第六話 通話相手は裸の幼馴染
あらすじ:道長は弓道部女子部員へ雪華との関係にNOを突き付け、土曜日に雪華を紹介する約束をした。そんな時、教室では那由へ梓が接触を図る。復讐をした方がいい、悪魔の様に囁く梓に対して、那由はどのように返事をしたのか――
――
金曜日、夜。
ぐーきゅるると鳴り響く音が聞こえてくる。
周囲は暗く、月夜の晩だけじゃねぇんだぞという言葉を表すには最適な暗夜だ。
あー腹減ったから始まる物語はよくある物だが、この物語は既に第六話である。
理由もなしに腹の音が鳴り響く訳が無い、道長の腹の虫が鳴る理由はただ一つ。
那由がお弁当を作ってきてくれなくなったから、これである。
それまで道長は母親に対して「お弁当は那由が作ってくれるから」と言って、母親が作るお弁当が不要であると伝えていた。ならば那由と別れた事実を母親に伝えれば済む話なのであるが、しかし道長にはそれが出来ないでいる。
母親に対して那由と別れた事実が言えないでいる理由。
それは、那由と道長の両親の仲が、既に結納レベルで深いという点だ。
那由は道長の父親の酒の趣向を把握し、母親との酒を酌み交わす約束もしている。両親共にこんなぶっきらぼうな息子の嫁に来てくれる那由に対して、心の底から大歓迎ムードだったのだ。
近所への顔も広く、道長の彼女は出来た嫁、みたいな認識が既に出来上がっている程。
近くに住む大工の平八さんは、周囲に以前こう言っていたそうだ。
「俺が那由ちゃんを迎えに来てた車に対して怒鳴ってたんだよな、そしたら那由ちゃんが来て『うるさくしてすいませんッ!』って言ってくれてなぁ。高校生なのにありゃ大した娘さんだよ。儂がもう六十若ければなぁ。あっひゃっひゃっひゃ」
外堀は、完全に埋まっていたのである。
それを快く思っていたのは三日前まで。
今は妻を殺してしまった夫の様に、何かに怯えながら生きる道長なのだ。
だからこそ言えない、この二日間、那由のお弁当を食べていない事を。
だからこそマッサージをする、食費をねん出する為には働かなくてはいけないから。
「……ん、ん♡、あっ、はぁ……あっあっあっっ! はぁ、はぁ……ぁっ! き、気持ちいい、気持ち良いよ道長、んんっ! そこ、そこ、もっと、もっとぉ! あ、やだ、ひっ……っ! つよ、でも、ああんッ! やめちゃっ、やらぁ! もっとして! もっとぉ!」
「それ何とかなんねぇのか」
「むり、ムリムリムリ! 声出ちゃうの! 出したくなくても出ちゃうの! 道長がいけないんだよ! ……んっ! んんっ! いいよ道長、そこ、私弱いのぉ♡ 私の弱点全部知り尽くしてる道長がいっ♡ ないんだからね、声どころか、血流良すぎて汗が出ちゃうんだから!」
道長がしているのは、間違いなくあん摩行為である。
空腹を聞きつけた雪華が、道長にお菓子を食べさせる代わりに願い出た行為。
道長からしたら空腹の理由を母親に告げる訳にもいかず、雪華の申し出は願ったり叶ったり。
「……はぁ、肩も腰もスッキリした。はいこれ報酬の昨日焼いたクッキーね♡」
「ん、助かる」
テーブルには星形に焼けたクッキーが、お皿一杯盛られた状態で置かれていた。
脇に添えられた牛乳も口に運びながら、道長はバリボリと食べる。
異常なまでに広いことを除けば、ベッドにはお人形が飾られて女の子らしい雪華の部屋。
けれど勉強机には沢山の参考書と教科書類、図鑑に充電中のタブレットなどもあり、月夜野聖女学院で生きて行くにはこれだけ勉強しないといけないのかと、机を見れば何となく察する事が出来るほどに教材がてんこもりでもある。
お金持ちの才女の部屋、この表現が一番しっくりくる雪華の部屋だ。
「美味しい?」
「ああ、美味い。相変わらず雪華の作るお菓子は最高だ」
「うふふ、ありがと。それで? さっきの電話は一体なんだったの?」
アップにまとめていた髪をおろして、雪華はいつもの様にベッドに座りながら道長に問う。
「……ふぅ、ご馳走さん。何でもな、俺と雪華が付き合ってるって噂が流れたみたいでよ」
「え? 私と道長が? あ、おかわりあるわよ」
「もらう。……さんきゅ。でな、浮気なんかしてないって証拠も兼ねて、一度会うかって言ったんだけどよ、そしたら思った以上に皆その気になってくれてな」
「いや、それで終わっちゃダメでしょ。その噂って誰が流したのよ?」
「……さぁ、わかんね。でも女ってのは噂話大好きだろ? ウチの高校に俺と雪華が幼馴染なのを知ってる人は多いし、小学か中学が同じ奴が適当に流したんじゃないのか? 那由と俺が別れた事を知ってる人も多いしな……ま、そんなとこだろ」
二皿目のお菓子を頬張り終えた所で、ありがとなと言い、道長は立ち上がる。
「那由とのこと、いつかは母さんにも言わないといけないんだけど。どう切り出したもんかな」
「別に、私と同じように写真付きで説明すればいいんじゃないの?
