#02 ~ ユキト、家を買う
俺の注文を受けて、不動産屋の店長が持ってきた物件は、全部で四件ほど。
図面と写真で説明しましょうかと言われたが、直接見たほうが早いだろうと、彼の車に乗って見回ることになった。
――まあ、それはいいとして。
「……なんでイリアさんがここに?」
「父様に教えてもらいました」
そう答えるのは、後部座席に乗った少女。
美しい金糸のような髪と、翡翠のように涼やかな色を湛える瞳。凛として透き通るようなその美貌は、俺が出会った異世界人――この呼び方は、もう違和感があるが――の中でも、群を抜いて美しい。
イリア・オーランド。俺の教え子の一人だ。
痛みばかりを残して終わったあの事件を越えて、まだ半月。だがその半月で、彼女は俺の心配など杞憂と言わんばかりに、何も変わらなかった。
――いや、変わらなかったというわけじゃないか。
ただその変化は、俺にはプラスに思えた。肩に圧し掛かっていた重りが取れたように、笑うことが少し増えたように思う。
「いや……その、俺の家を見に行こうと思うんだが、なぜ一緒に車に?」
「いけませんか?」
「そんなことはないけども」
そうですか、と彼女はそのほっそりした足に乗せたクロを撫でる。
クロは基本的に他人に撫でられることを嫌がるはずなのだが、なぜか彼女にだけは心を許していて、今も完全にリラックスモードだ。
……というかクロ、その位置はちょっと羨ましいぞ……。
この半月で変わったことは、もうひとつある。
なんというか……イリアさんに遠慮がなくなったというか、少しだけ距離が近いのだ。ふとした瞬間にドキッとしてしまうことさえある。
しゃーないやろ童貞なめんなチクショウ。
「それで先生、どんな家になさるんですか?」
「あぁ……うん」
イリアさんに、俺の出した注文を伝えていく。
まず、そこそこ広い庭があること。
これは外せない。クロは室内でも全く問題ないが、どちらかというと外のほうが好きだ。クロが遊べる庭は絶対必要だろう。
次に……剣の修練が出来る場所が欲しい。出来れば室内で。
「室内ですか?」
「あぁ……最近ちょっとどうも、視線がね……」
イリアさんも思い当たる節があったのか、なるほど、と頷いた。
戦技大会の優勝からこっち、他人からの視線を妙に感じるのだ。話しかけたりアクションを起こしたりしないし、悪い気も感じないが、人の目線があるというのはそれだけで疲れる。
だから、出来れば室内がいい。
「有名税、というやつですか」
「別に有名になりたいわけでも、それで飯を食いたいわけでもないけどね」
「確かに」
まあこれの優先度は低い。別に視線なんて気にせず、庭で修練したって構わないのだ。
「ご安心ください。ぴったりの物件がございますよ」
そう言って、ハンドルを握る店長が笑った。
――ということで、一軒目。
到着したのは、閑静な住宅街に立つ……豪邸だった。
「でかっ!?」
「ああ、ここですか」
驚く俺を尻目に、イリアさんが何やら頷いた。
「昔、うちが使っていた別荘ですよ」
「どおりで……」
二階建ての白く輝く豪邸。庭もとんでもなく広く、プールまである。
「さて、それでは中をご案内――」
「その前に聞きます。いくらですか?」
「ふむ? そうですね。土地と建物含めて、およそ二億ほどで――」
「買えるかァ!」
おかしいなぁ! 俺予算伝えてたよね!?
「ははは、さすがに現金一括ではないですよ。手付金が三千万もあれば十分――」
「いやいや、ローンにしても高すぎでしょ!」
「そうですか? ユキト様ほどの方なら、これぐらいは、と……」
俺を何だと思ってるんだ一体。
「とにかく次お願いします、次。というかこんな広い家、俺一人じゃ管理しきれません」
「おや、おひとりで住むつもりで?」
ふと彼は、庭を懐かしそうに歩くイリアさんに目線を向けた。
……? ……!?
「いやいやいや、違います! 彼女はただの教え子!」
「おや、そうでしたか」
ニコニコというよりニヤニヤという笑みを浮かべる彼に、オイ、と心の中で突っ込みつつ。
「とにかく、次はお願いしますよ……」
――そんなこんなで、二件目だ。
二件目の物件は、いわゆるデザイナーズなんちゃらみたいな、ガラスを多めに使った物件だ。庭は広く、高い塀もある。
地下室もあって、そちらを訓練室として使うことも出来そうだ。
「この物件の魅力は何と言っても、アクセスが良い点です」
バス停にも駅にも近く、どこに行くにも苦労しない。
なるほど、確かにそれは重要だな。
だが都心に近いだけあって、値段も高い。
「うーん……悪くないんだけど。保留かな」
というわけで、次。
三件目の物件は――
「ここは却下です」
とイリアさんが言い出した。
もっとも、それも仕方がないかもしれない。
繁華街の中でも、さらにひと際ネオン輝く夜の街、いわゆる風俗街が目と鼻の先なのだ。
「不潔です」
「いや、まぁ……」
「まさか興味があるとは言いませんよね?」
「イイマセンヨ?」
まぁ、こう見えて一応、学生を指導する立場だから。
下手をしたら学生を家に招くこともあるだろう。
さすがにダメだろう。というわけで次だな。
「今まで見た中だと二件目かな」
「一件目も悪くないと思いますが……」
「教官ってそこまで高給取りじゃないから」
さすがに無理です。
俺の言葉に苦笑をこぼしながら、イリアさんは「そうですね」とどこか安心したように笑った。何だろう?
