第二話 僕って、那由さんの事を愛する事が出来たりするの?

あらすじ:道長が見たのはキスの練習シーンにしか過ぎなかった。だが、それを写真に収めた道長は幼馴染である雪華へと相談。翌朝、那由へと別れを切り出してしまうのだが――


――


 きっと、今の那由には道長が何を言っているのか理解出来ていない。

 広がった瞳孔には那由から目を逸らす道長が映り込み、彼から一切目が離れないままだ。


 乗って来た電車が去った後も、駅のホームから生徒が居なくなった後も、それは変わらない。

 人間、本当に理解不能な出来事に巻き込まれると、身体が動かなくなるという。

 

 頭が働かなくなり、次に何をすべきか脳から命令が発信されないのだとか。

 多分、今の那由はそれに近い状態にある。


 リュックに入っているお弁当には、白米の上に海苔で『道長大好き♡』と書かれていた。

 他に食べさせる相手なんていない、このお弁当は彼の為だけに存在する。


「……な、なんで? 分かんないよ、道長」


「俺だって、分かりたくなかった」

 

 道長の言葉が、那由をより一層混乱させた。

 那由の瞳には涙が溜まり、ほろり零れる。


 十か月という短くない時の流れで育まれた愛が、悲しみに変わった瞬間。

 あまりの悲しみに、那由の足は震え始め、立っているのもやっとの様に見える。


「なにそれ、ねぇ、本当に分かんないよ。冗談でしょ? いつもみたいに、ひっく、私を喜ばそうとしてるドッキリか何かでしょ……? ねぇ、道長……そういうの、辛いよ、やめよ? ねぇ、道長――」


