第2話 駆け落ち追いなんて久し振りだから

「いいか、ジャン。駆け落ちの追手というのは、これでなかなかに難しい」

 歩きながらゼベルは言い聞かせるように説いた。

「追手というのは、一日に二十里三十里歩く技の他に、相棒が必要なのだ。早い話、道が二手に別れていた場合、身体一つじゃ探せめえ。道筋の人にこれこれこうと人体にんてい行く先を尋ねるにしても、一人より二人のほうが良いのは犬っころでもわかる道理だ」

「だからってどうして俺が」

「まだ言ってやがる。小せえ頃は、いっぺえ働いて父ちゃん母ちゃんに楽させてやるんだって青っぱな垂らしながら言ってた癖によう」

「父さん、そんな昔の頃を引き合いに出すのは止めてくれ」

「それにアマアナ嬢ちゃんは同門だろ。同門の御学友の窮状を救わずば男が廃るって学問所じゃ教えてくれねえのか」

 緑色の額の汗を拭いながら、呆れるように言う。

「父さん、アマアナは見てくれはいいけど、内面如夜叉ってやつで、人の弁当を取り上げたり、墨を引っ掛けたり、心根はそりゃもう酷え奴なんだよ」

「けっ、頭に学が乗って理屈ばっかり巧みになりやがって。そういう理屈っぽいのは父さん嫌いだな」

 ゼベルは肩をすくめた。

「そんなこと言って、結局は銭目当てなんだろ」

「まあ、この時期に十八両は有難いがな」


 真夏の昼下がりだ。南通りの市場も人通りは少ない。この辺りはまだ板張りの平屋が多く、二階屋はよく目立つ。あしか亭も二階屋なので、遠くからでも簡単に見つかった。日が暮れてからの酒場なので、今は人の気配もほとんどしない。

「ゼベルさん」

 入口で水打ちしていた禿髪かむろがみの少女が声をかけてきた。赤い瞳の三白眼、ゆったり目の丈の短い柿色の単衣に薄桃色の細帯を締めている。ジャンより五寸ほど背が低いが、どことなく大人びた風情のある娘である。

「やあ、アイカちゃん。泥鰌うまかったよ。こいつは御礼だ」

 手に提げた紙袋を差し出した。

「芋飴が入ってる。皆で食ろうてくれや」

 泥鰌の返礼に芋飴とは、品下がるにも程があるだろうとジャンは内心呆れ返ったが、

「わあ、有難うございます。グスタフたちも喜びます」

 少女はぱっと弾けるような笑顔を作った。普段は眼つきにけんがあるせいだろう、こういう顔をされると妙に可愛らしい。


「アイカちゃん、ニドさんは御在宅かい」

「うん、二階に」

 アイカが言いかけるのと丁度同時に、

「あら、ゼベルさん、来たのね」

 二階から声が降ってきた。銀髪のダークエルフの娘が窓から顔を出している。細面に吊り目に紅い瞳。袖無しの墨色の単衣を羽織っている。相変わらず美人だと見つめるジャンの呆けた視線に気づいたのか、

「あら、ジャンくんじゃない。大きくなったわね」

「先月会ったばかりですよ、ニドさん」

「先月より大きくなったわよ。私がそう言うんだから間違いないわ」

「はあ」

 答えに窮して間抜けは声が出た。

「早く上がってきて顔をよく見せて。アイカ、カールに言って麦茶を運んできて頂戴」

 そう言って、すっと奥に消えた。

「ニドさんも相変わらずだねえ」

 ゼベルが苦笑った。

「うん、駆け落ち追いなんて久し振りだから張り切ってるの」

 困っちゃうとアイカも苦笑で返した。


「嬉しいわあ。これだけ手練れが集まってくれたら、もう何の心配もいらないわね」

 二階の控えの六畳間で長火鉢を前にして、ニドは金細工の煙管をくゆらせた。袖無しの単衣の大きく開いた脇から褐色の肌がちらちらして落ち着かない。

「鬼が革甲かわよろい着て刺又さすまた持って駆けつけてくれた気分だわ」

 既に話のわかっている急ぎ仕事だ。ニドは長火鉢の抽斗ひきだしから金子を取り出して皆に分けた。

 ゼベルとジャンの他に四人いる。いずれも目付きの厳しい男たちだ。

「駆け落ちの二人は出て早々にどじを踏んでるわ。アマアナの顔を知ってるサイカ橋の大工が、北通りの外れでうろうろしてる二人を見てるの。多分、北行街道を上ったと思うの。でも、アマアナちゃんは御嬢様育ちでも、一緒に逃げたセイヤってのは悪知恵が働くみたい。西に折れてノコンに向かうか、身を翻してマヒロ公路を南へ行くというのもよくある話よ。この六人で三口みくちに別れて追って頂戴」

