第十五話 雪華お姉さまは、私の恋人ですから!

あらすじ:梓達は一晩かけて完全にお人形さんへとなってしまいました。


――


 早朝と呼ぶには早すぎる、深夜と呼ぶには遅すぎる、未明と呼ぶのが適切な午前四時。

 太陽も上がらない月も役目を終えようとしているこの時間に、道長はベッドで目を覚ました。


 もぞもぞとシーツを泳ぐようにして探し出したのはスマートフォン。


 母親から「熟睡してるみたいだから、ご飯はラップしておきますね」のSNSが届き、雪華からは「今日は超大事な用事が出来ちゃったので無理♡」と踊るハート付きのメッセージが送られていた。


 お互い他に用事があるならばそちらを優先する、雪華と道長の関係はその程度である。


 幼馴染や親友という存在は、時間場所を問わず会話が弾む相手であり、柔軟な対応が自然と取れてしまう関係を言うのであろう。数年という時間が空いていたとしても「よう」の一言で二人の関係はたちまち元通りになる、それが親友であり幼馴染、つまりは雪華と道長なのだ。


 雪華から断れてはいるものの、そもそも道長も寝落ちしてしまっている。

 洗っていない頭をぽりぽりと掻いて、道長は制服や鞄が散乱した部屋を後にした。


 朝風呂に入り、母親からのメッセージにあった通り遅すぎる夕飯を食す。

 寝ている両親を起こさないよう、レンジのチンも鳴らさずに、静かに。


 けれども、無音のまま食すのも味気ないものだ。道長はスマートフォンを取り出すと、いつも見ている動画サイトを開き、適当に画面をタップした。流れるのはお笑いのコントだったり、めくるめくショート動画だったり。


 三個目の動画を見終わり、次は何を見ようかと指が空中で八の字を切る。

 そんな時だ、一瞬だけ着信を知らせる画面に切り替わったのは。


「……那由?」


 俗にいうワンギリの速度で通知は消え、画面は動画サイトへと戻り、中央には再生マークが表示されている。時刻は道長が目覚めてから三十分が経過した、といっても午前四時半だ、人が起きている時間帯ではない。


 一週間前の道長ならば即座に那由へと発信したことだろう。

 寂しかったからなのか、間違えて発信したのか、何か事件に巻き込まれたのか。

 けれども、道長は那由へと発信せずに、そのまま動画の再生マークをタップした。


 つまらなそうな顔をして、何を食べてるかも分からなそうな顔をして。

 次第に空が東雲に染まっていく頃に、道長は再度ベッドに潜り込む。

 眉間にシワを寄せながら、何かをひたすらに悩みながら。


 水曜日、午前七時四十五分、天宮駅。


 前日に引き続き、道長は大欠伸をしながら電車を降りた。 

 結局寝れなかったのか、気怠そうに歩く道長の目の下には、うっすらとクマが出来ている。


 そして電車を降りると彼女がいるのだ。


 出牛那由、お弁当作りが日常になってしまったと言っていた彼女。

 つい先日絶縁宣言をした彼女、一週間前まで最愛の人だった愛くるしい彼女。


「これ、お弁当」


「……いらねぇよ、またアイツ等に絡まれたら面倒だしな」


 差し出されたビニール袋に入ったお弁当をうとましい目で見る。

 昨日はこのお弁当を受け取ったが故に梓達に囲まれ、面倒くさい事態になったのだ。


「そっか、そうだよね。昨日も捨てちゃったんだもんね。ごめんね、迷惑ばっかり掛けちゃって。でも、昨日説明した通りこれが私の日常だから。変えたくない、日常だから」


 道長の拒否の言葉を聞いて、那由は差し出していた手を一度は引いた。だが、再度差し出す。


 目を細めて微笑む那由の顔は、酷いものだった。張りのあった頬はカサつき、毛羽立っている様にも見える。目の下にもクマ消しの後があるが、隠し切れていない程に目端の部分は黒い。充血した瞳に、泣きはらして膨れ上がった涙袋、どれをとってもあの可愛かった那由ではない。


 午前四時半の着信、あれの意味するところが、この那由の惨状なのだろう。

 彼女は道長との関係修復をひたすらに望んでいたのにも関わらず、打ち砕かれて。

 

