◆SS② ~ 彼女たちの青春(後)
「実際のところ、どう思う?」
フェイがトーリに向かってそう言ったのは、イリアと別れ、学院の外に繰り出した後だった。
バスに揺られながら問われた言葉に、一瞬何のことかと思ったトーリだったが、すぐに理解して「さあね」と言った。
「他人の恋路に口を挟むものじゃないと思うわ」
「ってことは、トーリはホントだと思ってるんだ」
「本当でもそうでなくても、よ」
片や容姿端麗な伯爵令嬢と、彗星のごとく現れ、そのピンチを救った謎の剣士。その噂がどれほど妄想じみていても、気になってしまうのは女学生としての性というものなのだろう。
だがヴィスキネル士官学院には貴族の子弟が数多く通うとあって、恋愛イコール結婚ということにもなりかねない。
中には両家の事情に配慮しなければならないような場合もある。
ゆえに士官学院の生徒たちは、恋愛には慎重だ。
――逆に言えば、それだけ飢えているということでもある。
いかに貴族といえど、思春期真っただ中の少年少女。生徒の間で密かに語り継がれるメロドラマじみた恋愛活劇伝説も、一つや二つではない。
まあ、もっとも。
「他人のことより、自分のことを気にしたほうがいいんじゃない?」
「うがー、そうだったー」
フェイもトーリも、恋愛経験などありはしない。
フェイなどは色気より食い気、恋愛などより外で遊ぶほうが性に合っている。トーリも似たようなもので、恋愛なんていうものは本の中にしかない遠い世界の話だ。
『――次はオーヴィニオ劇場前、オーヴィニオ劇場前です。お降りのお客様は、バスが停車してからお立ちください――』
バス内に流れた目的地のアナウンスに、バスから降りる。フェイはわずかに伸びをして、「じゃあ行きますか」と歩き出した。
劇場通りとも呼ばれる、学園からバスで十分ほど乗った先にあるそこは、新街区と伝統区の狭間にあって、煉瓦作りの街並みが美しいレトロな雰囲気の地区だ。
何度かの整備開発が行われてきたが、この景観を壊さないようにと配慮がなされ、なんでもこの地区に家を建てる場合、家のデザインに配慮が必要など特別な許可がいるのだという。
シンボルでもあるオーヴィニオ劇場は、全国的に有名なヴィスキネル交響楽団の本拠地であり、同時に、多くの有名な歌劇が上演されてきたことでも知られる。
ヴィスキネル有数の観光名所のひとつで、ヴィスキネル芸術大学が近くにあるためか、学生たちにとっての憩いの場としても有名だ。
「ここに来るのも久々な気がする」
「確かに、最近は訓練で忙しかったものね」
ちなみに、憩いの場以上にデートコースとして有名なのだが、もちろん二人にその経験はない。
「じゃ、まず本屋ね」
「はーい」
二人の足はよどみなく一軒の古本屋へと向かった。
雑多な本が山のように置かれた、一人の老婦人が店番をする、年季のある外観。
美しく整頓された新市街の本屋とまるで違う、古文書のひとつでも眠っていそうな雰囲気すらある。
それを嬉しそうに物色するのはトーリだ。古本巡りを趣味とする彼女にとって、ここは楽園のようなものなのかもしれない。
一方、置いてけぼりとなったフェイといえば――
「キュロちゃーん」
カバンにいれていた猫じゃらしを取り出し、店の奥で丸まっていた猫の前でふらふらと揺らす。
キュロ、と呼ばれたその猫は、真っ白な毛並みが美しい、凛とした顔立ちの猫だ。ぴくっと耳をそばだてて、その目線が猫じゃらしに向いたが、やがてふいっと目を逸らす。
「うぐっ、だめか……」
「ふふ。うちのキュロは、そんなのじゃ駄目よ」
カウンターに腰かけていた老婦人が、静かに笑う。
「これならいけると思ったんだけどなぁ」
がっくりと肩を落とす。だがやがて持ち直し、嬉しそうに猫を覗き込んだ。フェイはこの猫、キュロの虜で、こうしてバスまで使ってトーリと共に古本屋に出向くのはこのためと言っていい。
もちろん、他にも劇場通りのスイーツが目当てでもあるのだが――。
ふと、フェイは見知った顔――トーリではない――を見つけて「あ」と声を上げた。
見覚えのある一人の男子生徒が、真剣な顔で古い本をめくっている。
「あれ、ユグノール君」
「ん? ……ああ、フェイ・イーシアか?」
シグルド・ユグノール。フェイにとって友人とは言えないながらも、顔見知りの少年だ。今はクラスも違うが去年は同じで、元クラスメイトの関係である。
何より、彼の剣術は学院でもトップクラスと言われていて、先日の予選大会でも優勝を果たしている。
