第二十一話 君が欲しい

あらすじ:文化祭当日、学校を休んでいた道長の下に、那由の幼馴染である星屑勝太が訪れる。そして道長と那由、二人の意見を聞いた勝太は、道長が想像もしなかった案を彼へと伝えた。道長、君が舞台に立てば良いと。急ぎ天宮高校へと向かった道長だったが、校門で待ち構えるはもはや宿命のライバルとも言える船田の姿だったのだが――


――


 土曜日、午後十三時三十分、天宮高校正門。


 正門に飾られたアーチ下に佇む船田は、劇の衣装のままだった。肩から下げた黒のマントに、社交ダンスで着るような輝石が散りばめられたタキシードは、それだけで船田の存在を一段階上へと押し上げている。


 少し波打つヘアースタイルは、舞台でかいた汗を吸い込みへたっているのだが、それですらも格好良く見えてしまう。隙間から覗く船田の細い糸の様な目が僅かに見開くと、それだけで周囲の女子達が黄色い声を上げてしまう程だ。


 そんな船田の前に、負けないぐらい大汗をかいている道長の姿があった。一体どれだけの距離を走ってきたのか、拭っても拭っても拭いきれない汗は、常時道長の頬を伝い、顎から地面へと滴り落ちている。


 着用している制服も乱れ、ズボンから制服の裾がはみ出てしまっている始末。

 ブレザーも着用せずに、冬間近だというのに袖まくりのワイシャツ一枚の状態だ。


 けれど、女子達はそんな道長の事を目をハートにして釘付けになる。

 鍛えられた筋肉に細くしなやかな体、水も滴るいい男とは、今の道長の事を言うのであろう。


「ヒーローは遅れて現れる……かな? 随分と疲れてるみたいだけど、大丈夫かい?」


 周囲の喧騒を他所に、船田は道長に声を掛けた。

 その仕草はまるでモーゼの十戒、海を割る様に人の波が二人の為に裂けていく。


 肩で息をしながらも、大きく息を吸って道長は呼吸を整えた。

 そして船田の問いに、視線をそらさずに返答する。


「思った以上に道が渋滞しててね、さすが我が校の文化祭なだけはある」


「そりゃ三年ぶりだからね、それで? 今からどちらへ?」


 道長はもう一度大きく深呼吸をすると、完全に動悸は収まったのか、鼻で呼吸をしながら船田へと歩みよる。二人に合わせて人の垣根が動く、まるで有名人がその場に現れ、ファンたちが移動しているかの様だ。


「体育館にな、ちょっと野暮用があるんだわ」


「野暮用ね……そんな恰好で行くのかい?」


 逆手にして指摘された道長の服装は先に述べた通り、舞台に上がる様な服装ではない。


「別に、衣装も何も無いからな。それよりも船田、お前はなんでここにいるんだよ。今は劇の真っ最中じゃないのか?」


「そうだね、真っ最中だよ。あと数分もしたらクライマックスシーンだ。けど、君が来る予感がしたからね。こうして出迎えたのさ」


 行かせないとでも言うのか、船田は道長の目の前に立つと、着ていた衣装を脱ぎ始める。肩からのマントを外し、タキシードの上を脱ぐと、その中からは思った以上に鍛えられた身体が現れ、周囲にいた女子達の黄色い声援が更に加熱する事に。


「……なんだよ、最後は拳で語ろうってのか?」


「拳? 僕が喧嘩なんかする訳ないじゃないか。僕がここにいる理由はね、海道君、たった一つなんだ。たった一つの、些細なことさ」


 タキシードの上と、肩から付けていたマントを差し出すと、船田は微笑む。


「これを着て舞台に立つのは君だ。ヒロインである那由さんの代わりはいない、彼女には華がある。けれどね海道君、僕の代わり・・・・・はいるんだ・・・・・。君という本当の物語の主人公がね」 


 船田の目に嘘は無かった。彼はこの大喧嘩の舞台から、自分が天宮高校で演じる事が出来る最後の舞台からも降りると道長に宣言したのだ。予想もしていなかった言葉、だが、道長は船田が差し出した衣装を、素直には受け取る事が出来ずにいた。


