#SS① ~ ユキトの携帯選び(前)

 いわゆる軍学校といえど、士官学院の空気は緩い。

 士官学院というのだから、卒業生は全員が軍に入ることになる――かといえば、実は違うのだ。

 卒業生の進路は様々だ。軍に入る者は確かに多いが、他にもハンターになったり、警察に就職したり、時には民間企業に入る例も存在する。


 こうした形態になった理由は、初代学院長が自由な人だった、という噂がまことしやかに流れるが――。

 実態としては、もっと違う理由らしい。


 帝国は二代前の皇帝、鮮血皇帝の時代において深刻な経済恐慌に陥ったことがある。

 理由は戦線の無計画な拡大、軍事費の膨張、汚職の横行、様々あったが――ともかくそういう理由で、当時あった士官学院もまた深刻な経営難に陥ったのだ。


 そこで何を思ったのか、軍は一度、士官学院の経営を民間会社に委託した。そんな馬鹿なと思うが事実である。

 もっとも軍事機密が漏洩しないようには気を使ったらしい。当時の士官学院で教えられていたのは一般的な武術の範疇だったようだ。

 契約内容は、生徒のうち一定数以上を軍に斡旋すること。


 そういうわけで、一度は士官学院というものは有名無実化した。

 技術の漏出が完全に止められたわけではなく、多くの軍事技術が流出し、後に帝国には巨大な民間軍事会社PMCが生まれることにもなった。

 まあ、あくまでも噂だそうで、軍は認めていないことだが。


 ただ後半では、帝国貴族の資本が入ることで、そうした流れは止まった。

 彼らの大半は士官学院の卒業生であり、有名無実化した母校を憂慮し、その再建に乗り出したのだ。


 かといって、彼らの意見がそのまま通ることはなかった。

 なぜかというと、当時の学院には既に大小さまざまな企業が投資を行っていたからだ。

 反社会的な勢力や外国の圧力がかかった勢力は徹底的に排除されたが、そういったものと無関係な企業まで排斥するのは不可能だった。

 多くの、長きにわたる交渉と衝突を乗り越え――最終的に、士官学院は今の形に落ち着いた。


 つまり、生徒の自主性に委ねるということだ。

 軍への斡旋は優先されはするが、強制ではない。とはいえ戦術科のように軍事知識をもった生徒は貴重で、貴族はともかく庶民は、たとえ民間会社に就職しても帝国からの監視は一生ついてまわる。


 ――では、士官学院の生徒会はどうかというと。


 自由には常に代償が伴う。つまり、責任だ。

 その責任を、形あるものとして最も実感しているのは彼らだろう。


「会長。こちらの書類終わりました」


「ありがと~イリアちゃん」


 時間は既に夜。夕方などではなく完全に夜の帳がおりた中で、生徒会の面々は未だ忙しそうに動き回っていた。

 戦技大会の予選を来月に控え、季節も夏に近づきつつあるが、夜はまだ少し肌寒さを残している。


 俺は現在、生徒会室に来ている。


 アイーゼさんの訓練が終わった後にイリアさんと出くわしたら、生徒会の仕事が立て込んでいて、今日の指導はいけそうにないとのことだった。

 少し悲しそうなイリアさんを見ていられず、思わず手伝いを申し入れてしまったのだ。


 イリアさんから受け取った書類を片手に、シェリー・レレイ生徒会長がキーボード端末に打ち込んでいく。


 それは、いわゆるパソコンだ。ただし俺の知っているパソコンとは完全に別物で、魔導工学技術によって作られた情報集積処理装置、エーテル・フォーミュラ・デスクと呼ばれる代物らしい。

 EFODエフォドと略されるが、むしろエーテルデスクと呼ばれるほうが多いそうだ。


 俺も見てみたが、意味の分からんキーがいっぱい並んでいる上、画面には文字が流れるばかりで、操作方法は全く分からなかった。

 そらウィンド〇ズとは違うよな……。


「みんな使えるの、これ?」


「……ええ、まあ……」


「いや、イリアは出来ないだろ」


 同じく端末の前に座っていたレーヴ君が、呆れたような目を向ける。と、イリアさんはさっと目線をそらした。

 まさか機械音痴なのか?


「いえ。私が触るとなぜか壊れるだけです」


「それを機械音痴というんだと思うが」


「イリアちゃん、事務は専門外だから~」


 ケタケタ笑うシェリーさん。その間も指はよどみなく動いていた。しかも凄まじいスピードだ。

 一人だけ、明らかに事務処理のレベルが違う気がする。


 ちなみにだが、イリアさんは副会長の地位についている。

 会長と副会長は選挙で選ばれるのだ。この分では、選考基準に事務能力は関係なさそうだ。


「そういう先生はどうなんですか?」


「どうと言われても……」


 前世ではパソコン使ってましたよ?

 もちろん言うわけにはいかず、俺は黙り込むしかない。

 何しろこちらの世界に来てから、そういうメカにはろくに触れたことがない。


「そういえば、先生ってフィジフォン持ってないんですか?」


 シェリーさんに問われ、俺は首を傾げた。


「フィジフォン?」


「これです」


 イリアさんが胸ポケットから取り出したのは、携帯型の端末。スライド式のガラケーに少し似ている。

 そんな名前だったのか。フィジって何の略だ?


「見たことはあるけど……」


 そう、以前に執事さんに『まだ早い』と言われ、結局そのままだ。

 手に入れる機会はあったと思うが、何というか、尻込みしてしまっていたのだ。


「えぇ~、便利なのに!」


「いやぁ……まあ、そうなんだけど」


 携帯電話の契約って色々と必要じゃないか。身分証明って言われても困るし、面倒くさいなと敬遠してしまう。


 するとイリアさんが「ふむ」と口元に指をあてて。


「でしたら明日、ちょうど学院も休みですし、買いに行きませんか?」


「えっ」


「あーいいね! それ! むしろ今日にしよう」


「今何時だと思ってるんですか、会長……」


 イリアさんの提案に手を挙げるシェリーさんに、レーヴ君が呆れたように顔に手を当てる。


「いいじゃん! まだ開いてるよ?」


「学生が気軽に出歩いていい時間ではないですよ」


「先生の付き添いがあれば大丈夫じゃない?」


 レーヴ君の指摘に、シェリーさんが俺に目を向ける。

 えっ、俺?

 三人の目線が俺に集まるのを感じて、思わず見回す。


「……ダメ」


 当然、ダメだ。

 確かに一応俺も先生だけど、剣術を教えるだけの教官だ。資格なんて持ってないし、正式な教師ではない。

 そんな人間が、こんな夜中に生徒を連れまわすわけにはいかないだろ。


「え~~~」


「別に逃げやしないんだから、明日でいいじゃないか」


 口をとがらせブーイングするシェリーさんに苦笑しつつそう言うと、シェリーさんはにっと笑う。

 まるで「言質をとった」と言わんばかりの顔で。


「それじゃ、明日はユキト先生のフィジフォン買いに行くってことで! お昼前に、大鉄駅前集合ね!」


(ぐ……)


 はめられた気分になって、俺はもはや頷く他なかった。

 まあ、確かにあったほうがいいとは思うし……いい機会だとも思う。

 オモチャにされてる気がしないでもないが、ここは便乗させてもらおうか。

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