間章 - その焔は花のように
#00 ~ 覚悟の重み
これはまだ、俺がじいさんと共に山に住んでいたころの話だ。
剣の修行が始まってから、少し時が経った頃。俺は山を下り、森を歩いていた。
森の山菜取りや、川で水を汲むことは俺の仕事だ。
じいさんに任せたら豆ぐらいしか出てこないのだ。だから、料理は俺の仕事。そしてそれ以外の家事もおおむね俺の仕事だ。
あのじじい、生活力は皆無だ。剣を振るか寝るか、カスミでも食ってるんじゃないかという生活を平気でやる。
まさかそれも剣の修行なのか、と思ったが違う。
時に魔物を狩って食うこともあるのだ。しかも適当な生焼け具合で、盛大に腹を壊したことは記憶に新しい。
じいさんとほぼ同じサイクルで生活している俺だが、さすがにもっとマシに出来るだろう。そういうことで、家事全般は俺の担当になったのだ。
幸いにしてこの頃の俺は、山の魔物はまだキツいが、森の魔物であれば基本的に問題はなくなっていた。
そして。
だからこそ、俺は油断していた。
(何だ、この臭い……)
何かの焼け焦げるような臭いがする。
木が燃えるような臭いではない。もっと別の――。
空を見ると、木々の向こうから黒い煙が上がっていた。
まさか遭難者か? そう思って、煙に近づいていく。
と――盛大に炎をあげて、何かを燃やしている、二人組の男がいた。
二人とも、黒ずくめの男だった。
いかにも怪しい風体で、空にのぼる炎を眺めている。
(何だ、これ)
嫌な予感がした。周囲に立ち込める形容しがたい臭いに、頭がくらくらする。
思わず後ずさる。だが足元は砂利だった。
砂利を踏む音に、二人組の男がばっと振り向く。
「おい、何だこのガキ?」
「知るか。おい、消しとけ」
消しとけ? 火をか?
違った。
男が俺に掌を向けると――突然、虚空に炎が燃え上がって俺に突っ込んできた。
「うおっ!?」
咄嗟に避ける。
何だ今の!?
まさか……魔法!?
「バカがっ、外してんじゃねぇよ」
「ちっ……」
炎を外した男が舌うちすると、呆れたように言ったもう一人の男が、剣を抜いた。
「おいガキ、なんでこんなところに居やがる? 誰かに言われたか?」
「え? いや――」
「馬鹿なこと言ってねぇでさっさとしろ」
俺は、唖然とした。
ただ、体だけは動いた。
ほとんど反射で、振り下ろされた剣を避けて、刀を抜き放つ。
「――は?」
と、男は言った気がした。
それは気がしただけだったのかもしれない。
だって――
男の首が、ことりと落ちた。
血が洪水のように噴き出し、俺の全身を染めた。
(――え……)
ちょっと、待て。
待ってくれ。
違う。そうじゃない。
いつも避けられていた。寸止めしようとしたら、いつも怒られた。
だから、ただ、俺は――。
赤い。
真っ赤な血が、びちゃびちゃと降り注ぐ。
その生暖かさが、命、という言葉を俺に思い起こさせた。
「こ、このガキ!!」
「――ァ、あっ!!」
もう一人の男もまた、剣を抜いて俺に斬りかかってくる。
なんでもない剣。じいさんのそれと比べれば、はるかに遅く、まるで違う。
だが俺は必死に、それはもう必死に避けた。
抜き放ったままの剣を握りしめる。
(なんで、なんで、なんで、なんで……!?)
頭の中が、真っ白に染まる。
男の首が飛ぶ光景が、瞼の裏から離れない。眼前のすべてが赤く染まるようだった。
「この、ガキが!!」
男の手元から、炎が渦を巻いて巻き起こった。
それはさきほどの炎を、数倍にまでしたものだった。
足が、動かない。
(死ぬ……?)
死ぬ? 死ぬ……死。
俺は、また、こんなところで死ぬのか?