「俺だって……俺だって分かりたくなかったんだよッ!」


 叫ぶ声が駅構内に響く。どうやら、道長の言葉に嘘偽りはないらしい。

 昨日雪華に抱き締められながら決意した気持ちに、嘘は付けない。


 泣き崩れる那由を残し、道長は駅のホームを後にした。

 待って、分かんないよ……という、掠れる声を背中に浴びて、道長も涙を流す。


『海道道長と出牛那由が別れた』


 この噂は道長が乗ってきた次の電車に乗っていた生徒達から、一瞬で学校全体へと広がる。

 当然、演劇部の船田の耳にも入る事となり、船田は放課後、那由を部室へと呼び出した。


 船田宇留志という、覚えづらい名前の男についても少々語っておこう。


 演劇が好きで、純粋に今回の文化祭での劇を素晴らしいものにしたいと考えている。

 ちなみに彼女はいない、好きな子はいるが、絶賛片思い中だ。


 彼の那由に対する下心が無いかというと、それはきっと嘘になる。

 那由は自分に厳しく、体型から笑顔の練習まで全力で取り組む女の子だ。


 勉学にも手を抜かない才媛であり、彼女を狙っていた男子は多い。


 しかし、これまでは道長がいた。

 非の打ち所がない男であり、道長と那由は誰がどう見ても最高のカップリング。


 それが外れたのだ、がっちりとハマっていた南京錠が、突如解錠された。

 放たれた魚はとてつもなく大きい、是が非でも自分のものにしたい。


 こう思ってしまうのは、船田じゃなくても当然だ。

 それぐらいなまでに、那由という女性は出来た女であり、一途で可憐だった。


 那由の顔を見るまではそんな事を考えていたのだろう、鼻の下を伸ばした表情だった船田だったのだが。部室へとやってきた那由を見て、それどころではないと気付く。


 一途過ぎる那由には、道長の別れの理由が分からなかった。


 自分に直すべきところがあるなら直す、全部ちゃんと言って欲しいと道長に問う。

 けれど、道長は理由を一切語ろうとせず、それが優しさだと気付く事も出来なくて。


 多分だが、道長は全てを暴露する事で、那由が付いている嘘がおおやけになる事を恐れたのだろう。

 高校生にして同じ学校内で浮気した、こんな情報が流れてしまっては那由が可哀想だと。


 口にすると誰かに聞かれるかもしれない。

 それを恐れた道長は、一切を語らずに別れだけを切り出したのだ。


「だ、大丈夫?」


 船田に呼び出された那由の目は真っ赤に腫れあがり、涙腺が壊れたのか今も涙が止まらない。

 それだけ好きだったのだ、他の選択肢が考えられない程に愛していた。


 なのにただ一方的に別れを告げられて、同じクラスなのに近寄る事すら出来ずにいる。

 那由は午前中からずっと保健室にいた、放課後になってようやく動けるようになったのだ。


「えっと、僕に何か出来る事があるなら手伝うけど」


 演劇部の部員は体育館で文化祭のリハーサルをしている。

 いま部室にいるのは船田と那由の二人きり。


 かれこれ二十分程度にもなるが、二人の会話は今の所一方通行だ。


 廊下を歩く楽し気な女子生徒の声や、野球部の金属バットの響く音。

 普段ならこの演劇部の部室だって、それらに負けないくらい賑やかなのに。


 もしかしたら、演劇部の面々がここにいないのは、この空気に押しつぶされてしまうのを恐れた結果なのかもしれない。そんな日常では有り得ない程に重い空気が、演劇部の部室に漂っていた。那由は椅子に座ったまま、思い出したように泣いては、涙を拭う。


「那由さん、泣いてばかりいちゃダメだよ。何で別れたのか聞いたの?」


「……きぃた、おぃえて、くぇ……ヒック……ながったの」


 ずっと泣いていたからか、声がおかしい。

 このまま文化祭を迎えてしまっては、劇にも響く。


「じゃあ僕が調べてこようか? 今のままの那由さんじゃ、どうにもならないでしょ?」


「……いぃ、むり、もう、ヤダ」


「そんな、じゃあ今度の劇はどうなるのさ。道長君が別れるだなんて、一時の気の迷いに違いない。みんな久しぶりの体育館での劇に本気なんだ、それをヒロイン役の君が出なくてどうする」


「……ごめ、なさぃ……」


 小さな声で語る那由は、船田が見てきた那由ではない。

 一途過ぎる彼女の心の支えは、既に海道道長という一人の男だったのだ。 


 ぽっきりと折れてしまった心の骨は、船田に修復できるものではない。

 那由は無理と言っていたが、船田はその日の内に行動を開始した。


 だが、ここで少し考えて欲しい。

 浮気を許せない道長の下に、浮気相手である船田が問い詰めに行ったら何が起こるか。


 道長は那由を想い、全てを暴露せずに別れを告げた。

 全ては優しい道長が、最愛の那由を想っての行動に違いないのに。


 その日の弓道部は、普段とは何かが違っていた。

 次期主将とまで噂されていた海道道長が、出牛那由と別れた。


 那由と道長のバカップルっぷりは部員全員が知るところであり、この二人が別れるなんてよっぽどの何かがあったのだろうと、三々五々に散りひそひそ話に花を咲かせる。


 相当に荒れる、台風の日の海の様に怒りという高波が発生するに違いない。

 けれど、道長予報は大いに外れ、不気味なまでの静けさを保持し今に至る。


 海道道長という男は、最愛の那由が浮気をしていても動ぜず写真を撮る男だ。

 その男が、今日は射った矢が的を貫かない。


 当たらなかった矢を視力2.0の動じない瞳が見つめ、鼻で軽くため息をつく。

 鉄の男と揶揄される道長でさえも、ここまで崩れさせる恋愛、破局。

 

 それでも努めて平素と変わらぬ道長を見て、部員たちはどこか安心し、練習に励む。

 その時だ、予期せぬ訪問者が現れたのは。


「道長君に話があるんだけど、大丈夫かな」


 演劇部の部長、船田宇留志が弓道場に現れた。

 那由が演劇部に所属しているのは、誰もが知るところ。

 

 きっと部長である船田が、事情を伺いにきたに違いないと皆が見つめる中。

 

「……あ゛?」


 道長が普段とは違うドスの効いた声を出したその瞬間、全員が察知した。

 コイツが原因だと。

 痩せ細った糸目くせっ毛の男が、道長のフラストレーションの原因なんだと。

 

 道長予報が再度展開される、怒りの台風が進路を変更し直撃コースに変わった。


 バカな真似は止めてくれと、ある者は指の隙間から眺め。

 修羅場超大好きという女子部員たちは息を飲んで、道長と現れた間男を見比べる。


「君が那由さんとどういう経緯で別れを選択したのかは知らないが、彼女は君の事が今でも大好きなんだ。愛する人の幸せを願って身を引いたのなら、それは間違いだ。愛する人は自分の手でこそ幸せにするべきであり、それが恋をしてしまった者の責務なんじゃないのかな?」


