第二十四話 初々しいままの二人

あらすじ:那由と道長は、大人の階段を一歩上がりました。


――


「ふぅ……気持ちの良い朝だな。こんな日は那由と一緒にジョギングにでも行こうか――キィイエエエエエエエエエエエエエェェェッッッ!!!!!!!!」


 日曜日の朝、出牛家は父、礼二の悲鳴ともとれる叫び声から始まった。バタバタと階段を駆け上がる音、夫婦の寝室では夫の叫び声を聞いた愛妻である仁美が布団から丁度起き上がり、飛び込んで来た夫を見て失笑している。


「何なんですか礼二さん……まだ六時ですよ?」


「ひ、ひひひ、ひ、仁美! 大変なんだ! 一階でその、那由が、那由がぁあああああ!」


 何を言いたいのかは分からないが、分かる。しかし事に臨む前にタオルまできっちりと用意していた那由が、情事の痕跡を残すのだろうか? 僅かな疑問は浮かぶものの、仁美ママは動ぜず大きな胸突き出しながら、のんびりと欠伸をした。


「那由だっていつまでも子供じゃないんですから……まだ朝も早いですし、私達もします?」


「……え、する? い、いいのか? うん、する」


「ふふ、はい、じゃあ脱いでくださいね」


 年齢的に高年齢出産の類に入りかねないが、もしかしたら那由には妹か弟が出来るかもしれない。そして礼二が悲鳴を上げて見てしまったもの、それは、一つの布団で幸せそうに眠る、道長と那由の姿だったのであった。


 日曜日、午前七時半。


 礼二の叫び声で起床して慌てて片したのか、仁美ママが事を済ませてから一階に行くと、ぎこちない二人の姿がそこにあった。ソファーに座りかちんこちんになりながら朝のニュースを見る道長に、朝食の準備に取り掛かりつつも、笑顔がどこかぎこちない那由。ごうんごうんと音を立てて回る洗濯機では、布団のシーツも一緒に回しているのだろう、敷布団も何故か外に天日干しされていて。


 キッチンに立つ娘に近付くと、仁美ママは那由だけに聞こえる様に耳打ちした。


「別に、後片付けならやったのに」


「な、なななななな、何を言ってるのママ! 何も片付けなんか必要ないよ⁉ 朝からパパも叫んでて驚いちゃたよね、あは、あははははは!」


「……ねぇ、あれでしょ? まだ何か入ってる感じがするんでしょ?」


「ふぉ!? え、えっと……う、うん、する」


「ケアしないとダメよ? お風呂にでも入ったら? 二人で」


 倒置法まで使ってきた仁美ママの言葉に、完全に固まっていた道長がビクリと反応する。指摘された通り、二人は昨晩激しすぎたのか、事を終えてからお風呂に入っていない。そもそも入れないのだ、音で両親が起きるのを恐れたから。


 流石に肌の触れあいは済んでいるとはいえ、いきなり一緒にお風呂はハードルが高い。夜と昼間のテンションというものはやはり違うものだ。那由が先にお風呂に入り、道長は浴室と脱衣所の境のすりガラスに寄り掛かり、那由と会話をする。


「本当ならシャワーだけでも浴びれば良かったんだろうけどね……失敗しちゃった」


「ははは、でも、俺が持ってたゴムってお母さんから貰ったんだぜ?」


「え⁉ あ、だから持ってたんだ。実はね、ちょっと気になってたの、なんで持ってたんだろうって。まさか既に使用済みだったんじゃないのかなって、そんな気がしてたんだよ?」


「それを言われたら俺もなんだけど、何で那由が持ってたのさ」


「だって、出来たら困るでしょ……。それにね、女の子は防衛の為にも結構持ってる子っているんだよ? 梓達のポーチの中とかも漁れば、多分出て来ると思うし」


 妊娠して一番辛いのは女の子なのだ、それを避ける為の手段として持ち歩いてる子は多い。例え意中の相手であったとしても、学生の間は止めておいた方が無難だ。赤ちゃんは可愛いが、莫大な金が掛かる。それこそ、人生を賭けてでも支払わないといけない程の金が。


