第11話 土生緑→安曇海
「───という訳なんだけど、頼めるかな」
分かりやすく説明したつもりだったが、目の前の安曇君はコーヒーカップを持ち上げたまま難しい顔をして固まってしまった。また何か考えすぎているのだろうか。珍しいことではないので私もオレンジジュースを口に運んだ。
本来なら安曇君との話し合いのほうが図書館は向いた場所だったんだろうが、生憎彼は別の学校の生徒だ。比較的ドリンクバーが安価なファミレスがちょうど中間地点あたりにあったのはありがたい話で、おかげで何度も世話になったし今回もそういう理由でここにいる。
どちらの高校からも駅が反対方向にあるせいか、互いの生徒を見かけることが少ないのもいい点だ。何しろ安曇君は顔がいい。おまけに頭もよく性格も悪くないとくれば密かな思いを抱く乙女の一人や二人はいるだろう。そんな方々に無駄なショックを与えずに済む。
「……? 何か分からないことでもあったかい?」
それにしても反応が返ってこないものだから、流石に不思議に思って問いかける。
そんなに難しいことを言ったつもりはないのだが、はて。
「分からないことと言うか……」
漸く安曇君が口を開いた。
何か諦めたのか、コーヒーカップは口まで運ばれないまま再びテーブルの上に戻ってしまう。
「強いて言えば、”どうしてそうなったのか”が分かりません」
なるほど、まず根拠を求めてしまったのか。安曇君らしい。
「人間、頑張るには多少のご褒美が不可欠だろう?」
「それでどうして『もう一度宙さんを戦闘に誘う』ってことになるんですか」
「雲居君にとって一番喜びそうで一番サプライズが強そうなのがそこだと考えたからだな」
雲居君は実にシンプルで分かりやすい。それは性格がとも言えるし思考がとも言えるし、性根がとも言える。
それは彼の最大の美点だし、だからこそ彼に対して何かを慮る場合、難しいことは考えなくていい。
星月さんに大人の度量で受け入れてもらえば何ら問題はない。
「それはそうだと思いますが」
片手で頭を抱えて安曇君が小さく呻く。
「……それならそれで、どうして自分で誘わないんですか」
それは抱いて然るべき疑問だ。私が計画したものなのだから私が実行するのが筋だろう。
それに交渉事は私の方が向いている───と安曇君は思っている。
「なんだい、安曇君は私が星月さんに好かれてるとでも思っているのかい」
「……思ってませんけど……」
なんとも形容し難い表情を浮かべながら「そうやって名字で呼ぶから…」とぶつぶつと呟きだしてしまう様子を見てつい笑ってしまう。
茶化すだけのつもりだったが思ったよりも効果があったようだ。
星月宙という人物は良く言えばおおらかで包容力があるが悪く言えば諦念の感が強く流されやすい、という大まかに一般成人らしい成人だと思う。思うのだがどれだけ気にしているのか自分の名前、特に名字が絡んだときだけ過敏に反応してムキになる。妙に子供っぽくなるのだ。
子供に子供っぽいと言われるなんて面白くない話だろうが、それだけの態度をとってしまっているのだから致し方ない話であるし、機会があれば触れたくなるのも致し方ない話だろう。大体非日常的な私達の正体は早々に受け入れた割に最も現実である自分の名字に対して未だに受け入れられてないだなんておかしいにも程があるじゃないか。
───会社ではどうしているのだろう、なんてふと思う。
「女子高生というのは度を越さなければ大体なんでも許される存在らしいからね、今年度いっぱいは諦めてもらいたい」
とはいえ一般的な女子高生には程遠い自覚はあるのだが。そこは安曇君にも、ついでに星月さんにも目を瞑っていてもらおう。
「……それでも土生先輩のほうが上手くいくと思います」
「そうかな。私は今回の件については安曇君のほうが適任だと思っているよ」
「……。上手くいかない可能性のほうが高いと思いますよ?」
「別にそんなに気負ってもらわなくていいよ。駄目なら駄目で別の何かを考えるさ」
とはいえ安曇君は自分を過小評価し過ぎだし星月さんはなんだかんだで安曇君(と雲居君)に甘い。私自身が下手に算段を講じるよりもよっぽど上手くいく可能性が高いと踏んでいるのはそこだ。
……というのが素直に伝わってくれればいいのだが。安曇君にはもう少し自信を持ってほしいしだからこそやり遂げてほしいものなんだが───まぁ頑張ってもらうしかあるまい。
うん、と一人で納得して残りのジュースを飲みきった。小さくため息をついた安曇君が見える。よし、受け入れたな。
「そういえば、最初に言っていた話なんですけれど」
「うん?」
「雲居先輩は本当にそうするつもりなんでしょうか」
最初に言った話、というのは雲居君が定めたらしい進路のことだろう。
確かに普通に考えれば冗談のような話ではあるが。
「冗談でそんなことを言い出すタイプではないし、一度決めたことをそう翻すタイプでもないからな。今日の昼休みに決めたことだがもうそれしか頭にないんじゃないかな」
勉強という行為が苦手なだけで学力が壊滅的ではないのだから進学しようと頑張ればできないことはないだろう。それでもそれが彼に向いているかと言われればそうではないように見えるし、なによりあのときの表情は何を言われても押し切ってしまう強い意志しか感じられなかった。
幸い知っている限り彼の両親は子供の自主性を重んじるタイプだ。制限は定めても頭ごなしに否定することはないだろう。
そういえば、と思い出した。雲居君の脳内で安曇君も頭数に入っていたんだった。
面白そうだから私は乗ってもいいと考えているが、安曇君はそうではないかもしれない。とすれば心構え的な意味でも先に告げておいたほうがいいだろう。そう思って視線を向ければ、スマホで何やら調べているらしい仕草が目に入った。
「何をしているんだい、安曇君」
「あ、すみません。……今からとれる資格ってなにがあるのかと思って」
「資格?」
「そういうのやるなら、できることが多いほうがいいと思って…」
どういうのがいいとかあるんですかね、こういうのって。
安曇君が当たり前のように言うものだから思わず唖然としてしまって───つい、吹き出してしまった。
そうだな。そういうところがあるな、君には!
「……土生先輩?」
さっきまでの気難しげな表情はどこへやら。きょとんとした顔の安曇君の視線がこちらに向いた。
互いに疑問にも思わないとはなんと、まぁ。
「羨ましいな、と思っただけだよ」
「羨ましい?」
なんのことだか要領を得ない。そんな顔をしている。
そうだろう、多分当人たちにとっては至極当然のこと過ぎて意識もしない。だからこそ、こちらはそう思うわけで───そう、
「ああ。流石に嫉けるな」
「やけ───ええ?!」
ガコン、と音を立ててスマホがテーブルの上に落ちた。何をどう受け取ったのかはわからないが端麗な顔が残念なくらいに真っ青になってしまっていて、ああ確かにここが図書館ではなくて良かったな、なんて思ってしまう。
「さて、空になってしまっているし飲み物を入れてくるよ」
二の句が継げないでいる安曇君を残して立ち上がる。言及しないでおいたほうがいいと思った……そのほうが面白いと思った気持ちも否定はできないが。
次はグレープジュースにしようか。戻ったときに安曇君が何を言い出すのかを予想しながら機械のボタンを押したのだった。
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