第九話 船田先輩……好きです、付き合って下さい

あらすじ:キスシーン、さらには仲睦まじい姿を見せる那由と船田の写真を見た部員たちは、浮気をしているのは船田であり、那由であると認識するも、その言動に対する違和感を覚える。けれども、当初の目的である雪華と道長の浮気という噂の根幹は叩きのめされ、道長がトイレに外した隙に、雪華はとある事を提案するのだが――


――


 時刻は十一時になろうとしている。コーヒーショップのメニューもモーニングからランチへと切り替わり、客層も土曜日の朝から仕事や部活でちょっと悲しい顔をした人達から、休みを楽しむファミリー層へと変わろうとしている店内で、雪華は女子弓道部員たちへと那由に対する『お灸』の内容を伝えていた。


「…………という訳なの、協力してくれる?」


「それぐらいなら大丈夫ですけど、雪華さんは大丈夫なんですか?」


 不安げな表情の女子部員たちを前にして、雪華は「大丈夫」と微笑む。


「ありがと、ごめんね、つまんない事に巻き込ませちゃって。道長が那由ちゃんを好きなのは知ってるし、私も好きだった。だから、酷い事はしたくないって言う道長の意見は尊重するつもり。でもね、浮気って罪なのよ、絶対に許されない罪なの。それが分かってるから道長も隠そうとしてたんだろうけど……あ、道長帰ってきた、この話はここまでね」


 ウインクがこれほどまでに似合う女子がいるのだろうか。雪華のウインクが余りに可憐で、可愛くて。思わずそれを真似てぎゅっと目を瞑ってしまう女子が数名、そして出来なくて笑う。


「なんだ、随分と打ち解けたんだな」


「道長のトイレって長いからね」


「そりゃ失礼しました。さてと、このままここに居たんじゃつまらないだろうし、せっかく集まったんだからどこかに遊びにでも行くか? 私服だし、高校見学って訳にもいかないだろうしな」


 道長の話に合わせて、後輩女子の一人が提案する。


「あ、良ければ私のジャージ貸しますから、多分雪華さんも大丈夫だと思いますよ」


「マジ? どうする雪華?」


 幼馴染の通う高校に興味がないはずが無い。

 雪華は満面の笑みを浮かべて「行く」と返事をした。


 天宮高校は進学校である。盗難防止の為に各教室は施錠されているが、図書室や食堂、自習室などは土日であっても十八時まで開放されている。ましてや今は文化祭間近という事もあり、模擬店の準備や那由や船田の様に、事前練習に来ている生徒も多数いた。


 平日とほぼ変わらない校内、私服で入場した道長達が怪しまれなかったのも、文化祭間近という特異な状況が故のことだろう。ジャージを貸してくれる後輩女子の教室まで行くと、普段は施錠されている扉も解錠されていて。教室内では文化祭の準備に励む生徒達の姿が、ちらほらと見受けられるのだが。

  

「あ、七季ななき、手伝いに来てくれたの……って、海道先輩! こ、こんにちわ!」


 噂の先輩、海道道長のご登場に室内の生徒の注目が一瞬にして集まる。

 天宮高校では滅多に発生しない痴話喧嘩、浮気をしたのが道長なのか那由なのか。


 野次馬まではしなくとも、噂を耳にしている生徒は多いのだろう。

 興味津々な瞳が道長へと注がれるのだが、当の本人は相変わらずのニコニコ笑顔だ。


「あはは、ごめ~ん、手伝いに来た訳じゃないんだ。ちょっとジャージを取りに来ただけでね」


 一年四組に在籍している弓道部女子、皆重みなしげ七季は、内巻きにまとめたボブカットを弾ませながら、教室の床で作業中の生徒の邪魔にならない様にぴょんぴょんと自分のロッカーへと向かった。


 ロッカーからジャージ一式を取り出すと、七季は雪華の事を女子トイレへと案内する。


「うはぁ、可愛い……あの、きつくないですか? 背丈同じ位かなって思ってましたが」


「ありがと、ピッタリよ。これで今だけは私も天宮高校の生徒ね」


 青基調に紫や緑のラインが入った天宮高校のジャージに身を包んだ雪華を見て、七季は「きゅん死にしそう……」と呟いた。七季はそばかすのある痩せ型の女子で、普段から「アイドルっていいよね」と周囲に話しかけ、ダンスを踊っては動画サイトに投稿したりする女の子なのだが。


