第26話

 ラストスパート十―メートルをコメリテーマソングで突っ走った! 土手からコメリの駐車場に入る。


 コメリで買い物を終えて駐車場の車に乗り込む人がけっこういる。私は、突然突きつけられた日常に右往左往してしまって、乾いた声しか出ない。


「あ、あの、助けて」


 後ろからついてくる口裂け女たちと、レイン。私達は走っているのに、彼らは余裕で歩いてくる。駐車場の一番端に止めていた車へ乗り込もうとしていた女性が、息を切らす私を不思議そうに見る。さすが日本人、疑問に思ったことでも口を出して訊ねてくれない。私もハーフだけどあんまり人のこと言えないか。


 その若い女性は二十代ぐらい。結婚しているようにも見えるししていないようにも見えるお姉さん。私達の後方の田んぼからやってくる口裂け女御一行に気づいた。


「ひっ」


 お姉さんは硬直して買ってきたばかりのトースターの入った袋を取り落としてしまった。チンって鳴らないタイプだけど、ガンって角をぶつけた音がしたのでつぶれちゃったかも? 


「に、逃げましょ?」


「あれは?」


 お姉さんの問いに反射的に「口裂け女です」と呟く。私は、まだ動揺している。この人以上に。


 追走してきたレインはさっきまで上の空状態だったのに、今は目をかっと見開いている。私を見るその瞳には感情がないままだったけど、着実に早足になっている。曽音田そねだ美杏みあんも然り。


「これ、借ります!」


 お姉さんのトースターを曽音田美杏に投げつける。すると、曽音田美杏はその長い髪でくるくるっと絡めとった。


「あの長い髪なんなの! どうしてうねうね動くの?」


 お姉さんもパニックに襲われて私に寄り添って来る。お姉さんも、なんだかんだ子供っぽいなと思った。大人って案外、子供のまま大きくなるのかもしれない。


「なんだか知らないですけど、口裂け女は髪も伸びるみたいんなんです! そして、弱点はゴキジェットです!」


「え、ゴキジェット? キンチョールならあるけど」


 そう言って、その女性はたった今取り落としたトースターの袋からキンチョールを取り出す。え、蚊に効く、ハエに効く? ちょっと、裏の説明文を見せてもらおう。ノミ、ダニ、あっ! ゴキブリにも効く! 使えるじゃん!


「あら、逃げなくていいのロエリちゃん? その人、見ず知らずの人でしょ?」と、曽音田美杏は余裕たっぷりに言ってきた。


「あなたは、誰彼構わず襲うんでしょ?」


 怒りに身を任せ、私はお姉さんからキンチョールを拝借する。


「食らいなさい! 怒りのキンチョールの夏!」


 あ、CMのキャッチコピーみたいに言っちゃった。


 曽音田そねだ美杏みあんは、軽やかにバックステップでかわした。裸足とはいえ、滑らかな跳躍。一方、すみちゃん、すみちゃんのお母さん、それにレインは空気中に飛散した霧にむせぶ。


「先生、どうしよう。これじゃあ、曽音田美杏に当たらないし、みんな苦しそう」


「仕方ない! 早く中へ! みんなどけどけ!」


 先生は、容赦なく買い物客を弾き飛ばすように自動ドアに突入する。先生なら「みなさん、逃げて下さい」ぐらい言ったほうがいいよ、マジで!


 念願のコメリ到達! だけど、これからどうしたらいいの? 先生は一人で突っ走って行く。私はついて行くのに必死。キンチョール貸してくれたお姉さんが不安げに私についてくる。


「あの、私の車で逃げた方がよくなかった?」


「え、乗せてくれるんですか?」


「少なくとも、ここじゃあどうしようもないし。というより、あれは何なの? 口が裂けてたけど、病院に行かなくてもいいのあの人達」


 普通そう思うよね。口が裂けてる方の心配するよね。


「それか、救急車をあの人達に呼んであげる?」


 やっぱりそうなるよね? 待って、ポマードは効かないけれど病院の医者とかは怖がるかな? 口裂け女って。医者の手術ミスで口が裂けた説もあるんだよね。救急車呼んじゃう?


「じゃあ、救急車呼んであげて下さい」


 女の人に救急車をお願いした。そうこうしていると、先生を見失っちゃった。先生、コメリで何を買いたいんだろう。両腕につけていた発泡スチロール落としてるし。装備変更するのかな。使えない西洋剣よりはいいものがありそうだけど。


 う、うわああぎゃあああああ!


 コメリ入口付近、入店した私とお姉さんの後方から男性の悲鳴が上がる。誰かが襲われたと直感した。店内ではどうしたのかなぐらいに思う人しかいない。買い物を続ける人もいる。実際、事件が起きてもこんなもんなんだ。自分の身に降りかかるまで誰も気づかない。


「うぎゃあああ」


 悲鳴がもう一つ。お客さんを案内している男性店員が不審に思ったが、接客第一でお客さんに商品の説明を続ける。もう、みんな逃げてよ! 


「あの、ここは危険です。あの悲鳴が聞こえないんですか?」


 私が男性店員に言ったのと同時にパニックは広がった。思い思いの方向に人が走って来る。うそおおお、口裂け女増えてる! 次第に人の流れができる。入口からみんな逃げてくるから、店内奥に人が集まっていく。私とお姉さんも無我夢中で走った。こんなに広いのに、全速力で人が走るからぶつかりそう。


「うばああ!」


 口裂け男が女性客に噛みついているのが見えた。もう、誰が誰だか分からないよ。成りたてほやほやの口裂け男、マスクそのままつけて布地を食いちぎって噛みついているんだもん。


「やばい、こっちにも来たよ、お姉さん!」


 マスクをつけた人々が走って来る。人間? 口裂け女どっち? 目がうつろ。鼻息がすごく荒い。


 私は店の奥の売り場から走ってきた引田先生を目撃する。足音が多い。なんか、変なのつれてるんだけど!


「ロエリ君、ここはまずいぞ! 犬にも「口裂け」はうつるようだ!」


 えええええええええええ! 犬って元々口裂けてるのに????

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