第四話 雪之丞雪華って人と浮気してるって、本当?

あらすじ:雪華に絆されていた道長を、那由は知ってしまった。実際は単なるマッサージだったのだが、嬌声も相まってそのシルエットはセクロスそのもの。ずっと泣いていた那由の涙は怒りへと変わり、翌朝電車から降りてきた道長をぶっ飛ばしてしまうのだが――


――


 学校名、天宮てんみや高校、偏差値五十八の進学校であり、県内の県立高校ではトップクラスとまではいかないが、そこそこに優秀な学生たちが集まる高校である。


 今年の卒業生からプロ野球ドラフト三位の指名が来たりと、学習面以外に運動にも力を入れた高校だ。道長が入部している弓道部も地区大会、県大会の常連高校であり、全国区と言われても申し分無い程の実力校である。


 自由恋愛の校風ではあるが、無理やり人の恋人と奪ったりだとか、暴力事件を起こしたりだとか、そんな野蛮な事件を起こす生徒は一人もいない。イジメの一つもない明るい生徒が集まった学校、それが天宮高校なのだが。


 二年三組の教室で、大戦争と言っても差し支えない程の争いが繰り広げられていた。かつての米ソ冷戦をVR体験している様な張り詰めた空気は、平素明るいさわやか三組から笑顔を奪い、談笑の一つすら許さない。

 

 今朝の拳闘士那由による道長ぶっ飛ばし事件は、すぐさま学校全体に知れ渡り、他クラスの女子達は普段あまり起こらない事件に、しかも恋愛沙汰の事件に興味深々のご様子だ。忍び足で二年三組に近づき、どんな修羅場なのかと胸を躍らせながら覗き込む。


 二年三組のクラスを覗いた女子が言う、あのクラスは軍隊だと。

 

「いや軍隊じゃないし。ねぇ那由、今朝の事件で学校中噂で持ち切りだよ? 昨日まで号泣してたのに、いきなり拳って結構バイオレンスな恋愛じゃない? 一体どうしたのよ」


あずさには関係ないよ。それに海道がどんな男かって言うのも、よぉぉぉぉぉっく分かったから。もう私からは二度と近づかないって、先生にも約束したし」


 海道とは道長の事である。


 流石の暴力事件だ、学校の先生達も放置する事は出来ず。那由を生徒指導室へと呼び出したのだが、先生達の予想をはるかに上回る淑女っぷりで、那由は正直に謝罪した。


 被害者である道長についても先生達は事情聴取したが、「あれはぶつかっただけ」と本人が言い張り、今回の事件そのものが無かった事に帳簿上はなっている。厳密に言えば男女関係のもつれなのだが、自由恋愛を尊重する以上、野暮な事には突っ込まない。

 

 那由のクラスメイトである池平いけひら梓は、更に那由に食い下がった。サイドーテールにしている長い髪で壁を作りながら、耳打ちする様に声を潜める。


「でもさ、今の所どっちかって言うと、那由の方が悪女って事になってるよ? 汚嫁およめとか言われてるみたいだし」


「汚嫁? 何それ、しかも私が悪いってどういう意味よ」


「だから、今回道長君と別れたのは、那由の浮気が原因だって」 


 何それ! と叫びながら立ち上がると、静まり返っていた生徒たちはビクッ! と反応した。


 止めろ梓、これ以上刺激しないでくれ、そんな目を送るクラスメイト。

 超昼ドラ的展開じゃない、もっといけ、私達を楽しませろ、そんな目を送る野次馬。


 静まり返っている理由は様々なようだが、爆心地でもある張本人は同じクラスに存在する。

 窓際の席で大股を開いて腕を組み、休憩時間だというのに微動だにしない男、海道道長。


 元々道長は友人と語らう様な男ではない。

 休憩時間に一人で瞑想していたり、ただ座っていたり。

 時間があれば弓道場まで行き鍛錬する様な、孤独を楽しむ男だったのだ。


 昨年の文化祭以降、那由が氷の様な道長を溶かし、凍土の中から現れた糖度百パーセントの甘々バカップルと化していたのだが、それも過去の事。凍土は所詮凍土だったのか、氷壁が生まれ、このままでは永久凍土へと名前を変えかねない勢いで凍り付いている。