「なんだよそれ。アンタがこれを着て那由の告白の返事を貰うんじゃなかったのか」


「返事はもう貰ったよ、劇が始まる前にね。まぁ、もしOKされても断るつもりでいたけど」


 表情に変化はない、眉の一つも動かさないままに、船田は那由を諦めると宣言をした。

 しかもOKされても断るとはどういう意味なのか、周囲も静まり返り、次の言葉を待つ。


「負けず嫌いで言っている訳じゃ無さそうだな……一体どういう意味なんだよ」


「別に? 僕には最初から他に好きな子がいるってだけさ。色々な子にアプローチもされたけど、やっぱり好きって気持ちは変えられないもんだね。那由さんと君みたいにさ」


 時間がない、何かの企みがある様には感じられない。道長は船田からの衣装を受け取ると、ワイシャツを脱ぎ捨て即座に袖を通したのだが、細身の船田に合わせた衣装は道長には少々窮屈の様だ。袖から手首が丸見え、ボタンも上下の端は付ける事が出来ない。


「サイズが合ってないのは勘弁して欲しい、流石に僕でもそこまで気が回らないからさ」


「……ありがとうな、台本とかって無いのか? せめてセリフくらいは」


 その言葉に、船田は「ちっちっち」と腕を組んで人差し指を振り子の様に振った。


道長・・君、演劇で一番映えるものって、何だか知っているかい?」


「なんだよ、謎かけか? 今はそんな事してる時間なんかねぇだろうに」


「はは、それもそうだね。いいかい道長君、どんなドラマも、どんな劇も、台本通りに書かれた事をそのまま演じているのでは、その役者は二流止まりだ。それでは定められた作品の枠組みから出る事は出来ない、優れた役者に求められるもの……それは、アドリブ力だよ」


 アドリブ……音楽用語であり、ラテン語から来ている言葉である。思うままに、自由に、という意味の言葉だが、もっぱら演劇の世界では台本にないセリフ、身振りを即興で演じることを指す言葉だ。


 ただ世界観を崩すのではなく、その時そのキャラクターならばこの様に考えるはずだと、周囲を納得させるだけの台本に無い言葉を演じ、それに周囲は引き寄せられ、観客は魅了される。無論、実力の無い者が行えば、それは不協和音を招く結果となり、逆効果にもなり得る言葉だ。


「君は那由さんの事が好きなんだろ? だったらそれを言葉にすればいい。それだけで今回の演劇は間違いなくフィナーレを迎える事だろうさ」


「……そうか、ありがとな。なんか、船田先輩って良い奴なんだな」


 道長は船田にそう言い残すと、体育館へと向けて走りだす。

 時間はもう後数分しか残されていない、大股での全力疾走だ。

 そんな道長を見つめながら、船田は道長のワイシャツを手にして、門柱に寄り掛かる。


「良い奴か、言われ慣れてるんだよね、その言葉」


 手にしたワイシャツをぎゅっと抱き締めて、船田は俯き目を伏せた。


「最後まで言えなかったな、道長君。君の演技に見惚れてたのは、那由さんだけじゃないんだよ。あの日、僕は君の演技に魂を抜き取られてしまったんだ。一年前の今日、あの日から、僕はずっと片想いなんだ。……決して報われない想いだと分かっている、けど……」


 船田の目には薄っすらと涙が溜まっていき、そして頬を伝う。

 船田宇留志には片思いの相手がいた、その名を、海道道長という。


「君が欲しい……欲しいんだ、道長」


 あの日の演技を見て、船田は思い知ったのだ。船田にはない華が道長にあるという事実。

 何もしていないのに周囲を笑顔にさせる天賦の才は、船田には決して真似できないもの。


 絶対に勝てない相手、それは憧れとなり、愛情へと変わっていく。けれども船田はその想いをひた隠しにしてきた、例え敵として向かい合う関係になったとしても。


 男同士なのだ、その想いが叶う事は、絶対に――


「あら、久しぶりね、船田さん」


「……君は、あの時の」


 数人の女子を侍らせ歩く絶世の美女、いや、女王様。

 全てが規格外の女、雪之丞雪華が、船田の前に姿を現した。


「雪之丞雪華よ、あの時は名前も名乗らずにごめんなさいね。ふふっ、聞こえちゃった。まさか貴方までこっち側の人間だとは思わなかったの、それならそうと早く言ってくれれば良かったのに」