その間際で。
俺の脳裏によぎったのは、じいさんの剣だった。
「あ――あああぁぁぁぁぁ!!!」
剣を、振り下ろす。
斬形――
それまで一度も成功したことのなかった、じいさんの技。
風の刃が、渦巻く炎も、男の顔も、体も、縦に両断した。
あとに残ったのは……。
まき散らされた臓物。転がる首。血に染まる光景。
不意に。
男たちが焼いていた場所が目に入る。
炎はもう消えていた。
それは――真っ黒に焼けた人の死体だった。
その後のことは、朦朧としていてよく覚えていない。
ひたすらに吐いて、その後に墓を掘ったのは覚えている。焼けた人の死体と、男たちは別にしたほうがいいと、そんなことを考えていた記憶があった。
そのあとは、家に帰って、倒れるように寝た。
川で全身を洗ったが、それでもなお、生臭い血と臓物の匂いがした。
あの男たちは何だったのか。なぜ人を焼いていたのか。今でもわからない。
――ただ、記憶こそ曖昧だが、ただひとつ明瞭に覚えていることもある。
その日、じいさんが家に戻ると、ぴくりと鼻をひくつかせて俺を見た。
ぎくり、とした。そもそも今日、俺は稽古に出ていない。
すべてを悟られている気がしたが、必死に繕って、俺は夕飯の支度をした。
そして夕飯を囲みながら、不意に、じいさんが言った。
「――剣は、凶器だ」
その言葉に、俺は諦めのような境地になった。知られていることが、恐ろしいと思った。
「剣は人を殺す凶器、剣術は人を殺す術だ。人を相手に剣を抜くということは、すなわち人を殺すということだ。お前は、その術を磨いている」
ああ、その通りだ。
いやになるほどに知った。魔物と人はまるで違った。
剣は、ただ美しいだけのものじゃない。分かっていると思っていたが、それはただ分かっていたつもりなだけだった。
「それでも、続けるか」
俺は、じいさんを見た。
その目は真剣そのものだった。
お前にその覚悟があるかと、そう問われている気がした。
――あるわけがない。
なかったんだ。そんな覚悟なんて。
ただ憧れた。ああなりたいと思った。
だから、ただひたすらに追いかけた。
なのに、どうして、こうなったんだ。
「……じいさんは、人を殺したことがあるのか?」
「ある」
愚問だった。ないはずがない。
今更だが、じいさんの剣の技は、人を殺すために特化していることに気づいた。
魔物を殺すための技もある。だがその剣理は、人を相手にすることを前提にしていた。だから訓練には必ず模擬戦が存在する。寸止めすらもない模擬戦がだ。
ならどうして、じいさんはそんなにも剣を振るうのだろう。
人を殺すため?
(……違う)
顔を上げた。不意に、答えが見えた気がした。
もしもあの時、俺が剣を振れなければ、俺が死んでいた。
それはすなわち、彼らは死なずに済んだということでもあるが――。
選べる命は、どちらかだけだとして。
俺は死をただ受け入れるのか?
死を前に、人はあまりにも無力だ。
抗う術を持つということは、選べるということでもある。
自分が生き残る道を。そして、大切な誰かを救う道を。
だから剣を振るのだ。何もかもを失わないで済むように。
歩いてきた道を振り返った時に、後悔せずに済むように。
それはエゴかもしれない。独善かもしれない。きっと正義でも悪でもない。だけど剣とは、人生とは、きっとそういうものなのだろう。
「覚悟があるかは、分からない」
俺はそう言った。覚悟なんてまだ持てなかった。
それでも。
「続けたい」
俺はそう言った。
するとじいさんは、「そうか」と言ってスープを啜った。
――これは過去の話だ。
時折、不意にあらわれる夢に出てくる、過去の話。
思い出すたびに、自分に問うのだ。
果たして今の俺に、覚悟はあるかと。
もう二度と、後悔はしたくないから。
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