 そんな道長だ、愛していた那由の叫び声にも無反応を貫き通す。

 彼は未だにあの写真を那由に見せていない、つまりは誰にも語っていない。

 愛する那由が幸せに生きる為ならば、どこまでも協力するのが海道道長という男なのだ。


 つまり、井戸端会議でネタに困った道長が那由の浮気を喋った訳ではない。

 けれども梓の言う通り、学校内では那由が浮気をした結果、道長が怒り別れたとなっている。

 

「何よそれ、根拠も何もないじゃない。そもそも私が誰と浮気なんかするのよ」


「私も又聞きなんだけどね、同じ演劇部の船田先輩とか?」


 船田宇留志、彼と那由は一つの約束をしていたのである。

 梓から噂を聞いた那由は立ち上がり、その足で約束を果たすべく船田の下を訪ねた。


 三年三組に出牛那由、現る。噂の張本人が現れた事で、教室内は瞬時に静まり返った。

 那由はずかずかと歩き、お弁当を広げていた船田に近付き、顔を見るなりこう言った。


「船田先輩、死んでもらえますか」


「え!? なんで急に!?」


「何か変な噂が流れてるみたいなんで。私と先輩が浮気したとか? 今更海道に謝罪しに行こうとかは微塵も思いませんが、でも、ケジメって奴です」


「僕、ケジメで死なないといけないの!?」


「それが男って奴なんじゃないんですか?」


「男でもそれは嫌だよ! っていうかその噂は何なのさ!?」


「さぁ? 知りません。じゃあ期限を設けましょう。今日の放課後までに噂の出所がどこなのか、何でそんな噂が流れたのか、調べてきて下さい」


「分からなかったら?」


「とりあえず、介錯はノコギリで良いですか?」


「それ普通の介錯じゃないよ! 拷問だよ!」


 戦国時代に織田信長の暗殺に失敗した杉谷善住坊という人物が、鋸挽きの刑に処され実際にノコギリで首を斬られたという。恐ろしい話である。しかし、道長と別れた那由なら本当にやりかねない。那由が教室から出て行った直後、船田は広げていたお弁当を仕舞い、早速調査に出かけるのであった。


 とりあえずやるべき事はやった那由であったが、噂の出所に関しては教室に戻るなり、直ぐに梓から教えて貰える事に。


「どこに行ったかと思ったら。噂の出所でしょ? 弓道部の女子達からよ」


「……弓道部」


 那由の目が細くなり、今もなお瞑想している道長を睨みつける。

 誰もが考えつく事であろう、自分の浮気を隠す為に、道長が噂を流したのだと。


 弓道部には道長の息が掛かった人間しかいない。どのように彼が噂を流す種を蒔いたのかは那由には分からない。けれど、一枚嚙んでいるのは間違いないだろう。


 皆が見守る中、那由は道長の前まで行き、彼の脛を思いっきり蹴り飛ばした。


「~~~~っッッ!」


「痛い? 嘘つきでも痛いんだ」


「な、何すんだよ、急に!」


「別に、ムカついただけ」


「はぁ!? なんでお前がムカつくんだよ!」


「分かりたくもないわね。あ、いっけない、何でこんなクズ男なんかと会話なんかしちゃったんだろ。人生の時間無駄にしちゃった」


「お前なぁ!」


「近寄らないで気持ち悪い、浮気してんのはアンタでしょ?」


「はぁ!? 俺が誰と浮気してんだよ!」


「……本当にクズね。別れてくれてありがとう」


 チャイムによって強制的に二人の距離は離れる事になるのだが、クラスメイトは「こえええええぇ!」「なに今のやり取り!」「超修羅場じゃん!」と、色々な意味で興奮気味だ。


 好きと嫌いは表裏一体紙一重、大嫌いなはずなのに、相手の事が気になってしょうがない。

 嫌いが無関心のレベルまで発展したのならば、どんな噂が流れても無反応だろう。


 三日前まではお互い大好きだったのだ、言葉で罵倒しても、そう簡単に心は離れない。噂が気になってしょうがないのだろう、那由は放課後になると演劇部の部室へは行かずに、その足で弓道場を目指した。弓道場の二階に女子更衣室があり、那由はその扉を問答無用で開け放つ。


