第十七話 転校

あらすじ:那由は雪華と直接対話を果たし、全ての誤解を解消させた。それまでの全てを謝罪すべく、道長に連絡を取ろうとするも、残念ながら繋がらず。けれどもお弁当の下ごしらえを始めた那由の瞳は希望で輝いていた。絶対に訪れる幸福の未来、日常が戻ると信じて――


――


 愛する人に愛を伝えられる喜び、それを一秒でも早く味わいたい。

 木曜日、午前七時十五分、天宮駅。


 いつもよりも三十分早い時間に那由は駅に到着し、愛する道長を待った。

 電話はアプリを介しても、電話番号からも繋がらない。

 

 もしかしたら道長が那由の事を、ブロックか着信拒否しているのかもしれない。

 でも、それでもいい、それまでがあったのだから。


 道長がきっと全てを許してくれる、それをひたすらに期待してるのは、那由の顔を見れば誰しもが分かること。那由の笑顔はそれだけで周囲を幸せにしてくれる、船田が言っていた通り、那由には華があるのだ。彼女が幸せなら、それだけで周囲も幸せな気持ちになれる。


 長かった喧嘩もようやく終焉を迎える、那由を見守る駅員さんも、どこか嬉しそうだ。

 午前七時四十五分、道長が下りるホームに、那由は笑顔で立っていた。


 夏とは違い、やや南方から上がる太陽が那由を明るく照らし出す。昨日までのくすんでいた彼女ではなく、つるんとした肌にナチュラルメイクばっちりの天使を、道長の彼女に相応しい恰好をした那由を更に美しく魅せる為に。


 まるで全てが祝福している様に思えた、許される事が確実で、ここからは間違いのない幸せが待っているのだと。


 かの劇作家シェイクスピアもこう残している『逆境が人に与えるものこそ美しい。それはガマガエルに似て醜く、毒を含んでいるが、その頭の中には宝石をはらんでいる』と。まさにこれからの道長と那由は宝石の様な輝く日々を送る、今の喧嘩はその為のスパイスなのだ。


 楽しい時間はあっという間、気付けば天宮駅のホームに道長を乗せた電車が進入しているではないか。今か今かとうずうずした顔で那由は瞳を輝かせ、そして最愛の人を見つけだす。


 欠伸もせずに、ただ暗い顔をした海道道長を。

 沢山の降りる人の隙間を縫って、那由は道長へと駆け寄る。


「おはよう道長。それと、ごめんなさい。全部分かったの、雪華さんと道長が浮気してないって事も。私と船田先輩がどうして浮気してるって道長が勘違いしたのかも。あのね、道長、私――」


「もう、こういうの止めてくれないか」


 捲し立てる様に話しかけてきた那由を、道長は否定しながら歩き続ける。

 ポケットに入れた手はお弁当を拒否し、目も合わそうとしない。

 けれど那由は諦めない、ここで諦めてしまったら全てが終わってしまうから。


「ううん、やめない。だって、私達なにも問題なかったんだよ?」


「問題はあっただろう。沢山、数えきれないほどに」


「違う、違うから、全部」


「違くない」


 風が吹いた、道長が好きだと言ってくれた三つ編みにした髪が、揺れてしまう程の風が。立ち止まった二人の脇を、電車が駆け抜ける。人の波はすぐさま消え去り、ホームに残るは道長と那由、二人きり。

  

「俺が言ったこと、お前は一つでも信用したか? 今だって俺の意見を信じて心変わりした訳じゃないよな? 池平達と一緒に七季をイジメてたのだって、本当に心の底から失望したんだよ」


「でも、それは道長も一緒だったじゃない。私と船田先輩が何にもないって言っても信じてくれなかったよ? 七季ちゃんの事だって、私は何もしてないし」


「もうな、ダメなんだわ。お前が俺を信じてくれなかったのと同じで、俺もお前を信じる事が出来ない。今更全部分かった何だ言われたって、全部嘘なんじゃないのかって勘ぐっちまうんだ」


「……そんな、でも、本当の事を言ってるだけだよ? ねぇ、道長、ちゃんと話し合おうよ、絶対に仲直りできるから。ねぇ、仲直りしようよ、したいよ、私、もう……こんなの嫌だよ」