「へぇ、マジか、女の子の方が進んでるんだな」


「自分からするって言うよりも、やられちゃうって方が多いからね」


「……那由は?」


「私? 私は……昨日やられちゃったかな」


「え? 自分からなんじゃ」


「そこは道長からって事にしてよぉ。何か私が悪いみたいじゃんか」


「ははは、そもそも誰にも言わねぇよ」


 身体を洗い終わった那由は、湯船へと移動し肩までゆっくりと浸かる。

 ふひぃ~と心の底からの湯音を味わうと「いいよ」と道長を浴室へと誘った。


「いいよって、裸見られるの嫌だって」


「だから、入浴剤入れたの。見えないからいいよって」


「……俺は丸見えなんだが?」


「あはは、別にいいじゃん。洗ってあげようか?」


 にやついている那由が道長を誘うも、彼はすりガラスから動こうとはしなかった。


「親父さんにバレたら殺されそうだから、やめとく。そもそも俺はお風呂平気だし。それに追い出し会の時間もそろそろなんじゃないのか? 会場って天宮駅の近くのお店なんだろ?」


「お父さんの車で駅まで送って貰うから、まだまだ平気だよ。道長お風呂平気なの? せっかく入浴剤使ったんだから、入ればいいのに」


「……那由が出たら入るよ」


 道長の言葉を聞いて、ザバァと湯船から那由が出て来る音が。お風呂に入って火照った身体、しかしその身体には胸の周りやお腹周辺に、いつかの雪華の時の様なキスマークが多数つけられていて。その一つ一つを、那由は嬉しそうに眺める。


 道長の女になった証とも取れるそれは、那由からしたらどれもが宝物なのだろう。

 にへらっとした表情のまま、浴室から脱衣所へとどこも隠さずに移動し。


「道長ぁ、こんなとこにまでキスしてくれてたんだね♡」


 自慢げに宝物を道長に見せつけるのだった。


「おま、明るいところで見るなよな……」


「えへへ、消えちゃうのが勿体ないな。写真にでも収めておこうかな、これ」


「止めてくれ、そんなのいつでも付けるから」


「え? じゃあ今ここに、はい♡」


 ぽよんと揺れる胸を押し付けながら、那由は道長へと迫った。既に幾つかついているのに、まだ足らないというのか。じゃれあう那由をかわして、道長は浴室へと向かい、ガラス戸を閉めて開かない様に鍵をかけた。


「え、鍵かけたの!? そんな、そこまで照れることなくない!?」


「あるよ、まだ慣れてないんだ」


 道長の言葉に、那由は頬をぽんっと赤く染めた。慣れてない、互いに初めてだったのだという証拠の言葉が自然と出て来る以上、道長の初めては間違いなく那由が貰ったということ。女の子と違い、男の初めては確認のしようがない。


 けれども、道長の初めては間違い様がない程に、那由が貰ったのだ。

 歯がゆい程に嬉しい、赤くなった頬を押さえながら那由は叫ぶ。


「きゃ~可愛いい! 慣れてないんだぁ~えへへ、一緒に慣れていこうね♡ あ、でもあまり慣れられて飽きられるのも嫌かも。うむむ……難しいね」


「アホなこと言ってないで、とっとと髪の毛乾かしなって」


 背後からぽんっと那由の肩を叩く道長の姿が。


「え!? もうお風呂から出たの!? 一分くらいじゃない!?」


「男なんてそんなもんだろ」


「えぇ……そんなもんなんだ、しかも早、髪乾かして着替えるのも直ぐじゃん」


 女の子の方が風呂上りに掛かる時間は圧倒的に長い。最近のドライヤーは熱を感じさせずに乾燥してくれる低温風が主流だが、それを使っても結構な時間が掛かる。その後のケアも必要な上に、お出かけとあってはお化粧も必要だ。


 男は違う、男は風呂を出て身体を拭き、着替える。完了である。

 中には軽く化粧をする男子もいるが、道長はそこまでお洒落さんではない。


 那由の準備が完了したのが、それから三十分後の事。

 お出かけ用のバッグを手にして、私服に着替えた那由が姿を現す。

  

