第7話 料理長ンとこに行こうぜッ!


 母から厨房の出入りを提案されてから数日たった本日……

 ――今日は料理長シュガールからの許可がおりた日だ。


 ショークリアは、それはもう嬉しそうに家の廊下を歩いていた。


(シュガールが宮廷料理人候補と聞いた時は、絶望感ハンパなかったけどな)


 つまり、メイジャン家の食事の味は宮廷料理に匹敵するレベルということになるのである。

 それがあれだと知ってしまった絶望感ときたら――


(だけど、シュガールが料理に対して貪欲というのは良い情報だったぜ)


 自分の独特な嗜好に対して文句は言わず、むしろ喜ばせるメニューを考えようという気概がある人物が料理長というのは良い情報だった。


「嬉しそうですね、お嬢様」

「うん。シュガールとは料理のお話をしたいと思ってたの」


 答えると、ミローナが不思議そうな顔をした。

 確かに五歳の貴族令嬢がしたいと口にする台詞ではなかったかもしれない。


「ええっと、ほら。シュガールはわたしの分だけ、味を変えてくれてるから」


 ショークリアが慌てて誤魔化すと、ミローナはそういうことかと納得したようだ。

 これがココアーナだったら誤魔化したことを見抜かれそうなので、一緒にいるのがミローナで良かったと、ショークリアは思うのだった。




 なにはともあれ、そうしてショークリアは厨房へとやってきた。


「お邪魔します」

「いらっしゃい、ショコラのお嬢」


 優しく迎えてくれたこの人が、ここの料理長であるシュガール・トウキスだ。


 四肢が丸太のように太い大男。

 その見た目は、前世の感覚からすると、傭兵か武器屋のおっちゃんが似合いそうな風貌である。

 口の周りにはライオンのたてがみのように髭が生えており、腕やスネなどの毛も濃いことから、熊のような男とも言われていた。


 そんな強面な風貌をしているものの、アメジストのように輝く瞳は優しく、そして常に情熱に燃えている。


「奥様から聞いてるぜ。厨房が見たかったんだって?」

「うん。料理のお話をしてみたいと思っていたの」


 腰を曲げて、ショークリアに視線を合わせてくれるところから、シュガールの人柄がでているようだ。


「料理の話?」

「わたし向けのピンルットのサラダ。味見はしてる?」

「そりゃあ、もちろん」


 シュガールがそううなずきながら、腰を戻す。


「どうかしら、あの味」


 そこへそう問いかけると、シュガールは自分の顎を手で覆うようになでながら、思案する。


「個人的には美味ぇと思うぜ」

(よっしゃあッ!)


 これは何とかなるかもしれない――と、ショークリアは胸中でガッツポーズをしてみせる。


「ふふ、よかったわ」


 胸中のテンションを表に出さず微笑むと、後ろで控えているミローナが首を傾げた。


「お嬢様用のピンルットのサラダって、塩花トールスも、ストルマオイルもちょっとしか掛けないものですよね?」

「そうよミロ。ああやって食べると、ピンルットそのものを味わえるの」


 イマイチよく分からないという顔をするミローナを見て、シュガールが笑う。


「よし。ちょっと待ってろ」


 シュガールはピンルットを一つ取り出すと、それを四等分にくしぎりして、十分ほど茹でる。

 それを一つ、小皿に置いて、少量のストルマオイルをかけ、パラリと塩花トールスをふりかけた。


 それを小さなフォークと共に、ミローナへと差し出す。


「ほれ。食べてみるといい」

「え……でも……」


 チラリとミローナがショークリアを見やる。

 それに、ショークリアはうなずいた。


「ミロ、食べた感想を聞かせて欲しいな」

「主人であるショコラから許可が下りたなら、いいか」


 どうやら、本当に美味しいかどうかの戸惑いではなくショークリアからの食べる許可が欲しかったらしい。


 考えてみたら、ミローナがショークリアの背後に控えているのは仕事なのだ。

 仕事中なのに勝手に食べ物を口にして良いのか――という意味だったようである。


(……その辺り、ちゃんと読みとってやれるようにならねぇと、ミロたちに迷惑かけちまうかもな)


 そこはちょっと反省しつつ、ミローナがピンルットを口に運ぶのを見守った。


 ミローナはピンルットに小さなフォークを刺して口に運ぶ。

 それを一口で、口の中に入れると――


「あ」


 驚いたように目を見開く。


「ピンルットって、こんなに甘かったんだ……。

 でも、お菓子みたいな甘さじゃなくて、なんていうか……」

「自然な甘さ?」

「そう! そんな感じ! それが塩花トールスでほんのりしょっぱくて――美味しいッ! 今まで食べてたピンルットのサラダは何だったのかしらッ!?」

「え? そんなに!?」


 想定以上の驚きっぷりにショークリアが驚いていると、シュガールが横でうなずいていた。


塩花トールスの味を楽しむ為にピンルットを食べる――そんな常識をひっくり返す発想だよな。ピンルットを楽しむ為に塩花トールスを少量使うんだからよッ!」


 がははは――と笑うシュガールを見て、ようやくショークリアは理解した。


 自分の嗜好と、この世界の常識のズレを。


「個人的には、料理の味を塩花トールスで整えるって方向で良いと思うのだけど」


 そう口にすると、シュガールが目を見開いた。


「お嬢様はどうしてそんな発想が出る?」

「わたしにとって、ご飯が全部塩辛すぎるの。

 だからミローナが食べたピンルットのサラダのような味付けのものが基本の味付けになって欲しいくらい」


 素直に答えると、シュガールはガシガシと頭を掻く。


「そうか。完全に考え違いをしてたワケだ、俺は。

 どうすればお嬢が好む料理を作れるか――ピンルットのサラダから色々試行錯誤してたんだが、もっと根本的に……この国の塩花トールス料理という考え方そのものが、口に合わなかったのか……」


 シュガールは天を仰ぎながらそう独りごちると、背筋を伸ばしてショークリアへと向き直る。


 それから、深々と頭を下げて告げた。


「申し訳ございやせん、ショコラのお嬢。

 食べる相手のコトを思って作る――その精神に則って作ってたはずが、この家の大事な息女であるお嬢のコトを思い切れていなかったようです」

「あの、頭を上げてッ、シュガール!」


 突然のシュガールの行動に、ショークリアは慌てたように、声を掛ける。


(いや、アンタは何も悪くねぇってッ! こっちの好みが完全にここの料理とズレてただけなんだからよッ!)


 シュガールの行動だけでもビックリなのに、その横でミローナまでもが深々と頭を下げてきた。


「私からも謝罪を。申し訳ございません、ショコラお嬢様。

 お嬢様の好みの味を見つけるコトができず、長期に渡って困らせてしまっていたコトを、私ミローナ・メルク・ヴァンフォスが、我ら侍従一同を代表してお詫び申し上げます」

「ミ、ミロまでッ!? 急にどうしたのッ!?」


 こういう味の料理が食べたい――そんな話のつもりだったのに、突然二人に頭を下げられて、ショークリアは胸中は混乱の渦中にあった。


 領主の娘であるショークリアに対し、状況を把握していながらも改善が上手く行かなかったこと。

 それは、この家で働く使用人や料理人という立場においては、失敗も良いところなのだ。


 謝罪しないのは不敬も良いところである。


 とはいえ――

 ショークリアとしてこの世界で生を受けてまだ五年。

 彼女は未だに貴族令嬢というものをよく分かっていない故、急に謝られたことに戸惑いを隠せなかった。


(貴族令嬢ってのは、案外難しいんだな……)


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