#33 ~ アルニの花が散る頃に
「だー、参ったぁ――!!」
晴れ渡らんばかりの青空の下。
大の字に寝ころんだ金髪の少年が、そう言って天を仰いだ。
その隣で、完全にグロッキーな顔で黒髪の少年も座り込んでいる。
トールとジェイ――その二人を見下ろして、ユキトは思わず苦笑した。
「あー……少し厳しくしすぎたかな?」
「す、少しなんだ、これで……」
「そりゃそーよ」
二人の間にかがみこんだ緑髪の少女――エニャが、呆れた声を上げた。
「アイーゼの訓練なんて、こっちは見てられないぐらいだったんだから」
「そりゃ……惜しいものを見逃したぜぇ……」
息も絶え絶えにそう言ったトール。そういえば彼ら二人は、決闘場の設営に駆り出されていて、あの訓練は見ていなかった。
「アンタらが訓練つけて欲しいなんて、百年早いんじゃない?」
「そんなことはないさ」
ユキトはそう苦笑し、二人の少年に手を差し出した。
が――どうやら立てる様子ではないらしく、大人しくその手を引っ込め、二人の前にしゃがみこんだ。
「強くなりたいと思うことに、早いも遅いもない。それに二人とも、十分に見込みがあると思うよ」
「ま、マジっすか……!?」
「ああ」
彼らは友のために戦った。たとえ死ぬかもしれないと分かっていても。
それは極めて得難い資質だ。誰にでも出来ることじゃない。
「もしかして……俺って天才……?」
「このアホ」
パシン、とエニャに頭を叩かれるトールに、ジェイが笑った。
二人がユキトに稽古をつけて欲しいと願った理由は、とても納得のいくものだった。
今度こそアイーゼを――友を助けるため。
もちろん、それに頷かない理由など、ユキトにあるはずもなかった。
(幼馴染……か)
生憎と、前世を含めても俺にはそんな相手はいなかったが。
三人と、そしてアイーゼさんの関係は、本当に眩しく思えた。
「ユキトさーん!」
遠くから名を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと、小柄な少女が手を振りながらこちらへ駆けてくるのが見えた。アイーゼさんの妹の、ミミと言う少女だ。
「ユキトさんにお手紙です! 古都からだって」
「手紙?」
少女が差し出した便箋に、はっとする。その差出人の名は、オーランド伯爵だった。
封を切り、中の手紙に目を通し――そしてそれを折りたたんで懐に入れた。
「二人とも。またやりたくなったら、いつでも言ってくれ」
「うっす……」
「あ、ありがとうございました」
三人に背を向け、ユキトは歩き出す。
そしてその腕を、少女が取った。ミミだ。
「ユキトせんせ、お姉ちゃんのところに行くんですか?」
「あ、ああ……」
「私もなんです! 一緒に行きましょ!」
「それは、別に構わないけど……」
なぜか、後ろの三人に胡乱な目を向けられながら、ユキトは首を傾げ、その場を後にした。
「ん。どうぞ」
ノックの返事を待ってから、ユキトは扉を開ける。
応接用のテーブルにはイリアさんとシェリーがいて、俺を見るなり「お疲れ様です」ぺこりと頭を下げる。
片手を挙げてそれに応えつつ、俺は正面に目を向けた。
領主執務室。使い古された執務机に、アイーゼが腰かけていた。
「意外に似合うね、アイーゼさん」
「……その冗談はやめてほしい」
冗談じゃないんだが、と、ユキトは苦笑する。
――アイーゼ・リリエス領主代行。代行というが、彼女が次期男爵であることはもはや疑いようもない。
まあもっとも。山積みの書類に埋もれているのは、少し同情しなくもないのだが。
「……これは、私のしたことの結果だから」
それは決して、望んだ結果ではなかったかもしれない。
彼女にとって、この十数年、貴族なんてものは呪縛に過ぎなかった。捨てられるものなら捨てたいと願っていたに違いない。
だが、実際のところ、それは簡単に捨てられるものでもない。
リリエス男爵家は、この村を統治する貴族だ。彼女の決断は、彼女一人、家ひとつで済む問題ではないのだ。
そして、彼女が自分の為した結果から逃げるような娘でないことを、この場にいる誰もが理解していた。
……あの決闘騒動から、もう一週間。
男爵――アイーゼさんの父親の手術は、無事成功した。彼は既に快方に向かっている。
だが、心の方まではそうはいかなかった。
彼は抜け殻のようになり、もはや執務など行える状態でないのは誰の目にも明らかだった。
救いがあるとすれば、少なくともアイーゼさんの母親は、完全に正気を取り戻していた。
夫人は最初、夫と共に罪を償うことを望んだが、二人が行ったことは何の罪に問えることでもない。ゆえに夫人は今後、自分の手で償っていくのだろう――母親として、その在り方で。
今では、夫が入院している隣町の病院と、アイーゼさんたちの元を往復する生活を送っている。アイーゼさんの執務のサポートも行っているというのだから、なかなか忙しい生活だ。
だがその忙しない毎日の中でも、ユキトの目には、夫人の顔は明るいものに映った。
「アイーゼ。こっちの書類は出来たよ。後はハンコだけ」
「……ん。ありがと、シェリー」
サポートといえば、シェリーさんとイリアさんの二人もそうだ。
唐突に領主の仕事を任されたアイーゼさんを、二人は献身的にサポートしている。
