第31話

 え、背後から誰か走って来る。まだいるの? 振り返ると、私は床に押し倒された。うわー、膝にも砂糖水ついちゃったよ! 一階から遅れてやってきたレジ店員口裂け女は、私の顔についた砂糖水をべちゃーと触る。


「うぶー、もう触るだけにしべー」


 砂糖水欲しさに私の顔は撫で回される。もう、顔ぐちゃぐちゃ。不意打ちだったから髪も顔に張りつく。鏡があったら見たくないような状態。


「や、やめて? 鼻の穴はやめて? そこやめてえええ!」


 はぁっ! 男だったらあそこ蹴ってやるんだから。おばちゃんだからギリ許すけど!


「砂糖水、好きなだけ取ったんだから、あなたもあの女と戦ってきてよ!」


 私の顔からかすめ取って両手に付着した砂糖水を、交互に舐めるおばさん口裂け女。私の言うことに素直にこくりと頷く。マジですか? 言うこと聞くんですか? じゃあ、無茶な命令も聞くんですか?


「あの口裂け女の髪を切ってきて。武器は、そうねえ。これで」


 曽音田そねだ美杏みあんの最大の武器は髪の毛だと思う。私はそばにあった剪定バサミを指差す。


 んぐがー。と、次々にくぐもった悲鳴が続く。男性口裂け店員、口裂け女たちが髪の毛に巻き込まれて動きを止められている。腕や足を封じられただけでもそのまま商品棚に投げつけられている。誰も、曽音田美杏に触れることすらできていない!


 見ているとこっちにも髪が伸びて来た。額で防いで筆でバシバシ叩く。こんな攻防、いつまでも続けられるわけじゃない。だから、レジおばさん口裂け女に私の額の盾の後ろから着いてきてもらう。


「髪が来たらそれで切り刻んで! ほら、そこそこ!」


「あら、物騒なもの持たせて、怖い物言いね? どっちが口裂け女なのかしら?」


 曽音田そねだ美杏みあんがぐるっと髪を振り乱す。腰まで使って遠心力でぶわーっと伸びる髪! 私の額縁に当たった。ヤバイ! 私も気づいたら吹き飛ばされている。背中にごつごつした商品棚のものが当たって、頭の上に缶が落ちて来た。


 ぐわん。


 視界が揺れる。ペンキ缶……。いったー! む、もう、むかつく。やってやる!


「私にペンキ缶ぶつけたわね? 倍返しよ!」


 腰のホルスターならぬ土のう袋からゴキジェットとキンチョールを取り出してダブル装備!


 シュコー! 


 だけど、届かない。びゅんびゅん、黒髪が鞭のように飛んでくる。痛っ! 

 てこでもゴキジェットを手離さないわよ! 手の甲が真っ赤。髪の毛って束になると強度が段違い。長期戦になってきて額から汗が流れる。砂糖水が汗の塩分で流れちゃう。早く決着つけないと! 先生早くべっこう飴を完成させてきて!


 私の言うことを聞いてくれるレジおばさん口裂け女に喝を入れてあげる。


「あなた、最高に綺麗なお姉さんだから、あのブランド馬鹿口裂け女をやっつけて!」


 まあ、無茶ぶりなのは分かってるんだけど。彼女の剪定バサミは伸びてくる黒髪の先端をチョコチョコ切る程度。でも、切れているってことは、ちゃんとヒットさせれば攻撃手段を奪えるってこと。


 ゴキジェットって爆発するんだっけ? 良い子は真似しないでね!? ってやつ思い出した。じゃ、「悪い大人」にやってもらおう! 何にしても先生頼み。どうしよう、火ってさりげなく強い武器だよね。口裂け女もみんな焼き払えばいいんだ。あ、悪趣味。火事になったら危険なのは私達も。じゃあ、効率的に小さい火で髪だけを焼き切る? 映画を思い出すの。そうそう、シューって吹きつけてライターとか火種になるもので。あれって、めっちゃ危ないんだよね。キャンプでの火起こしでもめちゃ怖いのに。


「え、レイン?」


 レインが私のすぐ隣にいる。口元にまだゲロの痕が残ってる。汚いとか言ってられない。口拭いてあげたいぐらい。


「しっかりしてよ。あ、砂糖水が欲しいの? まだ飲んでないよね。でも、これ、いいのかな」


 レインを言いなりにするのは、気がすすまないな。気絶してくれてる方が気が滅入らなくていいのかもしれない。でも、気絶って思ったよりヤバイ状態のことを指る。さっき、缶で頭打って分かったからね。レインが起きていてくれる方が安心かな。


「レイン、砂糖水、先生が用意してくれるから。私にかかったのは、あのときとっさにっていうか。わざとだけど、ねえ、ちょっと待って!」


 私を押し倒すレイン。近いっ! ちーーーー近い近いっ! 待って、まだ未成年。キスなんて早やイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ! はひぃひゃあああああああああああああああっ!


 じゃなかった。普通に、手でなでなでされて、それを手の平にすくってぺろぺろやりだしたレイン。目はどんよりしているのに、ちょっとかわいい。いくらレインだからってそんな可愛い可愛いって言ったら怒られる? こ、心の中で思うのは自由だよね? 


 レインはすっくと立ち、私を背にする。ええ? もう行くの? いや、決意がみなぎるような凛々しい幅広の肩。そんなに大きかったかな?


 レインは無言だけど、私が何か言わないのかと一度こちらを振り向く。


「レイン……お願いしていいの? ゴキジェットで爆破」


 レインは私に手を差し出す。渡せってこと? レインなら扱いが上手そう。それに、危険な行動をするときには責任感もある。だけど、今のレインは口裂けレイン。思考が鈍ったりしてないよね。大丈夫かな。


「絶対、無茶しないでね。怪我したら駄目だよ」


 そう、良い子は真似したら駄目だよ?

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