第2話 素敵なお皿を有難う

 半刻後、ジャンはアマアナとサリナを連れて、外町南通りを進んでいた。日が傾いて幾分涼しくなったせいで人通りも増えている。この辺りは亜人が寄り添うように集まって作った町だ。こういう町はどこも同じで、女を抱けるエルフの肉屋、脂粉の匂うドワーフのなまず巫女、担い売りのオークの田楽屋、何でもかんでもぶち込んで、ぐつぐつ煮立てた鍋のような共同市場だ。そのうち、亜人たちは世界中の街角をこんなふうに変えてしまうに違いない。もっぱら街の裏側に蔓延はびこるのが唯一の美徳だが。

 その中を、ジャンは顔見知りと気易く挨拶を交わしながら、落ち着かない眼の二人を引っ張るように、ずんずん歩いていった。


 あしか亭は、そんな町の喧噪から取り残されたように、ぽつんと静かに佇んでいた。奇怪な生き物を彫った看板の下に、夜に限っての商いが許されていることを示す箒が吊るされている。この店が開くのは暮れ六つの鐘が鳴ってからだ。

「ねえ、ここ、曖昧屋じゃないわよね」

 不安そうな声でアマアナが言った。

「違えさ。真っ当な飲み屋だから安心しなよ」

 戸を引き開けて敷居を跨ぐと、中はどこにでもある場末の酒場だ。土間に並んだ長机も床几も不揃いで、昨夜の酒と料理と客の人脂の残り香が渾然一体となって、饐えた醞気うんきのようにし掛かってくる。

「うわ」

 アマアナが思わず呻くように声を漏らして眉をしかめた。大人しいサリナも僅かに顔を強張らせる。そんな二人を気にもせず、ジャンは奥へ向かって、

「すいませんよう」

 と声をかけた。


 暫くすると、

「あいあい」

 ころんからんと下駄の音がして、柿色の単衣に紺の前掛けをした禿髪の少女が現れた。

「アイカさん、御無沙汰してました」

「あ、ジャンじゃない。いらっしゃい」

 アイカが三白眼の赤い瞳をにっと細めた。

「もう、さん付けはやめてって」

「勘弁してくださいよ。アイカさんを呼び捨てなんて、どうにも決まりが悪くていけないや」

 自分より小柄で年下そうなアイカに何度も頭を下げるジャンを、アマアナは胡散臭げな顔で眺めた。

(なによ、ジャンたらあんな小娘にぺこぺこしちゃって)

 その時、アイカを追うように、影がもう一つ出てきた。たてがみのように盛った赤銅色の髪、二重の大きな眼に琥珀色の瞳、冷たい感じの整った顔立ちに色白な肌、六尺近い長身を渋柿色の単衣の小袖で包んでいるが、胸と尻が威嚇するように張り出して、緩やかにくびれた腰で繋がっている。

