必殺技は真空急降下直角三段蹴り

第1話 ここまで言われちゃやらずばなるまい

 まだまだ残暑の厳しい長月のある日の午後、ジャンが店台に肘ついて惰眠を貪っているところへ、

「お邪魔しますよ」

 と声がかかってきた。

 薄目を開けて入り口を見ると、人影が二つ。

「誰かいませんか」

「へいへい」

 と二つ返事で身を起こすと、女が二人立っている。

「なんだ、クロド屋のお嬢さんか。済まないけど、老舗の菓子屋に出せる皿なんて置いてないぜ」

「寝起きでよくもそこまで減らず口が叩けるものね」

 手に風呂敷包みを提げ、浅黄色の涼しげな夏羽織を羽織ったアマアナが、呆れ返った顔でジャンを見つめている。その隣に、茜色の打掛に軽く結い上げた楊梅やまもも色の髪を素っ気ないかんざし一筋で留めた若い娘が、戸惑い顔で立っていた。

 アマアナは憮然とした顔で店内を見回した。棚には火鉢に鉄瓶、米櫃、七輪などが雑然と並べられている。

「埃っぽいところね」

 わざとらしく袖で口を覆う。

「それに薄暗くて辛気臭い」

「冷やかしなら帰ってくれないかな」

「用事があって来たのよ」

「そちらさんは」

 ジャンがアマアナの連れの娘に目を向けた。榛摺はいずり色の瞳を泳がせ、もじもじしながらジャンのほうを覗っている。アマアナと違って柔らかい感じの器量良し。アマアナより幾つか大人びた風情だが、齢は同じくらいと見当をつけた。