 決して男とは触れ合わないはずの彼女が、船田に話しかける。

 傍からすればそれは、予定調和によって見出されたカップリングにも見えなくはない。


 だが、我々は知っている。

 彼が、彼女がその枠の外にいる人間だと言う事を。

 別におかしな話ではない、今や当たり前として受け入れるべき事なのだ。

 

「私はね船田さん、私の人生なんだから、私のやりたいように生きるって決めているの。同じことを強要したりはしないわ、でもね、その方が人生気が楽よ?」


「気が楽……そうか、そうかもしれないね」


「ええ、それに、必ず同調者が現れてくれるの。その為には動かないといけないけどね。道長と貴方がそういう関係になるのは……ごめんね、正直難しいと思うけど」


「ははは……まぁ、さすがに無理でしょうね。初恋は実らないから初恋って言うんです。距離感も間違っていた気がしますし、接し方も何もかも間違っていたのだと思います。……印象には残ったかもしれませんが、それだけです。結局、想いを打ち明ける事も出来ませんでしたしね」


 糸目な船田の目は、常に笑っている様にも見える。けれども今の彼は失恋直後の乙女の様に、気付けば目端に涙が溜まってしまい、頬を伝ってしまう。零れ落ちる涙を雪華はハンカチを取り出しふき取ると、船田の手を取り同じく目を細めて微笑んだ。


「ねぇ、船田さん、ちょっと語り合いません? 貴方とはいいお友達になれそうな気がするの。学校の中に喫茶店とかは無いのかしら? 出来たら、私も会話が出来る男性の数を増やしたいと思っていた所なのよ」


「……会話が出来る男性の数。ええ、いいですよ、道長君との関係とかも訊きたい所ですし」


「道長と私は幼馴染なだけよ? 子供の頃の彼の話とか、聞きたい?」


 掴まれていた手を逆に握り返して「ぜひ」と船田は言った。


 周囲には二人が何に対して同調しているのかは不明だったが、美男美女が仲良くしている光景というものは、それだけで何だか妬んでしまうものであり、憧れの光景でもあり。


 その日、船田が舞台の上に戻る事は無かった。

 新たな友を見つけ出した二人は、道長をネタにして延々と語り合っていたのだとか。


 そして、場面は体育館へと移る。


『仕組まれた罠にはまってしまったカルテックスを助ける為に、セジャンヌは戦地へと走りました。しかし、セジャンヌが辿り着いた頃には既に戦いは終わり、周囲には沢山の兵士達の死体があったのです。セジャンヌは死骸の中を進み、愛するカルテックスを探します』


 女生徒のナレーションの後、明るくなった舞台の上には沢山の鎧兵士の死骸、折れた御旗などが飾られ、その中を沈痛な面持ちのまま、何かを探しながら歩くセジャンヌの姿が。


 倒れている兵士の顔を見ては「違う」「……これも、違う」と僅かな安堵と共に言葉を残すセジャンヌ。しかし、彼女は何かを見つけて舞台中央へと駆け寄ると、一本の剣をその手に取り、胸の中へと抱き締めた。


「……あぁ、ああああぁ、あああああぁ……カルテックス様……この剣は、この鷹の紋章は……カルテックス様がご出陣なされる前に…………カルテックス様……っ!」


 愛する人の剣を見つけたセジャンヌは、その場に座り込んで泣き始める。

 そして照明が落ち、スポットライトへと変わり嗚咽するセジャンヌを映し出すのだ。


「会いたかった……最後に交わした約束を果たしたかった……、もっと貴方と愛を育みたかった……カルテックス様、カルテックス様あああぁ!」


 セジャンヌの願いは、天に届いたのか。

 スポットライトは、彼女の想い人を目の前に映し出す。


 亡霊となった、カルテックスを。

 だが――。


 スポットライトが照らし出すは、大汗をかいた最愛の人。

 窮屈な衣装に身を纏った、海道道長の姿だったのだ。


――

次話「ハッピーエンド以外認めない!」

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