第三話 ふざけんなッ! 死ねッ!!!!

あらすじ:道長は那由に対して別れを宣言した。泣き崩れる那由。船田はヒロイン役の那由の為、道長へと直談判しに行く。しかしそれは結果として船田の行動は火に油を注ぐことになってしまい、道長をより激怒させることに、二人の恋路はより拗れていく――


――


 道長の幼馴染、雪之丞雪華の高校は、彼女の家から四十分程度自転車で行った所にある。

 淑女が淑女たらん為のお嬢様学校、思想を堅実に礼節を重んずる校風、つまりは女子高だ。


 学校名、月夜野つきよの聖女学院。


 雪華が身にまとう光沢のある黒衣の制服を見ただけで、金刺繍された桜の校章だけで、周囲の態度が変わり、就職にも進学にも優位に立ててしまう。彼女が通うのはそういう学校なのだ。


 更には誰が見ても雪華の事を美少女と呼ぶだろう。


 もしくは美人、もしくは可憐、月下美人の美しさを日中夜問わず魅せる淑女。

 月の光で藍色にも見える濡れ羽色の髪は、誰が為に今日も光るのか。


 しかし道長の幼馴染にして最高の隣人は、今日も項垂れている道長の相手をしていた。

 いや、道で野垂れ死にそうになっていた道長を拾ったという表現の方が正しいか。


「ちょっと道長、大丈夫?」


「……雪華、俺もう、ダメかもしれない」


 自転車を止めた雪華は、スカートを押さえながらしゃがみ、頬杖を付いた。飲んだくれた親父の様に側溝に片足突っ込みながら空を見上げる道長は、ある意味絵になっている。そのまま油絵にでもなれば、『美少女と親父』という題材で受賞しそうな雰囲気だ。


「なに? 浮気相手の男殺しちゃった?」


「それならもっと元気だと思う」


「じゃあやれば?」


「……そうするか」


 それでは道長が殺人犯になってしまう。

 雪華も殺人教唆罪で仲良く監獄行きだ。

  

「冗談よ、それで? 那由ちゃんとは?」


「……別れたよ。朝一番に俺から別れを告げた」


「理由はちゃんと言ったの?」


「何も言ってない。誰かに聞かれたら那由が可哀想だろ」


「まあ確かにねぇ。でも、あの写真見ちゃうと、自業自得というか」


 うち来る? という雪華の誘いに、道長はただただ頷いた。

 今は話し相手が欲しいというのが、道長の本音なのだろう。


 誰かとの会話はストレス発散や気分転換には最適である。

 良く言う浮気が発覚した妻が「寂しかったから」と言うのと同じであろう。


 人は、人によって傷つき、人によって癒される生き物である。

 生まれてから死ぬまで誰かの世話になるのだから、人間関係だけは良くしていきたいものだ。


 雪之丞雪華の家は豪邸だ、雪華の部屋は電子ロックがかかり、部屋の中は十畳以上の広さを誇る。部屋に設けられた大人四人は寝れるベッドに雪華は制服姿のまま座ると、道長はもはや手慣れた感じでクッションの一つを手に取って床に座った。


 語る話題は尽きる事はない、他愛も無い会話から、那由に関する話題まで。

 一時間もすると道長の心も多少は癒されたのか、笑顔が作れるまで回復していた。


「ありがとうな、雪華、随分と気が楽になった」


「うふふ、どういたしまして。……ねぇ、道長。貴方に私が告白とかしてたら、今ならいけちゃう感じなのかしら?」


 ベッドであぐらをかきながら、見上げる様な仕草で道長を見つめる雪華は、多分世界で最高に可愛い幼馴染だろう。こんな告白染みた言葉を言われたら、万人が『いける』と言ってしまいかねないシチュエーションなのだが。 


「雪華は幼馴染だよ、妹にしか見れない」


 道長はさも当然の如く雪華の申し出を断った。

 それを受けて、雪華は抱え込んでいた人形へと顔を乗せる。


「そうよね、それを聞いて安心した。もしこれで頷いたら、その瞬間に部屋から追い出すとこだったわ。あくまで私と道長は幼馴染、それ以上でもそれ以下でもない」


「なんだよ急に改まって」


「ううん、別に。それじゃあ慰安パーティでもしましょうか♪」


「パーティって……」


 傷を癒すには最高の女神である雪華ではあるのだが、最大級に拗れる原因でもある。筋肉質の道長の心と体を癒す為に、彼女は得意のマッサージを披露し、道長もお返しに彼女のくびれた腰を指圧したりするのだが。