 普段は奉行所の下っ引きをしている若い男が、

「なら、俺たちはノコンへ行こう」

 すると、頬に刃物疵が走ったドワーフが、

「俺は踵を返してマヒロ道を都へ向かったと見た。北行街道を上るのは余りに素人だ」

 ゼベルはにたりと笑って、湯呑の麦茶をくっと呷ると、

「駆け落ちの玄人なんてそうそう居るもんかい。皆が穴狙いなら、俺は真っ当に北行街道を行こうじゃねえか」


 皆が十八両受け取って立ち上がった。と、出て行こうとするゼベルとジャンをニドが呼び止めた。

「やっぱりジャンも連れて行くのね」

「ああ、こいつはアマアナ嬢ちゃんの顔を知っていやすからね」

「あんまり無茶させないでよ」

「大丈夫でさ、ただの駆落追手だ。荒事にはならねえと思いやすぜ」

 不敵に笑うとジャンに目配せし、そのまま店を出て行った。



 二十里三十里と大口を叩くだけあって、ゼベルの足は早い。

 袖を千切れんばかりに打ち振って、北通りを抜け、問屋場を抜け、ずんずん五里程進んでカイジャの立て場でようやく一息ついた。

 ジャンも何とか遅れずについてきたが、もう息も絶え絶えだ。自分の父親がこんなに健脚だとは夢にも思わなかった。

 茶屋で麦湯を頼み、やっと息も整ったのを見計らったように、ゼベルがジャンに言った。

「駆け落ち者を追いかけるにはこつがある。四つ所といってな、立ち場、渡し場、駕籠屋、髪結屋を尋ねれば、大抵は足が付く。ここは立ち場で目と鼻の先にトナカの渡し場だ。一丁、この辺で聞いて回ろう。俺はここの茶店を聞いて回るから、ジャンはあそこで昼寝してる駕籠舁かごかき連中に尋ねてきてくれ」

 それから待つ間もなく、ジャンが戻ってきた。

「二刻あたり前に、確かにそれらしい二人連れが通ったそうだよ。それからトナカを渡った辺りで駕籠を傭ったって」

 でかしたとゼベルは足を前にも増して早めた。


 夏の日もどっぷり暮れてその日は二人、ワコウのナーテック聖堂に近い旅籠に泊まった。

 街道の通行は、朝は七つより、夜は五つを限りと定められている。

「女連れだ。夜引よっぴき歩いて怪しまれたり、野宿して夜盗に出会うような馬鹿な真似はしないだろう。どうせ奴らの泊まりは、次のミャオかその次のカミオンあたりと踏んだ。今夜は気を養って、明日に勝負を掛けるとしよう」

 飯を喰うと、さっさと寝床に入ってしまった。

 ジャンは気が気ではない。天井の羽目板を見つめながら、呟くように言った。

「父さん」

「ん、何だ」

「二人を見つけたら、どうするんだい」

「どうした、珍しく菩薩心が沸いたか。アマアナって嬢ちゃんは鬼女きじょなんだろ」

「うん、だけど」

「お前えは母ちゃんに似て優しいからな」

「そんなんじゃねえよ」

「嬢ちゃんに惚れたか」

「まさか」

「アマアナって娘っ子は、縁談が決まってるんだ。間違っても惚れたなんて言うんじゃねえぞ」

「わかってるよ。そんなんじゃないからね」

 夜具を頭まで被ってしばし無言でいたが、

「でも、このまま連れ帰ったら、アマアナは酷い目に遭うんだろ」

「そんなのはクロドの旦那が決めることだ。忘れるな、俺たちの仕事は二人を取っ捕まえるだけだぞ」

「わかってるってば」

「ならいい。惚れた腫れたは女郎の台詞って言ってな、青尻なお前えが口にするにはまだまだ貫目が足りねえ」

「父さん、ひつこい」

「まあいいさ。俺に任せとけ。さっさと寝ろ、明日は早えぞ」

 そう言って、さっさといびきをかき始めた。

 ジャンはそれからも一人で煩悶はんもんとしていたが、慣れぬ旅先のこと、すぐに眠りに落ちた。

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