◆SS② ~ 彼女たちの青春(前)
――目覚ましの音に、目を覚ます。
今日も変わりない天井だ。だというのに、何度も目をこすり、ドキドキと脈打つ心臓に手を当てる。
昨日までの興奮が、熱が、まだそこに残っているような気がした。
ふと、手で握りしめていた何かの感触を感じて、目線を落とした。
それはグローブだった。握りしめながら眠っていたのだと思い出す。昨日の光景が、嘘でも幻でもないと証明するために。
ベッドから立ち上がり、自分の机に向かうと……そこには輝かしく光る金のトロフィー。
自然と、口がにやけた。
――戦技大会、学徒戦……体術部門、優勝。
フェイ・イーシア。
彼女の朝は、いつもと違って浮ついた笑みと共にはじまった。
ヴィスキネル士官学校の学生寮では、食堂のようなものは存在しない。もっとも、それで困ることはない。
学院の構内には購買部だけではなく、お洒落なカフェや大きな食堂までもある。カフェは図書館と併設されており、本を読みながら休憩することも可能だ。
そんなカフェで、コーヒーを片手に呆れ混じりのため息を吐く女生徒が一人。
「……フェイ。毎回思うけど、このカフェで、朝からそんなにがっつくのってあなたぐらいよ?」
「ふぇ?」
フォークを咥えながら首を傾げた少女。桃色の髪をショートカットにした彼女――フェイ・イーシアの眼の前には、数個のケーキが並んでいる。そのうちいくつかの皿は既に空だ。
「もう、また口を汚して……」
そう言って彼女の口を拭く少女の名は、トーリ・スズミヤ。黒髪黒目の、縁のない眼鏡がトレードマークの少女だ。
二人は気の置けない友人同士で、こうして食事を共にすることも珍しくない。というのも二人して、テーブルゲーム部の部員同士だからだ。
テーブルゲームの腕はといえば、トーリのほうがずっと上である。が、フェイが予想だにしない奇手を連発して、盤面を混乱させてよくわからないまま勝ってしまう、ということが時折起こる。
その打ち筋が物語るように、二人の性格は真逆だ。真逆だからこそ、馬が合ってしまうものなのか。あるいはそんな勝ち方をされても許してしまう、トーリの懐の深さがそうさせるのか。
ともかく二人は親友と呼べる仲であり、こうして朝食を共にすることは多い。
「というかフェイ。そのグローブ、今日も訓練するの?」
昨日試合があったばかりなのに、というトーリの言葉に、フェイは「えへへ」と笑った。
「まだ昨日の余韻が抜けてないっていうか……」
「なるほどね」
フェイは柔らかく笑った。
「改めてになるけど、優勝おめでとう」
「うん!」
「もちろん、帝都の本選も応援に行くから」
うん、ともう一度頷いてから、あっ、とフェイは何かに気づいたように視線を落とす。トーリが首を傾げ、そして同時に――付き合いの深さゆえにか、彼女の言いたいことに気づいてしまった。
「私のことは心配しないでよ」
――トーリ・スズミヤ。彼女もまた、フェイと同じく戦術科の生徒だ。
しかし彼女は武器術を苦手としている。強いて言うのなら銃火器の扱いに長けているが、それ以上に長けているのが魔術だ。
こと魔術において、彼女は士官学院でもトップクラスの成績を誇る。
もともと、トーリの一族は東からの古い移民であり、平民だ。実家も金持ちではない。ユグライアからの移民のような差別こそないが、貴族の多いこの学院では少し浮いている。
それでも授業料の高いこの学院に通えているのは、その類まれな魔術の才能があったからだ。
元より戦技大会に魔術部門は存在しないが、彼女は一回生から二年連続で集団戦への出場を果たしている。
しかし三年目となる今年、彼女は戦技大会への出場を逃した。
「今年は粒ぞろいだったからね。しょうがないと思ってる」
彼女が出場できなかった理由は単純で――ある教師の指導によるものだ。
どれほどかといえば、その教師に指導された学生たちは剣術、体術、集団戦、さらに総合までもを上位独占してしまうほどの歴史的快挙を遂げたほどだ。
その理由の裏にユキトという講師の存在があることは、学院の中では既に周知の事実だ。
「ユキト先生、魔術だけはダメみたいだからね……」
「みたいだね」
剣に格闘、さらに槍まで扱えるが、魔術の知識は皆無らしい。本人がそう言っているのだから間違いない。
間違いないはずなのだが――
「あの人、試合で魔剣使ってたけど……」
「見て覚えたとか言ってた。この人マジかって思った」
フェイが肩をすくめる。それが事実だとすると、それはもう、才能という次元の問題ではない気がする。だがあの人ならありえそうだ、と思えてしまうのだから、トーリ自身も既に毒されているのかもしれない。
「あっ」
不意にフェイが何かに気づいたように声をあげた。
トーリがその視線を追うと、そこに一人の美しい少女の姿を見つけて、彼女も「あ」と声をあげた。
それは学院の中でもトップクラスの有名人。
「イリアじゃない。珍しいね、朝からなんて」
「……トーリ? そうね、ちょっと用事があったの」
