殿下のほうが上手でした

山吹弓美

殿下のほうが上手でした

 王侯貴族や裕福な平民の子女が通う、王立学園。その生徒会室には今、ぴりぴりとした空気が漂っている。


「それで……ジュディ様は『お前などレオン様には似合わないわ』とおっしゃって、私のノートをビリビリに破いてしまわれたのです……!」


 涙目で訴える、桃色の髪の少女。ふわふわとした髪と、十六歳という年齢よりも幼く見える外見は、どこか守ってやりたくなるような感覚を周囲の者に持たせる。


「何で、そんなことを」


「酷いことをなさるものだ」


 癖のある茶髪を持つ小柄な少年は眉をひそめ、眼鏡を掛けた黒髪の青年はぎりと歯を噛みしめる。赤毛を短く刈り込んだ大柄な青年は少女の手に自分のそれを添え、他の二人と共に彼らの前……生徒会長席に座っている、金髪の端正な容姿を持つ青年に視線を向けた。


「殿下! 賢明なご判断を!」


「レオン様! こう言ってはなんですが、ジュディ様はレオン様にはふさわしくありません! どうか、お考えを!」


 背後に秘書らしき女生徒を従え、少女にレオンと呼ばれた金髪の青年は、無表情を崩すことはない。

 学園内では生徒会長、その外ではこの国の第一王子という立場にある彼は、ゆくゆくは国の長となる可能性の高い自分の側近候補として選ばれた三人の青年たちと少女をぐるりと見渡した。


「……それで?」


「え?」


 自分たちの主、第一王子レオンハルト殿下の口から紡がれた言葉に四人は、目を見張った。

 少女の訴えを、王子はきちんと聞いていたのだろうか。その答えは、すぐに出る。


「君が僕にふさわしくないと言ったジュディの、何が問題なのかな? シャーラ・エンドゥ」


 ごく当たり前に疑問を持ったので、そう尋ねた。王子の言葉はそういった表情と口調から紡がれており、その前提として彼がシャーラと呼んだ少女の言葉はしっかり聞いたようである。

 そうして、澄んだ青色の瞳で冷たく少女を見据え、王子は言葉を続けた。


「本人の許可もなしに王家の者を愛称で呼ぶような無礼者だ、ジュディのお気に召す訳がない。当然、僕もだが」


「れ、レオン、さま?」


「どうせ、本当は僕やこの者たちに軽々しく近づくな、とたしなめられただけなんだろう? 僕も彼らも、それぞれに決まった婚約者が存在するからね」


 自分の言葉が正しいことを疑わず、レオンハルトは軽く鼻を鳴らした。シャーラが「ち、ちがいます」と震える声で反論しようとしたが、その上に彼が言葉をかぶせる。


「この僕が在籍するにあたり、この学内には普段よりも厳しい警戒態勢が敷かれている。目に見える警備だけではなく……僕にも詳細は知らされていないんだけど、例えばどこかのクラスに王家の手のものがいるかも知れないね」


「え」


「警備兵や教師の中にも、当然いると思うよ。さて、彼らの一人でもジュディのそのような姿を見たことがあるかどうか」


 冷徹な表情を崩さないレオンハルト王子の言葉に、シャーラの顔が引きつった。

 茶髪に童顔が可愛いフロイも、眼鏡の奥の黒瞳が魅力的なランドも、大柄ながら女性に対する丁寧な扱いにきゅんとくるサムウェルも、シャーラの言葉を疑うことはなかった。王子の婚約者であるジュディ・スレオン公爵令嬢の『悪行』に怒り、シャーラを気遣ってくれた。

 学園内で、シャーラは浮いた存在であった。実父である男爵が使用人の女に産ませた娘は、その家に引き取られるまで孤児院で過ごした。母が男爵家を出たために探していた、と言うが実際はどうであったか、明らかではない。

 一応の礼儀作法を身に着けて、シャーラは学園に入学した。ほとんどの生徒たちはシャーラの事情を知っており、程々に距離を置いた付き合いしかしなかった。


「殿下! シャーラの言葉を否定するのですか!」


「ノートは知りませんが、ジュディ様の去られたあとにずぶ濡れになったシャーラを見たことがあります。急いで服を換えさせましたが、あれはジュディ様がなさったことだと、シャーラが」


「少なくとも、ジュディ様がシャーラに厳しい言葉をかけられて、シャーラが泣いたことは何度もございます」


 例外がこの場にいるフロイ・マッコー、ランド・フェラン、サムウェル・ハーリッドの三名であった。それぞれ当主が宰相職にある侯爵家、王家に親しい公爵家、そして辺境伯家の嫡子である。

 ジュディから『嫌がらせ』を受けている、というシャーラの訴えを彼らは、真剣に受け止めた。三人はそれぞれに少女の痛ましい姿を目にしており、それらについてジュディに非難の言葉を向けたこともある。