 黒系のワンピースにニットを重ね着して、その上にウールリバーのロングコートを羽織る。

 温かさと可愛さ、両方を求めた可愛らしいファッションだ。


「おおおおぉ、さすが那由! お父さんの買ったコートを見事に着こなしているねぇ! 今年の流行はロングコートだってテレビで言ってたからね、絶対に那由なら似合うと思ってたんだよお父さんはぁ!」


 玄関先で現れた娘に対して愛を叫ぶ礼二であったが。


「ねぇ、道長、これ、似合う?」


「うん、超かわいい」


「ふへへ、ありがと。……ん? お父さん何か言った?」


 いつかは出ていくのが娘という存在である。どんなに溺愛していても、自分に仁美がいる様に、誰かに取られてしまうのが宿命。可愛い娘を怒る訳にもいかず、ギロリを道長を睨みつける礼二。大人げないのである。


 日曜日、十時、天宮駅。


 朝方は寒くても、昼間は結構な温度まで上昇する。

 真冬の恰好を躊躇する原因でもある、冬場の謎の高温。

 

 乾燥した空気が周囲を包み込む中、到着した礼二の運転する車から道長と那由が下りてきた。

 那由の服装は先ほど述べた通りだが、道長の恰好も小洒落た感じである。


 茶色のセーターにはワンポイントが添えられていて、中に着るは開襟のワイシャツ。

 下はジーンズに靴も暖色系のスニーカーだ。仁美ママが全て買い揃えておいた服なのだとか。


 無論、揃えたのは二人が喧嘩する前であり、「無駄にならなくて良かった♡」と笑顔で手渡して来たものだ。当初は断るつもりでいた道長だったが、他の服装となると制服しかない。しかも全力疾走した汗で臭う制服だ。


 那由はそれを気にしないと言っていたが、仁美ママがそれは愛が成せる業だからとぴしゃり。

 出してくれれば洗ったのにとも言われたが、時すでに遅し、選択肢は無かったのである。


 天宮駅周辺に張り出されていた文化祭の看板は撤去され、制服姿の生徒もほとんどいない。

 真新しい服装に身を包んだ二人は、礼二へと別れの挨拶を告げる。


「ありがとうございました、また遊びに行きます」


「別に……来なくたって」


「お父さん」


「……チッ、道長君、次会う時は私と遊ぼうか。ロシアンルーレットとか好きかい?」


「お父さん!」


「わ、わかったよぉ……ぐすん、じゃあパパは帰るからね。終わったら駅まで迎えに行くから……おい、道長君、娘に何かあったらただじゃ済まないからな」


「大丈夫です、ご安心下さい」


 最後まで娘を惜しみながら、礼二は去っていった。ロシアンルーレットでどのように遊ぶのかは不明だが、道長の事を歓迎するつもりは今の所ないらしい。


 昨日一線を越えた二人ではあるのだが、やはりどこかまだぎこちないまま。手を繋いで歩くのは仲直りした二人なら当たり前の事なのだが、それまでの大喧嘩が二人の突然に縮まった距離に緊張を与えてしまう。


「な、なんか、照れるね」


「そう、だな」


「ね、道長、握るの手じゃなくてもいい?」


「ん? 別にどこでもいいけど」


 じゃあ、と言いながら那由が握ったのは、道長の小指。

 小指だけをぎゅっと握り締めて、那由は満足そうに「これなら平気」と微笑んだ。


 微笑ましいカップルである。

 手を繋ぐのは恥ずかしくても、小指だけなら平気という女子は多い。

 

 タイゼリーヤという名のファミリーレストランまで足を運ぶと、既に外に数名演劇部の部員が待ち構えていて。那由と道長を見つけると、おーい! と声を掛けて店内へと招き入れる。


 総勢四十名、演劇部のメンツが勢ぞろいしている中で、部長である船田が二人を出迎えた。

 そして叫んだのだ、二人を見て盛大に。


「おお! 来たねぇ! 次期部長と――――次期副部長殿!」


――

次話「嵐の前の静けさ」

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