◆EX1 ~ とらわれるもの

 時は、やや遡る。


 リリエス家、領地。

 スクラップになった二台の戦車を見下ろす、小高い丘の上。

 一人の少女が、呆れたように息を吐いた。


「まったく……本物のバケモノだな、あれは」


「同感やね、それは」


 不意に背後から聞こえた声に、その少女――ステーリア・マインフォート・アリオルト・ローゼンクロイツは、振り向きもせずに答えた。


「やっぱり来てたかよ。奈落の」


 その背後に立っていたのは、シルクハットを被った男。

 ユキトに『奈落』と名乗った男――ディープ・アウレギアだった。


 彼は、眼前の少女から立ち上る魔力を察して「おいおい」と慌てたように両手を振った。


「カンベンしてや。別に、あんさんと殺りにきたワケやない」


「ふうん……」


 一瞬、視線が交錯する。

 だがディープはシルクハットに手を当て、すぐにその視線を隠した。


「今回の件、ワイらは無関係やで? ちょいと見物に来ただけ――」


「テメェらの目的は、あの男だろ?」


 と、ステーリアが指さしたのは、先ほど戦車を二台まとめてスクラップにした男――ユキトだった。


「あれは確かに特異点シンギュラリティだ。あわよくば抱え込みたい気持ちも分からないでもねぇ」


「……ま。ウチとしては無理や言うたんやけどな」


 ディープ・アウレギアは肩を竦める。

 それは、確かにそうだろう。あの男が今の全てを捨てて、『聖杯』につくなどありえない――少なくとも、今は。


「ワイとしては、あんさんのほうが可能性ありそうやと思うけどな……?」


「はっ」


 ステーリアはその言葉を鼻で笑う。

 それこそありえないことだ。天地がひっくり返ろうが決して。


「アンタらの抱える秘密には、確かに興味がある、が」


 彼女は笑う。

 獰猛な獣のような笑みで。


「ぶちのめして吐かせるって選択肢もあるしなァ――?」


 魔力が満ちていく。

 静謐で、緻密で……そして背筋が凍るような魔力が。


 ディープからも渦を巻くような魔力が立ち上るが、しかし、彼は冷や汗を止められなかった。

 ――それは、まるで感覚だった。

 前も後ろも、上も下もなく。余すことなく、指先の震えでさえも。


 しばらく魔力は拮抗し……そしてやがて、ふっと消えた。

 ステーリアは興味をなくしたように、彼から視線を外す。


「まあ。テメェは吐かねぇか、伝達者メッセンジャー。オマエは他人に使われるだけ、それだけの操り人形だからな」


 ステーリアの言葉に、ディープはシルクハットを深くかぶり直した。

 二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。

 ……そしてそれを破ったのは、ディープのほうだった。


「ローゼンクロイツ……そういうアンタは、なんでこないなとこに来たんや?」


「あぁ?」


「アンタにとっちゃ、あの二人なんてどうでもええ存在やろ?」


 ふん、とステーリアは鼻を鳴らす。

 その指摘は正しい。ステーリアにとって重要なものはたった一つ。それ以外など余禄に過ぎない。たとえ誰が死のうが……国が滅びようが、世界が滅びようが、どうでもいい。


 どうでもいいが――。


「私も見たかったのさ。あの男の本質を」


「本質……?」


「戦うとき。殺し合うとき。その時ほどに、ソイツの本質が出る……だが、まあ無駄足だったな」


 呆れたような声で、ステーリアはかぶりを振る。


「あんなもの、殺し合いじゃあない。子供と大人、いや巨人と小人か? あそこのスキンヘッドの野郎とやったほうがまだマシだった」


 ユキトは、その力の底の片鱗ですらまだ見せていないだろう。

 もっとも――それを見せられる相手がいるのか、という問題があるが。


「いい勝負が出来るとしたら、剣聖ぐらいか?」


「剣聖、ね……」


 剣聖。世界最強。

 その存在は、もはや生ける伝説だ。

 表よりも裏に住む人間のほうがよほど、その力を知っている。


 ――そしてそんな存在と比肩する、十代の若者。

 将来、あるいは剣聖を超える怪物になるのかもしれない。

 裏の世界において触れるべからずアンタッチャブルと称される《聖杯》の連中が警戒するのも頷ける話だ。


「……ほな、ワイは帰りますわ」


「あ? アイツにちょっかいかけなくていいのかよ?」


「アンタの目の前で? 冗談はよしこさんや」


 ステーリアが、すっと目を細める。

 そして「おい」とディープを呼び止めた。


伝達者メッセンジャー。あの女に伝えろ。――テメェはあたしが殺す、ってな」


 その言葉に宿った、確かな殺気。

 ディープは、それに何かを言おうと口を開き、そして諦めたようにため息と共にかぶりを振った。


「……まあ、ええやろ。そいつを無視したら、ワイが姐さんに殺されそうやしな」


「それともうひとつ。忠告しておいてやる」


「……忠告?」


「お前にソイツは似合わねぇ」


 ソイツ、とは何か。

 互いに、言うまでもないことだった。


 彼はシルクハットを深くかぶり、「余計なお世話や」と告げ――そして水が地面から吹き上がったかと思えば、次の瞬間にはその姿が消えていた。


(過去に囚われるのは――お互い様か)


 ステーリアは、その視線を丘の下へと戻す。

 ユキトではなく、アイーゼへ。


 関係などほとんどない。ただ、少し魔術を教えただけの関係。

 だが彼女はそれを完成させ、圧倒的に不利な状況を覆した。


 彼女は……自分の過去に打ち克つことは出来たのだろうか。


(貴族は、嫌いなんだがな)


 まったく、と息を吐いた。


 不意に一瞬、ぞわりと何かが背筋を這い、ステーリアは視線を上げた。

 はるか遠く――自分ですら、魔術を使わなければ覗けない距離。豆粒ほどのサイズにしか見えない人影が、自分を見ていた。


(この距離で、気づくかよ)


 まったくもって呆れた話だ。あんななモノにちょっかいを出そうとする連中もだ。

 クク、とその口の端から笑みがこぼれた。


 一陣の風が吹く。

 その風がおさまったとき。彼女の姿も、また忽然と消えていた。

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