 さて、突然だが第一話目の文章を思い起こして欲しい。


『臭いセリフを言い合えるのも、両想いの安心感から出て来る言葉なのだろう。そんな道長の事が大好きで、彼が死ぬ時は自分も死ぬと幼馴染に漏らす程に好き』 


 そう、道長に雪華という幼馴染がいる様に、那由にも異性の幼馴染が一人いる。

 星屑ほしくず勝太かったという、三つ年上の男性だ。


 同級生ではない異性が故に、那由が道長に紹介していなかった男性の一人である。

 聞かれれば全て教えていただろうし、街ですれ違えば紹介もしていただろう。


 那由からしたら幼馴染なだけであり、勝太への恋愛感情の一切が存在しない。

 道長が死ぬ時は私も死ぬ、これを伝えた相手は誰でもない、勝太なのだから。


 そんな勝太は既に社会人である。


 車で一時間程の距離にある工場を、新車で購入したマイカーで行き来する日々。

 その日も退屈な仕事を終えて、鼻歌交じりにハンドルを握っていた勝太だったのだが。

 

 国道を抜け県道、そこから地元民しか通らない様な道を走っていた時。

 ふと、道端に倒れ込む人影が目に入り、勝太は車を停めてその人物へと足を運んだ。


 下心があった訳ではない、星屑勝太という人間は正義感の強い人間だ。

 誰か人が倒れていたら、一番に駆けつけて救助に向かう。


 それが当たり前だと周囲に言い、その為に上級救命講習なんてのも受講したぐらいだ。

 近づくとその人物が女性だと認識できた、しかも高校生の女の子。


 側溝に片足を突っ込みながら、茫然と夜空を見上げている。異常な風景だ。

 ヘッドライトに照らされたその子の顔を見て、勝太は目を見開いて驚いた。


「え、那由か? おい、どうした那由!」


「……あれ、勝兄かつにぃ、久しぶりだね」


「久しぶりって、久しぶりとか言ってる場合じゃないだろ。転んだのか? 怪我は? 那由、立てるか?」


「えへへ……立てない。勝兄、おんぶしてよ」


「おんぶって……那由、お前、その目は」


 腫れあがってしまった那由の目を見て、勝太は何かを察したのか。

 肩を貸して那由を起こすと、そのまま自分の運転する車の助手席へと座らせた。


 隣に座るかつての妹分は、時折何かを思い出した様に笑い、そして泣いて、黙る。

 勝兄と呼んでくれた、あの日見た可憐な少女が、何故こんなにも酷い目にあっているのか。


 星屑勝太は、正義感の強い男である。知り合い、しかも妹分である那由が酷い目にあっているのを、ただ黙って見ていることなど、出来やしないのだ。


 那由の家のすぐ近くまで来ると、勝太は車を停めた。

 けれどそのまま降りる様に催促はせずに、静かに語り掛ける。

 

「なあ、那由」


「……うん」


「良ければ兄ちゃんに教えてくれないか、今の那由に何が起こっているのか」


 勝太が五年ローンで購入した愛車は、アイドリングの音を車内へと届けない。

 静まり返った車内に響く音は、ハザードランプの点滅を知らせる機械音のみ。


 それだけなのに、那由の嗚咽交じりの言葉を、勝太に聞きづらくした。

 正義感の強い男は、お節介焼きの男でもある。


「那由、お前、それで諦める事が出来るのか? 兄ちゃん知ってるんだぞ? 那由が道長君の事を喋ってる時の笑顔は、兄ちゃんと喋ってる時の何倍も輝いてるってこと」


 ハザードランプの明かりが、助手席に座る那由の涙をオレンジ色に染める。


「車だしてあげるから、今から道長君の家に行くか? 直接話して、全部聞かないと那由だって納得できないだろ?」


 あれだけ仲良しだったんだから、その言葉を聞き、那由は静かに頷いた。

 理由も聞かずに終われるほど、那由の道長への愛情は浅くない。


「じゃあ、住所とか分かるか? もしくは大体の場所でも良いけど」


 すんっ、と鼻をすすると、那由は勝太を見て語り始める。


「えっとね、郵便番号3XX-9X2X、埼玉県✕市大字✕✕百一番地の二。海道正孝まさたか名義の一戸建て、要は道長君のお父さんのお家ね。お父さんの好きなお酒は日本酒なの、だから結納の挨拶には絶対に日本酒。お母さんも飲むけどお母さんはビール派なんだって。結婚したら一緒に飲もうねって約束してあるの。近くに大工屋さんがあって騒音に過敏に反応するから、車はアイドリングストップしないとダメ。道長君の家から小学校までの距離が一キロの優良物件。住宅ローンは支払い済みの築十五年の6LDKよ。道長君の部屋はそこの一番南東に面したお部屋なの。家の前まで行けば彼の部屋が見えるから、そこまで行けばきっと」


