第3話 どうしてあなたがここにいるの

「ジャン、起きろ」

 枕を蹴られてジャンは目を覚ました。外はまだ真っ暗だ。まだぽかんとしているジャンの口に何かが突っ込まれた。

「わっ、ぺっ、父さん、何したんだ」

「生の生姜だ」

 早立ちしてその日目一杯歩くときは、起きがけに口に含むといいのだとゼベルは説いた。

 提灯も持たずに北を目指して足早に道を行く。道すがらを尋ね尋ねて進むうち、ついにカミオンの立ち場で二人を乗せた駕籠屋に行き当たった。

「そうかい、やっぱり駆け落ちかい。俺たちが、アマヤの宮まで運んで、そっからは仲間がゴスへと持って行った。今頃は、ヒードリの辺りだなあ」

 駕籠屋の言葉に、ゼベルとジャンは早駆けに移った。埃っぽい街道を走り、クマヤを抜けてヤフロの見返り松まで来て人に聞いたが、そんな駕籠は見ていないという。

「奴ら、クマヤ辺りで脇に抜けやがったか」

 クマヤの宿場の辺りには、東に抜ける巡礼道がある。

「あそこの間道は何度も通ってる。ヨリイドの宿前で捕まえてやる」

 行くぞとヤフロから逆戻りして巡礼道を先に抜けた。

 山越えしてヨリイドの代官所手前の藪に隠れていると、近くの教会で暮れ六つの鐘が鳴る頃、遠く南から駕籠が二挺やってくる。

「まさしくあれだ」

 鼻先まで待って、ゼベルは路上に飛び出して、両手をぱっと拡げた。それを見て、ジャンも駕籠の後ろを押さえた。

「何でえ、緑肌の小せえの。御代官所の鼻の先で追剥を働こうってのか」

 凄む駕籠舁き相手に少しも臆さず肩をそびやかし、

「中の二人は駆け落ち者だ。駕籠屋、無理に押し通るなら、手前えらも同罪だぞ」

 ゼベルが怒鳴った。

 駕籠屋の態度が一変した。悪事が見つかったときは、大人しく客を降ろして帰るのが駕籠屋の作法だ。どうせ駆け落ち者と見て、前金をふんだくっているから損はない。

「お客さん、悪く思わねえでくれ」

 振り落とすように二人を道端に置いて、さっさと来た道を戻ってしまった。


「さあ、クロド屋のお嬢さん」

 薄桃色の夏小袖の襟を直すアマアナにゼベルが猫撫で声をかけた。だが、

「ちょっと、どうしてあなたがここにいるの」

 ジャンの顔を見るなり、アマアナがきんきん声を上げた。

「そいつはこっちの台詞だ。そっちこそ、なんで店の奉公人とこんな所にいるんだい」

 毒づくジャンを手で制して、ゼベルは作り笑顔をアマアナに向け、

「まあまあ、こっちにおいでなさい」

 二人を傍らの辻堂に招き入れた。

 アマアナは眼力のきつい感じの美人で、いかにも良家の娘。男のほうは、役者崩れでも通るほどの若気にやけた奴。齢の頃なら十八くらいで北国訛りの抜けない生っ白い男だ。

「お前さんがセイヤさんだね」

と問えば、

「はい」

と素直に答えた。

「だいそれたことを仕出かしたねえ。主人の娘をかどわかし同然に引っさらい、おまけに店の金を四百両、切り餅にして十六と聞いた。十両盗めば首が笠の台ってえ世の中だ。兄さん、見かけによらず、やるじゃねえか」

 ゼベルは首を鳴らして肩を傾けた。

 ちゃちなおどしだが、これが覿面てきめんに効いた。

 セイヤは手を合わせ、

「どうぞ、お見逃しを」

 ぺこぺこ頭を下げて、ついにわっと泣き出した。

「そうはいかねえ。俺たちは、クロド屋の御主人から口止めも入れて十八両の大金を貰って、あんたたちを追っかけてきたんだからねえ」


「十八両も」

 驚きの声を上げたのは、クロド屋の御息女だった。

「お父様は、どうしてこんなことにそこまでお金を使うのかしら。馬鹿みたい」

 可愛い顔で酷いことを言う。

「お嬢さん、娘が駆け落ちして手をこまねいてる親なんていねえよ。聞けばあんた、隣町の御同業に嫁入りする話が出来上がってるそうじゃないか」

 ゼベルは首筋の汗を拭った。

「結納が済んだ後での男と女の仲は立派な密通だぜ」

「あの痘痕面したウイテイ屋の息子ね。お父様も娘が可愛いなら、どうしてあんな不細工を押し付けるのかしら」

 ゼベルは埃だらけの辻堂にべったり腰を降ろして不貞腐れるアマアナを見て首を傾げ、

「読めたぜ。こりゃあ並の駆け落ちじゃねえな。おい、セイヤの兄さん」

 若い奉公人に向き直った。

「これは兄さんの才覚でやったとは思えねえ。お嬢さんの一存だね。気が弱いお前さんは、このアマアナお嬢さんに引き摺られて嫌々店を出たな」

「は、はい」

「お嬢さん、ウイテイ屋の若旦那が大嫌いなあんたは、駆け落ちを仕組んで手前てめえの縁談をぶち壊そうとしたんだね」

「だから何よ」

「どうせいつかは引き戻される。身は疵もので親元へ相渡しと定まってるから、それまではゆっくり遊ぼう。街道沿いのどこかの山の湯なんぞにどっぷり浸かって、追手が来るまでお気に入りの奉公人と真猫しんねこだ。四百両はその間のついえらしいが、可哀そうなのはこのセイヤさんだ。あんたと一緒に引き戻されたその後は、身柄を役人に渡されて、三尺高え台の上だ」

