第二十話 それが、君の本音か

あらすじ:那由の下を訪れたのは、幼馴染である勝太だった。心許せる存在の勝太相手に、那由は心の中にあったもの全てを吐き出す。そして告げたのだ、奇しくも道長が両親に相談していた転校、これをもし道長が選択するのなら、自分がいなくなると。胸中穏やかにならぬまま、天宮高校、文化祭が始まろうとしている――


――


 土曜日、午前十一時、海道家。


 文化祭が開始して既に二時間と四十五分が経過している。部屋で横たわる道長のスマートフォンには、数回の着信があったものの、それらは文化祭に参加したい他校の男友達からだったり、弓道部員からだったり。


 親を通して休むと伝えたのだが、それでも心配して連絡をくれるのがクラスメイトであり、友達ではないのか。僅かな期待が道長にあったのかは分からない、けれども、その期待は見事に打ち砕かれた事になる。


 クラスメイトの誰からも連絡がこない、それはつまり、そういう事なのだろう。これらも那由がいれば違ったかもしれない、率先して那由が連絡して、何なら家にまで迎えに来る可能性だってある。


 けれども、道長は那由との破局を選択した。那由の未来を壊す訳にはいかないと、他の男と例え演劇であったとしてもラブシーンを見せられるのが辛いと。


 それを知るのは雪華のみ、そして雪華は既に最大限の助言を残している。

 自分勝手に生きろと、だがそれが道長には出来ないでいた。

 

 結局は臆病者なのだ、海道道長という男は。

 いざという時に動けず、必要な場面では天邪鬼になってしまう。

 怖くて、弱くて、自分が原因で那由の人生を変える事が怖いというのだ。


 分かっていたのではないのか? 女優を目指す那由を愛すると言う事は、例え告白が那由からであったとしても、そういう意味であると言う事を。軟弱なモノの考え方が、十か月という時間を以てして那由の愛情を深めてしまい、道長という男を弱体化させてしまっていた。


 それを、情けないと思う人は多い。

 それを、許せないと思う人は多い。


 星屑勝太、那由の幼馴染も、その意見の一人なのか。

 海道家の呼び鈴が鳴らされると、母親が玄関へと出向く。


「はいはい、はいどなた様……え? 本当にどなた様?」


「すいません、私、星屑勝太と申します。海道道長君は御在宅でしょうか?」


 那由の幼馴染の男が、道長の家に何をしに来たのか。

 礼儀正しい勝太を見て、道長の母親はそのまま彼を部屋へと通す。


 そして勝太が部屋に入るなり、道長はこう言った。


 「……誰?」と。


 それはそうであろう、今まで那由から勝太の存在は語られてこなかった。

 いきなり目の前に現れた背の高い男性は、社会人宜しく、綺麗に刈られた七三をしていて。

 道長の前に近付くと、名刺を差し出しながら丁寧に挨拶したのだ。


「こんにちは、僕は星屑勝太、那由の幼馴染だよ」


「……那由の、幼馴染? それが、なんでまた」


「申し訳ないが、昨日那由と話をしてね、単なる傍観者でいられないなと思ったんだ」


「別に、いいっすよ、傍観者のままで」


「……このままだと、那由が学校を辞めるかもしれないと言ってもかい?」


 面倒な人間が部屋に来たと、当初は不満げにしていた道長だが。

 思いもよらぬ勝太の言葉に、道長はベッドから飛び起きて驚きを露わにした。


「那由が学校を辞める!?」


「君が学校に来ないからさ、那由は優しい子なんだよ。君の未来を心配して、自分がいるから学校に来ないというのであれば、その身を引くと言っているんだ」


「そんなの、そんな事されても俺が学校に戻る保証なんて」


「ああ、ないね、全ては那由の勝手な妄想だ。けどね、あの子は実践するだろう。なぜなら君の事が好きだから。僕にも打ち明けたよ、本当なら結婚したいくらい愛していたと。……立ち話もなんだから、少し座らせてもらうよ」


