◆24 ~ 窮地に訪れるもの

 なぜ、こうなったのだろう。

 ただ、わたしは……私たちは、幸せになりたかっただけのはずなのに。


 どうしてなのだろう。

 現実は、そんなささやかな願いですらも、無慈悲に摘み取っていく。


「そこをどいて……!」


「悪ィな嬢ちゃん、これも仕事なんでね」


 全力を込めた槍の一撃を軽く回避しながら、傭兵くずれの男は腰から抜き放った銃で発砲した。

 軽く体を逸らして回避し……その一瞬で踏み込んだ男の突き出したナイフを、かろうじてかわす。


 ――強い。軽く切り結んだだけで分かる。この男は強い。

 周囲にいる男たちは、そうでもない。ただこの男だけ、レベルが抜きん出ていた。

 完全に足止めされている。


「ま、可哀そうだと思わなくはねぇよ」


 男は拳銃の銃口を突きつけ、ナイフを手元で弄びながら、見下ろすようにそう言った。


「だが知られちまったからな。予定変更だ」


 耳元に手を当てる。あれは……無線機だろうか?


「おい、プランCだ。……ああ? 計画なら聞かれちまったよ。間抜けなことにな」


「……プランC?」


 耳元から手を下ろし、男は、いやらしそうな顔をわたしに向ける。


「そう、プランCだ。何だと思う?」


 計画を聞かれてしまった場合のプラン?

 口封じか? 増援を呼んだ?


「正解は――妹ちゃんを攫っちまえってことだ」


「な……!?」


「そんでもって、アンタは殺す。そうなりゃ姉妹そろって行方不明ってわけだ」


「……一体、なぜそんなことを?」


「わからねぇかなぁ」


 例えばここでアイーゼが死んだ場合。

 その原因を、必ずミミは探ろうとするだろう。そしてそれがミハイルの手によるものだと勘づかれる可能性は高い。


 だから、攫うのだ。


「攫っちまえばどうとでもなる。魔術でも薬でも……人の記憶を飛ばしたりおかしくさせちまう方法なんて、いくらでもある」


「あなた、たちは……っ!」


 ただ、金のために。

 おかしい。狂っている。


「旦那はもう行っちまった。ここから逆転の目はねぇ。んじゃ殺すから、あんま抵抗すんなよ……?」


「――アイーゼ!!」


 不意に。頭上から――紅い光が降り注ぐ。

 男に降り注いだ光は、だが、ナイフによって斬り払われて霧散した。


「うおおおぉぉ――!!」


 叫び声と共に飛び込んだのは、トールだった。

 だがその剣は……男に向けられたものではない。

 空を切った斬撃が、地面を叩く。地面を揺らし、そして砂塵を盛大に巻き上げた。


「アイーゼ、こっち!」


 砂塵の中、アイーゼの手を引いたのはジェイだった。

 砂塵のむこうから、銃声が聞こえる。だがそれは砂塵が煙幕となって、アイーゼには一発も当たらなかった。


「■■■■■――!」


 それは、言葉に出来ない言葉だった。

 何重にも聞こえ、意味を持つようにも、持たないようにすらも思えた。


 瞬間。青い燐光が舞い、地面に幾何学の紋様を描きだす。

 舞い上がったつむじ風が砂埃を吹き飛ばし……そしてそこには、もう誰もいなかった。



 ――アイーゼが目を開けると、そこは森の中だった。

 おそらく、同じ山のどこかだろう。

 彼女の足元では、ジェイが青い顔でうずくまっている。


「……今のは?」


「ああ、うん。聖術ってやつだよ……うっ」


 両手で口元を抑えてうずくまるジェイに、アイーゼは瞠目した。

 聖術といえば、教会が秘匿すると言われる術式。実際に目にするのは初めてだ。それを、ジェイが……。


「大丈夫かよ、おい」


 周囲を見回せば、トールとエニャの姿もあった。トールは剣を肩に担ぎ、ジェイとアイーゼを見下ろしている。

 エニャはといえば、周囲をきょろきょろと見回していた。


「しっかし、本当にワープするのね……凄いわね聖術って」


 転移ワープは、その存在が幾度も提唱されながらも、魔術ではまだ果たされていないはずの術式だ。しかし確かに、聖術に転移術があるというのは、噂話や御伽噺でよく語られることもであった。