体術と剣術で専攻科目こそ違えど、実力者同士として互いにある程度意識する関係だ。
「ユグノール君がこんなところにいるなんて珍しいね? 本好きだっけ」
「いや、本は読むが、そういうわけではないな。ここに来たのも初めてだ。オルキュールの奴に聞いてな」
「へえ」
フェイが彼が手にしていた古本のタイトルに目線を向ける。
それは……
「東洋武術目録?」
「ああ」
東洋――
しかし魔術工学の発展によって人の流通が盛んになるにつれ、その文化が徐々に大陸へと流れ込んでいた。
その中でも、東洋の武術は帝国人を刺激した。
当時曖昧だった『気』の概念を、体系化して継承していた東洋武術は、帝国の武術体系に大きな影響を与えた。
当時帝国になかった『流派』の概念を持ちこんだのも東洋だ。持ち込んだというより、帝国が無理矢理組み込んだというほうが正しい。
もともと帝国の武術は、宮廷に伝わるものと、戦場で生み出されたもののがあって、それに名前など存在しなかった。
しかし今ではカサンドラ流やオスマン流といった流派剣術が帝国にも存在している。もっとも、カサンドラ流などは分派しすぎて、中には名前だけ名乗っているような詐欺じみたものが横行したこともあるのだが。
ともあれ、帝国人にとって東洋というのは神秘じみていて、同時に憧れのようなものを持っている。
東洋文化を題材にした本や映画も多数作られ、時折思い出したように流行する。飛行船などを使って国外旅行するのなら、
「……刀について、興味があってな」
「それって」
言うまでもない。ユキトの影響だと、フェイは察した。
フェイにとっても、ユキトは恩師だ。彼の体術は非常に合理的で、彼女が習得してきたそれよりも、極めて実戦的な技術だ。優勝できたのも、その指導のお陰だと思っている。
彼も、きっとそうだろう。
だがユキトの本質が剣士であるゆえに、彼はきっと、自分以上に影響を受けているに違いない。
ただ……。
「武器を変えるっていうのは大変じゃない?」
そうなのだ。剣と刀では、武器としてあまりに違う。それぐらいはフェイにも分かった。
何よりユグノール侯爵家はアルノール流剣術の大家だ。刀を選ぶということは、アルノール流を捨てるということになる。
「それは先生にも言われた。だがアルノール流は、東洋武術を積極的に取り入れてきた流派だ。刀術を取り入れるのは、理に適っていると俺は思っている」
それに、と彼は続けた。
「俺は、魔術は使えん。それでも強くなろうとするなら、手段は選んでられん」
フェイはその言葉に、あまりにも強い意思を見た。
そして同時に、その言葉に滲む強烈な憧れを。
その気持ちは、痛くなるほどに分かった。
確かに自分たちは、予選大会で優勝した。本戦でだって、きっと戦えると思っている。
だが同時に、強烈に意識させられるのだ。それは結局、学生という狭い世界の中の話に過ぎないと。
ユキト先生の試合は、あまりにも圧倒的だった。
本物の強者とは、ああいうことを言うのだろう。
雑誌に乗るような有名ハンターとも知り合いで、親しそうに話していた。それはきっとその強さと人柄が、人を惹きつけるから。
自分もああなりたい、もっと強くなりたい。その憧れは、武術に身を浸すものであれば誰でも持つものなのだろう。
「東洋武術って、格闘でも有名だよね」
「ああ。先生の体術はそっちだろうな」
「その本もあるかなぁ。探すの手伝ってよ」
「……自分で探せ、まったく」
「いいじゃん。剣のもあるかも?」
などと言いながら、ユグノールを巻き込んでフェイは本を探し始める。
その後――
「あ、これかも」
「ちょっと待て。それを引き抜くと――うわぁっ!」
本を引き抜いたせいで、その雪崩に巻き込まれたユグノールに、フェイは唖然とし……本まみれになって倒れ込むその姿に「ぷっ」と噴き出した。
「おい、笑うな……」
「ぷふっ、ごめん無理かも、ふっ、あははは!」
笑い声が響く店内。
何事かと顔を出したトーリの前で、フェイは笑い続けていた。
なお後日。
せっかく見つけ出した本だったが、フェイにはちんぷんかんぷんだった。
ユグノールと共に東洋武術勉強会を開くことになり……二人の間にあらぬ噂が立ったりもした。
それは他愛もない、青春の一ページだ。
だが彼らにとって、その日々はきっとかけがえのないものになる。
永遠ではないからこそ、きっと。
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