第十九話 ……馬鹿だよね、私。

あらすじ:道長が那由を否定する理由。それは那由の将来を見据えての事だった。他の男とのキスシーンに耐えられそうにない道長は、そんな苦悩を雪華にのみ打ち明ける。雪華はその答えに「もっと自分勝手に生きろ」と説得するが、果たして――


――


 金曜日、午後五時、道長の家に雪華が訪れていた頃、那由は自宅のベッドで横になっていた。

 昨日倒れた後、そのまま救急車で運ばれ、そのまま検査入院に。


 疲労からくる衰弱と判断され、点滴を打ち、翌日には退院できる体調にまで回復した。

 けれど、船田にも言われた通り、那由は学校を休む事に。


 道長との別れを両親にも打ち明け、那由が学校を休むと言った時には「ゆっくり休みなさい」と母親は笑顔で娘を優しく撫でた。道長との別れを聞いて、父親だけは「よっしゃ!」とガッツポーズを決めていたが、空気を呼んだ母親が即座に黙らせる。


 そして母親が病室にいた船田という新たな彼氏候補の出現を伝えると、ガッツポーズから一転、もう死にたいとソファーで横たわってしまった。そんな父を見て、那由も僅かに微笑んだのだが。


 それまでの疲労が嘘みたいに回復した那由は、台本を取り出しセリフに目を通していた。

 那由たち演劇部が演じるのは、脚本から全てオリジナルの創作劇だ。


 セジャンヌとカルテックスの悲恋物語。


 二人は愛し合っているのだが、セジャンヌの両親は二人の恋を許さなかった。カルテックスは伯爵、それよりも上の爵位を持つ公爵との縁談を持ち掛けられ、その人と添い遂げなさいと。


 セジャンヌはそれを拒みカルテックスの下へと逃げるのだが、カルテックスは何故かセジャンヌを受け入れなかった。隣国との戦争が始まり、縁談相手である公爵から伝えられたのは、カルテックスが参戦した部隊が捨て駒だという事実。セジャンヌがそれを聞いた時には、カルテックスは既に戦場へと向かってしまっていた。


「……はぁ、悲恋とか、正直今はキツイなぁ……」


 目を隠すように腕を乗せて、那由は台本を枕元へと置いた。

 流石に昨日一日経過し、更には二日目の夕方なのだ、涙はもう出ない。


 学校に行き、道長を視界に入れてしまったら分からないが、とりあえず今は平気なようだ。

 元々頑張り屋な女の子だ、腕を外し再度台本を開くと、声に出しながら読み始める。


 そんな時、那由の家の呼び鈴を鳴らす音が聞こえてきた。パタパタと母親が玄関へと向かう音が聞こえて来て、そして何かしら会話したあと、その足音は那由の部屋へと向かっている。


 コンコンとノックがした後「那由、起きてる?」と男の人の声が。

 

「勝兄? うん、起きてるよ」


 那由の幼馴染の星屑勝太、彼が手にメロンを始めとしたフルーツを手にして部屋にやってきたのだ。それを目にした那由は「え⁉ これもしかしてお見舞い!?」とベッドから飛び起きる。


 メロンにブドウ、苺に桃と美味しい果物が籠一杯に入ったフルーツセット。

 那由でなくとも瞳を輝かせて見入ってしまうことだろう。


「なんだ心配して奮発したのに、全然元気そうじゃないか」


「え~? でも今朝まで入院してたんだから、病人と言えば病人だよ? だから、イチゴ食べてもいい? ほら、栄養補給しないといけない身体だからさぁ」


「いいよ、好きなだけ食べな」


「いやったぁ! ありがと勝兄! 大好き!」


 幼馴染の大好きに、勝太は目を細めて喜んだ。


 道長と雪華に恋愛感情が湧かないのと同じく、那由と勝太の間にも恋愛感情がほぼ存在しない。歳の差三歳なぞ二十代になってしまえば無いも同然だが、今の二人にはとても大きい壁の様な物があるらしい。


