第32話

 辺りには死体。いや、朽ちた口裂け男性店員、複数の口裂け女たち、曽音田そねだ美杏みあんの髪で身体を投げ飛ばされ続けた彼らが四方に飛散している。血反吐や吐しゃ物が散らばる。私の前にはレインと後ろにはレジおばさん口裂け女。先生はまだ来ない。


「ほんと、私に歯向かうなんてどういうことなのかしらね? 化粧が台無し」


 曽音田美杏はコンパクトを取り出してファンデーションの塗りなおしをしている。


「私が始祖なのにね。冗談じゃないわ」


「あなた以外にはいなかった……の?」


 曽音田美杏は眉を描きなおしている。目つきがより鋭さを増す。


「別に私だって口裂け女が本業じゃなくてよ? 今でこそお化け屋敷プロデューサーをやってるけど。だいたいね、口が裂けたのに理由なんかないの。医者の医療ミスだとか、恋人に裂かれたとか。ほんと、好き勝手言ってくれるわ。ほんと生きづらい世の中よね」


 く、苦労してるんだ。


「ふふ、同情なんていらなくてよ? 私は私の仲間を増やしたいの。成人して口が勝手に裂けたの。これが先天的な病で、うつるってことに気づいたのは、最近だけどね。口裂け女ブームが終わった昨今でも言われたわよ? 口裂け女だって。人間はねえ。酷い容姿を持つ者に口うるさく言いたい生き物なのよ。自分は絶対にそうならない、という高い位置から相手を見下したいの。だからここの土地に来れば、そう、女たちが蔑まれていた歴史のあるこの町なら、口裂け女が歩いていてもおかしくないんじゃないかしらって思ったわ」


 言い終えると、曽音田そねだ美杏みあんの顔が蒼白になる。文字通り真っ白。肌は日の光をいっさい浴びたことがないように白く、ペンキのよう。裂けた唇も同じような純白。歯は黒く。喉の奥は暗くて見えない。


「さあ、この町の住人は今日一日で口裂け女化するわ。もう分かると思うけど、男は口裂け男になるの」


 曽音田美杏の物言いは、少し照れている女子高生のそれだった。仲間が増えることを単純に喜んでいる? そういえば、オカマが感染したらどうなるんだろう?


「きっと、オカマも口裂けオカマになるんですよね? 犬でもなるぐらいだから」


「そうよ。あらゆる動物にうつるわ」


「でも、あなたを倒せば全員元通り?」


 さりげなく聞いてみる。


 曽音田美杏は渋い顔をする。


「お化け屋敷プロデューサーの仕事、上手くいってたんですよね? あなたを化け物にしてるのはあなた自身じゃないんですか?」


「それしかなかったのよ」


「ほんとに? あなたブランドものを持ってるってお母さんが言ってました。お金も私のお母さんよりは持ってるはずだもん」


「田舎の娘には言われたくないわね」


「そう、田舎の娘よりあなたはお金持ちなんだよ。どうして、こんなことするの? 隣に引っ越してくるまでは普通に暮らしてたんでしょ?」


「気が変わったのよ。人間社会で無理に生きるのはやめたの。流行ってるでしょ? ありのままの自分で生きること」


「まさか、ディズニー好きなの?」


「シーは三回行ったわ。ランドの方はまだ」


「そ、それほど多くない。でも、いらない情報。待って、そのときはどうやって行ったの?」


「コロナが流行ってからよ。マスクで自由に動けるしね」


 そうか。この人、今が人生の最高点にいるんだ。みんなマスクをつけているから自由に動ける。口裂け女にとっては天国なんだ。だから、今の内に人知れず仲間を増やしたいんだ。


曽音田そねださん。もうやめにしませんか? べっこう飴や砂糖水、ゴキジェットで拷問はしたくないんです」


「さりげなくひどいこと言うのね」


「何で効くのか知らないけど」


「私だって知らないわよ」


「ねえ、あなたを倒すとみんな元の人間に戻るんでしょ? それって空しくない? みんなあなたに感染した。みんなあなたのしもべになったけど、それってあなたが傷ついたら全部おしまいなんだよ?」


