第十八話 好きなものは好きって大きな声で言えばいい
あらすじ:全てが誤解だと互いが認識するも、遅かったのか。道長の気持ちは転校を両親に相談するまでに至ってしまっていた。原因は一つではない、数多の事象が道長を苦しめ、その考えに至らせた。病院で船田を見る那由は何を思うのか、そして道長は――
――
金曜日、午後五時、海道家。
道長が学校を休むと母親に伝えると、転校したいと言っていた息子を無理に学校に行かせる事はせずに「ゆっくり休みなね」と言葉を残し、両親は仕事へと出かけた。キッチンには目玉焼きとハムを一緒に焼いたものと、サラダ、それに炊飯器の中には白米が残されていて。
昼食用のカップ麵も用意されていたが、そのどちらも道長は一口も食さなかった。
自室で横になり、スマートフォンの動画を無作為に眺める。
着信履歴はない、那由からも、梓達からも。
SNSの方には七季達から『お大事に』とのメールが届いていたが、それ以外は何もない。
一日休んだだけだ、そこまで心配はされないだろう。
本当なら文化祭前日なのだから、飾りつけや準備、やる事は数多にあったのかもしれない。
けれど、道長はその全てを放棄してしまっている。
那由の事があって以降、二年三組の中に道長の居場所は存在しなかったのだ。
全てを許してしまって、那由の事を受け入れれば何もかもが解決したのだろう。
那由が率先して皆に謝り、一緒になって文化祭の手伝いをするのを想像する事は容易い。
だが、それが出来ない理由が道長にはあった。
小さい子供が駄々をこねている様に見えなくもない道長の行動は、決して褒められたものではない。男のプライド、そんな言葉を盾にしようが、許される行動ではないのだ。
事実、今もし教室に道長が行ったとしても、誰も道長の事を相手にしないであろう。
器の小さい男、文化祭の手伝いもお願いしたくない存在、それがクラス内の道長の評価だ。
だからこそ居心地が悪い、だからこそ気分が悪くなる。
生理的に嫌いというのは、こういう状態の事を言うのだ。
一緒にいるだけで飯が不味くなる、口を開けば機嫌が悪くなる。
こんな存在は一緒にいない方が間違いなく円滑に事が運ぶ。
二年三組の教室は、那由と道長が居ない事によって、元の明るいクラスに戻っていた。
この場に道長がいたら、こうはなっていなかっただろう。
梓達は那由を許さない道長を責め立て、それに対して道長は反発する。
梓達は正義の名の下に動いているだけの義勇兵だ、自分達の行動が間違いであるとは決して思わない。あったとしても謝って済まそうとする、とても厄介な存在だ。
「……ん?」
道長の見ているスマートフォンの端っこに、振動と共に通知欄が現れた。
タップすると『今から会える?』と書かれた雪華からのメッセージ。
道長からすれば、もう何日も約束をすっぽかされた相手だ。
けれど、幼馴染であり、唯一にして最大の理解者でもある。
とっ散らかった部屋のまま、道長は一階へと向かい、扉を開けた。
「あらサボリ魔、元気そうね」
「まぁな、なんだよ急に」
「急にって、用があったのは道長でしょ?」
「そうだっけか、ま、いいや、上がるか?」
誰もいない家に幼馴染を招き入れる。普通に考えれば胸が高鳴ってしまう状況なのだが、こと道長と雪華に於いてはそれに該当しない。互いに距離が近すぎたせいで、道長は雪華を女として見ておらず、そもそも雪華は男が無理な存在だ。
絶対に手出ししない相手だからこそ雪華は道長の家に上がるし、道長も招き入れる。
ある意味信頼と信用の上に成り立った、少し歪な幼馴染の関係。
「あら、これ朝ごはんに昼食? 食べてないの?」
「なんか、面倒くさくってな」
「なにそれ。面倒くさくてそのまま餓死しちゃう、なんて言わないでよね」
二、三会話をすると、雪華は冷めた目玉焼きをレンジへと投入した。炊飯器の中のご飯は時間が経過してしまい、既に若干固い状態だ。水を振りかけラップをして、それもまたレンジへ。
道長は何も言わずにキッチンテーブルに着くと、「はいどうぞ」と雪華が温めたご飯をテキパキと並べ始める。空腹時に目の前に美味しい食べ物が並んだら、誰だってお腹の虫が鳴ってしまうものだ。「いただきます」と道長は手を合わせると、「召し上がれ」と雪華は更にカップ麺までテーブルに置いた。
「こんなに食べれねえよ」
「これは私の分、手間賃ってことで」