 思わぬ情報量に道長への愛の深さを垣間見た勝太は、頬を引きつらせながらも微笑んだ。


 那由の家から道長の家までは、車で一時間以上の距離。

 カーナビから流れるラジオを聞きながら、勝太は車を走らせる。


 道長の家が段々と近づくにつれ、視界の隅に入る那由の目に光が宿っていくのを、勝太は感じていた。勝太と道長の直接的な面識は無いが、妹分である那由が惚れたのだから、きっと良い男に違いない。


 その男が何故別れを切り出したのか、勝太も知りたかったのが本音なのだろう。

 だがしかし、百聞は一見に如かずという言葉がある。


 百回の嘘よりも、一回の真実。


「あ、ここ、車止めて。私、行って来るから」


「頑張れよ、那由」


「うん、ありがとうね、勝兄」


 那由の名前は、数字の単位である那由他なゆたから両親が取ったものだ。

 誰よりも大きな愛に包まれながら生きて欲しいという願い。


 事実、那由は沢山の人から愛され続けた人生だった。

 裏切られるとか、そういうのとは一切の無縁の世界。


 今回の事も、道長ときちんと話しをすれば、何も問題なく終わる事だと、彼女は信じていたに違いない。


 一歩一歩、道長の家に近付く足に力がこもる。

 事実、那由は浮気の『う』の字もしていないのだから、この喧嘩もこれで終わるのだと。


 だがしかし、喧嘩はまだ終わらない。

 いや、始まったばかりだ。


「あ、やだ、きゃ! やだ道長……そこ、ん♡ はぁ……はぁ……んんっ! き、気持ちいいよ、気持ち良いよ道長♡ ぁ、やだ、止めないで! お願い、もっと強く! はぁぁ……♡ 私、道長のこと、超良いって思ってりゅの……もっと、もっとお願い……あんっ♡」


 道長の隣の家、雪之丞雪華の部屋から浅ましい声が聞こえてくるではないか。遮光カーテンを開けているせいで、シルエットだけが外から見えるのだが。それは道長らしき男が前後に必死に揺れている状態を映し出していて。


 歩みを止めた那由は、眉間にこれでもかってぐらいのシワを寄せた後、肩を震わせながら拳を握った。引き結んだ上唇は赤い部分が消え、歯ぎしりから音が聞こえてくる程。


「ふざけんなッ! 死ねッ!!!!」


 那由は叫んだ、力の限り叫んだ。そして力いっぱい雪之丞家に向かって中指を突き立てた。

 来た時の数倍の力で地面を踏みしめながら、乱暴に勝太の車に乗り込む。 


「行こ! 勝兄ぃ!」


「おま、これ、新車」


「うるさい黙れ! 早く出して!」


「わ、分かったよ……」


 勝太の車が急発進した頃、雪華の部屋では道長による指圧マッサージが行われていた。

 力のある道長のマッサージはもはやプロ級であり、雪華は度々お願いしているのだが。


「雪華、お前、その声何とかならないのか?」


「……はぁ、はぁ……むりぃ」


 恍惚な表情で血流が良くなった肩を触ると、雪華は「もっと♡」とせがんだ。

 雪華の両親も最初は娘の嬌声に驚いたものだが、今では何とも思わない。


 むしろ「はっはっは、次は私も頼むよ」と依頼が入る程だ。一回千円、小遣いの足しには丁度いい金額、道長がマッサージを辞める理由は、今の所存在しない。


 そして翌朝。


 七時四十五分の電車に乗ってきた道長がホームへと下りると、いつもの端っこにいるはずの那由が何故か目の前にいた。道長の好きな三つ編みではなく、ストレートヘアにアイロンを掛けた那由の姿は、ともすれば雪華に見えなくもない。


 その姿に、何のメッセージが込められているのか、道長には知る由もない。

 半眼になりながら那由の脇を通り過ぎようとした道長だったのだが。


 突如としてその腕を掴まれる。

 はぁ、と軽くため息を吐いた道長が、さも面倒くさそうに振り向こうとした、その時。


「――――オゴッ!?」


 クリティカルな一撃が、道長の顎を襲った。

 那由の将来の夢は女優になること。


 毎日の鍛錬は決して怠らないし、腹筋だって割れるくらいに鍛えている。

 踏み込んでからのステップ、更には腰の入った消しゴムを握りこんだ一撃。


 女性の一撃とは思えない強烈な拳が、身長百七十七センチ、体重七十キロの道長を吹き飛ばした。吹き飛んだ道長は、そのまま電車の中に戻り、そして無情にも扉が閉まる。


「死ねよッ! クソ浮気野郎ッ!」


 電車の車内で横たわる道長へ手向けられた言葉は、那由の精一杯の罵声の言葉だった。


――

次話「雪之丞雪華って人と浮気してるって、本当?」

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