 だからか、那由は勝太の事を必ず勝兄と呼ぶし、勝太も妹の様に那由と接している。

 それを空気で理解しているからか、那由の父親も勝太だけは家に入るのを許可していた。

 いや、以前は道長も許可していた、今は絶対禁止領域になってしまっているが。


「知ってるか? 苺はヘタの方が美味しいんだぞ?」


「え? そうなの? 先っちょかと思ってた」


「ああ、この前イチゴ狩りに行ってな、その時に知り合いから教わったんだ」


「へぇ…………嘘じゃん、全然先っちょの方が甘いよ」


「あれ? そうだった? マジか、おっかしいな」


 苺は下の方から熟していく為、先っちょの方が甘い。勝太が言っているのは、ヘタの方から食べた方が甘みを感じられて美味しいという、食べ方の問題である。


「あ、ネット見たら違ったわ、はは、ゴメン」


「全くもう、勝兄は……それよりも今日は仕事早いね。まだ五時丁度だよ?」


「那由が倒れたってわざわざお母さんが連絡くれてな、お見舞いに行くって言ったら上司が帰っていいって許可くれたんだよ」


「それ、彼女が倒れたとかと勘違いしてない?」


「そうかもな。でもま、俺にとって大事な人である事には違いないさ」


 それなりにカッコイイ事を勝太は言ったのだが、那由は「そうだね」と言い、既にその手には次なる標的、ブドウが握られていた。心ここにあらずと言った那由を見て、まぁいいかと勝太は苦笑する。


「それにしても、何で倒れたのさ? 駅のホームで倒れたんだろ?」


「え、お母さんそんな事まで喋ってるの? ホントにもう、お喋り好きなんだから。……んとね、ほら、前に一緒に行ったお家あったでしょ?」


「確か彼氏の家だよな? めちゃくちゃ那由が怒ってて良く分からなかったけど」


「あはは……要は、その人と別れる事になっちゃってね。それで倒れちゃったみたい」


「うわ、すっげぇ乙女じゃん」


「乙女ですよ?」


 驚いた表情の勝太を見て、ベッドの中の那由も微笑む。

 

「それでね、話すと長いんだけど……聞く?」


「いいよ、時間は山ほどあるからさ」


「そっか……ありがと勝兄」


 それから那由は道長の家で何を聞いたのかを説明し、それが単なるマッサージであったこと、友達がその子の家を襲撃してしまったこと、彼の言う事を全部信じる事が出来なかったこと。更にはもう戻れないんだという事を、幼馴染の勝太へと打ち明けた。言葉にしてしまえば僅か数分で終わってしまう出来事なのに、受けた傷は思いの他大きかったらしい。

 

「それでね」


「那由、ほらハンカチ」


 勝太に差し出されて、那由はまた自分が泣いている事に気付いたのだろう。一日やそこらで忘れる事が出来ない、あの時道長を信じていれば、もっと早く雪華に聞いていれば。公園にいた道長に気付ける事ができれば。


 全てはたられば、IFの世界である。

 ハンカチで拭う涙は元の場所に帰る事が出来ない、二度と戻らないのだ。


「でもさ、まだ好きなんだろ?」


「……ううん、もう諦めようかなって思ってる。好きだよ? 愛してるって、結婚するならこの人しかいないって思ってたんだ。けどね、もう戻らないから。いくら頑張っても、戻れないから。……馬鹿だよね、私、私が一番悪いのに……」


 那由は道長が自分を拒否している本当の理由を知らない。

 しかし、演劇を辞めて欲しいという道長の願いは、果たして那由に届くのだろうか?


 彼女の夢は女優になること。演劇の世界はその第一歩にしか過ぎない。

 それを辞めて自分と付き合えと言うのは、道長の傲慢なのではないのか?


