◆18 ~ 逃れえぬ呪縛の中で

 リリエス家の片隅にある、私室。

 その中で、椅子に座ったアイーゼは、庭へと向けていた目を閉じ、小さく息を吐いた。


 ――あの後。烈火のごとく怒る父に執務室を追い出され、わたしは部屋に軟禁されることになった。


 それだけのことを言った自覚はある。

 あまりにも無茶苦茶なのは、分かっていた。

 決闘など通るはずがない。そもそも相手はまだ貴族ですらない。けれどわたしにとって、出来ることなどその程度しかなかった。


 もし――ここにいたのが私でなく、あの友人たちだったら、一体どうしただろう?

 もっとマシな方法で、この状況を変えられたのかもしれない。

 ふと急に、見慣れたはずの自室が、ひどく広く見えた。


「ミミお嬢様の式は、一週間後に行われるそうです」


 部屋の扉の前に立ったランドさんが、無感情にそう告げた。


「……ランドさんは、結婚には賛成?」


「……私は執事ですから。口を挟む立場にはありません」


 予想通りの答えに、そう、とただ返す。


 責める気持ちにはなれなかった。

 ランドさんの父は、かつてわたしの祖父と共に祖国から逃れてきた従者だった。異国の地で、貴族ですらなかった彼が帝国に安住できたのは、祖父の働きかけによるものだったという。


 時代を超えて、血と共に受け継がれてきた恩義を、彼はリリエス家に返し続けている。

 それは呪縛にも似ている。

 大した給金もなく、こきつかわれ続ける彼を見て育ったわたしには、そう思えた。

 それでもなお尽くし続ける人を、恨むことなど出来るはずがない。


(呪縛……呪い、か)


 ふと、窓の外に視線を向ける。


 ――これは呪いなのだろうか。

 かつて故郷を捨て、敵国に寝返ったリリエス家。

 誇らしかった父も、優しかった母も、何かに呪われるように変わってしまった。

 ドブネズミと蔑まれる、まさしくその言葉の通りに。お前たちは汚泥を啜らねばならないと、そう縛られるように。


 全てを捨てて逃げてしまえたらと、そう思ったこともある。

 きっと、出来なくはないのだろう。でも――。


「……アイーゼお嬢様」


 ふと、ランドさんの声に視線を送ると、眼が合った。


「?」


 不意に、違和感を感じた。

 見慣れたはずのランド・ラネスという人が、まるで別人であるように感じたのだ。

 彼は言いよどむように、一瞬目を背け、そして再びわたしの目を見て、口を開く。


「もし、本当に戦う意思がおありなら……相手を知ることが先決であると、私は思います」


「相手を、知る……? ミハイル・フラヴァルトを?」


「そうです。敵を知るもの、百戦を制すと申します故」


 それはあまりに彼らしくない言葉だった。

 言い方は悪いが――彼はこれまで、リリエス家の問題には決して触れずにいた。

 決して自分の立場を超えることなく、ただ奉仕してきた。そんな彼がなぜ今、そんなことを言ったのか。


 だが――そんな疑問をすべて胸のうちにしまい込んで、わたしは彼に疑問を投げかけた。


「……何か、心当たりがあるの?」


「ございます」


 彼は、迷うことなく頷いた。

 いわく――ミハイル・フラヴァルトとの婚約に前後し、村に見慣れぬ男たちがうろついているのだという。

 といっても、多くて週に一度程度らしいが……。


「ミハイル・フラヴァルトはおそらく、何らかの理由があって、リリエス家に婚約を申し込んだはず」


「その目的に……その男たちが関係していると?」


「おそらくは。そしてそれを、かの御仁は隠しておられる」


 アイーゼは一瞬、言いよどむ。


「……それを探れと?」


 彼は無言のまま、眼を伏せた。

 とどのつまり――弱味を探り、そしてそれを使えということだ。

 どうやって使うかは、言うまでもない。


(手段を選ぶ余裕は……わたしにはない)


 その秘密が何なのか、分からない。

 分からなくても前に進まなければならない。


「そう言うということは、ここから私が逃げても見逃してくれる……そう考えてもいい?」


 ランドさんは、何も答えず、目を伏せたまま微動だにしない。

 それが彼の答えだった。

 そう、と呟いて、わたしは部屋にかけたコートに手を伸ばし――ふと思い出し、そのポケットから薄紅色の押し花を取り出した。


(ミミ……)


 いったい、わたしに何が出来るのか。


 弱気を頭を振って追い出して、私は再びコートに手を伸ばした。

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