第2話 張紙
「……ヒーローだっていうのは百歩譲って置いておくとして」
「百歩譲らなくてもヒーローだぞ!」
そういうのは良いから。思わず言いかけた言葉を飲み込んで軽い咳払いでごまかす。
「このブレスレットはなんなんだ? あと、名前は?」
このブレスレットを嵌められたら火柱が見えるようになった。ということはこれはよく分からないトンデモブレスレットなんだろう。
火柱はかろうじてまだ見えた。もう少ししたらビルの影に隠れて見えなくなるだろう。
「それか?それはレッドの、えーっと腕輪だぞ」
新しい情報がなにも増えてない。
別に赤いわけではないブレスレットを触ってみる。特に何もない。そっと掴んで、やっぱり何も起こらなかった。だからそのまま引き抜いて自称レッドへと差し出してやる。
「おう、ありがとうな!」
屈託のない笑顔を浮かべながら自称レッドはブレスレットを受け取って、自分の手首にはめた。そうして再び口を開こうとして───そのまま止まること数秒。
「……。俺の名前なんだったっけ?」
やっと出てきた言葉は予想外もこの上ないものだった。
あれこれ話はした結果、自分がヒーローである自身は揺るぎないくせにヒーローじゃないところの記憶がどうにも覚束ないようだということが判明した。いやこれなにも判明してないな?!
言いたいことは山ほどあった。だけどいつの間にか日を跨いでしまったことに気がついたので「取り敢えず寝る」ということにしてしまった。自分は何も悪くない。……そういえば夜飯を食べそこねてしまった。全く何をしたっていうんだ!!
いつもより一時間以上遅く寝たせいでひたすらに眠い。おまけに腹はひどく減っている。そんな回るはずのない頭でそれでも必死に考えて、取り敢えず腹が減ったらカップ麺を食っていいから帰ってくるまで部屋にいろと告げておいた。話は一応通じるし泥棒するならとっくにやって出てるだろうし多分大丈夫だろうと思ったのだ。何より、とても、眠かった。
会社には体調が優れないので午後休を取れないかどうか打診をとった。二日連続で寝不足になるのは回避したかったからだ。「確かに顔色が悪いな」とのことで午前中に引き継ぎをすることで午後休が認められた。顔色が悪いのはただの寝不足のせいだど思うけど結果オーライということだ。うん。
そんなこんなで普段よりずいぶんと早い帰り道。
明るいというだけでこんなにも景色が違って見えるのかと驚き半分で見回しながら歩いていた先に一枚のポスターが目に入った。「探しています」という見出し。見覚えのある顔の写真。文章の最後には固定電話の連絡先。
朝の出勤時には貼られていなかったはずだ。確か。きっと。……正直に言うと、眠すぎてサッパリ覚えがないのだけど。もしかしたら行きがけに連絡できてたかもしれないなんて思ってなんかいないのだ。いない!
「想定していたよりも早いご連絡をありがとうございます」
恐る恐る電話をしてみればなんということもない普通の対応で、肩透かしを食らったようなホッとしたような複雑な気持ちになる。
「雲居太陽はそちらで預かってもらっているということでよろしいのでしょうか?」
「雲居太陽?」
そんな名前だったのか。いや本人が覚えてないせいで本当にこの名前なのかどうかが分からないのだけど。
「はい。……何か疑問がおありでしょうか?」
「疑問、というか……本人がレッドとしか覚えてなくて……」
「覚えてない?」
にわかに電話の向こう側が騒がしくなる。この内容を他の誰かも聞いているということなのだろうか。───そもそも、今更ながら。この電話の先はどこなのだろう?
「───失礼しました。貴方様が保護されているの私共の尋ね人で間違いないと思われます」
十数秒の間を空けて続いた声には、先程よりも緊張感が含まれているように思えた。
「なるべく早く……放課後にでも───え、
電話の向こうで誰かと話しているような声が聞こえる。二言、三言、遠くに話しかけるような声が聞こえたあたりで「重ね重ね失礼しました」と電話の相手が戻ってきた。
「詳しい者をそちらに向かわせたいのですが、この後お時間は大丈夫でしょうか?」
なるほど誰だか分からないけれど誰かの都合がついたのだろう。それならそれでさっさと事態を収拾してもらうに限る。
「はい、もちろん」
「ありがとうございます。それでは土生緑と安曇海というものがそちらに向かいますので、そのままその場所でお待ちいただけたらと思います」
申し訳ありませんがよろしくお願いします、と向こうが結んで電話が切れる。
そのままその場所で。というのは恐らくあのポスターの前で、ということなんだろう。
惰性で家に向かって歩いていた分、戻らなくてはいけなくなったのはここだけの秘密だ。不安になって小走りまでしたとか! 言えない!!
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