 劇に集中しないといけない、船田にも言われた通り色恋沙汰に悩んでいる場合じゃないのに。

 なのに、那由は道長の事をずっと想い続けてしまう。


 忘れたくても忘れられない思い出が、山の様にあるのだから。

 お互いを想い、お互いの為に尽くす。


 親友や幼馴染はどんなに離れてもいつでも戻る関係だ、しかし恋人は違う。

 離れれば離れるほど不安になる。離れたくない、一時も。


「受け取ってよ、変えないでよ、私の日常を」


 お弁当を持ったままの那由は笑いながら泣いていた。

 声に出さずに、けれど手にしたお弁当を差し出したまま。


「那由……」


 けれど道長は近づかない、那由の名前を口にはしたものの、一歩は踏み出さなかった。

 背を向け歩き始めた道長を、那由は涙目のまま見つめる。


 そんな時だ、ひょうきんな声が二人の間に入ってきたのは。


「じゃあそのお弁当、僕が貰うからね」


 癖のある耳に掛からない程度の髪から覗く目は、いつも細く笑顔のまま。

 何があっても悔やまない、何があっても間違えない。

 自分の信じた道を行き、まっすぐと一本な心の線を持つ男。


 船田宇留志。

 彼が那由の手にあったお弁当を勝手に受け取ると、中を見て「美味しそうだね」と喜ぶ。 


「昨日も貰えなかったからさ、僕もうお腹減っちゃてて。いいでしょ? どうせ捨てちゃうんだから。だったら僕が貰ってきっちりと胃袋に詰め込んであげるからさ」


 船田の登場に、道長は歩みを止める。

 僅かに振り向いた道長の目には殺意が込められているのか、細く歪んだ瞳だ。


「船田先輩……」


「それにね、僕は那由さんに正式に告白もしたんだ。もし那由さんがOKなら僕達は文化祭の舞台で本当にキスをする。そしてお客様の前で盛大に交際を開始したと発表するんだ。海道君も見に来たらいいさ、誰でも鑑賞無料だからね」


 船田は道長に聞こえる様に大きな声で言った。神経を逆撫でする様な物言いに、道長は船田へと近寄り胸倉を掴む。眉間にシワを寄せた道長の目は血走り、今にも殴り掛かりそうな程に拳に力が込められていて。


 だが、船田も負けていなかった。掴まれた胸倉をそのままに、拳を握って精一杯背筋を伸ばして、両の足を大地に付けて真っすぐな瞳で道長を睨みつける。


 一触即発、後少しでも船田が何かを言えば、問答無用で道長の岩の様に固い拳が、船田の顔に叩きこまれていた事だろう。だが、道長はそれをしない、必死の形相で睨みつけるのみ。


「……そうか、分かったよ」


 一、二分そうしていたが、先に折れたのは道長だった。

 当然だろう、道長は那由と船田のキスシーンを見た瞬間から諦めていたのだから。

 愛する人の幸せを願う為に、道長は自ら舞台から降りる。

 それを選択したのは一週間前の道長だ、今の道長も何ら心変わりはしていない。


 ぽんと突き放した船田は体勢を崩し、そのまま那由の前に尻餅をついた。


「ね、ねぇ、道長」


 呼び止めたのは那由だ。


「私、七季ちゃんから聞いたんだけど、貴方が私達の浮気を疑ったのって、公園でのキスシーンを見たからなんでしょ? あれ、全部誤解だから、私と船田先輩は一回もキスなんかしてないよ? 本当に、一回も浮気だってしてないのに――」


「……信じられねぇな」


 道長の目には、今も倒れ込んできた船田を抱きかかえる那由が映っている。

 公園だけじゃない、仲睦まじく歩く二人を道長は二つの眼で見ているのだ。


「嘘じゃない、嘘じゃないよ? どうして信じてくれないの?」


「俺の言う事を信じなかったのはお前だろ」


「それは……」


「俺と雪華の関係、今でも疑ってんじゃねぇのか?」


 何かを言いそうな顔になるも、那由はそこから言葉を出さなかった。直に見た訳ではない、けれど那由が聞いた雪華の喘ぎ声には、道長の名前が何回も入り込んでいたのだ。


 信じる信じないのレベルじゃなかった、疑いようのない浮気。


 それが那由が聞いた雪華と道長の関係なのに、それを違うと言い張る道長の言葉を信じる事は、今の那由がするには少々難しいのであろう。むしろ認めてしまって、そこから謝罪でもしてくれた方が那由としては有難かったのかもしれない。

 

 浮気は許せない、けれど、誠心誠意謝罪するのであれば、あるいは。

 結局お弁当は船田が持っていく事となり、那由は意気消沈のまま学校へと向かう。 


 道長と那由の喧嘩も一週間になる、この頃になるとクラスメイトも以前の活気を取り戻していて、文化祭で販売する手作り石鹸やアクセサリーを見せ合う、ほのぼのとした光景もちらほらと見受けられた。


 けれど、那由の代わりに復讐に向かったはずの梓達の姿は無かった。六人同時に無断での遅刻。空席が目立つ教室では、賑やかな会話に混じって六人を心配する声も上がっていた。道長に返り討ちにされたのではないか、そんな話がひそひそと。