「サリナさんよ。うちの店に菓子道具を収めてくれてる職人さんの娘さん」

「サリナと申します」

「これは御丁寧に、ジャンと申します」

 申し合わせたように、二人して深く頭を下げ合った。

 アマアナはその様を暫く眺めていたが、ジャンが頭を上げるのを待っていたかのように、

「御主人のゼベルさんは」

「奥で錆び包丁を研いでる」

「たまたま近くを通ったから御挨拶に伺ったの。この間の御礼も兼ねて」

 見え透いた嘘だ。アマアナが提げた包みを見てジャンでもそれくらいは察した。たまたまなら、手土産持参で来るわけがない。

「ああ、あの」

 駆け落ち騒ぎのと言おうとして、サリナの顔を見てはっと口をつぐんだ。それくらいの奥床しさはジャンも持ち合わせている。

「いいのよ、サリナも知ってるから」

 ジャンの気配りを察したのだろう、鉄仮面みたいな顔でアマアナが言った。



 六畳間の板座敷で、アマアナとサリナは、ゼベル親子と向かい合わせに坐った。客の二人は擦り切れたすげの円座に正座している。

「それがうちで一番の上物なんだ。我慢してくれ」

 ゼベルが胡坐をかいて、顎を掻いた。妙に空気が張り詰めている。隣のジャンも居心地悪そうに首を竦めた。

「いえ、御構いなく」

 アマアナがうやうやしく背筋を伸ばし、真っすぐゼベルを見つめると、

「いつぞやは大変御世話になりました」

 礼儀正しく両手を床板についた。

「無事、と言っては変だが、縁談は流れなすったと聞いたよ」

「ええ、私も修道院に入れられて尼になることもなく、収まりました。南通りのニドさんがお父様に口利きしてくれたと聞きました。これもゼベルさんのお口添えのお陰です」

「ふん、礼金分の仕事をしただけさ」

 ゴブリンの顔が照れ臭そうに歪んだ。アマアナは風呂敷包みを前に出して広げた。桐の箱が現れた。

「うちで作っている桜餅です。どうぞお収めください」

「こりゃ有難てえ。甘いものは久し振りだ。ちょっとかかあに茶を淹れさせてくるぜ」

 そう言うと、ジャンに、

「暫く御相手を頼んだぜ」

 そのまま部屋を出て行ってしまった。


 取り残されたジャン、何を言えばいいのか皆目わからず、仕方なく桐の箱を眺めていると、

「どうして学問所に来ないの」

 アマアナが呟くように言った。その声に視線を上げたジャンはぎょっとした。アマアナがきつい眼つきでっと見つめている。

 ジャンはしばらく考えるふうであったが、

「読み書きも算盤も一通り習った。おらあ、しがない道具屋の倅だ。もう手習いは打ち止めて店を手伝う潮時だ」

 アマアナは咎めるように碧眼へきがんを細めると、

「嘘」

「嘘なもんか。この齢まで学問所に通えたほうが珍しいくらいだ」

 ジャンの言ってることに嘘はない。小商いや職人の子は、十一か二で学問所を辞して本格に親の手伝いをするようになる。ジャンの齢まで学問を続けられるほうが稀である。

「あの件で、私と顔を会わせるのが気まずくなって止めちゃったんじゃないの」

 アマアナは更に眼光を強めて尋ねてくる。まるで尋問されてる気分だった。

「違えよ。どうして俺がそんな気を遣わなきゃならないんだ」

「本当なの」

「本当さ」

「ならいいわ」

 ふんと鼻息荒く、胸を反らした。

 二人のやり取りを傍で見ていたサリナがぷっと吹き出した。


 やがて、

「待たせたね」

 ゼベルが盆を持ったオークの女と一緒に入ってきた。

「家内のガミラだ」

 ガミラが七尺越えの巨体を折り曲げてにっと笑った。その迫力に、アマアナとサリナが見上げた眼を丸くする。が、そこは流石に老舗の娘、身体に厳しく叩き込まれた礼儀作法のお陰だろう、

「クロド屋のアマアナと申します。お邪魔しています」

 反射的に頭を下げた。つられてサリナも礼をする。

「これは御丁寧に」

 樫の丸太のように太く締まった腕で、器用に湯呑を並べながら、ガミラが微笑んだ。

「御免なさいねえ。井戸水で冷やすのに手間取っちゃって」

 言いながら、アマアナとサリナの顔を眺め回し、

「ジャンのお友達を家にお迎えするなんて初めて。それもこんな可愛らしい娘さんが二人も」

 満足そうに微笑むと、

「うふ、うふふ」

 と尖り気味の顎が震えて、口に当てた手の下から小さく笑い声が漏れた。

「母さん、止めてくれよ」

 ジャンが周章あわてて手を振った。

「だって、母さん、嬉しくって」

 笑いを止めるどころか、肩を震わせ始めた。その有様に、どうしようといった顔で、アマアナとサリナが口角を上げて作り笑いする。

「まあ、折角お土産を頂いたんだ。さっさと食うとしようぜ」

 異様な空気にたまり兼ねたゼベルが箱に手を伸ばした。



「それで、いいところのお嬢さんが二人して、こんな場末の道具屋を訪れるなんて、随分と魂胆が有るんだろ」

 ゼベルが器用に口から桜葉の筋だけ引き出しながら言った。

「はい」

 臆せずアマアナが答える。

「こりゃ肝が据わっているねえ。一体どういう用事なんだい」

「ゼベルさんを見込んで、御相談がございます」

「相談、かい」

 ゼベルは麦茶を啜りながら、上目でアマアナとサリナの顔を見た。

「まあ、役に立つかわからねえが、物は試しと話してみねえな」

「サリナ」

 アマアナが連れの娘に促すように言った。サリナは小さく、だがしっかりと頷くと、

「実は、御相談というのは私なんです」

 と話し始めた。


「私は六番街ラグドッグ通りに住む小間物細工の職人の娘でございます。母はダンカ通りの古本屋で台所仕事を、弟は近所の刀屋で武具職の見習いをしています。手先の器用な私は父の手伝いをしていますが、その縁でアマアナさんとも親しくして貰っています」

「水臭いことを言わないで。呼び捨てで構わないっていつも言ってるじゃない」

 アマアナがいたわる様に優しく微笑んだ。へえ、こんな顔もできるのだとジャンは何故か感心した。

「他に二つ上の姉が、これは少し離れたムミョウ教会門前の茶店で働いています。いえ、茶屋女ではございません。真っ当な女中でございます。

 こう申し上げては手前贔屓になりましょうが、姉は門前町でも評判でございまして、何処で誰の目に留まったのか、絵草紙屋で売ります『トランド二十八美人』と申します絵にも描かれてございます」