 目の前にいるアイドル級に可愛い一つ上の先輩に、もはや七季はメロメロだ。

 ぴっとりと雪華にくっついて、雪華もそんな七季の事を可愛い後輩として頭を撫でる。


 平和な光景である。


「なんか、こうして道長と校舎の中を歩くのって久しぶりな気がする」


「そうか? 中学まで一緒だったんだから、そんな前でもないだろ?」


「一年半以上も経ってるんだから、久しぶりな気がして当然でしょ。一緒に日直とかやってね、重たいプリントとか持ってくれたの……懐かしいよね」


 廊下を歩きながら、雪華は手に重たい荷物を持った素振りをした。

 

「そんな事もあったっけかな。というか、さっき四年前の事を最近とか言ってなかったか?」


「あれはね、身体の発育の関係も兼ねてのことよ。いちいち揚げ足取らないの、そういうの嫌われるわよ?」


「はは、雪華の揚げ足取るのなんて、そうそうないからさ」


 幼馴染の会話、それを聞いている部員たちは何を思うのか。

 道長と雪華の距離は、二人が付き合っていないと言い切れる程の距離感ではない。


 道長と那由、二人が別れを選択した道長側の理由は明確になった。

 那由と船田のキスシーン、あれは紛れも無い浮気の証拠だ。


 けれど、女子部員たちは那由の意見も聞いている。

 二人が仲良くしていれば仲良くするほど、叩きのめされたはずの猜疑心が芽生えてしまう。


 那由が語った道長の浮気行為、船田との浮気を隠す為にそんな事をする必要が果たしてあるのだろうか? 語った所で真実を白日の下 にさらされた場合、自分の評価を下げるだけという事を那由が気付かないはずがない。


 心神喪失の状態で、那由が虚言を語っている様には見えなかった。

 出牛那由という人間を部員たちは知っている。


 だからこそ、あれだけの証拠を出されても疑いの目を向けてしまうのだろう。

 道長と雪華、この二人の肉体関係を。

 

 もし、雪華と道長の肉体関係が先にあった場合、裏切ったのは道長の方になる。

 そこまで女子部員たちが考えているかは分からないが、可能性はあるとだけ述べておこう。


「あ、ここが弓道場なんだ。へぇ、珍しい。見学とか出来るの?」


「どうだろうな、今日は休みだし、鍵が……掛かってないな。誰だ昨日のラストは」


 天宮高校が設立したのが既に三十年前、弓道場の歴史も同じく三十年だ。昔は真新しかったであろう木造二階建てのこの建物は、既に老朽化が進んでいて。引き戸を開けて中に入ると、ミシミシと床が音を立てて反応してくれるほどだ。


 二階に上がると那由と女子部員たちが密談をしていた女子更衣室があり、他にも物置が存在する。雪華は弓道場の各場所を七季達に案内され、一階に戻ると、そこでは道長が私服から弓道着に着替えて、矢を射る構えを既に取っていた。


 一矢入魂、二十射皆中の腕前は、幼馴染の前で発揮される。

 飾羽が風を斬る音、目にも止まらぬ速度で吸い込まれる様に的に当たった。


「よし!」


 思わず部員たちが声を上げた。

 先日まで当たらなかった矢が、当たる。

 