 梓達が登校してきたのは、二時限目が終わってからだった。

 妙に疲れた顔をして、無駄に良い香りをまき散らしながら。


「梓が遅刻するなんて珍しいね。どうしたの?」


 那由が笑顔で話しかけると、梓は罰の悪そうな顔をした。

 遅刻した六人、全員が那由を見ながら、各々目を泳がせる。


「……なに? それに皆同じ香りがするけど……」


「え? あ、ああ、そ、そうかもね。あのね、那由、ちょっとだけお話してもいいかな? 出来たら誰にも聞かれない場所が良いんだけど」


 それじゃあと、那由を含めた七人で屋上へと繋がる階段へと向かう事に。

 屋上自体は封鎖されていて、階段の踊り場はあまり生徒達が立ち寄らない場所となっている。


 やや埃っぽいが、足跡を見れば誰かが何回かは訪れているのが分かる。

 隠れて会話するにはもってこいの場所なのだ。


「まず先に謝るね、ごめんなさい那由」


「え? 何を急に……どうしたの? それに絆創膏も皆付けてるし……喧嘩でもしたの?」


 絆創膏を指摘された全員は、頬を赤らめながらどこでもない場所へと視線を移す。

 主に首、それに見えないが胸にも沢山ついていることであろう。


「んっ、んんっ、それはまぁ、置いといて。あのね那由、私達、貴女の提案した復讐を代わりにしてきたんだ」


「復讐って、え、まさか雪之丞さんの家に行ったの!?」


 コクリ頷いた梓は、そのまま神妙な面持ちになって那由の両肩に手を置いた。


「落ち着いて聞いてね那由。雪華さんと海道君には……本当に何の関係も無かったの」


「……え?」


「絶対に、百パーセント有り得ない、だってあの人は――」


「雪華お姉さまは、私の恋人ですから!」


 突如大きな声で階下から愛を叫んだ女の子。

 弓道部女子部員の一人、皆重七季だ。


 彼女は梓たちと同じ香りを漂わせながら、那由に迫る。


「昨日も私と一緒に楽しんでたのに! いきなりこの人達が乱入してきたんですよ⁉ しかもそのまま雪華お姉さまの寵愛を受けちゃて……許せないっ! いきなり六股されたんですよ⁉ 六股! 浮気とかそんなレベルじゃないんです、今の私達は!」


「え? ちょ、ちょっと待って? 理解が追い付かない」


「まぁ待てよ七季、アタシ等は雪華様にまた会おうとかは思ってないから」


 みんな笑顔になってうんうんって頷いているが、七季は梓の言葉を逃さなかった。


「いま雪華『様』とか言ってませんでしたか!? 名前で呼ぶのもふてぶてしいんですよこの泥棒猫! 雪華お姉さまは私だけの恋人なんですからね!? もう二度とあの家には近づかないで下さい! 金輪際姿を現すな! 分かりましたか!」


 なんだかちょっと前に道長が言っていたセリフを、七季が大声で叫んでいる。

 那由は一体なんのことだかさっぱりと言った様子だ。 

 

「まぁ、分からなければ本人に聞けばいいよ。雪華様の連絡先は知ってるんでしょ?」


「うん……まぁ、一応は知ってるけど。というか、一体何なの?」


 「今また雪華様って言ったぁ!」と叫ぶ七季は置いておいて。

 那由は梓に近寄って手を取ろうとするも、何故か梓は後ずさった。


「梓?」


「……ごめん、今のアタシ、多分前のアタシと違うから。那由の事がね、何か可愛く見えるんだ。その、可愛いとは前から思ってたけどね、違うんだよ。可愛いの種類が」


 知ってしまった世界がある、人間の可能性は無限なのだと知ったあの夜。

 今の梓に目の前にいる無防備な那由は、一体どのように見えているのか。


「ちょっと、梓、意味わかんないよ」


「ああ、いい、分からなくて。分かったらダメだと思うから。じゃあ、またね」


 嵐の様に現れて、嵐の様に去っていく。

 七季は梓に食い下がっていたが、そんな事を那由が気にする必要はない。


 重要なのは、梓が言ってた言葉だ。


「道長と雪華さんが……浮気して、いない?」


 だとすると、あの日那由が聞いた喘ぎ声は何なのか。

 那由はスマートフォンを握り締めると、画面に雪華の番号を表示させる。


 過去に何度も顔を合わせた仲なのだ、その時にも何回も道長との関係を否定された。

 那由が雪華へと連絡すれば、全ては解決するのだろうか? それとも――。


――

次話「……やっと掛けてきたわね、遅いわよ、那由ちゃん。」

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