「ごめんね、泣いちゃって……。年明けにね、ドラマのオーディションもあるんだ。未経験でも大丈夫みたいだから、まずはそこからかなって。それに応募して、本格的に芸能活動にも参加してみたいなって」


「……そっか、可愛いし、那由ならいけるだろ。じゃあ今の内にサインとか貰っておいた方がいいのかな? 将来会話する事も出来なかったりしてな」


「あはは、勝兄ならいくらでも書いてあげるよ。まだ夢絵空事でしかないんだけどね、でも、第一歩を踏み出しとかないとって……。だから、こんなとこで躓いてる訳にはいかないんだよ」


 夢を語る那由ではあったが、その目には光が灯っていない。

 あの日勝太が見かけた、側溝に片足を突っ込んで倒れた時のまま、何も変わっていない。


「それにね、勝兄――」


 那由は勝太にだけ、これからの自分を言葉にして伝えた。

 それを聞いた勝太は、ただ頷くことしかできなくて。


 数分後、勝太は那由の部屋を「じゃあ、そろそろ帰るわ」と言って後にした。

 そして一人運転席に座り、ハンドルを人差し指でトントンと叩きナビを睨む。


 ナビに表示された地図は、かつて那由を乗せて向かったあの家。

 海道道長の家を、目的地として示しているのであった。




 土曜日、午前七時四十分、天宮駅。


 天宮駅は普段の土曜日とは違い、沢山の制服を着た高校生で賑わっていた。

 文化祭当日ならではの活気は、駅に到着した段階から始まっている。


 三年振りに開催される文化祭は、保護者や招待客を招いての大掛かりなものだ。

 駅から学校までの道のりには、生徒お手製の看板が多数掲げられていて。


『THE NEXT FUTURE ~未来への飛翔~』


 正門に掲げられたアーチにはスローガンが掲載され、色とりどりの紙の花で飾られていた。他にも校舎への道中には屋台が設けられ、ドーナッツやドリンク、中にはお祭りの屋台を模したものもあり、そこにはゴムボールすくいや輪投げ、駄菓子などが販売されていて。


 楽し気な雰囲気の中、生徒達は一旦は教室へと集まり、先生の話へと耳を傾ける。

 そして時刻は八時十五分になり、花火と共に天宮高校文化祭が開催されるのだが。


「海道君……来なかったね」


 雑貨屋さんをやる事になっていた二年三組の教室で、梓が那由へと語り掛ける。


 教室の中は既に普段とは違う、沢山のショーケースが並び、中にはお手製の石鹸やアクセサリーが値札と共に売りに出されていて。高校生ならではだろう、著作権ぎりぎりの物まで商品棚に陳列されていた。


 梓と那由は午前中は売り子として、小奇麗なエプロンを身にまとい教室に残るのだが。

 他の生徒たちは文化祭開催宣言と同時に、蜘蛛の子を散らすように居なくなってしまった。


 それでも賑やかな校舎の中で、那由は寂しそうに眉を下げるも、首を横に振った。


「しょうがないよ、来なかったのは私のせいだし」


「……ごめん、私も海道君のこと責めちゃったから、本当に悪くて……」


「梓が気にする事はないよ。もし海道君が学校を辞めるとか言い出したら、私が居なくなるから。そしたらさ、戻ってきた海道君には優しくしてあげてね」


「那由……」


「いいの、そしたら私、芸能活動に本腰入れて頑張っちゃうから」


 両手を持ち上げぐっと力をいれて、那由は梓へと笑顔を見せる。

 そんな那由を梓はぎゅっと強く抱きしめた。


「そんなのダメだよ。那由がいなくなるとか、私……耐えられないよ」


「……ありがと、でも、全部私が悪いんだし……責任、取らないとね」


 道長が那由を想って身を引いている様に、那由も道長を想い身を引こうとしている。

 勝太へと告げた言葉は、道長が天宮高校を去るのなら、自分がいなくなるという言葉。

 

 愛する人を想い、最後までお互いがお互いを想っている道長と那由。

 文化祭は、既に始まっている。


 演劇部の開始時刻は、午後一時から。


 学校にいない道長は今どこでどうしているのか。

 文化祭の劇が始まってしまった場合、船田の告白を那由は受け入れるのだろうか。 


 結末は、もうすぐそこまで来ている。


――

次話「それが、君の本音か」 

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