 那由との別れの傷が癒えたのか、雪華が側にいるからか。

 理由は分からぬが、今の道長の調子は随分と良さそうだ。


「なんか……調子が戻ってきたのかな」


「最近調子悪かったですもんね」


「うん。なぁ雪華」


 ちょこんと正座して道長を見ていた雪華が、ひょいと顔を上げる。


「悪いんだけど、少しだけ練習させて欲しい。七季の言う通りさ、最近調子悪かったんだけど、なんか感覚取り戻せそうな気がしてさ」


「分かりました、じゃあ七季ちゃん達に案内してもらってくるわね」


 すまない、そう言うと、道長は次を射るために精神を集中させる。

 綺麗な構えだ、見ているだけでほれぼれする程の姿勢の良さ。

 そんな道長を後にして、雪華は七季達と共に校内へと戻る。


「ちょうど良かった、じゃあ悪いんだけど、さっき言った通り……宜しくね」


「本当にするんですか? 雪華さん……危険だと思います。雪華さんに何かあったら、多分海道先輩だって悲しみますし、それに私達だって――」


 続けて何かを言おうとした七季の声は、雪華の胸の中に消える。

 自分を心配してくれる可愛い後輩の事を、雪華は抱きしめ頬を寄せた。


「……心配してくれてありがとう。七季ちゃんって本当に可愛い。でも、浮気は許せないから。絶対に懲らしめないとね」


 午前中から始まった校内散策も、既に一時間が経過し、気付けば正午を回ろうとしている。

 如何にして雪華が那由を懲らしめるのか。

 七季の不安げな表情とは裏腹に、雪華は怪しげな笑みを浮かべる


 同時刻、体育館では船田を始めとした演劇部の面々が練習に汗を流していた。

 二日間外していたメインヒロインを迎え入れての全体練習。

 既に通しで数回行われ、大道具担当の生徒の汗がびっしょりの状態だ。


 体育館貸し切りで行われる練習は、放送設備の使用方法から照明の操作まで、全てが生徒の手によって行われる本番そのもの。今年で卒業になる船田も主役として声を大にして熱演し、負けないくらいの大汗をかいていた。


 ステージの上でドレスに身を包んだ那由を抱き締める最後のシーン。

 それが終わると照明が落とされ、周囲は暗闇に包まれる。


「よし! OK! 各自休憩を取りながら映像の確認! 再開は午後一時半から!」


「「「「はい!」」」」


 ふわりと照明が戻ると、演劇部の部員たちは十一月だというのに汗を拭きながら、セットをそのままに休憩に入った。船田と那由も用意された椅子に座り、自分達の劇の映像に目を通す。


「セリフに感情がこもってないな……ちょっと自主練しますね」


「無理はしないでね、僕は喉が渇いたから食堂でも行ってこようかな。飲み物欲しい人、買い出し行って来るけど、何か希望はー?」


 那由はステージに戻り声を出さない様にして練習を再開する中、船田は一人体育館から出て食堂へと向かう。暑苦しい貴族の服から解放された船田のシャツは、まるで真夏の炎天下に散歩をした後の様だ。絞れば汗が滴り落ちることだろう。


「はぁ……でも、良かった、那由さんが戻ってくれて。やっぱりヒロインは彼女しかいないよ」


 糸目を細め恵比須顔になりながら、船田は食堂の自販機で飲み物を購入する。

 全部で十五本、結構な本数だ。


 船田は後輩に買い出しに行かせるような男ではない。

 雑務は自分でこなし、後輩たちの休憩時間を奪う様なことはしないのだ。

 縁の下の力持ち的な存在である船田、彼が演劇部部長の座に座っているのも、納得である。


 多量の飲み物を体育館に届けた後、出ていたゴミを回収しゴミ置き場へと持っていく。

 使うからには綺麗に、これが先生との約束だ。


 全員でやればいいものを、船田は一人でそれをこなす。


 燃えるゴミと燃えないゴミ、更にはペットボトルのキャップ、周りについているビニールもきちんと剥がしてから捨てる。既に出ていたお菓子の袋なんかも一緒に捨てると「船田先輩」と、ふいに誰かから声を掛けられた。


 船田が振り返ると、そこには太陽の光を浴びて藍色に輝く髪を靡かせて、テレビか映画から出てきたんじゃないかってぐらいに美形の女の子が一人、船田の側に立っていた。


 綺麗な二重に整った眉、更には長い睫毛、そこに見える髪と同じ藍色の瞳は、まるで宝石の様だ。身長は高くなく、低くなく。細い四肢をしているのに、ジャージを突き上げる双丘はそこはかとなく大きく、視線を下げるとくびれた腰つきが出迎える。女性ならではの丸みを帯びた曲線美が、船田の目をくぎ付けにした。


 雪華である。

 間違いなく雪華である。

 七季のジャージを身に纏っているが、雪華である。

 女優顔負けの氷の微笑を見せながら、雪華は船田の手を取りこう言った。


「船田先輩……好きです、付き合って下さい」


――

次話「ぼ、僕で良ければ喜んで!」

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