「そんなことあるわけないじゃない。私がお父様に口を利けば、きっと許してくれるわ」

 アマアナはむきになった。

「ところがそうはいかねえのさ。世間の掟ってやつはね」

 ゼベルはちっちと舌打ちした。

「クロド屋の旦那は南通りあしか亭のニドってえ遣り手の姐さんに金を渡して相談しちまった。そのニドさんが傭った追手にゴレムってえ奉行所の下っ引きがいてね、こうなりゃ内々には済ませられねえ。お嬢さんが何を言おうと、セイヤさんは四百両盗んで娘を疵ものにした極悪人だあ。奉行所は主従の間の悪事には特に厳しいんだぜ」


 そこでようやくアマアナも、ことの恐ろしさがわかってきたらしい。顔から血の気が引き始めた。

「どうしよう」

「まあ、打つ手が無えことも無え」

 ゼベルが唇を舐めた。

「道は二つだ」

 左手の甲を見せて、親指と人差し指を立てた。

「一つは、俺たちがどうしても追いつけなかったことにして、お嬢さんたちが本物の駆け落ち者になる」

 親指を折った。

「二つには、お嬢さんは俺たちと一緒に家に帰る。セイヤさんは可哀そうだが一人見放しだ。金でもやって、ほとぼりが冷めるまで、どっかに逃げる手だな」

「父さん、それはあんまり酷い」

 思わずジャンが口を挟んだ。

「酷えもんか。このまま帰ってみろ。それこそ、この奉公人は酷え目に遭うんだぞ」

 ゼベルは一喝すると、

「お嬢さん、金子は今でもお持ちかい」

 アマアナは、腰に巻いた風呂敷包みを解いた。

「三百と、ええと、七十両か。道中、悪い駕籠屋に随分取られなすったね」

 街道筋の駕籠屋はどんなに高くても一里一朱、旅籠の宿賃は素泊りで一泊二百文が普通だ。駆け落ちと見抜かれてあちこちで強請ゆすられたのだろう。


「お嬢さん、百両ばかり渡してやんな」

 ゼベルは有無を言わさず、二十五両の包みを四つ、セイヤの懐にねじ込んだ。

「兄さん、北国の人らしいが、下手に里心を起こして北に足を向けちゃなんねえよ。菓子職の腕があるんだ。西に走ってエツかフルトン辺りに仕事を見つけるがいいや。けど、くれぐれも言っとくが、天領には近寄るんじゃねえよ」

 話の進み具合についていけず、まだおろおろするセイヤの背中をぽんと叩くと、

「ジャン、俺はこの兄さんを間道まで送って行く。お前えはお嬢さんとここで待ってな」

 セイヤはゼベルに押し出されるようにして、とぼとぼと夕暮れを歩き出した。



「心配いらないよ。父さんはあれで結構知恵が回るんだ。万一ばれても居直って上手く裁量してくれるさ」

 二人の姿を見送ってから、ジャンはしょぼくれて俯いたアマアナに話しかけた。

「ふん、どうせ私のことを馬鹿にしてるんでしょ」

 横を向いてアマアナが毒づいた。

「私のことなんてなにもわかってないくせに」

「そりゃそうさ。金持ちの家のお嬢さんのことなんて微塵もわかるもんかい」

「亜人の家の小倅だものね」

「そうさ、俺は孤児みなしごで、父さんと母さんに拾われて育ったんだ。あまり自慢できる生い立ちじゃないけど、俺は父さんと母さんの息子で良かったと思ってる」

 アマアナの前に折り敷いた。

「あの、セイヤって人に惚れてたのか」

五月蝿うるさいわね。これ以上話しかけないで」

 アマアナは下を向いた顔を両手で覆った。二人はそのまましばらく黙っていたが、意を決したようにジャンが口を開いた。

「こういうときはどうすればいいか知ってるぜ」

「何よ」

「母さんが教えてくれた」

 懐をごそごそしたと思うと、笹葉の包みを取り出した。開くと冷めた米饅頭が五つ並んでいる。

「腹一杯食って、思いっ切り泣けば気が楽になるってさ」

 アマアナがおずおずと手を伸ばして、饅頭を一つ摘まむと、形のいい口を開けてかぷっと小さく齧った。

「なによ、全然美味しくないじゃない」

「そりゃあ、老舗の菓子司かしつかさの娘さんの脂が乗った舌には合わないかもしれないけど」

「脂なんて乗ってないわよ」

 減らず口を叩いて上げたアマアナの顔を見て、ジャンはぎくりとした。

 碧色の瞳一杯に涙が溢れている。

「何よ」

「いや、何も」

 その時、アマアナの頬を涙が一筋流れた。一筋流れたらもう止まらない。堰を切って幾筋も幾筋も流れ落ちる。アマアナは饅頭を無理矢理口に押し込むと、黙って二つ目の饅頭に手を出した。

 やがて、アマアナの口から嗚咽が漏れ、やがてそれは泣き声に変わった。

「うわあああ、うわあああ」

 孤独に耐えかねて吠える獣のような泣き声だった。アマアナは食べながら泣き、泣きながら食べた。

 ジャンはその光景を慄然と眺めるしかできない。やっと、勇気を振り絞って、ジャンはアマアナに声をかけた。

「山の中のお堂だ。遠慮はいらない。思いっ切り泣けばいいさ」

 アマアナが泣きながらこくこく頷いた。

「間道は遠い。父さんもまだ戻らないさ。ゆっくり食ってゆっくり泣けばいい」

 しかし、ゼベルはもう戻っていた。手拭をすっとこ被りして、困った顔で辻堂の前に立ち尽くしていたのだった。



「惚れた腫れたは女郎の台詞でござんすよ」おしまい

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