしれているミローナの横で、翌日のスケジュールが決まるのだった。


 ちなみに正気に戻ったミローナが、残りの試食が明日へ変更になったことに絶望するのは完全に余談である。



     ☆





 領主の執務室にて、ザハルはそれを見せた。


「これ、お嬢が考えた、女性戦士の制服」

「……どういうコトだ?」


 目を眇めて訊ねてくるフォガード。

 ザハルはその視線を気にした様子もなく笑う。


「お嬢は、戦闘服が欲しかっただけ。

 その課程で女性騎士の服装の話をしてね。そこから、お嬢がこういう服を思いついたワケよ。

 んで、お嬢としては自分だけ服を作るくらいなら女性用ってコトにしちまったらどうかって言っててね」

「……女性戦士を採用するのか?」

「そ。オレもそこで思ったワケよ。

 女性騎士の扱いを考えると、女性登用ってのは結構な掘り出し物が出てくる可能性とかね」

「だが、女性戦士は周囲からナメられるのではないか?」

「ナメさせときゃいいっしょ。うちらはおキレイな騎士じゃないってのは、旦那も知っての通りだしな」

「……ふむ」


 一考の余地がある――と、フォガードは女性戦士服の図案を睨む。


 だが、採用させるにはまだ足りないとザハルは判断する。

 その為に、ザハルは後押しとなる言葉を付け加えた。


「お嬢の将来も考えたら、重要だと思わないかい、旦那?」

「…………」

「実験よ実験。お嬢みたいな天才が、女性だからって理由で潰されちゃうなんて、勿体ないっしょ?」


 フォガードの眉間の皺が深まるのを見て、あともう一押しだとザハルは逡巡する。


「マスカの姉御の実力だって、世間に認めさせる機会になるかもしれないぜい?」


 ザハルからしてみると、性別だとか貴族の矜持だとかはどうでもよくて、優秀な人材による人手不足解消こそが優先だ。


 ショークリアの話を聞くまで女性登用という発想はなかった。だが、言われてみれば確かに優秀な人材を発掘するにはうってつけの鉱脈とも言えるだろう。


「良いだろう。試してみる価値はありそうだ」


 ややして、フォガードはゆっくりとうなずいた。


「よっしゃ。募集要項はどうすればいいんだい、旦那?」


 グッと小さく拳を握って、ザハルは笑みを浮かべた。

 それに対して、フォガード少し思案する。


「……そうだな。せっかくだ。明日あたり、マスカとショコラを交えて考えるとしよう」

「姉御とお嬢を――ですかい?」

「ああ。恐らく女性を募集するにあたって、女性だからこその応募要項なども必要になるだろうからな」


 こうして、ショークリアの知らぬところで、もう一つの明日の予定が決定したのだった。

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