トーストと紅茶が乗ったトレイを手にもって現れた人物は、イリア・オーランドだった。朝からなんて、という言葉の前には、夏休みなのに、という形容詞がつく。
おはよう、と互いに挨拶をかわし、イリアのその目はもう一人、フェイへと向かった。
「そちらはフェイさんよね。体術で優勝した――」
「う、うん! おはよう!」
「ええ、おはよう。同席いいかしら?」
「も、もちろん!」
フェイの言葉に、トーリがくすりと笑った。
「なにそれ。フェイ、緊張してるの? 同級生なのに」
「同級生って言っても、話したことないし……」
確かにフェイは、この三年間イリアと一度も同じクラスになったことがない。おまけに専攻している科目も違う。
だがそれは、理由になっていなかった。
フェイという少女は人見知りなどしないし、むしろ初めて会う相手にもガツガツ距離を詰めるタイプだ。だからこそ、教室の隅でただ本を読んでいただけのトーリとも、すぐに打ち解けたという過去もある。
それを知っているからこそ、トーリは分かっていた。
要は、フェイは緊張しているのだ。
トーリは教室でもやや浮いた存在だが、浮いていると言えば、ある意味イリアほど浮いた人物もいない。
伯爵家の長女であり、文武両道の天才で、何をやらせても完璧にこなす。容姿も実力も、何もかもが抜きんでている。彼女ほど、良い意味で浮いている存在はいないだろう。
彼女に憧れる者は後を絶たない。男子でも女子でも、性別など関係なく、だ。
「……むしろ、トーリがイリアさんと仲が良いのが意外だよ」
「そう? 仲が良いと言っても、ただのクラスメイトだけど」
「トーリ、その言い方は少し私が傷つくのだけど」
「貴女が友人になりたいなら、私は歓迎だけど」
トーリはくすりと笑う。
実際、二人はクラスメイトであり、それ以上でも以下でもない。
ただトーリは、他の人間ほどイリアを特別視してはいないだけだ。それは彼女の性格によるもので、大も小もなく、誰に対してもそうだ。
ある意味、その性格はイリアと似ていた。
「そう。それなら、自然に友人と言ってもらえるように努力するわ。同席しても?」
「ええ、もちろん」
トーリが掌で示した席に、イリアはトレイを下ろして腰かける。
「それで、こんな朝からどうしたの? 実家暮らしの貴女が、朝からカフェテリアなんて」
「……昨日、会長の部屋に泊まったから」
いわゆるお泊り会、パジャマパーティのようなものだったらしい。
それも生徒会長のシェリー・レレイに、総合優勝者であるアイーゼ・リリエスという超豪華メンバーだ。
目を輝かせたフェイだけでなく、トーリも驚きを顔に浮かべた。
「へえ……そんなに仲が良かったんだ」
「意外かしら?」
「ええ、まあ。特にアイーゼ先輩は、イリアにとってライバルみたいなものでしょう」
アイーゼ・リリエスといえば、イリアに次ぐ有名人だ。
そもそもにして、ユグライア出身というだけで人目を引く。だが有象無象のそのすべてを実力だけで黙らせてきた。
イリアには劣るとして見下す生徒も多かったが――それでなぜ見下せるのかトーリには理解不能だが――大会の終わり際に行われたエキシビジョンマッチで、学院最強の座を名実ともに証明した。
「そうね。いつかリベンジしたいと思ってる。でもそれはそれよ」
「カッコイイね!」
と、唐突にフェイが興奮したように声をあげた。
突きの構えで片手をぐっと突き出す。
「ライバルにして親友! そういうの燃えるじゃん!」
「そうね」
ふふ、とイリアも笑った。
「……残念だけど、私はフェイのライバルにはなりそうにないわよ?」
「何言ってんの! ライバルだよ! まだまだ私の方が負け越してるんだから!」
「なにを……ああ。テーブルゲームの話ね……」
にへへ、とフェイは笑い、トーリは呆れたように笑った。
そうして三人は、他愛のない会話をする。
最近面白かった映画をトーリが饒舌に語り、美味しかったスイーツについてフェイがはしゃぐように語り、イリアが相槌を打つ。
フェイもいつしかイリアと打ち解けていき……
「ねえねえ、噂なんだけど、イリアちゃんがユキト先生と付き合ってるってウワサ、本当?」
「……はぇっ?」
イリアが素っ頓狂な声をあげて、両目を見開き硬直する。
トーリはわずかにため息を吐き、
「あのねぇ、そんなコト直球で聞く? ……で、実際のところどうなのかしら?」
ニヤニヤとした笑みをイリアに向けた。
まったく、とばかりに彼女はかぶりを振る。
「馬鹿なこと言わないで。そんなわけないでしょう。教師と生徒よ?」
「ふーん、へぇ」
もっとも、その頬がわずかに朱に染まっていることを、トーリもフェイも見逃さなかった。
イリアは目をつむって紅茶を飲むが、二人からのニヤニヤとした視線に、さっと目をそらす。
「……何を期待しているのかしら。悪いけれど、貴女たちの希望に添えるようなことは何もないわよ」
「「いやぁ別に」」
途絶えることのない二人のにやついた視線に、イリアはただ、ため息を吐いた。
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