第七話 愛しているよ、セジャンヌ。

あらすじ:道長と那由の大喧嘩は、復讐という言葉がチラつく危険な香りを忍ばせる様になっていた。那由の友達である梓が何を計画しているのか。道長の幼馴染である雪華が何を企んでいるのか。道長と那由が別れてから、初の土曜日が訪れる。愛する人のいない休日に、二人は何をするのか――


――


 燦々とした太陽の下に空っ風が吹きすさび、落ち葉が秋から冬へと季節がシフトチェンジした事を告げると、一気に気温の低下が始まり、寒暖の差が身体を支配し始める。


 十一月上旬、土曜日の朝九時、ダッフルコートに身を包んだ那由の姿は、船田と二人、賑やかなスタバ……スターライトバケーション☆コーヒーショップの店内にあった。何もなければ那由と道長は二人でデート、もしくは部活動の為に学校へと向かっていたであろうその日。


 那由の前にはアイスコーヒー、船田の前にはホットコーヒーが置かれ、二人だけでコーヒーをテーブルにおいて語らうその姿は、まるで道長が見てしまった光景が、実は真実なんだと言わんがばかりの光景だ。


 とはいえ、今のところ会話内容は那由の謝罪ばかり。

 ホットコーヒーから立ち上がる深い香りを、楽しんでいる様には見えない。 


 なぜ二人がスタバに行く事になったのか。

 その原因は前日の夜、梓と二人で帰っている所に学校から那由へと入った連絡にある。


『出牛さん、貴女、船田君に一体何したんですか!』


『え、何って……何もしてませんが』


『嘘を言いなさい! 出牛さんに殺されるって船田君は泣いていたんですよ⁉』


 電話の向こうには、すすり泣く船田の声も聞こえてくる。


 すっかり忘れていたのであろう、那由は船田に対して噂の出所を調べるよう依頼していたのだ。依頼した直後に梓から出所を知らされていた為、その時点で船田の頑張りは霧散する事が確定ではあったのだが。


 結果、謝罪の意味を込めて、那由は学校のある天宮駅近くにあるスタバにて、船田へとホットコーヒーを奢る羽目になった。否、ホットコーヒー一杯で許してもらえるなら安いもんだと、那由から申し出た形である。


 朝から賑やかな店内で、謝罪を終えた那由は金曜日にあった出来事を船田へと伝えていた。


「そっか~、噂って結局僕が原因だったんだね」


「そうですね。でも、ありがとうございます。お陰様で随分と元気になれました」


「劇は大丈夫そう? なんだかんだであと一週間しかないし」


 昨日も那由は部活をサボっている、だが、その事に関してとやかく言う人はいない。

 那由と道長が付き合っていた事実は、演劇部の全員も知るところなのだから。


 再生紙利用のストローを咥えながら、那由はコクリと頷いた。


「大丈夫です。私の目標は女優になること、海道君のお嫁さんになる為に努力してきた訳じゃありませんから」

 

「……そっか、木曜日の那由さんを見た時はどうなる事かと思っていたけど、何とか回復する事が出来たんだね」


「回復……出来たのかもしれませんね。目の腫れも治まりましたし、励ましてくれるクラスメイトもおりますし。それに、船田先輩は私の為に沢山動いてくれました。本当にありがとうございます、迷惑ばかりかけてすいません」


 サイドにまとめた髪を肩から落としながら、那由は再度ペコリと頭を下げた。

 それを見た船田はこちらこそと、頭を下げる。

 

 基本的に良い人なのだろう、船田には何の落ち度も一切が存在しないのに、頭を下げ微笑むのだから。可愛い後輩の面倒見の良さだけではない、演劇部部長というおさがつく役職の意味、周囲から認められる人材なのだという事を、船田は言葉でなく態度で後輩へと示したのだ。


 そして、部長としての役割は世渡り上手なだけではない。


「少しでもお役に立てたら本望だよ。それじゃ今日からは休んだ分を取り返さないとだね、セリフは暗記している? お店から学校まで、歩きながらセリフ合わせだけでもしていこうか」


 部長として、高校生最後の文化祭を成功させること。ヒロインである那由の暴走を落ち着かせた船田は、次なる段階へと移る為、注文してあったコーヒーを飲み干すと、席を立とうとする。


 だが、待って下さい、と那由が船田の手を取った。


「この場をお借りして、もう一つ船田先輩にお聞きしたい事があるんです」


「聞きたいこと? 別に構わないけど……」


 浮かした腰をゆっくりと元に戻すと、船田は愛くるしい後輩へと視線を戻した。


「あの……こんなこと、先輩にしか聞けないと思うので、思い切って聞くんですが」


 眉尻を下げながらもしっかりと船田を見る那由を前にして、船田は思わず背筋を伸ばした。

 那由は学年トップクラスに可愛い、雪華と二人並んだら最早アイドルレベルで可愛い。

 

 女優を目指すと豪語するには、それなりの自信と努力が必要なのだ。

 細いのにしっかりとした筋肉のついたふくらはぎは、もはや健脚美と言っても過言ではない。


 長い髪も毎日の手入れを欠かさずに、ネイルも輝き背筋はいつだって伸びている。

 那由を彩る全てが彼女に味方している、女優になりたい、ならばなればいい。

 そう言わせる魅力を、那由は持ち合わせているのだ。


 そんな那由が、見上げる様な仕草で視線を船田に向けている。

 緊張してきたのは船田の方であろう、かつて道長が言った言葉。

 

