第3話 名前


「お待たせしました」


 ポスターの前で待つこと10分弱、声をかけられてそちらを振り返って驚いた。

 やってきたのは男女の二人組っだったことと、二人とも学校の制服を着ていたことがだった。そういえばさっき放課後と言っていた気がする。

 ということは自称レッドも学生だったりするのだろうか……?


「初めまして。私は土生緑」


 名乗ったのはまず女生徒の方だった。肩にかかるぐらいの髪を揺らして明朗に笑う。


「そしてこちらが安曇海だ」


「……初めまして」


 女生徒──土生緑──のやや後ろに立っていた男子生徒がペコリと頭を下げる。こちらも慌てて頭を下げる。

 整った顔立ちにフレームの細い眼鏡がかかっていて土生緑よりもよっぽど大人びて見えるのに、声や態度がどこか弱々しい。


「ええとよろしく。 それでその……君たちは、」


 なんて言ったものだろうか。自称レッドの関係者ではあるんだろうけれど、そういえば組織の名前を聞いていなかった。

 言葉を濁して悩んでいると土生緑がにまりと笑って安曇海の肩を組み寄せた。


「ヒーローだよ、私達もね。チームとして活動をしているんだ」


 言葉が淀みなくスラスラと出てくる様子は昨日の自称レッドを思い起こさせて、よく分からないところでなるほど、なんて思ってしまう。


「雲居君がレッドであるように、安曇君はブルーだし私はイエローだ。よろしくお見知りおき頼もう。なぁ? 安曇君」


 それでもその設定を信じられるかどうかは半信半疑なところなものだから、そうも自信満々に宣言されてるともしかしたらもっとヤバいことに首を突っ込んでいるんじゃないかと却って不信感が湧いてしまう。

 大体同意を求められた形の安曇海が怪訝そうな顔をしているじゃないか。


「……。あの、」


 怪訝そうな表情を浮かべたまま、他称ブルーであるところの安曇君がこちらに顔を向ける。


「あなたの名前を伺ってもよろしいでしょうか」


 ビシ、と顔が強張るのを感じた。

 尋ねられてなかったのを良いことに名前を名乗っていなかった。それはちょっとしたトラウマのようなものだ。

 できれば名乗らずに過ごしたい。他人から見ればどうでもいいような理由だというのは分かっているのだけど、それでも。


「……」


「……」


「……」


「まぁまぁ良いじゃないか安曇君!」


 顔をそらすのも不審者のようで、だけど口を開けることもできないまま十数秒。

 沈黙を軽々と破って入ったのは土生緑だった。


「誰にも君にも人に言いたくないことの一つや二つはあるものだろう?ここは一つ『通りすがりのAさん』とでも呼ぼうじゃないか」


 ですが、と食い下がる安曇海にまぁまぁと何やら声をかけて宥めかける。

 そこまで言われるほど大層なものではないのだけど正直に言えば助かった。安堵のため息を大きく吐く。よし、取り敢えず危機は去った。


「では通りすがりのAさん、雲居君ことレッドのもとに案内をよろしく頼みますよ!」


 話はついたらしい土生緑が手を上げたのを見て、頷いて「こっちだよ」と声をかけて歩き出したのだった。




「ここです」


 と言いながら階段を登り2階に向かう。

 ハイツなんておしゃれな名前がついているが、実質はアパートだ。木造でないのが幸いというぐらいのそこそこ年季が入った建物だが、その分ほんの少しだけ家賃が安い。

 自分のドアの前で立ち止まるとまずそのままノブを回す。ガチャリ、と小さな音とともにノブが抵抗を示す。どうやらちゃんと家を出ていないらしい。何よりだ、と思いながら鍵を取り出し───


「なるほど、星月さん、だね」


 耳に入ったのは土生緑の声。バッと振り返る。どうして。声には出なかったが表情にはありありと表れていたのだろう、土生緑が指をさす。

 その先にあるものに気がついて思わず頭を抱え込んだ。表札だ。


「ロマンティックでいい名字じゃないか」


「現実離れしすぎてて子供の頃から偽名だの芸名だのペンネームだの色々からかわれて続けてですね、好きじゃなくて……」


 名乗れば必ず聞き返されるし冗談言っていると言われることも多かったし、なんなら腹を抱えて笑われたことすらあった。好きで縁が遠そうな顔に生まれたわけではないってのに!


「……すみません」


 安曇海が本当に申し訳無さそうに呟く。咎めたように聞こえたのだろうか。そんなつもりではなかったから、別にと声をかけようとして


「怪人である可能性を考えたりしてしまって」


 横に振ろうとした手が中途半端な位置で止まった。

 今、なんて……?


「怪人とは、私達の敵と呼べる存在でして。人の中に紛れてる可能性は極めて低いんだが」


 土生緑が慣れた様子で説明を付け加える。


「名乗らなかったから安曇君が警戒した、というだけの話ですよ」


「……そうですか」


 まさか名字を口ごもっただけで人間じゃない可能性を疑われるとは思わなかった。いやそもそも人間じゃないものがその辺にいるかもしれないなんて考えたことがなかったし。大体彼らが本当にヒーロー?なのかまだ納得できたわけでもない。

 普通を前提にしてはいけないなとため息を吐きながら鍵を開けて家に入る。

 果たして中には朝とほとんど同じような場所に同じような体勢で自称レッドが座っていた。……いちいち律儀だな。


「帰ったか! お帰り!」


 そして挨拶の元気が良すぎる。

 背後でため息が聞こえた気がするけれど、安曇海のものだろうか。


「そうだ帰ったら聞こうと思っていたんだ!」


 ただいま、と返した矢先になにか言い出した。何を?と返しながらひとまず二人の客人を中に招き入れる。


「名前を聞いてなかったよな! なんていうんだ?」


 どこかキラキラとした眼差しに口元が強張る。背後からは噛み殺しきれない笑い声と先程よりも大きなため息が聞こえてきた。



 そんな天丼は! 重ねなくていい!!!

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