「へえ、二十八美人図かい。そりゃ凄え」

 事情通なゼベルが手を打った。

「妹のあんたも滅法な器量良しだ。お前さんのところはさぞ美人揃いの家系なんだろう」

「あんた」

 ガミラの憮然とした顔に気づいて、ゼベルが慌ててその膝に手を置いた。

「お前だって負けちゃいねえ。お前の姉のアミラさんだって美人だぜ。でも、俺にはお前が一番だあ。ああ、亜人も美人図に載るのなら、番付の一番を飾るのはお前だったのによう」

「あんたっていつも調子のいいことばかり言って」

 そう言いながらも、ガミラは嬉しそうに紫の瞳を細めた。

「父さん、サリナさんが困ってるよ」

 見てられなくなって、思わずジャンが口を挟む。

「あの、続けてよろしいでしょうか」

 おずおずと尋ねるサリナに、

「おう、すまねえ、続けてくれ」

 ゼベルは慌てて背を伸ばした。


「その姉、名をリサと申しますが、この頃、物に怯えます。先日も、しきりに怖い怖いと申しますもので、妹の身ながら心配でなりません」

「ふむ、そのリサさんは一体何に怯えてなさる」

「若い男にと申します」

 ゼベルが大きく頷いた。

「そりゃあ、美人図を見て勝手に惚れ込んだ馬鹿が付きまとってるんじゃねえのかい」

「はい、最初はそう思い、父も姉にそう申し伝えて、あまり店表に顔を出さず、釜の番などさせるよう、茶店のほうにもお願いしたのですが」

 男の影はリサに付きまとった。一度などは、釜を見ているところに、そいつの姿が音もなくすうっと立ったことがある。リサが悲鳴を上げると、男は庭のほうに逃げたが、そこから先は店の入り口になっていて、客や店の者が大勢いる。通れば必ず誰かの目に止まる筈だったが、面妖めんようにも男の姿を見た者がいない。

「他にも教会のお祭りがあって、炊き出しの手伝いに御台所へ参りましたとき、そこの階段下に同じ男がうずくまっていたのだそうでございます」

 この時もリサは悲鳴を上げた。男はしかし、無表情に彼女を睨みつけ、やがてどこかへ行ってしまった。

「気味の悪い話だね」

 ジャンが独り言のように言って腕組みした。

「こんな話、目明しに相談しても鼻で笑われる始末。逆に姉の弱みを探って強請ゆすろうなんて真似をします。困り果ててアマアナさんに話したところ、ゼベルさんのことを聞き、こうして参った次第です」

 すがるような眼でゼベルを見つめる。

「どうぞ、拝みます。姉をお助け下さいまし」

「私からもお願いします。私の大事な友どちを助けて下さい」

 アマアナも頭を下げた。


「ここまで言われちゃやらずばなるまいが」

 ゼベルはジャンに顔を向けた。

「おい、ジャン、この件はお前えに任せた」

「え」

「壁の中の教会の御門前だ。エルフやドワーフなら兎も角、ゴブリンの俺がうろうろしちゃあ、却ってリサさんに迷惑がかかるかもしんねえ」

「そんな無茶な」

「大丈夫だ、いざとなったらけてやる。まず、あしか亭に行って、ニドさんに相談してみな」

 ガミラに顔を向けると、

「おい、笠焼の皿が十枚程あっただろう。手土産に持たせてやってくれ。あそこは酔って土器かわらけを割る乱妨らんぼうな客が多いから、きっと気に入ってくれるだろうさ」

 それから、アマアナとサリナに向き直ると、

「聞いた通りだ。だが、心配しなさんな。俺の勘じゃあ、こいつは荒事にはならねえと思うよ」

 だが、アマアナとサリナは心配そうに眉を顰めた。

「大丈夫、ニドさんは悪いようにはしねえよ。俺が請け負うからさ」

 優しく宥めるような口調で言った。

「それにな」

 悪戯っぽい目でゼベルは続けた。

「アマアナの嬢ちゃんにサリナさんにリサさんだ。こんなに別嬪さんに囲まれちゃあ、かかあが焼き餅を焼き過ぎてこっちが火傷しちまう。まあ、焼き餅を焼くこいつも結構可愛いんだがな」

 ガミラは真っ赤になって俯き、

「もう、あんたったら、恥ずかしい」

 思わずゼベルを突き飛ばした。

 ゼベルは、一間ほど宙を飛んで、壁に叩きつけられた。

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