 那由の突然の心変わりに「はい、そうですか」と言える程、道長が受けたダメージは小さくないのだろう。梓達が率先して行ったクラスメイト全員の無視、知らぬ間に流された雪華との浮気の噂、人格否定。更には後輩である七季への集団イジメ、これらは道長の堪忍袋の緒が切れるには、十分過ぎる出来事だった。


 せっかく綺麗にした那由だったのに、泣き癖がついてしまった瞳からは大粒の涙が溢れてしまう。どこにも行って欲しくないと願いながら、可憐な指で摘まむ道長のブレザーの裾を、彼は振り払い、そして那由を見ずにこう言ったのだ。


「俺、他に好きな子できたから」


 だから近づくなと言わんがばかりに、大股で歩き始める。

 道長に好きな子が出来た? そんなの、誰の耳にも入れていない情報だ。


「だから、もう近づかないでくれ……今までありがとうな、出牛さん・・・・


 その言葉を耳にして、那由はその場に膝から崩れ落ちる。

 もう限界だったのだ、先週から始まった道長との喧嘩は彼女の身体を、精神を蝕み続けた。


 度重なる寝不足に心労、部活における過酷な練習、プレッシャー。

 道長に心の平穏を求め続けた那由だったのに、決して報われることは無く。


 道長が振り返り見たものは、意識を失い、ホームに倒れ込む那由の姿だった。



 

 ぼやけた視界、うっすらと見える天井は、白地に黒の模様が入った模様。 

 目覚めた那由が見たものは、病院の一室、トラバーチン模様という名前がある天井だ。

 

「あ、目が覚めたんだね。大丈夫那由さん?」


 横に座り話しかけてきたのは、船田だった。相変わらずのクセっ毛で、糸目で微笑む彼の笑顔を見て、那由は何を思うのか。表情を変えないままに、ただ船田の顔を見る。

 

「お母さんも一緒だったんだけどね、今は飲み物買いに行くって丁度席を外したんだ。那由さんが倒れたのを見てね、ビックリしちゃってさ、大慌てで僕も駆けつけたんだけど……那由さん? 大丈夫? お医者さんに来てもらおうか?」


「……ううん、平気、です。ごめんなさい、練習、明後日なのに……」


「いいよ、もうほとんど完成してる様なものだし。後は練習を続けるよりも、心を落ち着かせるべきだと僕は思うな。大事な舞台とはいえ、リラックスして臨まないとね」


 微笑む船田は、いつも変わらない。

 いつだって彼は那由の側にいて、いつだって那由の味方をしてくれた。


「……船田先輩」


「うん?」


「告白の、返事」


「……ああ、それは舞台でしてもらうよ。いま貰うのは海道君に宣言した以上、何か卑怯だと思うしね。今ならOK出ちゃう感じでしょ? ふふ、なんてね、自意識過剰かな」


 あははと笑いながら、船田は椅子から立ち上がる。

 

「明日は休むといい、そして土曜日が本番。期待してるよ」


「……はい、ありがとう、ございます」


 ベッドの中で微笑みながら、那由は船田へと軽く会釈をした。

 本当に心が休まる相手というのは、船田の様な男の事を言うのかもしれない。


 助けて欲しい時に助けてくれる人物、それこそが人生の伴侶として相応しい。

 船田が帰った後、那由は入れ替わりに入ってきた母親へと報告をする。


「あのね……お母さん、私、道長君と別れたんだ」


 今回倒れた原因でもある、道長との別れを母親へと報告すると、母親はぎゅっと那由の事を抱き締める。分かっていたと、お弁当を作る時に楽しそうにしていない娘を見て、既に道長との関係に何かがあったのだと、母親は那由へと告げた。


「ごめ……ん、なさい」


 認めたくなかったのは、きっと那由本人だ。

 全てが誤解だったのに、人間の本性とも言うべき部分が露見してしまって。


 人は、仮面をかぶって生きる生き物だ。

 誰しもが怒りを抱え、本音を語らずに接して生きる。

 

