第10話 親父は知らねぇとこでがんばってる
ショークリアにつきあって剣を打ち合っていた日の午後――
「ふぅ……」
フォガード・アルダ・メイジャンは、屋敷にある執務室での作業が一段落したところで、大きく息を吐いた。
火を連想させる赤い髪に、同色の瞳。細身ながらも引き締まった体躯を持つ美男は、執務机に向かいペンを握っている姿であっても、騎士を思わせる空気をまとっている。
「どうしたものかな」
キーチン領の領主。中級騎士爵。
そんな肩書きを持つ彼の悩みは、数多い。
「
愚痴を独りごちるものの、そんなものは誰に答えてもらうわけでもなく理解している。
領地の北側にある山脈に行けば
だが、山脈は国境でもある。しかも、お世辞にも仲良しとはいえないラインドア王国との国境だ。
採掘作業そのものを侵略行為だのなんだのとイチャモンを付けられる危険性があるため、大っぴらにやるわけにはいかない。
領地の南側に広がる森にいけば、
もっとも、その森は未開の森。
ビーリング
未知の魔獣も住んでる可能性もある危険地帯へ、採取にいくのはリスクが高い。
領地の最東端に行けばこの国唯一の海がある。
だが、キーチン領は、東へ行けば行くほど草木が減り、荒野となっていく。
東の砂浜の近くに漁村を作る予定はあるが、まだ着手できていない。
そもそも、このキーチン領そのものが、ビーリング森緑帯と海の開発を目的として与えられた土地である。
山と森と海に四方を囲まれた荒涼地帯――それが、キーチン領だ。
そんなわけだからして、塩は自前で賄えそうで難しい。
結局、他領からの買い入れに頼らざるをえないのである。
西側の森も、南ほどではないが深く、そこを抜けねば他の土地へはいけない。
そんな領地が唯一外界とつながっているのが、西の森と北に連なる山脈の隙間のようなところにある寂れた街道だ。
ダイドー領とキーチン領を繋ぐそのダイキーチ街道――余りに使う者が少ないので『すれ違わずの道』とも呼ばれ、しかもそちらの通称の方が有名だ――こそが、唯一の出入り口となっている。
一見すると恵まれた立地のようで、手つかずになっていたのはそういう事情だ。
開拓できれば大きいが、開拓の労力はかなり必要となる。
まして、十五年前の戦争の爪痕は、まだ国内に残っているほどなのだから、予算を回しきれないというのもあるのだろう。
先の戦争で武勲を上げ、中級騎士爵という爵位と領地を与えられたフォガードであるが、国から体よく厄介ごとを押しつけられたとも言える。
「ダイドー領の嫌味野郎からの嫌味混じりの忠告が本当だとしたら、ますますヤバイんだよなぁ……」
都市や大きな街を中心に
嫌味野郎ことダイドー領領主は、先日出会った際にそんな話を匂わせていた。
「だが、原因はなんだ?」
この国――ニーダング王国は、
だが、ダイドー領領主の口振りからすると、それがあり得ると言える状況になっていそうである。
まだ僅かな影響しか出てないようだが、決して楽観視はできないだろう。
「
考えようによっては儲けられるチャンスかもしれないが、その塩を安定して手に入れる手段がないのだから、悩んでいるのだ。
眉間を揉みしだくようにしながらフォガードは嘆息する。
ちょうどそのタイミングで、執務室のドアを誰かがノックした。
「旦那様。ソルティスにございます」
「ソルトか。入っていいぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、この家に勤める従者たちの長であり、フォガードの秘書なども勤める老年の男性だ。
名をソルティス・ハイル・ハイランド。
後ろへと撫でつけた青髪にだいぶ白いものが混ざり始めているが、決して衰えを見せない優秀な人物である。
彼はメガネの下にある灰色の鋭い瞳を今は穏やかに笑みの形にして一礼した。
「そろそろ一息付かれたらどうかと思いまして、お茶をお持ちしました」
「良いタイミングだ。ちょうどキリの良いところまで終わったからな」
悩みは尽きないが、書類仕事はひとまずのところまで終わっていた。
いつもいつも、この執事は良いタイミングで来てくれるものだ。
「本日の
儚く見える薄紅色で、一見薄味そうな色合いですが、香り高く風味の良い花となっております」
解説を交えながら、ソルティスが机にカップを置いた。
カップからは湯気が立ち上り、カップの中には薄紅色の美しい色合いのお茶が揺れている。
「ほう……いい香りだな」
「そして、こちらが本日のお茶請けとなる――料理長シュガールの新作、その試作です」
次いで机に置かれたのは、皿に乗ったピンルットだ。やや光沢があり焦げ目のようなものがついている。
僅かに湯気が出ているのを見るに、かなり熱を持っていそうだが。
「熱いうちに食べて頂きたいそうです。
ただ、非常に高温の為、気をつけてお食べください」
「ふむ」
言われた通り、まだ湯気の立ち上るピンルットを口に運ぶ。
瑞々しいピンルットの甘みと旨みが熱と共に口の中に広がっていく。
ほのかに感じる
「ピンルットの味で
まさかの逆転の発想。
名産品をふんだんに使うのではなく、僅かな量だけ使うことで、逆にその味を最大限に生かしていると言えるだろう。
この味ならば、濃い
「良い酒が欲しくなる味だ。
だが、まだ手を着けてない書類もあるからな。夕飯時まで控えるか」
残念そうに呟いて、スカイトピーの花茶を啜る。
ほのかな酸味と特有の爽やかさが、口の中に残るストルマオイルを洗い流してくれるようだ。
「ふむ。酒も良いが、この茶と合わせるのも悪くないな。相変わらず良い仕事をしてくれるなソルト」
「ありがとうございます」
恭しく一礼するソルティス。
それを見ながら、一枚の書類に手を伸ばし、フォガードの動きが止まる。
「……少量の
ややして、炎剣の貴公子の表情が、いたずら小僧を思わせるそれに変わった。
「先んじて手を打っておくか。
嫌味野郎への礼は来年に行われるショークリアのお披露目を兼ねた宣言式でいいだろう」
口に出すことで自分の考えをまとめたあと、フォガードはソルティスへと視線を向けた。
「ソルト。少し頼みたいコトがある」
「はい。なんなりと」
○ ○ ○ ○ ○
「運命というのは神すらも翻弄されるもの。
すべては偶然と必然の巡り合わせと重なり合い。
そこから生まれる出来事は、時に創造神である我すらも驚かせる。
だからこそ、人間たちの生き様を見るのは楽しいのだがな」
運命と口にし、諦めと嘆きに打ちひしがれる一方で、その運命に抗い、懸命に生きようとする。
本来は死産のはずだった、ショークリア・テルマ・メイジャン。
そこに宿った、
そして、ついに表舞台へと顔を出した異界の知識。
「この巡り合わせの果て、何と重なり合い、どんな出来事が生まれるのか……実に興味深い……」
神妙な顔で、人間界を見下ろす創造神ステラ・スカーバッカス。
その横顔からは――
(やっべぇ、ちょっと楽しみになってきたぞ。どうなるんだこれ? ひゃっふーッ!)
などという胸中を伺うことなど、誰もできないのであった。
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