 この男は一体何を言っているのか。

 部員たちは道長の「……あ゛?」だけで全てを察したのに、この男は何も察していない。


 無知とは、許される時と許されない時が存在する。

 今の船田は、きっと許されない無知だ。


「だったら、アンタが幸せにしてやればいいんじゃないんですか」


 道長からしたら、全ての原因は船田にある。

 よく殴り掛からずに理性を保っている、偉い。


「僕にそんな事が出来るはずがないじゃないか! 那由さんが愛しているのは道長君、君なんだよ! 百歩譲って那由さんの中に僕に対する好意があったとしても、それはきっとお遊びにしか過ぎない! だって本当に好きなのは道長君なんだからね!」


「……今、何て言いました? 那由の事をお遊びにしか過ぎない?」


 台風が、スーパーストームへと姿を変えようとしている。

 部員は見た、道長の手に握られていた矢が、人差し指一本でひしゃげているのを。

 

「ああそうだ! 那由さんが僕に対して本気になる訳が無い! だって僕はぐふぇっ!」


 道長の剛腕が、船田を掴み持ち上げる。

 弓を扱うにはかなりの筋力を要するものだ。


 筆者も弓に多少の覚えがあるが、震えずに静止する事ですら相当な筋力を要求される。


 道長が使うのは、人間五人ぐらい一矢で貫通する事が出来るぐらいの剛弓だ。

 的に突き刺さった矢が、羽の部分まで食い込む程に強い。


 そんな強者である道長だ、軽々と船田を持ち上げるのなんて容易そのもの。

 那由を想って誰にも喋らなかったのに、お前がぶち壊すのかといった雰囲気だ。


「那由を愛する事が出来るのはアンタだろうが、いい加減にしないと本気でキレますよ」


「な、何を馬鹿な事を言う! 那由さんを愛する事が出来るのは君だけだ!」


「だから……だからぁッ!」


 道長の拳が弓なりにしなり、船田を殴ろうとするが。

 張り詰めた弦が、弾かれる事は無く。


「……ここは神聖なる道場なんです。色恋沙汰を持ち込む事もご法度なんです。船田先輩、勘弁してください。胸倉掴んで持ち上げたこと、本当にすいませんでした」

 

 一歩引いて道長は船田に対して謝罪する。

 道長の眉間には限界までシワがより、よく見ると彼の目は充血し、血の色をしていた。


 道長と那由が相思相愛なのは学校中の誰もが知るところ。

 永遠に別れるはずの無い二人が別れたのだ、誰よりも辛いのは当事者のはず。


 その二人の間にいる船田は、まさか自分が原因だとは思わずに弓道場を後にした。

 気づかなかったのは船田だけである。


 全てを察知した弓道部員から「原因は船田」と広まるのに、時間は要らなかった。


「ごめん、取り付く島もないっていうのは、ああいうのを言うんだろうね」


「……そう、ですか」

 

 演劇部の部室に戻った船田は、部室の壁と同化しそうな程に動かないままの那由に報告する。

 そして何を思ったのか、船田は那由に対してこんな質問をした。


「でもね、ちょっと気になる事を言ってたんだけど……。僕って、那由さんの事を愛する事が出来たりするのかな?」


 それまでピクリとも動かなかった那由の眉が反応し、ゆっくりと上体を起こす。

 時間の経過で喉も随分と良くなったのだろう、低い声で那由はこう言った。


「……もし、今回の原因が船田先輩にあった場合。私、貴方の事を殺して生首持参して道長君に許しを請いに行きますよ。それと、船田先輩が私を愛する事は絶対に出来ません。例え道長君と別れる事になっても……別れる、ことに……わかれ…………ぃぐ、ぇぐ……」


 戦国時代だろうか? ともあれ、再度泣き始めてしまった那由は直ぐには動くことが出来ず。

 やっとこさ彼女が帰宅できたのは、部活の活動限界である十八時のことであった。


――

次話「ふざけんなッ! 死ねッ!!!!」

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