「温めてよそっただけのくせに……別にいいけど」
キッチンから手慣れた感じで割りばしを取り出すと、雪華は道長の前に座った。
元は道長用のラーメンなのだ、大盛と書かれた味噌ラーメンは、細身の雪華が食べるには違和感が付きまとう。けれど、それらをあっさりと平らげると、雪華はさらに炊飯器の中にあったご飯までよそうではないか。俗称:猫まんま、ツユinご飯の出来上がりである。
「相変わらず沢山食べるけど、よくそれで太らないよな」
「栄養全部胸にいってるみたいだからね。お母さんに感謝感謝」
「そんなもんかね。それで、もう本当に思い出せないんだけど、何の用があったんだっけ?」
「あれじゃない? 私が船田って男に告白したヤツ」
「ああ、そんな事もあったな。なんかもう、すんごい昔な気がする」
そんなに昔ではない、六日前の土曜日の事である。
発覚したのは月曜日なのだから、今が金曜日、まだ四日しか経過していない。
「ま、私としてもあの件をとやかく言われても、その時は那由ちゃんが浮気してると思ってたしね。制裁の意味を込めて、触れたくもない船田って奴に近付いただけの事だし。そんな事よりも道長、アンタ那由ちゃんが倒れたとき側にいたのに、病院行かなかったって本当?」
「……何で知ってんだよ」
「七季ちゃんや梓ちゃん達から聞いたの。あの子達と私って今やすんごい仲良しなんだから、聞いてもいない道長の情報全部入ってくるんだからね?」
「何でまた……それで? 雪華も怒りに来たって感じか?」
雪華からは怒っている感じは伝わってこない。あくまで第三者、ご意見番の様なスタンスが雪華と道長の関係性なのだ。もしこれで道長が雪華に対して本気で怒る様な事があれば、雪華は即座に道長の側を離れる事だろう。
けれど、それは絶対にしない。
ある意味冷めた関係、それが幼馴染な二人の関係だ。
「そりゃあね。と言いたい所だけど、実際どうなの? 一昨日も那由ちゃん泣いてたのよ? 道長と仲直りしたいって、愛してるのは道長だけなんだって。ダメよあんな可愛い子泣かしちゃ、お姉ちゃん怒るよ?」
「結局怒ってんじゃん。そうさな、俺自身なんでこんなに素直じゃないんだろって思ってるよ。でもな、何か、悔しくてな。俺の言う事を何も聞いてくれなかったくせに、他の奴の事は全部信用してる那由が、何か許せなくてな」
食べ終わった食器をそのままに、道長は両手をテーブルの上で握りしめて語る。
「船田の奴との関係もな、俺、こんなにみみっちい男だったのかなって思っちまう程に、嫌だったんだよ。那由の側にずっとアイツが居て、那由もそれを拒んでなくて。キスシーンが演技だって聞いたけど、それにしても近すぎるって思っちまうんだよ」
「じゃあ、それを言えばいいじゃない。船田とのキスシーンは止めてくれって」
「けど、演劇は那由の夢の第一歩なんだ。女優になりたいってアイツ、何回も言ってるだろ。対して俺にはいまだに夢どころか、将来なりたい職業だって決まってない。そんな俺が那由の夢を奪っていいのかって、そう思っちゃったらさ……何か、船田との方が良いんじゃないのかって」
「馬鹿ねそんなの、アンタまだ十七歳でしょ?」
「お前だってそうだろうに」
「ええ、そうね、だけど一緒よ? 将来なりたいものなんて決まってない。夢も希望も何にもない。今が楽しければそれでいい、今日を生きれればそれで良いってスタンス。けどね、それの何がいけないの? 何も悪くない、将来なりたい物が無くたって別に悔やむ必要なんかないの」
無謀と冒険は若者の特権だ。ありとあらゆる事が経験となり、知恵となる。若い時の苦労は買ってでもしろという言葉があるが、それらは別に苦労じゃなくても構わない。遊びでもいいのだ。
行動しろ、全ては後の人生の役に立つ。自分には無理だと思ったのならば、それですらも経験だ。何がどうダメだったのか、その場合自分には何が出来るか。将来の夢なんてものは無謀な程が丁度いい、身の丈を考える必要はない、だって若者なのだから。
「それにね、好きなものは好きって大きな声で言えばいいのよ。好きなんでしょ? 那由ちゃんのこと? 愛してるんでしょ?」
「……そりゃ、好きだし愛してるよ」
「じゃあそれをそのまま言えば良いじゃない」
