第20話
頭にヒッピーバンド。色付きサングラスで表情は分からない。黒のTシャツに『
「僕の家にはゴキブリ一匹入らせない!」
ま、待って先生! 入ってきたのが誰か知らないんだ。
「この人はすみちゃんのお母さんですよ! 先生ちょっと待って!」
「住居侵入罪には変わりない!」
容赦ないフローリングクリーナーでの突き。でも、フローリングクリーナーって、くるっと回転できるように可動域が広い。すみちゃんのお母さんのお腹に当たっても、そんなに痛くなさそう。というより、棒の部分をつかんでいる。先生は振り払って何度もクリーナーで叩いたが、すみちゃんのお母さんは両腕で押さえ込み返して先生に肉薄する。今度は先生も危ない!
「すみちゃんのお母さん!」
無防備にも私はすみちゃんのお母さんに後ろから抱き留めるようにタックルする。すみちゃんのお母さんは私に背中を押されて、ぱっとフローリングクリーナーを手放す。先生はそのまま後ろに倒れ込む。今しがた登場したばかりの自室へ。
「先生!」
「ぐぶぁあ」
日本語には聞こえないすみちゃんのお母さんの呼びかける声。
「きゃああ!」
すみちゃんのお母さんは振り向くなり私につかみかかってきた。
すっごい力。大人だからって力じゃないと思う。髪を引っ張られて何本か抜けた。手をばたばたさせていると、今度は首をつかまれた。怖い。痛い痛い! 慌てて引き離そうとすみちゃんのお母さんを手あたり次第に押し返す。胸とか顔とか押せそうなところは全部押し返した。その拍子に小指がすみちゃんのお母さんのマスクにひかかって、顔があらわになる。
「や、あ、ややや、やっぱり口裂け女だったのおおおお!」
すみちゃんのお母さんの肌は真っ黒じゃなかった。唇の色も真っ赤。今はリーダーじゃない? でも口裂け女って、うつるんだよね?
「ロエリから離れろ!」
レインがすみちゃんのお母さんと私の間に入ってくる。服の襟をつかんだ遠心力でそのまま割れた窓へ投げる。窓の縁から塀に囲まれた庭に一段落ちるすみちゃんのお母さん。やっぱり人間じゃないのか、痛いも、うんともすんとも言わない。
「あ、ありが……」
力が抜けた私の言葉を引田先生は遮った。
「かあーーーーー! 僕の家をめちゃくちゃにしてくれたな! ご婦人とはいえ許すまじ!」
ごんっ!
あの音は!
バリ!
そうこうしているうちに玄関の音が変わってる?
ごんっ! バリ!
さっきより音が大きい。
「玄関にもすみちゃんがいるんです!」
「何? ぼ、僕はこのご婦人を見ている!」
それもそうか。二人一度に相手にはできない。私はフローリングの廊下をスライディングして玄関に秒で到着する。玄関の引き戸の昭和ガラスはもう割られている。すみちゃんの頭が見える。額から流れる血が
ごんっ! もう割れているけれど、頭突きを続けるすみちゃん。頭だけしか中に入らないんだ。首のところまで怪我したらすみちゃんが危ない。見てられないっ!
「すみちゃん! そっちに行くからお願いやめて!」
玄関に回り込めば、すみちゃんも無茶な頭突きをやめるはず。
背後でレインが私を呼ぶ声が聞こえる。再びリビングに戻って割れた窓から庭に出る。すみちゃんのお母さんがむくりと起き上がりはじめる。ひいいい!
足をつかまれた。
「せ、先生、見張ってたんじゃないんですか!」
「拘束する縄が見つからなくて。蜘蛛の巣ならあるけど、長さが足りん! くそ、起き上がるんじゃないっ!」
シュコーーーーー。
先生渾身のゴキジェット噴射。地味。
「ぎぃぃぃああああああああああああああ!」
って、めっちゃ効いてるううううううううううう!?
悶え苦しむすみちゃんのお母さんにドン引きしちゃう。喉に石でもつっかえているのかという風に悶えている。スカートめくれてるよ! ど、どうしよう! 女同士だけど見ちゃだめな気がする。そ、それに先生は両手で顔を隠しているし、って先生指の隙間から覗いてるじゃない! 見たくないの? 見たいの!?
「ロエリ、早く行くぞ!」
レインに手を引かれて庭を通り抜けて玄関に回り込む。すみちゃんが私を見るなり、おでこを血でてらてらと光らせながらこっちに走ってきた。まさか、そ、そんなに早く動けると思わない。玄関すぐの田んぼわきに止められたワゴン車の後ろに隠れる。後ろからすみちゃんが来る。
シュコーシュコー!
先生はすみちゃんに後ろからゴキジェットかけてる! や、やめてよ! すみちゃんはゴキブリなんかじゃない! 女子にそんなことするなんて! てか、ゴキブリって放射線に当たっても、乾燥しても、真空状態の場所に放り込んでもしぶとく生きるんだよ? そんな無敵のゴキブリを殺すゴキジェットを人間にかけていいわけがない! すみちゃんがゴキジェットの毒で死んじゃったらどうするの? すみちゃん逃げて!
タタタタ!
こっちには来ないで!
タタタバタリ!
ほらああああああああああ!
「先生! すみちゃんがあああ! 動かないよ!」
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