「アイカ様、仕入れの方ですか」

 たてがみの女性が落ち着いた声で言った。

「違うよ、ドーラ。ジャンが来てくれたの」

 アイカの言葉に、鬣女が丁寧に頭を下げ、

「そちらのお二人は」

 氷のような視線をアマアナとサリナに向けた。

「アマアナです。ジャンと学問所で一緒でした」

 なんとか動揺を抑え込んでアマアナが挨拶した。続いて、

「サリナです」

 慌てて御辞儀する二人に、

「ドーラです」

 無表情だった唇がすいと動いて小さな花が咲いたように控え目な微笑みが浮かび、それからたっぷり優雅に頭を下げた。

「い、いえ、こちらこそ」

 貫禄が違いすぎる、ジャンはアマアナとサリナに秘かに同情した。


「ところで、今日はどういった御用向きなの」

 アイカがジャンに顔を向けて尋ねた。

「ああ、実は親父の使いでニドさんに話があるんだ。これ、どうぞお納めください」

 手にした風呂敷包みを手近な長机に置いた。アイカが包みを開くと、白い平皿が十枚、半紙を挟んで麻紐でまとめて縛られている。

「わあ、綺麗なお皿」

「六番街の御武家の蔵から出てきた新物あらものだよ。親父が持っていけって」

「有難う。ニド姉さんも喜ぶよ」

「それでそのニドさんは」

「ニド姉さんは昼過ぎに出かけちゃったの。会同があるんだって。今日は遅いと思う」

「そりゃあ参ったなあ」

「どうする、夜まで待っててもいいけど」

 アイカの問いに、ジャンがアマアナとサリナを振り向いた。この店は夜になると狂乱のちまたと化す。そんな鉄火場に二人を置いていいものか。

 ジャンの困惑をアイカも察したのか、

「取り敢えず、ロラ姉さんを呼んでくるね」

 そう言って、ジャンの答えも待たずにさっさと皿を両手で抱え、ドーラと一緒に奥へと消えてしまった。

 置き去られたジャンとアマアナ、サリナの三人は、ただ呆然と立ち尽くすのみ。


「あのドーラって人、物凄い美人だったわね」

 やがてアマアナがぽつりと言った。

「うん、あんな美人初めて見た」

 サリナも溜息を洩らした。

「あんな美女びんじょさんと知り合いなんて聞いてなかったわよ」

 アマアナの碧い眼が問い質すようにジャンを睨み据えた。

「何だよ。どうして俺がそんなこと言わなくちゃならないんだ」

「うるさい。何よ、鼻の下伸ばしちゃって」

「伸ばしちゃいないよ。ドーラさんはこの店住み込みのお手伝いだけど、俺だってさっきは誰なのか、わからなかったくらいなのに」

「どういう意味よ。知り合いじゃないの」

「違うよ、ドーラさんは三つ子なんだ。上にグスタフさん、下にカールさんって名の姉さん妹さんがいて、俺には全然見分けがつかないんだ」

「あんな綺麗な人があと二人も」

 サリナが絶句した。

「覚悟しといたほうがいい。この店にはもっといるんだ。クメ川の武者揃えみたいにね」

 ジャンが声を低めて二人に忠告した。


 その声に応えるように、奥から音も立てずに長身の女が姿を見せた。背はオークほどではないが、それでも六尺は超えている。艶な漆黒の髪を後ろで無造作に束ね、肌は白磁の如く、切れ長で涼し気な二重の眼に血のように赤い瞳。大質量の双球が暗黄色の小袖の前を圧し、茶革の前掛けを絞めた腰はあくまで細く、そこまら再び足の先まで扇情的な線を描いている。