だがそれも、長く続くことではない。もうすぐ夏休みが終わるからだ。そしてそれは、アイーゼさんも同じ。
「アイーゼさん。これからどうするかは決めたのか?」
「ん」
彼女は頷き、そして俺の目を見た。
「学院は、続ける。当然、大会にも出る」
「そうか……」
その返事に、少し安心している自分がいた。
だが大丈夫なのだろうか。彼女は今や領主代行。この領地を放っていくわけには――。
「問題ない。来週には代理執政官が来る」
曰く、代理執政官とは、領地を離れざるを得ない領主をサポートするシステムなのだという。
領地を持つ貴族が少なくなった現在では、使われることなど滅多にない。が、かといって完全に失われたわけではない。
「父が政府筋に当たったそうです。学生ということもありますから、すぐ決まったそうですよ」
「へえ……」
「政府から監督員も来ますし、父の目もあります。おかしなことにはならないと思いますよ」
イリアさんの言葉に、なるほど、と俺は頷いた。
オーランド伯爵は、リリエス男爵家とはもう無関係ではない。
なぜならば、エレジウム鉱脈の共同採掘権を、伯爵がアイーゼさんから買い取ったからだ。
「おかげで借金も完済。伯爵様には足を向けて寝れない」
「そんなことは。正当な交渉の結果――というより、父の方がよほど得をしていると思います」
イリアさんとしては、未だに納得がいっていない部分らしい。少々がめついのではないか、という意味で。
「貴族なんてそんなものだよ。伯爵はむしろ良心的な方だと思う。実際、リリエス家単独でエレジウムの採掘なんてまず無理なんだから」
「それは……」
「その通り。イリアが気にすることじゃない」
それに、と、アイーゼは小さく微笑した。
「第一は、アルナスの皆が納得して、その上で豊かになること。そのためのツテも伯爵が用意してくれた。買い物としては安い」
「……なるほどね」
経済だ何だは俺には分からないが。
やはり彼女は、領主に向いている。俺はそう思う。
「ところで先生、今日はどうしてこちらに? 暫く鍛え直すと仰っていたような――」
「ああ……まあね」
イリアさんの言葉に頷く。
というのも、この一件、俺はあまりに自分の未熟さを痛感したのだ。
今回の事件――個人的に、身につまされるものが多かった。
それはきっと、俺の前世を思い起こさせたから。
俺の両親は、事故で死んだ。正確には、対向車線に飛び出したトラックのせいで。
だが裁判で、トラックの運転手は無罪となった。過剰労働による心神喪失、という理由でだ。
俺は、孤児院を出て、社会人となり――トラックの運転手を探した。
復讐のためではない、つもりだった。本心では、自分でも分からない。
だが、トラックの運転手はとうに自殺していた。ブラック労働によって彼を追い詰めていた会社の社長も、海外に高飛びして行方不明。
そこから先は、言うまでもない、坂を転げ落ちるような人生。
平凡で、どうしようもない男の出来上がりだった。
だから……ああまで感情的になってしまったのだろう。
(じいさんには、あまりにほど遠い)
――明鏡止水。
じいさんの剣は、まさにそれだった。
水鏡に映る、静謐な月のように。
今も焼き付く、あの憧憬。
あまりにも未熟だと、叱られているようだった。
「先生?」
「あ、ごめん。なんでもない。それより、伯爵から手紙が届いたんだ」
「父様から?」
ああ、と懐にしまった手紙を取り出す。
それを受け取り、ざっと目を通したイリアさんは、少し目を見開き、そしてアイーゼさんに差し出した。
わたし? と首を傾げるアイーゼさんに、イリアさんがこくりと頷く。
その手紙にあったのは――ランド・ラネスについて。
あの後、彼は警察に拘束され、移送された。
だが……その後すぐに、病院に収容されたそうだ。
身体の、ではなく、心の。
『彼の心はおそらく、とっくに壊れていたのだろう』
伯爵の手紙には、そう綴られていた。
彼は自殺する間際、アイーゼさんの幸せを願った。
あれはおそらく、本心だったのだろう。
それが憐憫か、同情か、それとももっと違う別のものだったのか、今では分からないが。
だからこそ彼は、男爵を撃ったのかもしれない。
「そう……」
アイーゼさんは、手紙を置き、窓の外へと目線を向けた。
思わず、その視線を追う。
窓の外には、青い空と、白い雲が広がっていた。
彼女が失ったものは多い。すべてが、丸く収まるなんてことにはならなかった。
どう足掻いたところで、過去を変えることは出来ないから。
でも――彼女が取り戻したものと、守れたものは、確かにあった。
ユキトは不意に。
空の向こうに、散っていくアルニの花を見た気がして。
ふっと、アイーゼさんが口元で微笑んだ。
夏は、じきに終わろうとしていた――。
「ところで、気になるんですけど、ユキト先生とイリアさんって付き合ってるんですか?」
「えっ!?」
「いや、そんなことは――」
「ってことは、私たちにもチャンスあるってことですよね! ね、お姉ちゃん!」
「???」
アイーゼさんが、意味がわからないとばかりに首を傾げて。
シェリーさんが、こらえきれないとばかりに噴き出していた。
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