 勝太が扉を閉めて床に座り込むと、道長はそれを待たずして自身の意見を述べる。 


「そんな、俺だって那由の未来を考えて、だから」


「だから? 残念ながら那由の考えた未来には君がいるんだよ。僕には君が何を考えているのかなんて分からない。分からないけど、それが間違っていると言う事だけは分かる。ちなみに那由が学校を辞めた場合、そのまま芸能活動を頑張るとは言っていたけどね」


 那由が芸能活動を頑張る、その言葉を聞いて、道長は肩を下げて少し浮かせていた腰をベッドへと戻した。そんな道長を見て、勝太は少しだけ眉を顰める。


「芸能活動を頑張るんなら……それでもいいんじゃないんですかね」


「……どうやら君は、那由に芸の道で生きて欲しくないと思っているみたいだね」


 すぅ……っと大きく息をすって、ゆっくりと吐き出す。

 道長は俯いたまま、見上げる様に勝太を見た。


「そうですね、俺は那由に他の男との恋愛なんて、例え劇だとしても見たくないって思ってます。キスシーンなんて想像しただけで胸の中が煮えたぎるんですよ。俺が愛した女なのに、なんで他の男に抱かれてるんだと。許せるもんじゃないんです、俺は誰にも那由を取られたくない、それが例え演技であったとしても」


「……それが、君の本音か」


「器の小さい、情けない男だと思ってもらって結構ですよ。気付くのが遅すぎたんです、それまで演劇部としての活動なんて、流行病のせいでほとんど無いに等しかったんですから……」


 落胆した道長は、自嘲気味に自身を乏しめる。

 しかしそんな道長を、両手を広げ僅かに口角を上げながら、勝太は肯定した。

 

「いや、そうは思わないさ。誰だって嫌だ、自分が愛した女なら尚更だ。でもね、道長君。それで諦めるのは間違っているんじゃないのかな?」


「諦めるのは……間違っている?」


「僕は那由から色々と聞いたからね、馴れ初めから全部。思い出してみなよ、那由は君の一体どこに惚れた? 顔? 優しさ? 頭脳? 違うよね、道長君。那由が惚れたのは、君の演技だ」


「……そんな、あれは」


「ああそうだ、単なる大木の役だ。普段から余り動かない君に一番適している役なのかもしれないね。こと弓道に於いては静止する美という言葉があるらしいが、まさにそれを体現していたのだろう。つまり言い換えると道長君、君には演技の才能があるかもしれないと言う事だ」


 かつて那由は道長の演技に惚れたと言っていた。大木の役でしかないのに周囲を笑顔にさせ、主役たちを際立たせるアクセントとしての役割を明確に果たしていたと。


「つまり、答えは一つだよ。道長君――――君が、舞台に立てばいい」


「俺が、舞台に? そんなの」


「無理か? そこに那由がいるのにか? 世界で一番好きなんだろう? 愛しているんだろう? ならば行けばいいさ、後は人生なんとかなるもんだ。さて、長々と喋ってしまったが、既に時刻は十二時になろうとしている。演劇部の劇は十三時からだったね……どうする?」


「どうするったって、ここからじゃ一時間以上はかかっちまう」


「君は馬鹿だね、僕がどうやってここに来たのか、理解していないのか?」


 勝太の人指し指には、輝く鍵がクルクルと回っているではないか。

 新車で購入し、毎日通勤で使用している勝太の愛車。

 以前ここに那由によって案内され、道長の家を記憶していた愛車の鍵だ。


「……いいのか」


「頼まれれば、幼馴染の願いでもあるだろうからね」


 その時、道長が悩んだ時間はほんの数秒にも満たない、そして彼の目には決意が宿っていた。

 愛する人とやり直せる道、誰にも取らせない、誰にも取られない道が、今、道長の目に。


「じゃあ……頼む! 今すぐ俺を天宮高校まで送って欲しい!」


「はいよ、任されました。全速前進、ヨーソロー、ってね」


 勝太の車に乗り込んだ道長は、助手席に座りスマートフォンにて両親へとメッセージを残す。今から学校に行くと、そして転校の話は無かった事にして欲しいと。


 二つのメッセージを送り終えた道長は、法定速度ギリギリの速度で天宮高校へと向かう。

 那由へのメッセージを送るも、既読にはならないままに。


 天宮高校、体育館、十三時。


 既に照明は落とされ、演劇開始前の静寂が観客を包み込んでいた。全生徒が見に来ている訳ではないが、それでも体育館に用意された席は満席に近い。おおよそ三百人は超えるだろうか、高校生が行う劇としては破格の人数だ。