「転移って言っても、僕程度の術じゃ距離は大したことない。さっきの場所から、百メートルも離れてないはずだ」


 確かに、耳を澄ませば人の足音や騒ぐ声が聞こえてくる。


「急いで離れないと――」


「アイーゼ」


 不意に、名を呼んでアイーゼへと手が差し伸ばされた。それは、エニャの手だった。

 その手を借りて立ち上がったアイーゼの背を、エニャはぽんと叩く。


「行きなさい、アイーゼ」


「……え?」


「私がここで足止めするわ。その間に、早く行きなさい」


「どうして? 一緒に逃げれば――」


「ごめん、それは無理」


 そう言った彼女の足は……服が裂け、血がにじんでいた。


「まさか……さっきの銃弾で?」


「かすり傷だけどね。全力のアンタについてくのは、どのみち無理よ」


 アイーゼは絶句する。

 置いていく? ここに? 出来るわけがない。


(わたしの、せいだ)


 こんなところに連れてきたから。

 我を忘れて突っ込んだから。

 わたしに……力がなかったから。


「アイーゼ」


 エニャがその両手を、アイーゼの肩に乗せた。


「ミミちゃんを、助けるんでしょ?」


 ――ああ、そうだ。

 今この瞬間も、ミミが危険にさらされているのかもしれない。

 だけどそれは……


「あのね、アイーゼ。私はずっと、アンタに言いたかったことがあるの」


「……エニャ?」


 その声は、震えていた。

 恐怖によってではなく。

 何かをこらえるように。


「ごめん、アイーゼ」


 エニャは、そっとアイーゼの身体を抱きしめる。

 きょとんとした顔をしたアイーゼに、エニャは、震える唇で言葉を紡いだ。


「私……アンタが故郷を逃げ出した時……何もできなかった。何も力になれなかった」


「……エニャ。それは違う。私が勝手に……」


「私はあんたの幼馴染なのに。アンタの苦しみも、辛さも、何一つ分かってあげられなかった……!」


 エニャはアイーゼにとって……姉のような存在だった。

 いつも一緒だった。「もっと女らしくしなさい」と何度も言われて、世話を焼いてくれた。

 もしかしたら、ずっと彼女は後悔し続けていたのかもしれない。


 エニャは抱擁を解き、アイーゼの両手をそっと包む。

 両の瞳に涙をためて。


「だから行ってアイーゼ。私に……アンタを守らせて」


「俺たちに、だろ」


 アイーゼの両手を包むエニャの手に、トールの手が重なった。


「そうだね。僕だって同じだ」


 ジェイもまた、その手を重ね合わせる。


「前も言ったけど。全部終わったあとに、何も出来なかった自分に……もう後悔なんてしたくないんだ。だからアイーゼ」


 わたしは。

 わたしは――――。


 ◆ ◇ ◆


「行ったか」


 木々が鬱蒼と茂る山中。トールの声が、静かに響いた。

 そこにいるのはトールとエニャ、そしてジェイの三人だけだ。


「お前があんな風に思ってたなんて、知らなかったぜ」


「アンタは、どっちかっていうと怒ってたわね」


「まあな」


 頼れないほど、自分は弱いのかと。

 怒ったのがトール、自分を攻めたのがエニャ、そして落ち込んだのはジェイだ。


「僕なんか、あれから皆に顔を合わすのが気まずくてね」


 エニャの足を傷薬と包帯で応急手当をしながら、ジェイは苦笑した。


 アイーゼの失踪は、彼らに少なからぬ傷を与えた。

 だが誰一人、アイーゼを責める者はいなかった。

 巻き込みたくないというアイーゼの気持ちは、言葉にせずとも、痛いほどに分かっていたからだ。


「ま。それもこれで綺麗さっぱり解消だ」


「油断しないでよ」


「するかよ。この山は俺たちの庭だっての」


 近づいてくる気配に、トールは笑みを強める。

 確かに正面から戦えば分は悪い。だが地の利はある。むしろ、勝機はそこにしかなかった。


「やってやるさ」


「ええ。せいぜい派手に暴れて、邪魔してやるわよ」


 治療を終えたエニャも立ち上がり、目元を拭いて、拳を握る。

 だが、その瞬間――


「――すまない、少しいいかな」


 不意に。

 第三者の声が響いた。


 驚きと共に全員が振り返る。気配などまるでしなかったはずなのに。


 そこには。

 一人の男が、立っていた。

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