 本当なら道長に対して強く当たる那由の姿など、見せるべき姿では無かったのだろう。

 見せたとしても、二人がもっと深い関係になってから見せるべきだったのだ。


 交際期間十か月は、長いようでとても短い。

 本音で語りあうには、時間が足らなかった。


 那由が病院で母親へと道長との別れを告げていた頃、道長の姿は教室にあった。

 既に放課後、教室に残るのは道長と梓含めた女子十九名。


「なんだよ、まだ何か俺に用でもあんのかよ」


「……ごめんって、謝りたくて」


「別に、謝って貰わなくても結構だ」


 取り付く島もない、道長から見たら梓達は七季をイジメた張本人であり、自身をこのクラス内で孤立状態にさせた原因でもあるのだから。けれど、梓達はつっけんどんな態度の道長の道を封じて、会話を続ける。


「だって、今朝の那由が倒れたのだって、アタシ達も原因の一つだと思うし。やっぱり、那由には海道君が必要なんだよ。あの子、全部誤解だったんだって言ってたでしょ? 海道君と雪華さんの関係も誤解だって私達も知ったし」


「何でお前等が知ってるんだよ。それに、否定なら俺もずっと、ずっっっと否定してたけどな。けど、誰も信じてくれなかった。それが俺のこのクラスでの立ち位置なんだろ」


「だから何? 意固地になってないで……ううん、私達はいいよ、ずっと嫌われてても。でも、那由の事は許してあげて。あの子、何日も海道君の事で悩んでて、今朝だってそれで倒れたんだよ? 倒れるぐらいずっと悩んでたのは、全部海道君を想ってのことなんだよ? だから――」 


「知ってるよ、俺の目の前で倒れたんだからな。それに、救急車呼んだのも俺だよ」


「え、じゃあなんでここにいるの、一緒に行かなかったの?」


「船田の奴がいたからな、アイツに任せた」


 船田の名前が出て、梓は声のトーンを一つ上げた。


「だ、ダメだよ! 船田は那由に告白してるんだよ⁉ 体育館裏で告白してるの、私聞いたんだから! 文化祭の劇の舞台でキスしたら、それがOKの証だって! そんな奴と二人で病院に行かせたらダメだって!」


「……はは、全部知ってんのな。けど、俺も知ってるよ。船田から告白したって言われたし。まんま、全部な。だから、いいんじゃね? 元々そんな風に見えてたし、お似合いだろ、二人」


「――っ、いいの、それで、本当にいいの!? 那由は今でもアンタの事が好きなんだよ⁉」


 梓がまだ何か言おうとしているのを、道長は拳を机に叩きつけて止めた。

 銃弾の様な音が教室内に響くと、一瞬にして静寂が訪れる。


「……帰る、どうせこのクラスに俺の居場所はないんだろ」


「そんな、ねぇ海道君! 海道君!?」


 語る口は持ち合わせていない、海道道長は鉄の男だと揶揄されていたが、どうやら違う様だ。

 彼の本性は雪華だけが知っていた。弱虫で、泣き虫で、直ぐに諦めてしまって。


 傷つきやすく、凹みやすい、普通の十七歳の男子高校生なのだ。


 一時とはいえクラス全員から無視されて、誰も味方に付いてくれなくて、味方になった人は襲われて、イジメられて。雪華の件を道長は耳にしていないが、きっとそれだって知ってしまったら彼は悲しむ事だろう。

 

 自分が原因で、幼馴染にまで迷惑を掛けてしまったと。

 道長が昨晩両親に相談していた内容は、「転校できないか」という相談だった。


 那由との軋轢あつれきは、海道道長という人間を孤立させる。

 道長の異常は、命中率百パーセントに近かった弓にまで現れていたのだから。


 全てが上手くいかない、何を言っても信じて貰えず、誰もかれもが敵になる。

 唯一、部活の面々だけは味方してくれていたが、それだけだ。


 


 金曜日、午前七時四十五分、天宮駅。


 そこには愛する人を待つ那由の姿も、電車から降りてくる道長の姿も無かった。

 学校へと向かう生徒の流れを、駅員さん達は少々物足りなさげに見守る。

 

 誤解は真実へと姿を変えてしまうのか? 船田の告白を那由は受け入れるのか?

 そして道長は、何を選択するのか――


――

次話「好きなものは好きって大きな声で言えばいい」

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