第十話 ぼ、僕で良ければ喜んで!
あらすじ:雪華が船田に告白した。
――
船田宇留志は優しくて頼りがいのある男である。
幼い時から正義感が強く、それは警察官である父親譲りなのかもしれない。
困っている人がいたら手を差し伸べ、一切の見返りを求めないままに動く。
弱きを助け、強気を挫く。
例え相手が屈強な道長であっても、自分の考えを貫き通す男気の持ち主だ。
那由の涙は彼を動かすには十分過ぎる程の破壊力があった。
結果として変な噂が流れてしまったと那由から聞かされたが、彼自身に後悔の二文字は存在しないことであろう。誠心誠意触れ合えば、人類皆分かり合えるはず、そんな一本気な男なのだ。
だが、高校三年生の彼には、未だに彼女がいない。
好きな人はいる、しかし、自分の事となると本当に動けないのだ。
情けないと思うなかれ、思春期とはそういうものである。
「船田先輩……好きです、付き合って下さい」
そんな船田の前に、自分の事を好きだという女の子が現れた。
絶世の美女、この学校にこんな可愛い子がいたのであろうか?
答えは否だ、いないのである。
なぜなら彼女は月夜野聖女学院に通う他校の生徒なのだから。
だがしかし、そんな事を船田が知る由もない。
突然舞い込んだ僥倖に対して、船田が取った行動、それは――
「ぼ、僕で良ければ喜んで!」
即答である。
この女の子は誰なのか、何故自分の事を好きなのか。
そんな疑問は星の彼方へと既に捨て去った、さようなら、船田の片思いの相手。
もしかしたら幸せな家庭を築けたかもしれない、けれども彼は目の前にいる美女を選んだ。
遠くの百万円よりも、目の前の一億円。
例えが間違っていると分かってはいるが、そんな所だろう。
それ程までに雪華が可愛いというのもあるが、そもそも船田は浮気者だ。
那由の時にもぐらついていた節が感じられる、若い男なんてこんなものである。
しかし、告白を受け入れられたはずの雪華の表情は、これでもかって程に歪んでいた。
可愛い雪華であっても、こんな変顔が出来るんだって驚くぐらいに歪んでいた。
この告白は雪華の考えた『お灸』なのであろう。
雪華のお灸の対象は那由ではなく、船田にあったのか。
浮気という罪は、決して一人では生まれないもの。
那由ともう一人、船田という男がいたから、幼馴染である道長は苦しむ事になったのだ。
だがしかし、この告白が一体どうやって船田への『お灸』になるのか。
しかめっ面だった表情を整えて、雪華は語る。
「でも、私先輩の噂を聞いたんです。二年三組の出牛那由さんと付き合ってるって……だから、付き合うならきっちりと別れてからお願いしたいのですが」
「ああ大丈夫! 付き合ってないから!」
雪華のおでこにビキッと青筋が浮かんだ。
「付き合って……ない?」
「うん! 何か変な噂が流れたみたいだけどね!」
「え、でも先輩と那由さんって……その、キスとか」
「えぇ!? そんな事してないよ! ぼ、僕のファーストキスは君に捧げるって決めてたんだから! 今決めたんだけどね! それにしても、ぼ、僕の事が好きとか……うへへへへ!」
ナメクジの様に身体を波打たせながら、船田はモジモジと雪華に迫る。
後ずさりしながらも、雪華は更に踏み込んだ質問をした。
「他にも、仲良く手を繋いで歩いてたりとか」
「あれは遊びの一種だね!」
遊びの一種だね! の後にも、船田は劇で使う足運び練習、の様な事を言っていたのだが、どうやら雪華には聞こえていないらしい。
ここまでの情報を纏めよう。
船田宇留志という男は、道長から那由という恋人を奪い取り、彼の知らない所でキスをする不埒な男だ。問題になるのを恐れたのか、二人の不貞に気付いた道長に対して「僕達は付き合ってない、本当に那由が好きなのは道長だ」と言ってのけて、自分の関与を否定するクズである。