『那由を愛する事が出来るのはアンタだろうが』


 この言葉を曲解すると、那由が船田を好きな可能性があるという事だ。

 期待するなと言うのが無理な話、なぜなら那由は可愛いのだから。


 段々と期待に胸を膨らませる船田の頬は、赤に染まり始める。

 一ミリでも可能性があるのならば、きっと船田は行くつもりだろう。


 船田の拳に、力が入る。


「男の人が浮気する時って……どんな時だと思いますか」


「え、男が、浮気?」


 期待していた言葉と違ったのか、船田の肩がガクッと下がった。


「はい、友達には質問したんですが、異性には質問した事がなかったので……というか、聞けないです。唯でさえ面倒臭い事になっているのですから、こんな質問したら『あれ? もしかしてチャンス?』とか思われるのも嫌なので。だから、人畜無害な船田先輩にお伺いします。男の人が浮気する時って、どんな時ですか?」


「じ、人畜無害……」


「はい、私、船田先輩なら何をしても平気だと思ってます」


 依頼するだけで放置しても、浮気の原因だったら死ねと言い放っても、何の問題もない。

 見方を変えれば人を馬鹿にした言い方なのだが。


「そ、それって言い換えれば僕の事を信頼してるって事かな?」


「そうですね、理解のあるお兄ちゃんの様な感じがします」


「そうだよね、お兄ちゃん……うん、お兄ちゃんならしょうがないよね。うん。そっか、お兄ちゃんか……お兄ちゃん……か。あ、ああ、そうだ、質問に答えないとね」


 船田はポジティブな思考回路の持ち主だった。

 那由から見てお兄ちゃんという事は、赤の他人よりかはマシと判断したのだろう。


 可能性の問題、果たして赤の他人とお兄ちゃん、どちらが可能性としてマシなのか。

 片方は現実的に考えると、永遠に一緒になれない気もするのだが。


「ええとね、僕には恋愛の経験とか一切ないんだけど、一応演劇っていう人の感情を表現する事を極める為には、そういった気持ちを理解する事に色々な本を読むんだよね。それによると、女の人だと寂しかったとか、そういった心の穴を埋める系統が多かったりするんだけど、男の場合は何とも言えない場合が多いんだ」


「何とも言えない場合?」


「うん、そもそもの目的が遊びの可能性が高い。男って未練がましい生き方する人が多いから、別れられないんだよ。独占欲が強いって言うのかな? でも、毎日ケーキじゃ飽きるよね、みたいな感覚で他の女の子に手を出したりもする。一途な男が殆どだけど、浮気する時ってそんな感じなんじゃないのかな。そして、本当に好きな相手が出来たら別れを元カノへと告げてしまう……で、これって海道君の話な訳かな?」


「……え? えっと……」


「はは、いいよ。僕から公言したりはしないからさ。そっか、前は教えてくれなかったって聞いてたけど、理由、分かったんだね」


 那由はそれらの返事に言葉を用いずに、静かに頷く事で全てを肯定した。

 これで船田の中にも、道長が浮気をしたという誤った認識を持ってしまった事だろう。


 船田が語った様な浮気男も世の中には間違いなく存在する、だが、道長が果たしてその部類に入ってしまうのか? それまでを考慮したらNOだ、あの男は多くを語らずに、ただひたすらに那由に対して愛を注いできた。


 けれど、今は運命の悪戯か、全てが悪い方悪い方に理解できる状況証拠だけが整っている。

 幼馴染である雪華が遊び相手なのかどうかは、那由には分かるはずがない。


 そもそもが普通の関係よりも深いのだ、だって幼馴染なのだから。

 だからこそ懸念し、だからこそ警戒してきた。


 今からだって文句を言う事はできる、互いに連絡先を交換しているのだから。

 けれど、那由はそれをしないままでいる。

 それが一体何故なのか……今は、謎のままだ。


「じゃ、行こっか。はい、コーヒー代」


「え、いや、ここは私がお金出します。昨日の詫びも兼ねてなんですから」


「いいよ、次期部長の君がやる気を取り戻してくれたのなら、それが何よりの報酬だから」


 臭いセリフを当たり前の様に言える、流石は演劇部部長、船田宇留志。

 糸目をより細めて、人懐っこい笑顔をしながら、船田は那由の手を取った。


「じゃ、セリフ合わせと足運び。同時にやりながら学校に行こうか」


「……はい、分かりました」


 スイッチ、切り替えの早さ。

 いざ演技に入ると周囲が見えなくなり、没頭する。

 役になりきって言葉を紡ぐのが演者であり、それを楽しむのが観客だ。


「愛しているよ、セジャンヌ」


「……私もです、カルテックス様」


 演者が愛を紡ぐ言葉に恥じらいなど存在しない、本来の愛し合う二人ならば、その言葉に恥など存在しないのだから。舞台やドラマ、俳優の方々が唇を交わすシーンがあるが、あの時は別人格になりきって行うのだという。


 自分じゃない、その時のヒロインならばキスをする事に恥じらいやためらいなど存在しない。

 付き合っているカップルが手を繋ぐことは当然であるし、愛を囁くのも当然だ。


 文化祭まであと一週間という状況も相まってか、信頼のおける二人は学校までの道すがら愛を語り合う。そう、人の目など一切気にせず、セリフであるカルテックス様への愛を、二車線の道路を挟んで道長と雪華が盗み見ているとも知らずに。


――

次話「私、那由ちゃんに対してちょっとお灸を据えたいと思うの。」

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