 曽音田美杏は白い唇を舐めてせせら笑う。


「ご心配なく。私一人で楽しむのは得意。だって、誰も私の素顔を見たがらない。だから、私から「私って綺麗」って聞くこともなかったわよ。私は一人で生きてきたの。これからもそう。あるのは自分か他人かっていう二択だけ。他人が私を排除するのなら、私はその他大勢の人間を私と同じに変えるまでよ」


 曽音田そねだ美杏みあんがぐばあああ! とひときわ大きな口を開けた。レインがゴキジェットを持っておおざっぱに走る。レインから知能を奪ったら、あんなに頼りなくなるなんて! 私は額縁の盾を持ちながらキンチョールで援護する。後ろからレジおばさん口裂け女が剪定バサミで曽音田美杏の髪を狙う。


「甘すぎるわよ。べっこう飴よりも。いいえ、私、べっこう飴よりマリトッツォ派なんだけどね」


 マリトッツォ!?


 曽音田美杏はレインのゴキジェットを髪の毛でするりと奪い取った。髪は器用にゴキジェットを構えてレインにぶあああとぶちまける!


「やめて! レインはゴキブリじゃないんだから!」


「じゃあ私に向けて使うんじゃないわよ。田舎娘はゴキブリをスリッパで叩くんでしょ?」


「し、失礼ね! ゴキブリはね。熱湯でも殺せるし、ドライヤーでも殺せるのよ! なんでもかんでも叩いたら、卵もばい菌も飛び散るんだから!」


「そんなえげつない方法があるのね。今度うちに出たら試してみるわ」


「うん。オススメ。火傷しないようにね」


 私達が話している間に距離を詰めたレジおばさん口裂け女が、剪定バサミで曽音田美杏の髪を切った!


「やった、まさかゴキブリ談義している間にやってくれるなんて!」


 曽音田美杏の腰まであった長い髪は半分残して肩までの長さになった。


「うっとうしいわね!」


 レインから奪ったゴキジェットが私達に向けて吹きつけられる。


 ジュゴージュゴーッッッツツツ。


 残量が少ないんだ。だけど、三人とも咳き込んでる。目にも入って痛い。


「お遊びは終わりにして、そろそろいっしょに裂けてしまいましょ? 夏は口元が涼しくてけっこう便利なのよ?」


 ううっ。

 曽音田そねだ美杏みあんは右半分の長い髪で私の口を塞いだ。ち、ちがう。髪の毛が口の中に入ってくる。やめて、吐きそう! 吐く! 数秒で吐きそう! でも、出ない。髪の毛が入ってくる! おええってさせて。咳き込んでも自分の唾が喉に戻ってきて気管支の変なところに入る! 苦しいからやめて!


「さあ、口を裂いていくわよ?」


 起き上がるレイン。ゴキジェットでさっき吐いたばかりだもん、一番疲弊しているのに私の土のうポケットからキンチョールを取り出して持っていく。すかさず曽音田美杏は手の届く範囲ということもあって、ビンタする。レインは表情一つ変えない。だけど、目の下の皮膚が赤くなって曽音田美杏の爪で切ったのか血も流れている。レイン、痛いとか言えないんだ。口裂け男になってから、一言も発していない。どうして? いいよ。痛いときは痛いって言って! 口裂け男語になるのが嫌? 大丈夫だよ。大丈夫だから!


 レインは曽音田美杏の裸足の蹴りをまともに食らって後方に吹き飛んだ。ぴかぴかの床を滑ってそのまま商品棚にぶつかる。がらがらがらと棚の上の画材道具が落ちてくる!


「ぬねんんんん!」


 声が出ない。同時に私の口内で左右の頬にいっぱいいっぱいに膨らむ髪の毛。も、もしかして、口が裂けるときって頬が破裂するの? や、やだ、そんな裂け方したくない! ただ感染してなった人もいるけど、こんなやり方で口が裂けた人もいたの? 


 ぎゅうううう。頬がぱんぱんに膨れ上がる。ハムスターだってこんな膨れ方しない! 怖いよ。頬の表面がピリピリ痛む。表情筋を普段からたくさん使っとくんだった。カラオケもコロナになってから行ってないし。頬ぱんぱん。裂けちゃう。


 ぐぼぼ。


 口から髪の毛がはみ出てくる。だめだめだめ! 蜘蛛でも出て来たみたい。私の唾液で光沢を帯びて、私の頬を左右に引っ張り始めた!


 お願いやめてええ!

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