その後も手を繋いで道を歩き、那由との関係は保持していたにも関わらず、雪華の告白には即答で了承する。そして那由との関係を再確認すると「あれは単なる噂」「キスはしていない」と虚言を当たり前の様に吐く糞野郎だ。
断っておくが、これは雪華が思い描くであろう船田宇留志という男の虚像だ。
実際は後輩想いの心優しい男だと、ここに述べておく。
「そう……ですか」
「今日の部活終わったら二人でどこかに行こうか! あ、そう言えば君名前は何ていうの!? いやぁ、僕、美男美女は演劇部に誘う様にしてるんだけど、君の様な可憐な美少女の存在を見落としていたとは思わなかったよ! 今からでも部に入らない!? 他にもって――――え⁉」
突然、雪華は船田の胸の中に飛び込んだ。
「ちょ、ちょちょ、どうしたの!? あ、分かった、告白が上手くいって嬉しい感じ!?」
雪華の行動を好意的に受け取った船田は、彼女の事を優しく包み込む様に抱きしめた。
傍からしたら愛し合う彼氏彼女の抱擁なのだが、雪華の顔色は真っ青である。
歯を食いしばって、小刻みに震えながらも数秒間船田の中で我慢する。
十秒ぐらいそうしたであろうか。
「ごめんなさい!」
「どわぁ!」
雪華は船田を突き飛ばし、その場から逃げる様にして居なくなった。
身体を起こした船田は逃げていく雪華を「あはは、まってぇ~」と追いかけたのだが、ついぞ見つける事は出来なかったとかなんとか。雪華は文武両道の女の子なのだ、足の速さも道長に負けない程に早い。
「はぁはぁ……まったく、何て男なのよ、本当に」
船田から逃げてきた雪華の姿は、本校舎一階の女子トイレにあった。
男子禁制のこの場所で息を整えていると、次々に弓道部女子が集結していく。
「上手くいきましたね。まさか告白をあっさりと受け入れるとは思いませんでしたが」
「本当、あの男って弓道場に来た時から気持ち悪いって思ってたけど、想像以上だったね」
「僕のファーストキスは君に捧げるって……出牛さんも可哀想」
「あんな男の何が良かったのかな? 道長君の方が数万倍カッコいいけど」
思い思い語り始める女子部員たちに対して、雪華は手を上げて制する。
「ちゃんと撮れた?」
「勿論です、雪華さんの頑張りを無駄にする訳にはいきませんから」
「録音もバッチリ、これを昼休みに流せばあの男の評判もガタ落ちね」
「出牛さんも目を覚ますんじゃないのかな? でも、もう遅いって奴よね」
ケラケラと笑う女子部員の手の中には、各々スマートフォンが握られていて。
自慢げに雪華に見せてくるのは、動画であったり静止画であったり。
雪華と船田が告白して抱き合っているシーンが満載だ。
「放送……そこまではしなくていいから、そんな事したら皆が大変な事になっちゃうでしょ?」
「雪華さん」
「いいの、那由ちゃんを騙したのは男の方だって分かったから。あんな軽薄な男、地獄のどん底に落とした方がいいのよ。うう、まだ寒気がする、道長にしてもらわないと割に合わないわね」
道長にしてもらわないと? 自分を抱き締めながら雪華が漏らした言葉に、七季が反応する。
「海道先輩に、何かしてもらうんですか?」
「え? あぁ、大したことじゃないわよ。……でも、本当にありがとうね」
「はい、後の仕上げは私たちに任せて下さい」
「うん、お願いね」
ニッコリ微笑むと、雪華は七季から私服を受け取り、個室に入って服装を整えた。髪型も変えて、一目見て告白した同一人物だとは分からない様にして、一人弓道場へと向かう。
弓道場では道長が一人で弓を射っていたが、本当に調子は良さそうだ。
射ったであろう矢が、四本全て的に的中している。
「調子良さそうね」
「ん……やっとこさだな。あれ? みんなは?」