「ロラさん」

 女はジャンと凍り付いたように目を丸くしたアマアナ、サリナを見回すと、

「いらっしゃい。ジャンくん、素敵なお皿を有難う。ゼベルさんにもお礼を言っていたと伝えてね」

 柔らかいよく通る声だった。

「そちらの可愛らしいお嬢さん方が、アマアナさんとサリナさんですね。この店で台所を預かっているロラと申します」

 首を傾けてにこりと笑った。

「ロラさん、実は相談事があって来ました」

 ジャンの言葉に、

「ええ、アイカから聞いてます。こちらで伺いましょう」

 と三人に坐るように促した。



「お話はだいたいわかりましたわ」

 湯呑の黒茶を一口啜って、ロラが姿勢を正した。

「つまり、サリナさんのお姉さん、ええと、リサさんに付きまとってる男を何とかすればいいのですね」

「はい、お願いします」

 サリナが頭を下げた。

「探し出して捕まえて、番所に突き出せばいいのですか」

「いえ、そこまでは。姉に付きまとわないようにしてくれれば」

「おろくにするのが、一番後腐れないと思いますけどねえ」

 綺麗な顔で物騒なことを言う。

「そんな、困ります。姉に近寄らないようにしてくれればそれで結構なんです」

 慌ててサリナが首と両手を振った。

「そうですか」

 ロラはちょっと眉を顰めて残念そうな顔をして、しばし考えるようであったが、ふいに手をぱんと叩いて、

「そうだ、話が長くなりそうだから夕餉にしましょう。少し早いですけど」

 にっこり笑って、

「お腹が空いていたら、妙案も浮かびませんものね」

「ロラ姉さん、考え無しに素敵なことを思いついたみたいな顔しないで」

 隣に坐ったアイカが憮然とした顔で言った。


 まだ客のいない店内で、一同はなし崩しで夕食となった。

 ロラが嬉しそうに皿を並べていく。料理といっても野菜屑を混ぜた麦粥に焼いた小魚三尾が付いただけの質素なものだ。

まかないで申し訳ありませんけど、お代わりなら幾らでもありますから」

 たくさん食べてくださいねとロラは笑った。

「この店で一番美味いのは、ロラさんが作った賄いなんだぜ」

 ジャンが自慢げに胸を張った。

「なんで、あんたが威張ってるのよ」

 アマアナが容赦なく言い返す。

「ふふ、お口に合えばいいのですけど」

 にこにこしながらロラは席につくと、

「ああ、忘れてたわ。アイカ、二階に上がってスウを呼んできて頂戴。料理が冷めないうちにね」

「うん」

 アイカがぱっと立ち上がった。


 店の奥に消えたアイカを見送って、ロラがジャンら三人に振り向いた。

「ニド姉さんは、ここ数日、会合で忙しく、私も台所から離れられません。ですから、こういう仕事にぴったり向いてる娘を御紹介しますね」

「いや、ロラさん、そこまでして頂くわけには」

 ジャンが慌てて口を挟んだが、ロラは人差し指を立ててジャンの口を塞ぐ。

「こんな面白そうなお話、うちも一枚噛ませて貰いますわ。大丈夫、サリナさんもリサさんも、心配いりません。お代は、そうですねえ」

 人差し指を顎に当てていたが、

「サリナさんのおうちで作っている楊枝を、幾つかうちの店に卸して貰えれば結構ですわ。ちゃんと代金はお支払いしますから」

「そんなことでいいのなら」

 サリナが安堵したように喜色を浮かべた。てっきり、強請ゆすられるとでも思っていたのだろう。

「ラグドッグ通りの腕利きの菓子道具職人さんといえば、バーチカさんのお店ですよね。そこの看板娘の作った串楊枝で刺せば、うちのお客さんなら泥団子でも先を争って注文してくれますわ」

 ロラが両手を合わせてにっこり笑顔を浮かべた。

「は、はは」

 サリナも照れたように笑った。


 暫くして、寝ぼけ眼の娘がアイカに押されるように入ってきた。

「もう、折角寝てたのに」

 肩にかかる程度の黄金色の蓬髪をぼりぼり掻きながら入ってきた。背は五尺七寸程、肌は小麦色、肉食獣を思わせる吊り目がちの大きな二重の眼の瞳は赤い。丈の短い麻色の単衣に袖無しの鹿革羽織を重ねている。

 その服の下に強靭な筋肉がうねっているのをジャンは知っている。彼の母親の筋肉とはまた違った種類の剣呑で精密な筋肉。

「まだ明るいじゃない。明け方まで仕事だったのにい」

 ぶつぶつ言いながら、スウは器用に空き樽に胡坐をかいた。素足に引っ掛けた雪駄がぶらぶら揺れる。

「スウ、そんな坐り方ははしたないわよ」

「いいじゃん。他に誰もいないのに」

「その眼には暖簾のれんでもかかってるの」

 ロラの呆れ声に眼をしばたいて、やっと気づいた。

「やあ、ジャンじゃない。こんな可愛い娘さんを二人も連れてるなんて、随分と男を上げたね」

「スウ姉さん」

 アイカがスウを小突いた。

「さあ、頂きましょ。話は食べながらするから」

 そう言って、ロラは箸を取った。



「ふうん、それで、あたしに何とかしろってことなんだね」

 スウが真鍮造りののべ煙管を吹かした。

「そうなの、リサさんに付きまとってる悪い男を成敗して頂戴」

 羅宇が黒檀の如心じょしん煙管を手に、ロラが答えた。

「ふうん」

 昇っていく煙を眺めながら、

ばらしてどっかに捨てちゃうのが一等手っ取り早いのに」

 ロラと同じことを言う。

「駄目よ。犬が嗅ぎつけて、アマアナさんやサリナさんに御迷惑かかったらどうするの」

 奉行所お傭いの目明しやその手下の下っ引きを指す隠語だ。

「まあ、まずは悪人の正体を探るところからだね」

 灰吹きの淵で煙管を叩くと、

「それじゃあ、サリナさん、あんたからお姉さんに、これこれこういう強い助っ人が行きますって、手紙でも書いてくれないかな」

「はい。それくらいなら何枚でも」

 サリナがぱっと明るい笑顔を見せた。

「それから、今日はもう遅いから、アマアナさんとサリナさんは帰って」

 グスタフ、ドーラ、カールに囲まれて黒茶を嘗めているアイカに向き直り、

「アイカ、辻駕籠を二つ呼んで、アマアナさんとサリナさんを送ってあげて」

「うん」

 アイカが飛び出すように店の外へ向かった。その後を、グスタフら三つ子の姉妹が後に続く。

「お二人さん、家に帰ったら」

「はい、帰ったら」

 アマアナとサリナが身を乗り出した。

「後はのんびり吉報でも待ってて」

「え、それだけでいいんですか」

 拍子抜けした顔でアマアナが言った。

「うん、素人は邪魔だからね」

「はあ」


「あの、俺も帰りますね」

 ジャンがおずおずと手を上げた。

「駄目だよ。こんな可愛いが困ってるのに、ここで男を上げなくてどうするの」

 いや、上げなくていいですとジャンは心の中で答えたが、悲しいことにスウには伝わらなかった。

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