「伯爵様いわく、ユキト様には次がオススメだとそうです。少し特殊な家ですが……」
「特殊?」
ハンドルを握る店長の言葉に、少し首を傾げる。
車は都心からやや離れ、東側の伝統地区へと進んでいく。
住宅地を抜け、窓から見える景色は少しずつ自然が増え、やがて辿り着く。
そこは、静かな雑木林に囲まれた、一軒の家。
「アクセスは少し悪いですね。近場のバス停まで徒歩二十分というところです」
「おぉ……」
その光景に、思わず声がこぼれた。
――あまりにも懐かしさを感じて、だ。
その家は……まさかの、というべきか。瓦の並ぶ屋根、木で作られた家屋――完全に日本家屋のそれだった。
「この家を建てられたのは、いわゆる画家――それもオリエンタルな作風を主とされる方でして。東洋の文化を再現した家屋だそうです」
いつしか沈みはじめていた太陽が、赤く、穏やかに空間を赤く染めていく。庭に拵えられた池が、夕日の紅を反射して、赤く美しく煌めいていた。
その光景は美しく、まさかこれを狙って時間を調整したのだとしたら、この店長……やり手だ。
「さて、中をご案内しましょうか」
「お願いします」
外観は和風ではあるが、家の中は、いわゆる和洋折衷だった。キッチンやダイニングはフローリングだが、中には和室もあり――
「まさか畳があるとは……」
「これがタタミですか。なんだか落ち着く匂いがしますね」
「ああ……」
懐かしい匂いだ。
まるで実家に戻ってきた時のような――。
(実家、か)
不意に、俺が元いた世界、地球の、日本の、前世の故郷。
実家の思い出なんて、ほとんどない。孤児院に引き取られてから、俺の実家は近所に住んでいた爺さんがずっと管理してくれていた。
実家に帰るたび、爺さんはいつも俺の世話を焼いてくれたっけ……。
あの家はどうなったんだろうか。
もしかしたらもう、あの地球にもないのかもしれない――。
「先生?」
「あ、いや……」
取り留めもない思考を振り払う。
「この家ですが、条件にありました、室内の訓練場などはありません。ただ周囲が雑木林に囲まれていますから、室外で訓練する分には問題ないかと」
確かに庭も広く、訓練には困らなさそうだ。
「部屋の数は一階に七部屋、二階が三部屋です。ただ、土地にかなりの余裕がありますので、増築も可能です。家具はそのまま使用いただいて構わないとのことです」
「至れり尽くせりですね」
「ちなみに家具は新品ですよ。伯爵閣下はおそらく、ユキト様がここを選ばれると見越しておられたのでしょう」
「はは」
見透かされてますね、完全に。
――うん、でも、さすがだ。
「……それで、値段のほうは?」
俺の言葉に、店長はまさしく満面の笑みで、金額を告げた。
――俺の想定した予算ピッタリの金額を。
「即決でしたね」
いったん不動産屋に戻り、色々な書類にサインをした後、家の鍵をもらって店を出る。と、イリアさんが苦笑交じりに言った。
「完全に伯爵の掌の上だよなぁ」
「父様は昔からそうですよ。何でも見透かされている気がして」
「確かに」
それでいて、相手にそれが悪くないと思わせる手管に長けている。
油断ならない、というべきなのだろうか。
「それで、今日から先生はあちらに?」
「そうだね。クロも置いてきちゃったし」
クロは和風の庭が気に入ったのか、あの家に居着いてしまったので置いてきたのだ。
今頃マーキングとかしてるのかもしれない。
「そうですか。では近いうちに、改めて伺いますね」
「おお。引っ越し祝いか。ありがとう」
俺の言葉に、イリアさんはきょとんとした顔をした。
あ、しまった。引っ越し祝いって概念はこの世界にはないのか?
「……引っ越し祝い、いいですね。みんな呼びましょうか」
「おい。引っ越し祝いってのは別にパーティのことじゃ――」
「いいじゃないですか」
夕暮れに染まる路地で、イリアさんがくるりと振り向く。
「先生、お引越しおめでとうございます」
「――なんか違う気がするなぁ」
そうやって苦笑しながらも。
夕焼けの中で優しく微笑むイリアさんの表情に、まあいいかと、俺は歩き出した。
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