第十二話 金輪際俺の周りに現れるな。

あらすじ:雪華の『お灸』は結果として道長を傷つけ、那由との関係をより悪化させるだけで終わってしまった。船田に告白した正体を那由は先生には告げ口せずに、沈黙を守っていたのだが――


――


 一時限目が終わると、那由の前に座っていた梓が振り返り「どしたん?」と、まだ赤い瞳をしている那由へと声を掛けた。那由が泣くのは間違いなく道長が絡んだ案件だとは誰もが思いつく所だが、今朝何かあったとしたら思いつくのは写真騒動だ。


 しかし、あの写真には演劇部の船田と見知らぬ女生徒が映っていただけの、単なる盗撮写真にしか過ぎない。過去に那由と船田の噂が弓道部女子の口から流れたが、それだって既に否定し終わっているはずだ。


 梓からしたら何故那由が泣いているのか、気になるところなのだろう。二年三組の女子は結託して那由の味方をすると梓は言っていた。その言葉通りならば、もし今の那由が泣いている理由が道長にあるのだとしたら、二年三組の女子生徒が総出で道長の事を糾弾するのであろう。


 お前の浮気で傷つけ悲しませた那由を、更に傷つけたのかと。

 

「……ちょっとね、朝練でセリフつっかえちゃってさ」


「え? それ悔し涙って訳?」


「そうなの、あはは、だから……っ、ん、もう平気。ごめんね心配かけさせちゃって」


 那由は真実を語らなかった。一言『あの写真に写ってたのが道長の浮気相手』とでも言ってしまえば、雪華や道長はおろか、あらぬ噂を流した女子弓道部員にまで影響が及んでいたであろうに。


 眉をハの字にしながらも苦笑する那由を見て、梓は那由の頭を優しく撫でた。


「無理しないの」


「えへへ……でも、二日間も休んじゃったからさ、取り返さないと」

 

「そっかそっか……ねぇ那由、この前話しした内容なんだけどさ」


 「この前?」と那由は目をぱちくりとさせた。

 周囲に聞かれない様に梓は那由を抱き締めたまま、そっと耳打ちする。


「海道への復讐の話だよ」


「え、復讐って……別にいいよ、そんなの」


「良くない、那由が今泣いてるのだってあの男が原因でしょ? 下手な嘘つかないの」


 視線を泳がせながら、梓の追及に那由は黙秘を選択した。

 黙秘とは結果として認める形にもなり得る。

 そんな那由を愛おしく感じたのか、梓は那由を更に強く抱き締めた。


「……言ったでしょ、アタシ達は那由の味方だって。他のクラスの子がね、あの写真に写ってた女と海道が一緒にいた所を見たって言ってるのよ。だから、あの女が海道の浮気相手って奴なんでしょ? なんて言ったっけ、雪華だっけ?」


 梓の語る真実に、那由は何も言わず。

 ただただ沈黙しているのだが、梓はお構いなしに話を続けた。


「ふてぶてしい男だよね、自分の元カノがいる高校に浮気相手連れてくるんだからさ、本当クズ中のクズだよ。でね、ウチ等今回の件で結構本気で海道の事を追い出そうと思ってるんだけどさ、那由、いいよね?」


「……追い出す?」

 

 梓の物騒な物言いに、那由は怪訝な表情を浮かべた。


「うん、追い出す。この学校に来れなくしてやろうよ。痴漢冤罪とか海道に襲われたとかさ、やり方は何でもアリでしょ? 先に仕掛けてきたのは向こうなんだからさ、遠慮なんていらないって」


 こと女性の立場というものは、男性よりも強い風潮が昨今見受けられる。痴漢冤罪にしたってそうだ、実際に痴漢をした不逞な輩は裁きを受けるべきではあるが、してもいない人間から金銭を奪おうと冤罪を企む輩がいるのもまた事実だ。


 では冤罪である事実が明らかになった場合、冤罪を訴えた人物に罰が与えられるかと言ったら、その答えは『NO』である。冤罪を罪にしてしまうと、それを恐れて真に被害に遭っている人が声を上げられなくなってしまうからだ。


 昨今では触ったとされる場所にDNAが付着しているかの検査も行う様だが、そこまでしないと事実判明が出来ない程に、痴漢冤罪とは難しい事件なのである。


 もし梓がその気になった場合、事前に何らかの方法で道長に触らせておいてから、痴漢を訴ええる事だって可能だろう。その場合法的に見ても科学的に見ても、道長の逃げ場は存在しない。