「きゃ……って、那由ちゃんじゃない、どうしたの急に?」


「ちょっと聞きたい事があってね。ふふ、大丈夫、すぐ済むから」


 サムターン錠をカチャリと掛けると、那由は三日月の様に目を歪ませた。

 道長との付き合いがあった以上、彼女達と那由にも面識はある。


 無論、噂の張本人たちである弓道部員は、今の那由がどういう精神状態なのかは知っていると思われる。今朝の道長ぶっ飛ばし事件も耳にしているし、今の那由に逆らう事は、大げさではなく『死』を意味するに違いない。


 死にたくない彼女達は下着姿のまま畳に正座し、弓道場で起こった事件を説明した。

 船田が現れて、道長に対して寄りを戻せと迫っていたこと。


「それに、他にも道長君何か言ってたよね。那由ちゃんを愛せるのは船田先輩だけとか?」

「そうそう、言ってた言ってた、今思うとなんであんなこと言ったのかな?」

「どちらにしても那由ちゃんいいよね、二人の男から愛されるとか、本物のヒロインじゃん」


 弓道部員の皆がきゃいのきゃいの騒いでいる中、那由は一人眉間にシワを寄せた。

 スカートの裾を握り締める素振りは、怒りに耐える様だ。


「……どうしたの、那由ちゃん?」


「私、分かった。なんで道長がそんな事を言ったのか」


「え、なに? 協力できる事があるならするよ?」


 協力するから教えてくれ、なのか、話のネタになるから教えてくれ、なのかは分からない。

 けれど、彼女達から噂が流れたのは間違いない、流言飛語の性能は実証済みだ。


 少し悩んだあと、那由は弓道部の女子部員を集めてひそひそと語り始める。

 それを聞いた彼女達は一斉に「ええええええぇ!?」と叫んだのだが。




 さて、そんな事は全く知らない被害者のはずの道長君。

 二階の女子更衣室から聞こえてくる叫び声にも動じずに、今日も弓を射る。

 ――が、当たらない、那由と別れてからというもの、彼の弓の精度はがた落ちだ。


「どうした、道長、お前にしちゃ長いスランプだな」


「……田辺主将、すいません、俺、看的に移ります」


 弓道場には看的と呼ばれる矢を回収、または的に当たったかどうかを見る為の場所がある。

 的に中った時に「よし!」と叫ぶ人いるのもこの場所だ。

 物置も兼ねたこの部屋に入り、道長は己のふがいなさに、何度目かのため息をついた。


 しばらくすると、母屋の二階からぞろぞろと女子達が下りてきたのだが、そのまま弓道場を後にする一人の制服姿の女子生徒の姿を、視力2.0の道長の目が捕らえる。


 掛けていたアイロンが取れ始めたのか、ストレートヘアから、少しだけウェーブが掛かり始めた美少女。歩き方から仕草、その全てで遠くからでもそれが誰なのか。道長には分かってしまう。


「那由……? なんで弓道場なんかに」


 出牛那由、彼女はきちんとお辞儀をすると、弓道場を後にした。三日前だったら、後を追いかけ声を掛けただろう。しかし、今の道長はその一歩を踏み出せずにいた。


 あの日見た公園の景色、きっと彼の脳内には完全にインプットされてしまった忌まわしき光景が、道長の行動を制限したのだろう。


 弓道場の女子は、基本的に道長が好きだ。

 loveではなくlike、気軽に話しかけるという意味で、友達として好き。


「ねぇ、海道君、ちょっとだけ時間、いいかな」


 船田の時の噂を流したのも、道長に正義があったからだ。

 那由に浮気されてしまったと思われる道長が可哀想で、那由を懲らしめる為に流した噂。

 

 けれど、今日那由から聞かされた内容は、それまでとは一変してしまう内容だった。

 確かめずにはいられない、そのまま噂で流すのに気が引ける。


 だから彼女達は聞くことにした、海道道長という人間を知っているからこその確認行為。

 部活が終わり、周囲に人がいないのを確認すると、女子部員はこう言った。


「雪之丞雪華って人と浮気してるって、本当?」


――

次話「復讐、しないの?」

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