「……母さん、倒れたりしないかな」
「う~ん……確かに、滅茶苦茶仲良かったもんね。絶対に結婚すると私も思ってたし」
「だろ? だから困ってるんだよ。昼飯も無いしお金もないし、どうしたもんかな。……って、愚痴ばっかでごめんな」
「いいわよ、私ぐらいしか愚痴る相手いないんでしょ?」
「はは……助かる。明日も宜しくな、九時には迎えに行くから」
「分かった、またね」
道長は冬のコートに身を包むと、クッキーだけで膨れたお腹を摩りながら、雪華の部屋を後にした。一人になった雪華は、道長が家に帰るまで窓から見届けると、皿の上に残ったクッキーの粉を指に付けて、ペロリと舐める。
「……私と道長が付き合ってるなんて噂流すの、一人しかいないじゃない……」
ぽふんとベッドに横になると、雪華はスマートフォンを手にする。
画面に表示されるは出牛那由、那由ちゃん (道長の彼女)と表示された番号だ。
「さてと、どうしようかな」
トントン……とスマホの側面を叩きながら、雪華は那由の番号を眺める。五分ほどそうしていたのだが、ひょいと起き上がると、雪華は箪笥から下着類を取り出し、その足でお風呂場へと向かった。
ちゃぽんと水の滴り落ちる音が聞こえてくる。
湯気の中、長い髪を結わえた雪華は、風呂場に持ち込んだスマートフォンを眺めていた。
雪之丞雪華は、寒がりである。
温かいお風呂が大好きで、一時間でも二時間でも入っていられる事が可能だ。
冷え性が故に血行が悪く、肩や腰に痛みを伴う事が多い。そんな彼女にとっての道長の指圧マッサージは、長年続けてもらった成果もあってか、ピンポイントでして欲しい部分に、更には丁度いい強さで指圧してくれる最高のマッサージなのだ。
声も最初は出したくなかった、絶対に恥ずかしいのが分かっていたから。だが、雪華は語る、声を出す事でストレスも発散され、道長のマッサージ効果が更に上がるのだと。
道長のマッサージを受けた後のお風呂、雪華の体調は万全だ。
脳が活性化され、考えがより深いところまでたどり着く。
「うん、やっぱり直接聞くのが一番よね。道長は別れた理由を言わなかったって言ってたけど、そんなのじゃ納得できないんでしょ? だからって私と道長が付き合ってるなんて噂流すなんて……。バカよね、だったら浮気なんかしなきゃ良かったのに」
よし、と意気込みしてから、雪華はスマホに表示された那由の番号をタップしようとした。
――が、途端に表示が変わり、着信を知らせる音が湯船に一瞬だけ響く。
目の前にあった指を止める事が出来ずに、雪華は画面をタップした。
本来ならそこは那由への発信の場所だったのだが、瞬間的に変わったそれは、ビデオ通話。
『……あ、もしもし? 雪華か? 今大丈夫か?』
向こうもビデオ通話のつもりは無かったのだろう、耳の穴だけが映り込んでいるが、声のみでも相手が道長だと分かる。雪華はビデオ通話を解除するか指が彷徨っていたのだが、そのままでいる事にしたのか、ちゃぽんと指を湯船へと沈めた。
湯葢を半分だけ閉め、そこの上にスマホを立たせている。
フリーハンドで雪華は語り掛ける、生まれた時の姿のまま。
『……大丈夫よ。どうしたの?』
『ああ、いや、明日会う子達にもさ、那由との別れた理由とか言ってないから。だから、黙ってて欲しいってお願いの電話なんだけど……あれ、なんか声が響くな。ごめん、忙しかったか?』