 それこそ良くて停学、悪くて退学の話だ。

 そこまで考えたのかは不明だが、梓の申し出に対して那由は首を横に振った。


「ありがとね梓、でも、そこまでしたら皆が大変でしょ? 私とアイツの問題なんだから、皆を巻き込む訳にはいかないよ」


「那由……」


「それにね、復讐の方法はもう決めてあるんだ」


 ニッコリと微笑んだ那由は、今度は逆になり梓へと復讐の内容を耳打ちする。それを聞いた梓の表情は何とも言えないくらい笑顔になり、最終的には「それ、いいね!」と那由の復讐方法を絶賛するまでに至った。


 一体那由が何を企てているのか、教室の反対側で瞑想している道長には分かるはずが無い。

 聞こえてすらいないであろう彼の耳は、一体今何を聞いているのか。


 昼休みの時間。


 最近の那由のお昼は教室ではなく、一人演劇部の部室で食すことが多くなっていた。教室には道長がいる、彼がいる所での食事はしたくないからなのであろう。他にも道長と二人で食べていたベンチや、食堂、その他諸々全ての場所を、那由は避けていた。


 思い出とは、美化されるものである。

 例え道長との別れが相手の浮気であったとしても、その思い出は穢したくないものだ。


「出牛先輩」


 そんな時に、廊下で那由に声を掛ける女子生徒が現れた。

 アイドルに憧れる女の子、皆重七季だ。 


「……なに?」


「あの、今朝はすみませんでした」


 七季はぺこりとお辞儀をするのだが、那由はそのお辞儀に対して何の返礼もしなかった。

 それどころか腕を組み、刺すように睨むと言葉刺々しく七季へと当たる。


「何で謝るの? だってあの写真は貴女だったんでしょ? つまり貴女は被害者のはずだけど? 浮気者って書かれてて、悔しいとかじゃないんだ? ああ、そうそう、ちょうどいいや、今から一緒に船田部長のとこに行く? 告白したんでしょ?」


「え? えっと、それは」


「認めないんだ? じゃああの写真は貴女じゃないって認めるってこと?」


 スカートの端をぎゅっと握って、七季は沈黙する。

 そんな七季を見て、那由は肩を上下させながら息をついた。


「あれが嘘だって分かってるよ、ごめんねイジメちゃって」


「出牛先輩……」


「それで? 何の用なの?」


「……あの、ごめんなさい。私、今朝の二人見てて、やっぱり嫌だなって思っちゃいまして、その……」


 気づけば、周囲には生徒の姿が誰もいない。二人だけになった那由と七季。

 七季は握っていたスカートの端から手を離して、駆け寄って那由の手を握り締める。


「出牛先輩、海道先輩との仲直りって出来ないんですか? 最近の海道先輩はあからさまに元気がないんです。矢だって外してるし、お昼も食べてないみたいで部活中もずっとお腹鳴らしてるし……あんなの海道先輩じゃないんです」


 瞳を潤ませながら語る七季の目を、那由はじっと見つめる。


「今朝だってあの写真見て海道先輩本気で怒っちゃってて……私、あんな先輩見たくなかったです。那由さんと二人で仲良さそうにしてた時が、一番輝いてました、だから、だから……」


 七季の心からの叫びを聞いた那由だったのだが。

 少しだけ天井を見つめた後、七季の背中をぽんぽんと叩いて、優しく抱きしめる。


「ごめんね、もう拗れ過ぎちゃってて、どうにもならないの」


「そんな……海道先輩は言ってましたよ? 雪之丞先輩との浮気は絶対にないんだって。土曜日も私達に説明する為に集まって、皆の前で違うんだって説明してくれたんですから、それに――」


「……それに?」


「……えっと、その……その時なんですが、出牛先輩が浮気をしてるって証拠の写真も見させて頂きました。ですから、浮気してるのを私達は出牛先輩だってずっと思ってまして、その……」


 船田と那由が浮気をしている、この噂は既に那由も知っている内容だ。那由からしたらあの噂は道長が女子弓道部員を通じて流した噂であり、事実無根、根拠の一切ない出鱈目だと思い込んでいた内容のはず。


