◆21 ~ 夜に蠢く

 歓楽街リバーサイドは、帝都の夜における象徴のような街である。

 ネオンの光が煌々と灯り、人が群がるその様は、まるで常夜灯に群がる虫のごとく。

 だがその一方で。

 一歩、表から踏み外せば、そこには深い闇があった。


 ドレイク・ラムレウ巡査は、まるでぽっかりと空いた穴のような闇の中で、歩を進める。

 お世辞にも治安が良いとは言えない地区だ。落書きだらけの壁、散らばったゴミ。

 場合によっては銃声さえも……だがこの日は運よく――あるいは運悪く――そういうタチの悪い連中はいないようだった。


 刑事である彼がこんな場所に足を運んだのは、裏を生業とするイリーガルどもを逮捕するため……ではない。

 末端の売人や半グレどもをいちいち検挙したところで、帝都の闇が薄まることはない。彼はその現実をよく理解していたし、そもそもそれはドレイクの職域ではなかった。


 散乱したビールケースを蹴飛ばして、彼はようやく、お目当ての扉へと辿り着く。前衛的だか何だかよく分からない、スプレーで殴り書きされた扉を開き、その中へと体を滑らせた。

 薄暗い部屋の中、頼りない蒼光がぼんやりと部屋を照らしている。

 それは瓦斯ランプや魔導灯の光ではない。モニターから漏れる電子の光だ。その光に、ゆらゆらと人の影が揺れている。


「おいヴェイパー、いるんだろうが。返事しろ」


「あ“あぁ~?」


 ゴミが散乱した床をかき分け、進みながら呼びかけると、返事とも言えないような声が反響した。


「あぁあ~……ドレイク=サンじゃないっすかぁ」


 ひょっこりと陰から顔を出したのは、顔中に入れ墨を入れた男だった。まるで野犬のように痩せ細り、その瞳孔は不自然に細められている。

 その足元に散らばった注射器を視界に入れ、ドレイクは舌打ちした。


「おい……今日来るって言ってあったろうが。テメェ、またヤクでもキメてんのかよ」


「そう言いなさんなぁ~。これが俺の仕事のスタイルってわけっすよぉ」


 どこからどう見ても、彼は『裏』の人間だった。ヴェイパーという名前も偽名。通称にして『蛇』と呼ばれる、情報屋だ。


「とにかく、さっさと仕事しろ」


 舌を打ちながら、ドネイクは彼に向って封筒を投げる。

 歓声を上げながら封筒に飛びつき、中に入った札を数えたヴェイパーは、しかしニヤつく笑みで両手を挙げた。


「えぇ~でもぉ~報酬が少ないっていうかさぁ」


「おい……勘違いするなよヴェイパー。俺がお前をパクらないのは、お前に利用価値があるからだ。そいつがなくなった時が、お前がブタ箱でケツをファックされる時だよ」


「怖ッ。いやいやいや、やりますよモチロン。仕事だろ仕事ォ」


 肩を竦め、くるりと椅子を反転させたヴェイパーは、机の上のキーボードへと指を滑らせる。

 彼は情報屋だ。しかも恐らくは唯一、電脳技術サイバーネットに駆使する技術屋である。


 レイラインネットワークによるサイバーネット技術は、たった十年前に実用化されたばかりの代物である。爆発的に広まりつつあるこの技術は、ゼロタイムで情報を繋ぎ、集積していく。情報と言う意味で、これほど有用なものは存在しないだろう。

 しかし現実として、軍はまだしも、警察はこの技術を十全に活用する段階に至ってはいない。だからこそ、彼のような情報屋が生かされているとも言えるが。


「ほいほい、出た出たっと」


 彼がモニターに表示させたのは、一枚の写真だった。

 やや古い写真だ。映っているのはどこかの将校たちだろうか。


「重要なのはここよここ」


 そう言ってヴェイパーが指さした先にあったのは――


「……これは旗か?」


 それは特徴的な旗だった。

 白い布地に描かれた、文字を複雑化させたようなシンボルマーク……。


「A、か」


 そう。双月祭の裏で起こる貴族連続殺人事件。そこに残されていたメッセージ。

 本当なら、警察の外に決して知られてはならない情報だ。だが事態は既に切迫している。対策本部では、恐らく事件はまだ終わっておらず、次の事件がいつ起こってもおかしくはない。

 マスコミ対策は、今のところうまく行っている。それは双月祭を台無しにしたくないという相互理解によって成り立っているが、しかし三件目となると、本格的に隠すのは難しくなるのかもしれない。


 ゆえに、闇は闇へ。蛇の道は蛇に。

 多少のリスクを覚悟して、この男に調査を依頼したのだ。

 もちろん、表沙汰になった場合、飛ぶのはドレイクの首ひとつでは済まされない。


「それで? この連中は……いや。待て、この腕章……」


「ククッ。ご推察の通り。こいつは――」


 帝都の闇の中。

 男の不快な笑い声と共に、さらに深い闇が暴かれていく。


 ◆ ◇ ◆


 深夜。

 双月祭に湧く帝都の賑わいのその裏で――一般市民の立ち入りが封鎖された帝都空港に、一機の飛空船が着陸した。

 黒服の護衛に囲まれながらタラップから降り立つ、白い服を着たふくよかな人物に、エイダ・イヴーリン少尉は敬礼する。


「ようこそいらっしゃいました、フリーゼマン議長」


 そう告げたのは、エイダではない。彼女の隣に立つ、スーツを着た男だ。年齢はとうに五十代を過ぎているが、彼の立ち居振る舞いはまるでそれを感じさせない、気品あるものだった。


「閣下の案内を任されました、上院議会より参りましたマーク・オズワルドと申します」


「これはご丁寧に、オズワルド殿」


 自身の名を名乗った彼は、フリーゼマン議長、そして続いてタラップを降りた秘書とも握手をかわす。

 上院議会とは、いわゆる庶民院と呼ばれる下院議会と対となる、そして帝国の立法機関である。当然、その議員である彼は貴族にあたる。

 オズワルド侯爵――帝国でも有数の、それも古くの皇族の血を受け継ぐ、名門中の名門だ。


「さあ、こちらへ。歓待の準備をしておりますので。……エイダ少尉、あとは頼む」


「はっ」


 敬礼し、屈強な護衛に囲まれて立ち去っていく議長たちを見送り――エイダは改めて、空港に着陸した飛空船へと目を向けた。


 それは、帝国で用いられているものとはまるで違う。

 異なる技術、異なる思想によって作られた……異国の船。


 エイダは不意に、昼に交わした言葉を思い出す。

 これからは、陸ではなく空を奪い合う戦争になる、と。

 予測ではない。ただの事実だ。飛空船の技術は既に諸外国に広まり、各国は競うように開発を続けている。

 目の前にある飛空船も、そうだ。

 これはいつか、自分たちと殺し合いをする船である。


 不動の如く飛空船を囲む軍服姿の男たち。彼らの視線は、一部の隙もなくエイダたちに向けられていた――殺気にも似た鋭利さをもって。


「それではこれより、皆さまを施設内のドッグにご案内します」


 その視線を無視して、エイダはそう告げた。


「事前の取り決め通り、ドッグ内には我々は一切立ち入りません」


 飛空船の開発技術は軍事機密。どこでもそうだ。今この瞬間、たとえば誰かが写真の一つでも撮れば、空港内で凄惨な殺し合いが発生するだろう。


 張り詰める緊張感の中、飛空船を囲んでいた軍人たちの一人が「よろしくお願いします」と敬礼した。

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