第10話 大事なモノと崩壊するモノ


 どれだけの時間が経っただろうか。

 再び理性を取り戻したセタグリスは、軋むベッドの上で身体を起こす。


 思っていた以上に負荷がかかったのか、身体がとても重い。……ツィツィにも無理をさせてしまったかもしれない。



「良かった、ぐっすり寝ているみたいだな」


 隣りにいる裸の女性は、スヤスヤと寝息を立てている。それを見た彼はホッと胸を撫で下ろした。


 心の支えである彼女をこの状況で失いでもしたら、セタグリスは恐らく半狂乱になる。



 ともあれ、今はもう少しそっとしておこう。きっと彼女も、ようやく睡眠がとれたのだ。夢の中でぐらいは、心安らかに居て欲しい。


 ――自分がこうさせてしまった、という罪悪感はあるが。



 と、ここでセタグリスの頭の中に、ある事が思い出された。


「そういえばこの前、管理者用の部屋があるとかって言っていたな。それはこの部屋とは違うのか……?」


 レモラが殺された日。イグリットが現れたことをどうやって知ったのか、彼女に尋ねたことがあった。ツィツィはその時に、それを知らせる管理室のようなものがあると話していたはずだ。


 しかしこの部屋にはそれらしき機器類は無い。見渡しても目に入ってくるのは、黒を基調とした家具やカーテンだけだ。実に彼女らしい、落ち着いた印象を受ける大人の部屋だ。


 ともすれば、他に予想できるのはこのフロアの上階だ。しかしそこへ行くには、管理者専用のエレベーターを使わなければならない。


 生憎とこのエレベーターは、絶対に近付いてはいけないと厳命されていた。隠れん坊をして迷惑を掛ける子が居るとか、なんとか。確かそんな理由だった気がするが……。


 とにかく、ツィツィが所持している鍵が無いと、エレベーターが使用できないのだ。そしてその鍵は、彼女がいつも首から下げているネックレスについていた。



「……ごめん、ツィツィ。今は俺に任せてくれ」


 その鍵の所持者は現在、ぐっすりと眠ってしまっている。先ほどは断られてしまったが、そうも言っていられない。


 そっと首元からチェーンを外していく。ツィツィの細く白い喉を見つめながら、起こさないようにゆっくりと。


 ツィツィの女らしさを感じると、妙に胸が高鳴る。彼女との行為は記憶には無いが、身体が覚えてしまっているのかもしれない。


 イグリットの時もそうだったが、一度始まってしまうと、自分の身体が上手く制御できない。あの浴場での一件が尾を引いているのかもしれない。


 そういえば、あの時から女性を見ると変な気持ちになることが多い。今の危機的状況によって、生存本能がたかぶっているのかもしれないが。



「そうだ、あの時からだ。絶対に俺は、こんな男じゃなかったはずなのに……!!」


 自分の中の雄の部分を、無理やり目覚めさせれたキッカケ。それはあのイグリットと出逢ってからだ。


「クソッ。全部、イグリットのせいだ。あの女がやってきたせいで、全てが狂ってしまったんだ。アイツが犯人じゃないにしても、アイツさえ来なければこんな事には……」



 もはやセタグリスには、正常な判断が出来なくなっていたのだろう。

 管理者の鍵を得た彼は、その足でエレベーターへと向かう。入り口にある鍵穴にネックレスの鍵を差し込み、ドアを開けた。


 使い方は……何となく分かる。上下の矢印があり、上を指すボタンを押せば目的の部屋へと運んでくれるはずだ。



 もう彼は止まることはできない。一刻も早く、この呪縛から解き放たれたくて、仕方がない。


 犯人を捕まえ、イグリットを糾弾きゅうだんし、以前の日常を取り戻す。減ってしまった雛鳥たちは可哀想だが、どうせいずれは死ぬのだ。なんなら自分がツィツィかリージュ辺りと結ばれて、新しく子を増やせばいい。


「俺が護るんだ……このドームを……家族を……」



 そうと決まれば、早く管理者の部屋へ行かねばなるまい。そこなら何か現状を打開するための何かがあるかもしれない。


 彼の言う通り、解決できる何かが本当にあるのであれば、とっくにツィツィがやっているはずなのだが――今のセタグリスにはそんな当然の考えは浮かばない。



 エレベーターも丁度上階へと着いたようだ。早く早く、と心がく。


 一種の興奮状態の中、エレベーターのドアが開いた。



「これは……」


 セタグリスの目に入ったのは、多種多様な機器で溢れかえった部屋だった。


「なんだかモニターが多いな。住人データ? ツィツィ、こんなものまで管理していたのか?」


 一番大きな画面には、住人のデータがウィンドウ別で表示されている。それには年齢、性別に加えて身長体重、そしてエネルギーの充填記録まで記載されていた。


 どうやらこれは、コアルームで補充する際に自動で記録されるようになっていたようだ。しかしこんなデータを取っていたことなんて、今までツィツィは一度も言っていなかった。


「こっちのモニターはコアエネルギーの充填率……そして利用状況か。ドーム全体の様子がここで確認できるみたいだ。確かにこれは管理者の仕事だな。ん、ロックが掛かって詳細が見れない……他には……施設内の映像もあるのか? 録画記録……過去のデータだって!?」


 これは予想以上だった。居住区だけではなく、各フロアにカメラが設置されていたことが判明した。リアルタイムの映像に加えて、日付をさかのぼって確認することもできるみたいだ。


 ――これを利用すれば、殺人鬼の姿が映っているかもしれない。



「えっと、これはどう操作すれば……ん、何でコアルームにイグリットが?」


 操作しようとしたモニターは、現在のコアルームの映像が流れされていた。そしてコアの近くに居たのは、ここに用のないはずのイグリットだった。


 あの白のワンピース姿は彼女で間違いない。ピョンピョンと小刻みにジャンプをしながら、ゲージの中のコアを覗いている。


「あの女……いったい何を」


 エネルギー補給組ではない彼女が、この部屋に居る必要は無い。不必要に施設内の物に触るなと言っておいたはずだが、あの様子では何をどうされるか、分かったものではない。


 過去のファイルを閲覧するのは、一旦保留だ。今はアイツを止めなければならない。これ以上、コアに何か問題でも起きたら一大事だ。



「……誰だ? コアルームにもう一人居る?」



 管理室を出ようとしたセタグリス。だがその間際、監視していたモニターに異変が起きた。イグリットに背後から近付く、小さな影があったのだ。


 それはセタグリスも良く知る人物のシルエット。だが何やら雰囲気がおかしい。


 その小さな影は、右手に薪割り用の斧を持ち、ゆっくりと歩いている。だがイグリットは、それには気付いていない。



「お、おい……何をするつもりだ!?」


 当然、モニター越しではセタグリスの声は届かない。


 影はそのまま斧を振りかぶった。



 信じたくない光景がたった今、目の前で起こされようとしている――



「やめるんだっ――!!」


 残念ながら、その願いは届かなかった。

 盲目であるはずの少女は狙い違わず、イグリットの首を一刀両断した。




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