 舞台裏では、既に演者たちが着替えを済ませ、各々セリフや立ち回りの確認をしている。ステージ上には大道具班の努力の成果が並べられ、ともすればそこだけは中世の世界に見えなくもない。

 

「……セジャンヌ、大丈夫かい?」


「カルテックス様、ふふっ、大丈夫です。いつでもいけます」


 ドレスアップした那由は、とても綺麗だった。髪も普段はしない様な編み上げられた髪型をしていて、メイクも少々濃い目の、まるで花嫁メイクの様な出来栄えだ。着用しているドレスも煌びやかな意匠が施され、那由の胸の谷間もやや強調される造りとなっている。


 全ては観客を魅せるため、その為に全力で挑まないといけない。

 体育館にブザー音が鳴り響くと、スピーカーから女子生徒のアナウンスが流れる。


『大変お待たせしました。只今から、演劇部による創作劇場。カルテックスとセジャンヌの恋、を開始致します。スマートフォンによる撮影や、フラッシュ等はおやめください。上演中は会話をせずに、静かにいるよう宜しくお願いします』


 注意事項がいくつか流れたのち、ついに劇が始まった。

 上演時間四十五分、創作劇である、演劇部の文化祭のメインとも呼べる劇が。


 スポットライトに照らし出された那由を見て、観客たちは息を飲んだ。

 あまりの美しさに、あまりの可憐さに、そして体育館全体に透き通るような声に。

 

 仕草、声の通り、表情、全てがプロレベルの那由の演技は、観客を魅了した。

 そして主役の船田も負けじと演じる、那由を輝かせる為に、恋人役として。


 手を取り合って舞台中央で抱き締めあうシーンもあった。

 その度に茶化す声も当初は上がっていたのだが、十分も経過するとそれらも無くなる。


 完成度が、高すぎる。

 本来ならお金を払う必要があるのではないかと思ってしまう程のクオリティ。

 

 劇は中盤へと差し掛かり、カルテックスが戦地へと赴いた後のシーンへと移っていた。ここから先、カルテックスの出番はラストまで存在しない。那由が演じるセジャンヌの葛藤、それに周囲の謀略に振り回されるヒロインが場を盛り上げるシーンだ。


 舞台袖に移動した船田は、その足を止めることなく舞台裏から外へと向かう。


「あれ? 船田部長、どこに行くんですか?」


「ちょっと頑張り過ぎたからね、気分転換にでもさ」


「そうですか、ラストシーンには必ず戻って下さいね」


「……ああ、言われなくとも」


 舞台で浴びるスポットライトは、想像以上に熱を持つ。それを常に浴びながら演じる演者たちは、観客が想像している以上に身体に熱を帯びてしまうものなのだ。


 船田は汗をぬぐい、その足で体育館から離れ、とある場所へと向かう。

 その場所はどこでもない天宮高校の正門、アーチ下。


 門柱に背中を預けながら、船田は腕を組んで目を閉じる。

 そして、彼の耳には途方もない速度で学校にやってくる足音を拾うのだ。


 分かっていたのだろうか、彼がここに来る事を。

 糸目の様な細い目を僅かに開けて、船田は自分の目の前に立つ男を視界に収める。

 一体どこから走ってきたのか、息を荒げる男を前にして、船田は言った。


「やっぱり来たね、海道君」


 怪しく微笑む船田の前には、汗だくになった道長の姿があった。


――

次話「君が欲しい」

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