「ふうん」


 三人の貴族嫡男たちに勇気づけられ、レオンハルト第一王子に対して彼の婚約者であるジュディの『悪行』を訴えることができたのは、シャーラの『努力』の賜物であっただろう。

 まもなく現国王よりいくつかの権限を引き継ぐことになっている王子は、そのような愚かな行為に走ったジュディとの婚約を考え直す。そして、公爵令嬢の行為を必死に訴え出た男爵令嬢の勇気とその人柄に惚れ込み、彼女を新たなる婚約者とする。


 そういう展開の、はずだった。少なくとも、シャーラが知っている物語はそのように展開した。


「お前たちは王家直属の警備兵や王国よりすぐりの教師たちより、その娘の言葉を信じると言うんだね。分かった」


 だが、現実としてレオンハルトがシャーラを、そして彼女を取り巻く青年たちを見る目は、目の前を飛ぶ羽虫を見るようなものでしかなかった。


「既に、調査は済ませてあるんだよ。このくらい、お前たちでもできることだろうにね」


 背後の女生徒に手を差し伸べると、蜂蜜色の髪をみつあみにまとめた彼女は数十枚の書類を差し出した。彼らの前、自身が生徒会長としての執務を行う机の上に王子がばらばらと広げた紙には様々な筆跡で、事細かに文章が記されている。


「シャーラ・エンドゥに対し、ジュディ・スレオンが危害を加えたことはこれまで一度もない。また、シャーラが暴言だと言ってのけたジュディの言葉はすべて、礼儀や貴族が知っていて当然のマナーについての注意だった、という結論だ」


「そ、そんなあ!」


「殿下、そんなはずは!」


「ランド。お前の妹が、証人の一人として名乗りを上げてくれたそうだよ。兄の愚かな行為について僕にだけでなく、お前の婚約者にも頭を下げねばならぬと悲痛な思いで……ほら、ここだ」


 少女と同時に声を上げた眼鏡の青年に対し、王子は散らばった紙の一枚をつまみ上げてみせた。

 達筆な文字で綴られた文章の最後に、青年が見慣れたわずかにたどたどしい文字の署名が入っている。王子が今口にした、彼の妹のものだ。シャーラと同い年のため、兄たちよりも接する機会が多いのだろう。


「う、そ」


 シャーラの知っている物語の中で彼女は、自身の味方になってくれたはずだった。そもそもジュディが『悪行』を行ったこともないため、その『目撃者』でない少女はその立場を違えていた。

 それに気づき愕然としたシャーラに対し、レオンハルトは言葉に温度を乗せないまま命を下した。


「エンドゥ男爵令嬢シャーラ。これ以降、僕のことを愛称でも名前でも呼ぶことは許さない。また、婚約者のいる者たちに言い寄るようなはしたない真似もやめよ」


「は、はしたないなんてそんな! 私は、ただ仲良くなりたくて!」


「婚約者のいる男と仲良くなりたくてマナーも何もあったものではない会話を交わし、時にはそれ以上の行為に及ぶ。はしたない、という言葉がどれだけ似合うことか」


 反論の声を上げたシャーラに対し、あくまでもレオンハルトの言葉は冷たい。少女の擁護をしようとした青年たちを鋭い眼光で押し留め、彼は少女に言い放った。


「違えれば、君が故意に破り捨てたノート程度で済むとは思わないことだ。いいね? エンドゥ男爵令嬢」


「ひっ……は、はい……」


 名前すら呼ばれず、自身の罪が完全に知られていることを理解したシャーラは、真っ青な顔でその場にへたり込んだ。

 その彼女にはもう視線を向けず、王子は青年たちを見渡した。


「フロイ・マッコー、ランド・フェラン、サムウェル・ハーリッド。お前たちはその無礼者に対し、何も咎めなかった。ジュディがその者に何か行動を起こしたのであれば、なぜ周辺の者たちに事情を尋ねなかったのだ?」


「うっ」


「そ、それは……」


「シャーラが、嘘を付くなんて」


「嘘を付くなんて思わなかった、か。愚か者。その先入観、思い込みが国を滅ぼすこともある」


 レオンハルトの指摘に対し、弁解の言葉すらろくに出てこない青年たち。その中で必死に絞り出されたサムウェルの言葉を引き取って、王子は露骨にため息をついてみせる。


「フロイ、お前の父ならば情報収集をまず第一に行うであろうな。ランド、お前の家の情報網はザルではないはずだ。サムウェル、国を守りし辺境伯家の者が思い込みのみで動いて何とするか。」