「ちょっと用事があるとか? 着替えもしちゃったし、そろそろ他に行かない?」
「そっか、これで俺と雪華の浮気の噂が無くなればいいんだけど。って、そういえば俺、誰が噂の大元か分かってないんだけど、誰なんだよ?」
「え? まだ気づいて無かったの? ……まぁ、いいけど」
「いやいや、良くないだろ」
「いいの、知らない方が幸せな事ってあるわよ?」
雪華から聞き出すのは諦めたのか、道長は「分かったよ」と言い残し、弓道着から私服へと着替えると、一礼してから弓道場を後にした。
その後、天宮駅から最寄駅までの車内でのこと。
「なんか、ひたすらに雪華のスマホ鳴ってるな、何かあったのか?」
「ん? ああ、七季ちゃん達からよ。今日のお礼とかしてたら、返事がいっぱいになっちゃってね」
「へぇ、本当に仲良くなったんだな」
「うん……ねぇ、道長」
隣に座る雪華は、スマホを手帳型のケースに仕舞うと、道長へと問いかける。
「道長から見て、船田って男は……」
「殺したいと思ってるよ」
それまでとは違う雰囲気が、二人を包み込む。
「許せるはずがない、アイツが来た時も道場だったから耐えたんだ。他だったら多分本気で殴ってた、殺してたんじゃないかな。だから、俺はきっとついてるんだよ。最悪な事はしないで済んだし、那由の事もこうして許せたんだからさ」
笑ってるけど、笑っていない。
最近の道長はそんな笑顔をする事が増えていた。
側溝に片足突っ込んで倒れていた時もそう、ずっと笑っているけど笑っていない。
幼馴染の道長が、こんなにも苦しんでいるのを見て、雪華は口を引き結んだ。
道長の言葉に雪華は何も言わずに、ただ彼の手を握り締める。
たたん、たたん、という電車の走る音を耳にして、起こりえる未来に期待して。
鳴動する雪華のスマートフォンには『準備OK』と七季からの返事が記されていた。
さて、何も知らない船田はというと。
お昼の休憩時間を大幅に超えても体育館に戻らずに、延々と愛する人を探していた所を那由に捕獲され、走り過ぎて足が棒になっているのにも関わらず、正座でお説教を受けていた。
「あと一週間しかないって言ってたじゃないですか!」
「……だって、僕、告白」
「だってじゃない! 三時までなんですから、あと三十分も無いですよ! はい立って! 通しでやりますよ! ほら主人公! しっかりしろ!」
「ちょ、今、足が痛くて……むりぃ」
二時間近く走り回った船田は、足の痛みを訴えその日の練習は碌にできず。他部員の肩を借りながらようやく歩く事ができ、何とか帰路につく事が出来たのだが。
翌日の日曜日も本来なら練習に当てるつもりだったのだが、足の痛みが引かずに練習は中止。
何とか足の痛みが引いた月曜日、いつもの時間に船田が学校へと向かうと、それは起こった。
「船田部長! 大変な事になっています!」
教えてくれたのは演劇部の部員だ。
校門の前に人だかりができていて、張り出された何かを先生達が回収している。
「なに、アレ?」
「部長、これ! 先に見つけて撮影しておいたんですが!」
「……なに、コレ」
部員のスマートフォンに映し出された映像、そこには『浮気野郎』と書かれた船田と雪華の抱き合っている写真が映し出されていて。その後判明した事だが、その写真は校内の至る所にばら撒かれていたらしい。
ヒロインの那由に続き、主人公役である船田も再起不能なダメージを負ってしまうのか。
部員の不安が顔色として現れる中、渦中の男はスマホから目を離すとこういった。
「何だか良く分からないけど、まぁいいや。朝練頑張らないとね!」
――
次話「大喧嘩、勃発!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます