◆17 ~ 宿痾
父の執務室には、父と、そしてもう一人。
白いスーツに身を包んだ、一人の男が立っていた。
「あ……」
わたしの後ろから、小さな声が漏れる。
その声に――ふと察した。
(この男が……)
「ああ、二人とも。よく来てくれた」
そう言った父が、ふと気づいたように私に目線をやった。
「アイーゼは初対面だね。紹介しよう。彼がミハイル・フラヴァルト君――ミミの婚約者だ」
ミハイル・フラヴァルト。
そう紹介された金髪の男は、優雅な笑みを浮かべつつ一礼した。
一見すれば、優男。だが妙に存在感のある男だと思った。
「彼はこう見えて、一代で会社を大きくしたやり手社長だ。見た目もこのとおり、実に素晴らしい好青年だよ。だろう、ミミ?」
「……はい」
喜色を満面に浮かべつつ、得意げに紹介する父。
確かに……わたしの婚約者だった男とは似ても似つかない――外見は。
(この男……何かが変……)
何が、とは明言できない。
ミミの日記を読んだから、先入観に囚われている可能性も否定はできない。
だが、どことなく……警戒しなくてはならない。そう思った。
「ひとつ、聞きたい」
わたしはその男――ミハイル・フラヴァルトに、静かに告げた。
「あなたがミミと結婚する理由は?」
ミミの日記を読んで、どうしても気になった点がひとつあった。
……交換条件だ。
貴族に根回しをし、わたしを貴族にさせないようにした。それが事実かどうかはどうでもいい。問題は、そこまでしてミミと婚約しようとたのは、一体なぜなのか。
「うちは貧乏貴族。金持ちだか何だか知らないけれど、結婚したところで貴方に得はないはず」
「おい、アイーゼ……!」
焦ったように立ち上がり静止しようとする父を、目線で制する。
その目線に込めた殺気に当てられてか、うっと呻いた父は、静かに椅子に腰を下ろす。
「ふむ……一目ぼれというのは、理由になりませんか?」
「妹はまだ十四歳。つまり貴方は十四歳の少女に欲情したと?」
「はは、そう言われると困りますね」
私の言葉を笑い飛ばした彼は、小さくかぶりを振る。
「無論、私は婚約者殿を愛しているつもりですよ。とはいえ確かに、それが最大の理由でないのは確かですな」
彼は腕を後ろに組みなおし、私へと目線を向けた。
「さきほどご紹介いただいた通り、私はいわゆる商人です。いわゆる――武器商人というやつですね。最近、少々名が売れてきた程度ですが」
「……フラヴァルト社の名前は、知っている」
フラヴァルト・インダストリーといえば、新興の銃器メーカー。雑誌で見覚えのある名前だ。
小規模ではあるが、低価格で火器を販売する会社として、徐々に名が売れつつある。
「さすが、士官学院の生徒さんですね。今後ともどうぞ御贔屓に」
「……悪いけど、わたしは銃は使わない」
「そうですか。それは残念」
ともかく、と彼は続けた。
「武器商人というのは、実に因果な商売でしてね。税金は高く、国からの監視も絶えることがない。同業他社からのちょっかいなどしょっちゅうです。我々としては、少しでも安く、より良いものを提供したいのです……帝国の方々の安全が少しでも守られるように」
「……だから、婚約をすると?」
「貴族であるということは、それだけで価値があるのです。無論、制限も生まれはしますが……帝国に骨をうずめ、奉仕する覚悟の私にとって、それは制限とは言えません」
……その言葉は、確かに、理にかなっていた。
力を持つということは、常に、そうした側面を宿す。
武器を製造するということは、力を生み出しているということ。国からの干渉がないはずがない。
だが……。
「その理由なら、うちである必要はない」
「……まあ、それは縁というものですよ。偶然、リリエス殿と知り合う機会があり、意気投合しまして」
「いい加減にしないか、アイーゼ」
怒気のこもった声で、父が私の名を呼んだ。
「まったく、貴族の娘としてその態度はなんだ。失礼にもほどがあるだろう。お前をそんな娘に育てた覚えはないぞ」
(――育てられた覚えもない)
父だって、昔は貴族らしさなど微塵もなかった。
リリエス家にとって、貴族の社交など遥か無縁の存在だった。貴族らしさなど、一度も意識さえしたこともない。
土地と、民と、ただ共に生きる。それでよかったはずなのに。
「……貴族なんて、くだらない」
「なんだって?」
父と母は、いつしか社交にのめりこみ、貴族貴族と口に出すようになって……すべてが変わっていった。
貴族らしく生きたいなんて、一度も望んだことはないのに。
「ミハイル・フラヴァルト」
父の横にたたずむ男へと目線を向けた。
その男は、ただ笑っていた。
何もかもを知ったような顔で。お前には何もできないと、そう言っているように見えた。
「わたしは、貴方に決闘を申し込む。――ミミとの婚約、その撤回をかけて」
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