『……』


 王子にそれぞれ指摘を受け、彼らは一様に口を閉ざす。へたり込んだままのシャーラにも目を向けることなく、レオンハルトはぱんぱんと手を叩いた。


「既に、この報告書は国王陛下のもとに上がっている。各自……そこの男爵令嬢も含めて自室に謹慎、沙汰を待て」


 王子の言葉は自発的な移動を促しているように聞こえるが、実際のところは強制排除である。彼が鳴らした手により、生徒会室には警備兵の一団が入室してきたからだ。


「きゃ!? え、ちょ、ちょっと待ってっ、レオンさま……っ!」


 立ち尽くしていた貴族嫡男たちは、警備兵に腕を取られると素直に部屋を出ていく。しかし、シャーラだけは最後の悪あがきとばかりに王子の名を呼び、次の瞬間一人の兵士の手によって口を無造作に塞がれた。

 そうしてそのまま、無様にもがきながらシャーラも生徒会室から排除されていった。


「彼らは、全く気づかなかったね。あれで君の悪行を目撃した、なんてよく言えるものだ」


 ばたん、と扉が閉じられた音の後数十秒。それだけ時間を置いてからレオンハルト王子は、ゆっくりと立ち上がった。背後に控えていた女生徒を、ゆるりと振り返る。


「どなたも、わたくしの顔を見ようとはしませんでしたもの。どうせ、事務作業を手伝っている生徒としか思っていませんわ」


 ふわりと浮かぶ笑みは、王子と彼女に共通したもの。みつあみを解くと、柔らかな蜂蜜色のウェーブの掛かった髪がふわりと広がった。


「特に女は、髪を変えると気づかれなくなるものですわ。殿下」


「そうみたいだね、ジュディ。僕にはすぐに分かるのに」


 手で軽く髪を整える彼女こそは、ジュディ・スレオン。レオンハルト王子の婚約者であり、先ほどの者共が冤罪をもってその地位から排除しようとしていた当事者、公爵家の令嬢である。


「それで、気は晴れたかな?」


「ええ、おかげさまで。できれば、わたくしからも一言申し上げたかったのですけれど」


「誰か一人でも気づいてたら……せめて謝罪の言葉でもあれば、いくらでも言ってよかったんだけどねえ……あれじゃ、何か言ってやる価値もないね」


 ジュディの髪を一房指ですくい上げ、王子は心の底からの笑みを浮かべた。

 自身の婚約者に対する冤罪問題は、少し前から情報が届いていた。その報告を受けたレオンハルトはジュディや自身の父、すなわち国王との対話の機会を持ち、問題が冤罪であることの確認を行った上で情報収集を進めていたのだ。


「あのシャーラ、だっけか。おかしな考えの持ち主だったらしいね?」


「夢見がちなお年頃、ということではなくて? せっかく貴族の一員になれたのだから、高い位の方と結ばれたいと思うのは……まあ、普通のことらしいですわよ。平民の方々からすれば」


「孤児院で育ったところからの男爵令嬢だから、さらに上を見るのはおかしくないだろうけれど……でも、僕と結ばれるのが当然とか考えている時点でねえ」


 そうして提出された報告書には、シャーラ・エンドゥが『自分はレオンハルト王子と結ばれる運命である』と強固に思い込んでいるという情報が記されていた。そういった独り言が頻繁に聞かれ、ジュディへの冤罪もその延長線だと推測される。


「ですが、彼ら三名をうまく手玉に取るところまでは進みましたものね」


「コンプレックスとか、うまいこと拾ったらしいよ。一体どこで知ったんだか」


 報告書には、そういった情報も事細かに記されていた。ランドの妹を始めとした周辺の人物が、当事者たちの発言をはっきりと聞いていたからだ。とはいえ、家族も知らなかったコンプレックスについての情報の入手先は不明、となっているが。


「まあ、僕の側近にふさわしくないって分かっただけでも助かったね。何も知らずに重用していたら、どうなったことやら」


「殿下におかれましては、大変にご心労をおかけいたしました」


「僕の方こそ、ジュディに心労かけてごめんね。いくら本人がいるって知らなくてもさ、あの言い方はないものな」


 お互いに指を絡め合い、相思相愛の婚約者二人はとても幸せそうに笑い合った。




 備考。


 問題を起こした生徒四名は、学園より退学処分となった。

 シャーラ・エンドゥは取り調べにおいて意味不明な発言を繰り返し、また自身の言動について反省の色も見られなかった。死罪も検討されたが、男爵家より絶縁した上で王国辺境の鉱山にて重作業に従事させられることとなった。

 フロイ・マッコー、ランド・フェラン、サムウェル・ハーリッドの三名については各家の後継者の地位を剥奪。それぞれ辺境での兵役や単純かつ膨大な事務作業など、重要ではないが過酷な労働を課せられているという。

 レオンハルト第一王子は学園を卒業後、婚約者ジュディ・スレオンと盛大な結婚式を挙げた。現在は王太子として、国王の補佐につき実務をこなしている。王太子妃となったジュディも夫の隣に立ち、執務に携わっている。

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