『ん~ん、別に、忙しくないわ。明日会う子達にも、那由ちゃんの浮気に関しては言わなければいいのよね。でもね、それって道長にとっての敵を作る事だって気付いてる? 噂は勝手に色がついて変わっていくものよ? 私と道長が付き合ってるって噂が流れたのなら、いずれはもっと酷い事になるかもしれないわよ?』
全ては道長を心配しての言葉だろう、だが、雪華の心配も他所に道長は言った。
『別に、構わない。那由は弱い女の子だから、強い俺が護れるのなら、護ってやりたいと思う。ま、今は他の男が護ってるんだろうけどさ』
ふぅ……と少し息を吐いて、雪華は水面に浮かんだ波紋を眺める。
相も変わらずの耳の穴を映している画面を見て、雪華はスマホに顔を近づけた。
『……本当に、道長って那由ちゃんの事が好きだったんだね』
『好きだった、そうだな、好きだったし、愛してた』
『泣かないから、そんなでもないのかと思っちゃってたよ』
『……泣いたよ』
『嘘ばっかり、たまには私の胸で泣いてもいいのよ?』
『ホントだって』
『……ねぇ、道長』
『ん?』
『これ、ビデオ通話なの、知ってた?』
え? と言った道長は耳からスマホを放し、画面を見た瞬間にビデオ通話を解除した。
画面に映ったのは上半身しか映っていないが、何も着ていない雪華の姿。
湯葢で下半身は見えていなかったが、上半身は裸、胸の部分は手で隠しているだけ。
白い湯気に包まれた雪華が、頬を赤くしながら画面を見つめている、そんな映像だ。
十七歳になる雪華は、妖艶な大人と可憐な少女の境にいる、魔性の女性だ。
真っ白なのに血行が良くなるとほんのり赤らむ肌を、雪華は道長だけには見せる。
『ご、ごめん! マジで知らなかった!』
『うん、ずっと耳の穴見てたから、知ってる』
『っていうか、お風呂だったのかよ、だったら後にしても良かったのに』
『別に、小学校まで一緒にお風呂入ってたじゃない。忘れちゃった?』
『忘れてねぇけど、今と昔じゃ違うだろ』
『……違わないよ、昔も今も、私と道長は幼馴染のままよ』
『そう、かもしれねぇけど。とにかく、明日は頼むな』
『はいはい、任されました』
通話が解除された後に表示されたのは、那由の番号だったのだが。
「なんか、興が削がれちゃったわね。のぼせちゃうし、また今度にしようかな」
スマホを手にお風呂から出た雪華は、明日何を着るかの吟味を始めた。
まるで道長とのデートを楽しみにしているかのような、そんな素振りの雪華。
彼女の本心は、今のところ誰にも分からない。
分かるのは、道長にとって最大の味方であり、最大の拗れる原因だという事。
道長が那由を大切に想う様に、雪華も道長が大切なのだ。
道長は心優しい男だ、復讐なんて微塵も考えない事であろう。
だからこそ、誰かが代わりに動かないといけない。
大切な人が泣き寝入りするのを、雪華はただ黙っている様な女ではないのだから。
「ふふ……明日はどんな服装で行こうかな」
誰にも負けない頭脳と美貌がある。
その為の努力は惜しまずにしてきた。
雪之丞雪華は、自信とプライドの塊である。
道長と雪華が付き合っているという噂。
そんな浅薄で軽薄な噂を、雪華はのさばらせる事が到底許せないのであろう。
僅かでも自分を巻き込んだ事を、後悔させる。
「私は、道長みたいに甘くないわよ……うふふ」
笑顔の裏に隠れている雪女の様な冷たい目に、誰も気づく事は出来なかった。
土曜日、雪華と弓道部女子が顔合わせをする一日が、始まろうとしている。
――
次話「愛しているよ、セジャンヌ」
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