「でも、将来那由が女優になってキスシーンとかしてたら、俺にはきっと我慢出来ない。船田はそういうのが平気なんだろ? お互い演劇の世界で生きて行くんだろうし。まさか俺がこんな人間だったなんて気付かなかったんだよ、この一年演劇部は演劇部らしい活動をしてこなかったから、那由が目指しているモノが、ああいう世界だったなんて」
「馬鹿ね、それも大きな声で言えばいいのよ。さっきも言ったでしょ? キスシーンは止めてくれって言えばいいの。それに船田だなんだ何て知らないわよ。私だったら全部奪っちゃうわよ? 知ってた? 私って女王様なの、欲しいモノは何でも手に入れちゃうんだから」
「女王様って」
「本当なんだから……さてと、お腹いっぱいになったし、相談料分くらいは食べたかしらね」
気づけば、雪華の前にあったカップ麺の容器は空っぽになっていた。
ぽんぽんとお腹を叩くと、雪華は立ち上がり玄関へと向かう。
「あ、お皿はちゃんと洗っておくのよ?」
「へいへい、何だか母ちゃんみたいだな」
「そうね、そのぐらいの距離感の方が私は好きかも、じゃ、後は頑張ってね♡」
チュッと投げキッスをすると、道長は首を横に倒して避けた。
「何でよけるのよ」
「何となく」
「ふふ、まぁいいけど、チャオ♡」
雪華が帰った後に、道長は言われた通りにキッチンへと向かい、お皿をシンクへと運び洗い始める。泡立てたスポンジを握り締めて洗う道長の表情は、先程よりかは幾分マシに見えた。
海道家を出た雪華は、鼻歌交じりで自分の部屋へと戻る。
カードを当てて電子ロックを解除すると、そこには異様な光景が広がっていた。
「雪華様、お帰りなさいませ!」
「ただいま♡」
雪華を迎え入れたのは、裸にエプロンをした池平梓であった。サイドテールにした髪は既に汗でしっとりとしていて、雪華の布団の周囲には形容しがたい大人の玩具が幾つも転がっている。シーツもまだ乾いていない、何なら玩具も濡れたままだ。
「んー! んーんー!」
中でも特に異様を放っているのは、壁に埋め込まれた杭にがっちりと縛られた七季の姿であった。こちらは天宮高校の制服のままだが、手足は縛られ口には
「うふふ、七季ちゃん、どう? 少しは我慢できた?」
「んーんんー!」
「私はね、束縛されるのが嫌いなの。七季ちゃんの恋人だけど、梓ちゃんの恋人でもあるの。全ては私が決めるのよ。貴女じゃない、私が決めるの」
雪華が七季のスカート中に手を入れると、七季は眉を顰めてうめき声を止めた。
僅かに動く雪華の指は、的確に七季を攻め立てる。
「私がしたい事をして、私が命令した時に貴女はイクの。貴女の全部を私に捧げなさい、私は貴方の全部を受け入れるから。その代わり、ちゃんと出来たらご褒美を上げるからね♡」
「ひ、ひゃい……♡ っゅ、ん、ひゅんん!」
「あら、誰がイッていいって言ったの? ダメな子ね、そんなんじゃもっとイジメちゃうわよ? あらあら、こんなに濡らしちゃって……うふふ、七季ちゃん可愛い♡」
雪華が恍惚な表情を浮かべていると、裸エプロンの梓も近くにきておねだりをする。
これが、つい先ほどまで道長にお説教兼人生相談をしていた女である。
母ちゃんみたいだなと呼ばれて喜んでいた女の本性は、比喩でも揶揄でもなく女王様だ。
まさか数メートル先の世界でこんなのが繰り広げられているとは、道長は微塵も想像しない。
雪華の淫らな
ともあれ、道長が那由を許さない理由は明確になった。
結局のところ海道道長という男は、出牛那由の事を一番に考えていたに過ぎない。
一日二日ではなく、将来の事を見据えた上での拒絶。
愛する人が他の男とキスをするのも、恋愛ドラマに出るのも、道長には耐えられないのだ。
それならば、耐えられるであろう船田に那由を託した方が良いのではないか。
これが道長が出した答えなのだ。そして転校の二文字、これも愛する那由が船田と仲良くするのを、見たくないからなのであろう。両親にはクラス内の事を理由にしたのであろうが、きっと本質はそこにある。
しかし、それらを雪華は否定する、嫌ならしないで欲しいと願えば良い。
もっと自分勝手に生きろと。
雪華の言葉は道長の心にどう響いたのか。
「イテッ! いっつ~、なんだよ、この皿割れてんじゃん……。まぁ、いいか。母ちゃんが怪我しなかったんだから。絆創膏絆創膏っと――」
僅かながらに光が見えてきた道長の表情だが、果たして――
――
次話「……馬鹿だよね、私。」
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