 だがしかし、今ここに両者の復縁を望む七季の口から全てが暴露されようとしている。

 道長が見た光景が、単なる練習風景であったという事実。

 

「証拠の、写真?」


「はい、学校近くの公園で……出牛先輩と船田先輩が、キスしてる写真でした」


 那由の目が大きく見開くと、掴まれていた手を今度は那由が握り返す。


「な、なにその写真」


「え? えっと、学校から少し歩いたとこにある公園があるじゃないですか、そこで出牛先輩と船田先輩がこう、抱き合いながらキスしてるところが、何枚も……」


「何それ、私知らない」


「え? だって他にも、出牛先輩と船田先輩が仲良さそうに歩いてる写真とかありましたよ?」


「知らない、本当に私なの? その写真が原因で、道長が私に別れようって言ってきたの?」


 握り締めてきた那由の手は、最大限に力が込められていて。

 今朝も泣きはらしていた揺れるその目には、あからさまな困惑が生まれていた。


「た、多分そうだと思います。だから、私達的には浮気をしたのは出牛先輩だとばかり」


「……してないよ、私、浮気なんて一回もした事ないよ……」


 きっと今の那由は頭の中で全ての情報を精査しようと必死だ。

 木曜日に突然告げられた別れ、何を聞いても理由を教えてくれず。


 道長の家に向かうと雪華の家から喘ぎ声が聞こえてきて、那由は道長の浮気を疑った。

 そして流れてきた船田と那由の浮気騒動、週明けに貼られていた船田と雪華の写真。


 全てが拗れ過ぎている、一体何が真実でどれが嘘なのか。


「出牛先輩が浮気をしてないとしたら、あの写真は一体――」


「ちょっと待ちな、那由、その子から離れた方が良いよ」


 誰もいなかったはずの廊下に、気付けば二年三組の女子が勢ぞろいしているではないか。

 声をあげたのは梓だ、彼女は早歩きで那由へと近寄ると、その腕をとって七季から遠ざける。


「アンタ、弓道部の一年だろ? 昨日あの女と道長が校舎内に居た時にも一緒に居たらしいじゃないか。那由、そんな子の言ってる事なんか信じちゃダメだよ。コイツ等がアンタと船田の浮気の噂を流した張本人だって、前に言ったじゃないか」


「そ、それは……」


「何? 嘘なら証拠を見せてみなさいよ! いい加減こっちは頭に来てんだからね!? 那由は何にも悪い事してないのに散々イジメてくれちゃってさぁ! 傷心の那由をこれ以上傷つけたら、一年と言えど許さないからね!」


 梓の怒りに同調して、他の女子生徒も七季を睨みつける。

 

「それに、あの写真をばら撒いたのだってアンタ達なんじゃないの? 正直、何が目的か意味分からないけどさ。船田先輩と那由の噂を流して、今度は船田先輩を浮気者扱いしてるんだろ? 一体何がしたいんだよお前等……いや、違うか、海道道長って男はよッ!」


「俺がどうしたんだよ」


 七季一人に対して十人以上の女子がにらみ合っている中、渦中の男、海道道長、現る。

 「海道先輩」と泣き始めた七季を、道長は抱き締め引き寄せた。


「寄ってたかってウチの可愛い一年をイジメてんじゃねぇよ、くだらねぇ」


 突如現れた道長を見て、那由は一歩前へと進む。

 その目はまだ真実を受け入れられていない、困惑の瞳だ。


「……道長」


「見損なったよ」


「……え?」


「お前がこれを仕切ったんだろ」


「ち、違う、私は何も」


「……知らねぇ、金輪際俺の周りに現れるな。行くぞ七季」


 七季もこんな状況は望んでいない、彼女が望んだのは道長と那由が笑顔で一緒にいる事だ。

 二人が一緒にいる時、クラスも、部活も、何もかもが平和と愛で満ちていたのに。

 今は何もかもが混沌としていて、どこにも幸せが存在しない、まさに地獄絵図だ。


 けれど、今の七季には何も出来ない。

 自分達がしてしまった事、手伝ってしまった事が、今を生み出してしまっているのだから。


 申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。

 七季はただただ泣き続け、道長の胸の中で謝罪の言葉を繰り返していた。


――

次話「もしかしたら那由さんの事が好きかもしれない。」

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